泥棒と空中飛行
「な、なんじゃと?」
『勇者』の台詞に驚いたのは、村長の方だった。
慌てて中に入るも、彼の言う通りセルマの家は無人であった。
セルマには危険だから家の中にいろと伝えてあったし、約束を破るような娘ではない。
何故だ、と困惑しながらドアを調べると、魔法の錠は解かれていた。
「どういうことだ」
絶対零度よりもさらに低いのではないかと思われる、凍てついた声が耳に響く。
普通の人間であれば、あまりの殺気に気を失っているところだろう。
――いや、長としての矜持でかろうじて正気を保ってはいるが、本音を言えば今すぐ気絶したい。
などと考えながら、村長は静かに佇む勇者を恐る恐る見上げた。
「わからん……セルマが自分から出て行ったとしか……」
「言ったはずだ」
紺色の髪の男は精霊の声を遮り、徐に腰に下げた剣を抜いた。
「もし俺からセルマを隠すようなら、容赦はしないと」
彼の明るいヘーゼル色の瞳は驚くほど凪いでいたが、その実、まるで塵芥を見るような目つきであった。
老人は心の底から恐怖し、震えあがった。
――何が、『勇者』だ。
この男、魔女なんかよりももっとずっと、危険で凶悪で――心の内が読めない。
セルマは魔物よりもやばいモノに執着されているのではと、長はその時はじめて気付いた。
「村長様!こちらにおられますか!?」
と、そこに息せききって現れた者がひとり。
里の警備にあたっているドワーフだった。
「なんじゃ!こっちはそれどころでは……」
と村長は声を張り上げたが、
「セルマが、村長の家に侵入しました!」
続いた次の言葉に目を見開いた。
「そ、「それは本当か!!」
と老人がドワーフ兵に問いかけるより早く、『勇者』が食いつく。
「ひっ!人間!?い、いえ、その」
「言え!彼女がどうしたのだ!」
「答えろ、ドワーフ!命が惜しくば!」
エヴァルトは未だ抜刀したままで、教えなければ斬って捨てるくらいの勢いだった。
ここで死人を出すわけにはいかない、と村をあずかる村長は必死でドワーフに報告を促した。
「は、はい!せ、セルマは村長の家に入って、『精霊の剣』を盗み出しました」
「なんだと?『精霊の剣』を?」
『勇者』は怪訝そうに眉を上げたが、村長の方は心当たりがあった。
「……そういうことか。隠し場所を教えたのはまずかった」
おおかた、『勇者』に『精霊の剣』を渡そうと考えたのだろう。
それが誰も傷つくことはない、一番平和に解決する方法だと。
あの時は侵入者に目を向けていて、セルマに気を配る余裕がなかったが――もう少しちゃんと話しておくべきだった、とひそかに後悔した。
「それで、セルマは今どこに!その村長の家に行けばいいのか!?」
「それが……」
とドワーフは言いよどんだ。
その顔は青ざめており、なんだかとんでもない物を見たような表情だった。
「どうした、ありのままを話してみよ」
「は、はい。剣を手に取ったセルマを我々ドワーフが止めようとした時、突然剣が光り出したのです。そして……」
「そして?」
「壁をぶち破り、そ、空を飛んでいきました!!」
「は?」
瞬間、最強の『勇者』と老齢の精霊は、そろって疑問符を口に出した。
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「ど、どうしよう……」
私は途方に暮れていた。
深いため息を吐くも、いつも話相手をしてくれる精霊たちは今周りにいない。
「どうしてこんなことに……」
私は今、全長100メートルはある巨木の天辺にいた。
村長の家に忍び込み、絵画の裏のボタンを押して、隠されていた『精霊の剣』を手に入れたところまではよかった。
しかし、見回りのドワーフにそれが見つかってしまい、咄嗟に額から剣を取り出したら――急に剣からまばゆい光が溢れ、次の瞬間には空を飛んでいた。
剣は持ち主の私ごと、グーンと急上昇した。
あまりの勢いにパニックになった私は、止まって!と剣に向かって命令し――それを聞き入れたのかどうかは不明だが――里の中心にある一番高い木の上で、『精霊の剣』はぴたりと止まった。
そして、今に至るわけである。
「まったく……貴方はどうして急に空を飛んだの?私は『勇者』じゃないのに」
恨み言を手の中の剣に向けても、うんともすんとも言ってくれない。……当然のことだが。
「止まってくれたのはよかったけど、こんなのどうやって降りればいいの……私は先輩みたいに転移魔法なんて使えないし」
地上を見下ろすも、あまりの高さに気が遠くなる。
田舎に住んでいたころ木登りは何度かしたことがあるが、命綱も何もなしにこの高さを降りていくのは危険すぎる。
はあ、とまた大きなため息が出た。
「そういえば、先輩、元気かな」
とふと、ふたつ上の先輩のことを思い出す。
ある日突然目の前に現れ、住所を聞いてきたり、よく分からないうちに昼食を一緒に食べていたり。
エヴァルト・アディントンは、それまで自分だけで完結していた世界に突如飛び込んできた異分子だった。
元よりコミュ障の身なのに太陽のように笑う学院の人気者に振り回され、私は大いにうろたえた。
でも、庭仕事を手伝ってもらったり休日に一緒に出かけたりするうちに、彼の優しさに触れ、自分の中に何か温かいものが生まれた気がしていた。
それはまるで、自分が全く違った色に色づいていくようで――臆病な私は戸惑っていたんだけど。
決して悪いものではなかったと思う。
「ああ、そうだ。私……エヴァ先輩に魔薬師科の勉強を教えるって約束してたんだった」
どうして忘れていたのだろう、と思った。
たぶん生まれてはじめて、あんなにわくわくしていたのに。
その後、庭が火事になったショックで、何も考えられなくなったからかもしれない。
「約束、破っちゃったな……」
それだけじゃない。
心を病み、言葉すら発さなくなった私を、先輩は自分の家に迎え入れて色々と世話を焼いてくれていた。美味しいものをもってきてくれたり、明るく話しかけてくれたり。
たくさんたくさん、心配も迷惑もかけていたと思う。
でも、私は彼に黙って『精霊の里』に来てしまった。
居心地のいい空間に閉じこもって、精霊たちに慰めてもらいながら、そのまま学院のことすべてを忘れようとしていた。
そうだ――『ごめんなさい』も『ありがとう』も、まだ言えていないままだ。
「やっぱり私……もう一度先輩に会いたい」
そう呟いた瞬間。
「え」
ぐらりと体が傾いた。
手元を見ると、まばゆく発光する『精霊の剣』が。
――まさか。
「きゃあああああ!?」
意志を持っているかのような強い力で剣に引っ張られ、私は本日二度目の飛行をすることになった。
「こ、今度はどこに行くの!?」
空を切り裂き、真っ直ぐに飛ぶ剣に必死にしがみつきながら、私は頼むから地上に下ろして!と叫んだ。
木の上からは脱出できたが、『精霊の剣』が何を持ってこんな空中飛行をしているのか、意味不明だ。
びゅうびゅうと全身を叩きつけてくる風圧に耐えながら、無事に地面に足がつけられますように、と願う。
しかし、私はこんな時でもぽんこつだった。
「あ」
最悪のタイミングで、きた。
握力の限界が。
握っていた柄の部分からずるりと両手が離れ、空中に身が投げ出される。
「わあああああ!?」
ああ、これは死んだ、と思った。
剣から離れた体は、重力に従って自由落下。
私にはこれに対抗できる重力操作の魔法も、はたまた別の場所に移動できる転移の魔法もない。
なんてあっけない終わりだろう、と冷静に考える私がいる一方、
まだ死にたくなかったな、と思う私もいた。
最後にあの人に――エヴァ先輩に会いたかった。
「セルマ!!」
と、突然、私は何者かによって捕まえられた。
がばっと音がするほど強く両手で抱きしめられ、身動きができない。
「な、に……」
涙の膜でぼやけてよく見えないが、全身が温かい何かに包まれている。
その何かは、さらに力を入れて私のことを抱きしめた。
「セルマ!ああ、会いたかった、セルマ!!」
私のことを抱く誰かの顔から、温かい液体が流れているのを感じた。
涙だ、と直感的に思い、顔の辺りに手を添える。
泣かないで、という言葉が届いたかどうか分からないが――そこで私の意識はブラックアウトした。




