決意
ずっと、考えていることがある。
失意に沈んでいた私は、庭師に手を引かれるまま学院から出奔し、精霊の里に逃げこんだ。
里に移り住んで数か月、精霊たちに囲まれながら心穏やかに毎日を送れているのは事実だ。
しかしふと、手に入れた安寧の中には、罪が混じっていると感じることがあった。
逃げて、縮こまって、全てを拒絶して、誰にも脅かされない平和で安全な世界に閉じこもる――でも、本当にそれでいいのか?
あの学院で四苦八苦しながら勉強して、色々な人に出会って、話をした。
人と触れ合う温かさも、かけられる声の優しさも、その時に知ったのではなかったのか。
本当に人間からもらったのは、〝不理解〟や〝恐怖〟だけだったのか、と。
「……ん?」
リビングでぼんやりしていると、外がやけに騒がしいのに気付いた。
侵入者を追い払うまでは、全員家の中に入っていろというお達しだった。今は誰も外出していないはずだ。
「なんだろう」
立ち上がり、そろりと窓の外を覗こうとした時、
〝だめ セルマ〟
「え?」
窓をするりと通り抜けてきた精霊が、私の目の前で大きなバッテンを作った。
緑の幼子は、何やら慌てているようだった。
「どうしたの?」
〝にんげんだよ〟
「――え?」
〝にんげんが、こっちにくる〟
その報告に、ドクンと心臓が大きく鳴る。
人間、ということは『勇者』がこの里の中に入ってきたということだ。
一体何があったのだろうか。
一番いいのは、話合いの結果彼らに『精霊の剣』を渡すことになり、里に入って一緒に村長の家に向かっているパターン。
しかし、交渉が決裂し、怒った勇者が里に無理やり押し入った可能性もある。
最悪の展開は、『勇者』がその力をもって、精霊たちに危害を加えだすこと……
――ダメだ!そんなことは、絶対に!
「……人間や村長の様子は?」
私は心中の動揺を隠しながら、精霊にそう聞いた。
〝うーんとね〟
〝ぼく 見てきたよ〟
「どうだった?」
〝村長 あおいかお してた〟
「!」
〝それ きっと、ゆうしゃにおどされてるんだ!〟
〝ええ!どうしよう セルマ〟
ひそひそ声で話しながら、うろたえる小さな子たち。
緑の瞳を不安そうに潤ませ、じっとこちらを見上げてくる。
そんな精霊たちを見、覚悟を決めた私は勢いよく立ち上がった。
「……私、行く」
〝え?〟
「村長の家に行って、『精霊の剣』をとってくる」
すると精霊たちは驚き、体をぴょんと跳ねさせた。
〝セルマ きけんだよ!〟
〝にんげんに ころされちゃうよ〟
「大丈夫。私は人の形をしているし、すぐに攻撃されることはないよ」
〝でも けん もちだして おこられない?〟
「ずっとしまいっぱなしで使われていない剣なんて、あげてしまえばいい」
人間嫌いの村長は渡したくないと言うかもしれないが、さっさと『勇者』に剣を渡して、里を出て行ってもらうのが最善だ。
それに、勇者たちだって魔女を倒すために『精霊の剣』を必要としているのだ、決して悪いことに使う訳じゃない。
私は、最初からそうすればいいと思っていた。
「……ふう」
ドアノブに手をかけ、深呼吸をする。
ずっと、考えていることがある。
私は体が人間で、魂が精霊というちぐはぐな存在らしい。
精霊のもつ感性ゆえか、とんでもないコミュ障で、相手を不快にさせてしまうことがままあった。
今だって、ヒトと接することに恐怖を感じるが――でも、それだけじゃなかったはずだ。
喜びも嬉しさも驚きも戸惑いも、色々な感情を、あの人がくれた。
いつも怯えるばかりだった私に、根気強く手を差し伸べてくれ、『セルマ・レント』を認めてくれた。
『人間のセルマ』だって、私の一部。
人間として『勇者』に協力がしたいと思うのは、私の意志。
「よし!」
気合を入れてドアを開け放つ。
落ち込んで、閉じこもって、いじけているばかりの自分はもう嫌だ。
『勇者』の手助けをし、今度こそ精霊たちを守るんだ。
ガチャン!という音を立てて、魔法の錠は解除された。
****
「おい、まだ着かないのか」
『勇者』エヴァルトは、苛々と足を踏み鳴らした。
精霊の里の長に連れられてセルマの元に向かう途中だが、里に入って随分経つのに一向にたどり着かず不信感が募る。
よもや見当違いの場所に案内されているのでは、と疑いの目を向けた。
「セルマの家は外れにある。そう急かすな若造」
「本当だろうな、もし違ったら、ここら一帯を更地にするぞ」
「本当だとも。はあ、『勇者』のクセに随分と物騒な思想の持主じゃ」
「ただの肩書だと言っただろう。……しかし、こんな何もない所にセルマが?まさか粗末な扱いをしているんじゃないだろうな」
「しておらんわ、人聞きの悪い。少なくとも、学院にいた頃よりは元気そうじゃった」
「…………。」
村長の回答に、エヴァルトはむっと閉口した。
そして誤魔化すように、周囲をまた見回した。
――長閑な田舎の村だ。自然豊かで田畑や川、森がある。
どことなくセルマの住んでいた庭の小屋を思い出す。
「やはり、彼女は自然が好きなんだな」
「精霊は緑を好む。特に緑の精霊は自然とは切っても切り離せないからの」
「寮の傍に畑でも耕すか……少しは居心地よく思ってくれればいいが」
「待て」
と、老人はぴたっと足を止めた。
エヴァルトも同じく歩を止め、元庭師の男を見下ろす。
「何だ、ご老人。急に止まって」
「……お前は、セルマを連れ戻すつもりなのか?あの学院に」
「ああ、そのつもりだが。魔女を倒して全てが終わったら一緒に――「それは、やめてもらえんか」
と、固い声で発言を遮られ、エヴァルトはちょっと驚いた。
己よりも頭二つは小さい老人が、真剣な表情でこちらを睨みつけていた。
「里の外で話したこと、あれは全て真実じゃ。火の精霊の起こした火事でセルマはひどく落ち込み、人間に対して恐怖心を抱いておる」
「……それは」
「わしは、あの子の幸せを願っておる。そしてそれは、お前たち人間の傍にいることではない」
精霊の翁は、勇者に向かってそう言い放った。
男は、二の句を告げなかった。
それは確かに、図星であったから。
彼女の性質が精霊であるというのなら、人間の自分と交わることはないのかもしれないと、心のどこかで思っていた。
それが証拠に、学院で最初に見た彼女には阻害魔法が幾重にも張られており、外界を断絶しているようだった。
でも。
「そうかもしれない、しかし……」
「しかし?」
「――それでも俺は、彼女と一緒に生きたい。そのために、ここまで来た」
もう、遅いのだ。
だって、出会ってしまったのだから。
『セルマ・レント』は、それまで何も望まなかったエヴァルトの前に突如現れ、すべてを奪ってしまったのだから。
例え彼女がそう望んでいなかったとしても――どうしても、諦められない。
「……そうか。まあ、どうせわしの言う事など信じないじゃろうから、直接聞いてみるがよい。ほれ、セルマの家はそこじゃ」
「!」
勇者は老人の指す方を見やり、そこへ向かって全速力で駆け出した。
猛ダッシュでひたすら走っていると、小さな可愛らしい一軒家が見えてくる。
あそこにいるのだ、ずっとずっと恋焦がれてやまない、緑の少女が。
――セルマ!ああ、ようやく会える!!
はやる心を押さえつけながら、エヴァルトはドアを開けた。
「セルマ!!」
勢いよく扉を開けた先はしかし、しんと静まり返っていた。
明かりが消えた、冷え切った無人の空間が『勇者』を出迎えた。
詮索魔法をかけずとも、すぐに分かった。
ここには、エヴァルトの探している少女は――
「…………。」
「はぁ、はぁ……もう少し年寄りを労わってくれんか」
急に走り出しおって、と恨み言をつぶやく村長に、長身の男は無言で振り向いた。
「いない」
「……は?」
「ここには、セルマはいない」
言葉とともに、精霊の長をもしのぐ魔力の持ち主、『勇者』に回りに黒く渦巻く殺気。
「――どういうことだ、精霊の里の長よ」
低い無感情な声に体が凍り付く。死の気配がまとわりついてくる気すら感じる。
本気で殺されるかもしれないと、齢数百年の精霊は生まれてはじめて恐怖した。




