勇者の目的
『勇者』からの質問に、村長は少しも顔色を変えなかった。
さすがは年の功――ということではなく、驚きに表情筋ごと固まってしまったからだ。
「……いかがした?」
という男からの問いかけでようやく我に返り、誤魔化すように咳払いをした。
「いや、何を言っているのかと思っての。てっきり『精霊の剣』が目的と思っておったが」
「『精霊の剣』が目的だよ!!」
と突然横入りしてきたのは、やや背の低い黒髪の少年だった。
「ちょっと、何言ってるの会長!僕たちあの剣を手に入れるために、わざわざ寄り道したんでしょ!」
「そうだぞ、エヴァルト!お前の人探しは後にしろ!」
エヴァルトと呼ばれた勇者は、仲間たちからの非難に顔をしかめた。
不服そうに口をとがらせる男を見て、どうやら彼はセルマの知り合いで、行く先々で同じ質問をしているのだと察する。
――驚かせおって。
村長ははあ、と息を吐いた。
「それよりも、お前たち。どうやってここに来た」
「どうやって、とは?」
「里の周囲には、緑の精霊の結界が張ってあるのだ。普通の人間にはたどり着けはしない」
「そうなのか?道中にそんなものはなかったが」
「違うよマティアス。結界を通り抜けられたのは、フェリシアのおかげだろう。彼女は精霊の加護を持っているから」
彼女に感謝しないとね、と呟いた銀髪の男は、一番後ろで縮こまっている人間に目を向けた。
精霊の里の長も、弾かれたようにそちらを向く。
人間の名前など全く覚えない精霊たちから、以前聞いたことがある名だった。
「……フェリシア?どうしたんだ、さっきから黙っているが」
「えっ。な、なんでもないです」
「そうか?しかし、なんだか顔色が悪いんじゃないか?見せてみろ」
「あっ!」
マティアスと呼ばれた男が、ぐいっと仲間のフードをめくる。
すると、ブロンドの長い髪と少女の顔が露になり、はっきりと見えた。
「――!!」
瞬間、村長は今度こそ表情を変えた。
口を引き結び、すっと目を細める。
「そうか。お前たち――ロデリア魔法学院の生徒だな」
「え?」
「そしてお前が精霊の庭を焼いた女、フェリシアか」
「っ、な……」
途端に少女は青ざめた。
その態度をもって真実であることを知った村長は、さらに言葉を紡ぐ。
「精霊の加護を持っているのなら、分かったじゃろう。あの庭にはたくさんの精霊が生息していた。じゃが、お前の炎で庭は焼き尽くされ、精霊たちは命からがら里まで逃げかえってきた」
「そ、それは……」
「話だけでも聞くかと思ったが――不要のようじゃ。お前たちに協力はできん、去れ」
「ま、待ってください!」
打って変わって冷たい態度になった村長に、黒髪の少年が慌てて前に出てきた。
「精霊にとって大切な庭と知らず、申し訳ないことをしたと思います。しかし彼女も悪気があって庭を焼き払ったわけではない!炎の精霊が急に暴れたのです!」
「ヘンリックの言う通りだ、あれは事故だった!鎮火にも最善を尽くしたが、ダメだった」
「村長さん、俺たちは魔女を倒さなければならないんだ、どうか協力してくれ!」
男たちがフェリシアの前に立ち、次々と声をあげる。
世界の命運がかかっているのだ、彼らも『精霊の剣』を手に入れるため必死なのだろうということは村長にも容易に想像がついた。
しかし、セルマのトラウマの元凶たる少女のパーティに手を貸す気はない。
厳しい表情は変えないまま、翁は静かに口を開いた。
「火の精霊は元々気性が荒い。精霊の力も制御できん未熟者が、無理に使役しようとするからじゃ。何を言われても『精霊の剣』を渡すつもりはない」
「そんな……」
「遠路はるばる来たところ悪いが、このまま去ってくれまいか。人間がいると精霊たちが怯えるからの」
その言葉を最後に、踵を返して門に向かって歩き出す。
後ろでまだ人間たちが騒いでいたようだが、もう聞く気は起きなかった。
これでセルマも安心するだろうと思いながら、警備のドワーフたちに声をかけようとした
「ご老人」
その時、間近から声がふってきた。
ぞくっと背筋が泡立ち、反射的に振り返ると、背後に『勇者』が立っていた。
静かに佇む人間に殺意は感じなかったが、村長は警戒を緩めなかった。
――なんだ、こやつ……
ここまで近付かれたのに、全く気配が感じられなかったのだ。
「……なんじゃ、もう話すことはないぞ」
「ひとつ聞きたいことがある」
「何?」
「火事を知っているのなら、庭の管理をしていた少女も知っているのではないか?」
「…………。」
「最初に尋ねただろう、魔法学院の2年生で名はセルマ・レントという。俺は彼女を探しているのだが、ご存じだろうか」
『勇者』はそう淡々と言った。
榛色の視線を受けながら、老人は小さく息を吐き、
「さて、知らんな。わしは火傷を負って逃げ帰ってきた精霊たちを里に迎え入れた時に、その話を聞いたのじゃ。そんな人間は……」
と口走った瞬間、キンと耳鳴りがした。
魔法陣が展開し、目の前に黒い靄のようなものがかかる。
「なっ……なんだ、これは!」
突然視界が暗くなったことに狼狽えていると、『勇者』は
「その言葉、嘘だな」
と確信めいた口調で言い切った。
「っ、お前、何を」
「軍が敵の尋問用に開発した魔法だ、嘘をついた者の言葉に反応する。ただの嘘発見器みたいなもので、攻撃性はない」
それより、と言いながらエヴァルトが精霊の翁に詰め寄る。
「お前、やはりセルマを知っているな。どこにいる」
その冷えきった声色と、深淵のような昏い目に老人は震え上がった。
それは、生まれてからこの方感じたことのなかった感情――明確な恐怖だった。
だから、だろうか。
村長がその時、無意識に勇者の尋ね人の方を――里の方に視線を向けてしまったのは。
「そうか」
と彼が呟いた途端、魔法が解除され、黒色の霧が晴れる。
視界がクリアになり、普段通りの景色に戻る。
「セルマは、この里の中にいるのだな」
『勇者』は、ぞっとするほど迫力のある笑顔を作った。
「おい、エヴァルト!どうしたんだ、一体」
その時、彼の仲間たちがバタバタと走ってきた。
エヴァルトは振り返り、探し物をやっと見つけたんだ、とだけ伝えた。
「というわけで、里の中に入る」
「は!?で、でも、俺たちは里には入れないって」
「なら、みんなはここで待っててくれ。俺だけ行ってくるから」
「えっ!?」
「っ待て、小僧!」
村長は、転移陣を展開しようとした男に『魔法解除』の魔法をかけた。
足元からふっと陣が消えると、男はゆっくりと老人の方に視線を向けた。
「何故、邪魔をするんだ。俺は別に剣を盗みに行くわけではないぞ」
「わしは、二度と人間をあの子に近付けさせない!そう約束しているのじゃ!」
「なんだと?」
「あの子は深く傷ついておる、お前ら人間のせいでな」
「人間?何を言っている、セルマだって人間だろう」
「違う、あの子は我ら精霊の側の者じゃ」
村長は『セルマ・レント』の生い立ちを語った。
彼女の話をすることに躊躇はあったし、実力行使で人間たちを強制的に追い出す手もなくはなかったが、やめた。この『勇者』には嘘は通じないし、何をしでかすか分からない不気味さがあった。
「――精霊は、対峙する者の心を映す鏡のようなもの。セルマの前だと、不思議と心のうちが話せたり、心の整理がついただろう?あれはあの子の力」
「…………。」
「あの子の周りには、他者を害することのない清廉な空気が常に漂っている。人間はそれを欲し、手に入れたいと願う。お前もその一人だろう」
「…………。」
「セルマはお前たち相手に何も望まない。それなのにどうだ、嫉妬に狂った女に家を焼かれ、同胞の緑の精霊は散り散りになり……あの子がどんなに悲しんだか」
滔々と語る老人の話に耳を傾ける『勇者』一行。
特に勇者エヴァルトは神妙な面持ちで、黙って聞いていた。
「所詮お前たちは我々と同じ生物ではないのだ、住む世界が違うと思って諦めろ」
最後にそう結び、老人は一息ついた。
ここまで説明すればわかるだろう、セルマのためを思うのなら会うべきではないのだ。
『勇者』ともあろう人間が、それを理解できないほど無知にも不道徳にも思えなかった。
「話はわかった」
「そうか」
「だが、断る」
「は?」
「そこをどいてくれ、ご老人。俺はセルマに会いにきたんだ」
が、エヴァルトは依然変わらぬ態度で村長にそう言った。
さすがの老獪も、この『勇者』の言動には驚きを隠せなかった。
「な、なんじゃと?今言ったことを聞いていなかったのか!?」
「聞いていたさ。そうか、精霊だったのか……通りで。ひょっとして天使ではないかと度々思っていたが、成る程、精霊か」
「……おい、何を言っている?」
「だが、セルマの正体が精霊だからと言って、俺が会いに行かない理由にはならない」
言いながら勇者が抜いた剣を振りかざすと、ブチッ!という音とともに魔力の糸が解け、精霊の長の魔法が破られた。
「な……魔法の『強制解除』!?」
「悪いが、俺は貴殿よりも強い。承知いただけないのであれば、力づくで通るが」
勇者の周りに黒い魔力が膨れ上がる。
そこらの魔物など目ではないほどの量、そして悍ましい、毒々しいオーラ。
「な、なんだ、この魔力……?お前、本当に人間か?」
「セルマに会わせろ」
慄く老人に、エヴァルトは繰り返し言った。
「彼女が精霊だろうが人間だろうが関係ない。学院でも精霊の里でも、セルマが健やかに過ごせているのならどこにいたっていい。だが、彼女に会えないならば、法であろうが世界であろうがぶっ壊す」
「ま、まて、お前は『勇者』ではないのか?」
「ただの肩書だ。俺はセルマを探すために旅に出た、魔女退治はついでに過ぎん」
「「ついで!?」」
衝撃の事実に、村長だけでなく勇者の仲間たちも驚きの声をあげた。
「ま、魔女を倒すために、『精霊の剣』が目的でこの里に来たのではなかったのか!」
「『精霊の剣』などなくとも俺は勝てる。元から貴殿らの力を借りるつもりはない」
「な、なんたる不遜な……まだ二十も生きていない若造が」
「キレた若者をなめると怖いという話だ。さてどうする、ご老人。セルマの住む里だ、できれば破壊はしたくない」
勇者の言葉に、精霊の里の長は唸った。
冗談でなく、こいつなら本気でやると思った。
これほど狂った男は見たことがない、それにここまで精霊に傾倒している人間も――
しばしの思考の後、老人は深いため息を吐き白旗を上げた。
「……わかった。里を壊されてはかなわない、入村は許可するが……」
「助かる」
「セルマ自身は、お前に会いたくないかもしれんぞ」
「……それでいい」
勇者は剣を鞘に納めた後、老人に礼をした。
「一目見るだけでもいい。俺を彼女の元に連れて行ってくれ」




