閑話*彼が彼女を見つけた日2
『不可視』の魔法が解かれ、姿が見えるようになった。
所属も学年も把握したし、生徒会長の特権を駆使して彼女の時間割も手に入れた。
後は、授業の合間の時間に合わせてその場所に行けばいい、今度は彼女と面と向かって会話ができる――と、思っていたのだが、ことはそう単純ではなかった。
「チッ、また『壁』か」
教室から出てくる彼女を追って話しかけようとしたところ、またも透明の壁にぶつかった。
てっきり名前を解き明かした時にすべて解呪したのだと思ったのだが、そうではなかったらしい。
ならば、とすうと息を吸って、彼女の名を呼び――
「――っ」
呼ぼうとしたが、口からその名を発することができなかった。
喉が張り付いたように、急に言葉を失った。
「っ、な、」
そのうちに、緑の少女はするすると人ごみを抜けて去っていってしまう。
俺は呆然とした。
目の前まで来てなお、彼女の視界に入れないのだ。
ひどい悪夢を見ている気分になった。
****
セルマ・レントの名を知ってから、数日経った。
あれから自分の空き時間すべてを彼女の元に通う時間に費やし、時には生徒会の仕事云々と言って授業をサボったりした。
しかし、あらゆる手段を講じてもセルマと話すことはできなかった。
やはり、彼女には特殊な魔法がかけられている――それもかなり高度な魔法だ。
自慢ではないが、俺は学院で習得できる魔法はほとんど理解していたし、学生程度が扱える魔法など簡単に解除できると思っていた。
しかし、セルマにかけられた阻害魔法には打つ手なしだった。
まず、行く手を阻むような『透明な壁』が立ちはだかる。
それをうまく通り抜けて近くまで行けても、何故か話しかけられない。
手を差し出そうとも、体が石のように固まって動けない。
まるで、『セルマ・レント』という存在がこの世界から隔絶されているようだった。
「――だが、何か抜け道はあるはずだ」
と独り言を言いながら、積んだ本の山から新たな一冊を手に取った。
セルマに最も接近できるのは、昼のカフェテリアだった。
他の生徒が多数入り混じるカフェテリアでは、常につきまとってくる透明な壁はなく、セルマの隣の席に座ることもできた。
しかし、話しかけることはかなり困難だった。
セルマの名前はもちろん、彼女個人に向けて話しかけるような台詞はNG。
本当に何なんだ、この魔法!と苛々しながら試行錯誤した結果、
「すまない、隣の席、いいだろうか」
という言葉だけは、ちゃんと通った。
少しだけ会釈してくれ、隣の席を譲ってくれた時の感動といったら!(冗談抜きで、その日一日何も手がつかなかった)
以来、カフェテリアで彼女と同じメニューをとって、彼女の隣に座ってじっと食べるさまを観察するのが一日の楽しみになった。
小さな口を開けて、小動物のようにちまちまサンドイッチを食べるセルマを見るだけで癒された。
『セルマ・レント』への感情は、もはや『透明人間』や高度な阻害魔法への興味というだけでは説明がつかなかった。
愛しさは日々募るばかりで、なんとか彼女と目を合わせて普通に会話できないかと思案した。
「言語は絞られるが、挨拶や軽い会話は届いた。なら法則を見極めれば、なんとか接触も――」
「何ぶつぶつ言ってるの?」
と、突然声が降ってきた。
顔を上げると黒髪の仏頂面と目が合った。
「ヘンリックか」
「珍しいね、会長が図書館に篭ってるの。随分集中してたようだけど」
「まあな」
「『魔法の強制解除』?上級魔法じゃん」
ヘンリックは積み上げた本のタイトルをざっと眺めただけで、俺の調べていたものをぴたりと当てた。
さすがは学院はじまって以来の天才と呼ばれているだけある、と感心した。
「ああ、文献を漁っているがあまり収穫がない」
「構造が不明すぎて全然研究の進んでない分野だからね……で、会長はなんでこんなもの調べてんの?」
「ある人にかけられた認識阻害魔法を解きたいんだ。かなり厄介な代物で、苦戦している」
「――視覚と聴覚の阻害、透明な壁?聞いたことないんだけど」
「お前も分からないようじゃ仕方ないな」
と言うと、ヘンリックはむっと口をとがらせた。
「そこは研究範囲外だから。理屈さえ理解できれば、自作で魔法を作れるし」
バカにしないでくれる?と棘のある口調で言うヘンリック。
どうも彼の研究者としての矜持を傷つけてしまったらしい。
すまない、そんなつもりではなかった、と謝ろうとしたところで、はたと気付いた。
「そうだ、その自作の魔法陣で聞きたいことがあったんだ」
「……何」
「お前の作った『転移魔法』を教えてくれないか?」
ヘンリック・ドレムラーが若くして異例の特級魔法使いになったのは、彼が時空魔法『転移』を発明したことにある。未だ実用化には至っていないが、世紀の大発明と一時期大騒ぎになった。
その『転移魔法』を教えてほしいという依頼に、ヘンリックは少し考える素振りをした後、口を開いた。
「……いいけど、会長にも習得は無理だと思うよ」
「難しいのは分かってる。でもどうしても使いたいんだ」
「フーン、あっそ」
まあやれるもんならやってみて、とヘンリックは勝ち誇ったように言い、向いの席に座って羊皮紙を取り出した。
『転移魔法』を使えるようになりたいと思ったのは、もちろんセルマ捕獲対策だ。
一瞬で任意の場所に動くことができれば、『透明な壁』をも超えることができるのではと考えた。
ヘンリックの編み出した『転移』は最先端の魔法だ、やってみる価値はあるだろう。
「ちょっと会長、聞いてる?」
「――ああ、聞いてる。それで、陣を編み込んだ後はどう処理するって?」
本に取り囲まれた空間で、俺はヘンリックから転移魔法について聞き出すのに集中した。
****
「待ちたまえ、セルマ・レントさん」
「!」
そして、ついにその時は来た。
呼びかけに応じて、セルマはゆっくりと俺の方を向き――瞬間、パチッ!という音とともに、目の奥で白い火花が飛んだ。
二度目に味わう感覚。
『セルマ・レント』への認識阻害のロックが外れたのだ。
「……なんですか」
「この学生証、君のではないか?」
「!!」
翡翠色の瞳をいっぱいに見開いて驚きを表現する彼女。
その目には、確かに紺色の髪の男の顔が映っていて――不覚にも泣きそうになった。
「そう、私の……」
「そうか、よかった。偶然拾ったんだ」
「ありがと、ございます……」
小さな小さな声で、セルマ・レントはそう答えた。
感動で胸が詰まる。
ちなみに学生証を拾ったというのは嘘だった、カフェテラスで隣に座った時にこっそり盗み出しておいたのだ。
学生証に記載された『セルマ・レント』という記号を発するのなら、言語統制の理から外れることができるのではという仮説は当たったようだった。
――ああ、ようやく会えた。
見ているだけの日々が今終わった、と実感した。
その後、また雲隠れしたセルマを探して奔走し、ヘンリックに教えてもらった『転移魔法』を使って彼女に触れた時、『セルマ・レント』を取り巻いていた阻害魔法は完全に無効化された。
「(――ざまあみろ)」
息を切らし、汗だくになったみっともない姿ではあったが。
俺はこれ以上ない達成感に、セルマに魔法をかけたどこかの誰かに向かって心の中で吐き捨てた。
「これで、俺とセルマを隔てる壁はなくなった」




