三つの願い
****
「『精霊の剣』は、お前たちに託すこととしよう」
精霊の里の長は、そう厳かに宣言した。
話し合いの結果、最終的には魔女討伐のために力を貸すことにしたのだ。
『勇者』が落下死寸前だったセルマを助けたこと、彼女から『精霊の剣』を渡してくれと言われたことが、その大きな要因だった。
「ご英断とご協力、感謝いたします」
「魔女を倒した後、必ずこちらにお返しします」
「うむ、承知した」
マティアスとキースがそれぞれ礼を言って膝を折ると、村長は鷹揚に頷いた。
「先を急ぐ旅と思うが、これから夜も深まる。一晩里に泊って明朝出発するがよい」
「ありがとうございます。野宿が続いていたのでベッドで眠れるのは助かります」
「ところで、『勇者』はどこに行ったのだ?」
「あー……レントさんと一緒にどっか行きました」
とヘンリックが答えると、村長は途端に顔をしかめた。
「……あいつは本当に大丈夫なんじゃろうな?」
「いや、本来はマトモなんですよ?でもセルマちゃんが絡むとダメになるっていうか」
「IQが著しく下がって、周りがみえなくなる」
「そうそれ」
「ダメではないか」
思わずツッコミを入れるも、仲間たちは揃って『無駄無駄』と首を振るばかり。
「俺らが言っても聞かないんで。つーか会長、ずっと探していた子とようやく会えて浮かれてるんで、そっとしておこうかなって」
「……不安だ」
「そんなことより村長さん、精霊に関する本はここにあるので全部?図書室とかないの?精霊の生態に興味があるから今晩できるだけ読んでおきたいんだけど」
「あ、こら!わしの蔵書を勝手に!」
「あの、シャワールームってどこにあります?もう汗で体ベタベタなんですけど」
「おい、フェリシア・ウィンザー!わしはおぬしをまだ許していないぞ!」
「別に~。セルマと精霊たちには許してもらえましたんでぇ~」
〝そうだ そうだ〟
〝むかしのこと きにする村長 ださいぞ〟
「お前たちは一体どっちの味方なんじゃ!」
いろいろと注文をつける冒険者たちにイライラし、どこかからか湧いてきた精霊たちに檄を飛ばし――村長の災難は続いた。
*
ゆっくりと大きな夕日が沈んでいき、夜の気配が近付く。
橙色に染まる景色の中、私は里の中央にある大きな木を見上げていた。
この天辺に置き去りになった時はどうしようかと思ったが……いやあ、生還できて本当によかった。
「セルマ」
ほう、と安堵の息をもらしていると、背後から紺色の髪の男性が近付いてきた。
彼の腰に精霊の里の宝がおさまっているのに気付き、笑顔を返す。
「先輩、『精霊の剣』を無事に手に入れられたんですね」
「ああ、お前のおかげだ」
「私は何もしてないですよ」
ざあっと風が吹き、私たちの間を通り抜ける。
エヴァルト先輩は、もう私の目の前に来ていた。
彼はしばらく沈黙を守っていたが、ふいにあの時の話の続きをしていいか、と話しかけられ、私は頷いた。
「俺は、お前を諦められない」
「……どういうことですか?」
「セルマの本性は精霊で、俺とは別の生き物だと言われても……絶対にお前を求めてしまう」
「…………。」
「セルマがいないと生きていけない。離れていたこの二か月、気が狂いそうになった」
「そんな、大げさな……」
「大げさなものか」
という言葉とともに先輩は私の手を引き――あ、と思った時にはもうその腕の中にいた。
大きな体に包まれ、ぎゅうと抱きしめられる。
セルマ、と彼は私の耳元で懇願するように言った。
「愛しているんだ。どうしても、お前を離すことはできない」
悲痛な声だった。
信じがたいことだが――強くて、優しくて、『勇者』の称号も得た特級魔法使いは、泣きそうな声で半分人間の私に縋り付いていた。
「もしお前が人と暮らせないのなら……この里で暮らしたいと言うのなら、俺がここに住む。だから、どうか俺を捨てないでくれ」
「え、エヴァ先輩」
捨てるも何も、拾った覚えもないんですが。
という正論はさておき、ぽんぽんと彼の腕をたたいてストップをかける。
「あの!私の話も聞いてもらっていいですか?」
「?……ああ」
物申した私に先輩は意外そうな顔を作ったが、すぐに頷き、少し体を離してくれた。
「先輩はこの『精霊の剣』のこと、ご存じですか?」
「魔力のこもった特別な剣だろう?魔を払う力があり、魔女討伐のために必要だと聞いた」
「はい、でも効力はそれだけじゃないんです。先刻、村長の家にあった本をドレムラーさんと読んだ時に気になる文言を見つけました」
「何?」
「本には〝持ち主の願いを三つ叶えてくれる剣〟と書いてありました」
そこで私は思い出した。
『精霊の剣』に触れた瞬間、剣は発光し、村長の家を飛び出して空へと舞い上がったが――あれは『私の願い』でもあったのでは、と。
「私は剣に触れ……おそらく三つの願いを叶えてもらいました」
「!そうなのか」
「はい。ひとつは、いじけてばかりの弱虫の自分を変えたい。もうひとつは、私を捕まえようと迫って来るドワーフから逃れたい。そして」
私は目の前にある巨大な木を指さした。
「最後のひとつは、この木の上で願ったのです」
「……何を?」
「あの時私は――もう一度、貴方に会いたいと思いました」
「!」
「すると剣は再び浮き上がり、真っ直ぐに貴方の元まで飛んでいきました。……私は途中で手を離しちゃったんですけど」
言いながら、私は苦い顔を作った。
どうにも締まらない結末だ。
『精霊の剣』とともにエヴァ先輩の前に颯爽と姿を現していたなら、格好がついただろうに。
「ともかく、私は先輩にどうしても会いたかった。会って、謝罪と感謝を伝えたいと思った。『精霊の剣』は私の願い通りに動いてくれたんです」
「セルマ、それは……」
「これが、エヴァ先輩と同じ気持ちなのかどうかは……わかりませんけど」
期待させるようなことを言って、上げて落とすようで悪いが、この辺の自分の気持ちには本当に自信がない。
自分でもあまり整理ができていないままだったが、とにかく一生懸命に伝えようとまた口を開いた。
「私の中身は精霊の割合が高いようで、人の感情にはとんと疎い。だから、先輩の言っている『愛』に応えられるかどうか分からない。……もしかしたら一生、私には理解できないかもしれない」
「っいい!俺は、それでも――」
「だから、」
私は笑った。
「まずは人の感情を理解するために、魔法学院に戻ります」
「―!」
すると『勇者』は絶句した。
言葉を失い二の句を告げないでいる様子に、悪戯が成功した子どものような気分になった。
ずっとずっと振り回されてきた意趣返しが出来たようで、少し気がよくなる。
「卒業まで時間がありますし、まだまだ勉強しないと。その内に、無事に帰ってきた先輩と少しずつ『愛』を学べたらと思っています……それで、どうでしょうか?」
それに、先輩に薬の勉強を教える約束もしましたからね、と付け加えると、エヴァ先輩は苦笑して、そうだったな、と頷いた。
「中途半端な返事で、すみません」
「いいや、十分だ。ありがとう」
「私も、ありがとうございます。先輩にずっと感謝を伝えたかったんです」
今度は私から、先輩の背中に腕を回して抱き着いた。
人間の言う愛が何かは分からないが、今私の思う精いっぱいの『愛』をこめて。
「何もなかった私を見つけてくれて、本当にありがとう」
*
いつの間にか日は落ち、涼しい夜風が吹く。
暖かくなってきたとはいえ、まだ春先。
体を冷やしては大変だと思い、『勇者』の他の仲間たちも待つ村長の家に戻ることを提案した。
――したのだが。
「……あの、先輩。そろそろ泣き止んでもらえます?」
文武両道、勇猛果敢。
魔法学院が誇る最強の魔法使いはというと――先ほどから泣きっぱなしだった。
私が抱き着いたあたりから様子が変だと思ったが、突然涙腺が決壊したように号泣し、以来枯れ果てることなく涙を流し続けている。
ぐずぐずと鼻をすする大男を見ながら、うーん、本当に世界の命運をこの人に預けて大丈夫なのか?と一抹の不安がよぎった。
「……セルマ」
「はい?」
真っ赤に目を腫らした『勇者』は、ぐいっと乱暴に目を拭うと私に声をかけてきた。
「魔女は俺や仲間の力を持っても、なかなか倒すことはできないだろう。道中襲ってくる魔物もいるし、いつ終結するかもわからない危険な旅になる」
「?は、はい。そうですよね」
急に饒舌に喋り出した――しかも至極当然のことを言い出した男に、何が言いたいやらよく分からず首を傾げていると、
「しばらくは会えなくなる。だから……これくらいは許してくれるか?」
「え?」
ふいに落ちてきた唇に、疑問符ごと飲み込まれた。
生まれてはじめての口づけは、しょっぱい味がした。




