閑話*『フェリシア・ウィンザー』の独白
――これはきっと、ゲームマスターによる軌道修正だ。
少女は心の中でそう呟いた。
『フェリシア・ウィンザー』には、前世の記憶があった。
それまでは田舎町のどこにでもいるような平凡な少女だったが、十七歳の誕生日を迎えると同時に、唐突に脳内に記憶があふれだした。
それはこことは違う世界。
魔法のない、無機質な機械に囲まれた日本という国で、ごく普通の生活を送る女子高生。学校終わりには友人と一緒にウィンドウショッピング、通りで売っているクレープを買い食いして、いろんなところで派手に盛った写真や面白おかしい動画を撮って。
そして、よく話していたのが今はまっているゲームのこと――
「!!」
フェリシアはそこでハッとした。
慌てて家に送り付けられたクリーム色のパンフレットを引っ張り出す。表紙には、中央に『ようこそ、ロデリア魔法学院へ』の文字。
「ロデリア…ロデリア魔法学院…?」
声に出して読むと、よりはっきりと思い出した。
前世の自分の名前は思い出せないが、当時はまっていたアプリゲームの内容が、鮮明に脳内に蘇ったのだ。
魔法学校が舞台の、学園もの乙女ゲーム。
手軽に遊べる携帯ゲームだったが、美麗なイラスト、ストーリーの作りこみ等が評価され、女子高生を中心に大ヒットした。アプリがアップデートされ、サブストーリーややりこみ要素が追加されては何周もプレイしたっけ、と思い返す。それくらい、前世の彼女はそのゲームにはまっていた。
そして、その主人公の名前は『フェリシア・ウィンザー』。
十七の年に急に魔力が発現した彼女が、ロデリア魔法学院に編入するところから物語は始まる。つまり、
「…私、私…乙女ゲームの主人公になったんだ!」
フェリシアは声をあげて喜んだ。
大好きなゲームの主人公になって、ゲームのキャラクターたちと恋愛できるなんて!
これは、神様がくれたプレゼントに違いない!
フェリシアは歓喜に顔を緩ませ、持っていたパンフレットをくしゃっと握りつぶした。
両親に見送られ、晴れてロデリア魔法学院の生徒として編入したフェリシアは、まずは主要攻略キャラクターたちを探した。すると、何周もゲームをやりこんだ彼女は、すぐに主要キャラクターである生徒会メンバーを見つける事ができた。
黒魔法士科3年のキース・グローヴァー。銀髪に紫色の瞳のイケメンで女の子好き。
騎士科4年のマティアス・ローゼンダール。騎士科らしく筋骨隆々、面倒見がいいお兄ちゃんタイプ。
時空魔法研究科・魔法科学科1年のヘンリック・ドレムラー。飛び級で学院に入学したクールな天才少年。
そして、
「(……いたっ!)」
フェリシアは授業を終えた騎士科の生徒たちの中から、目的の人物をみつけた。
騎士科4年のエヴァルト・アディントン。学院の生徒会長で、作中最強の魔法使い。
見目麗しい騎士科の生徒たちの中でも、ひときわ目を引くきれいな顔。
涼しげなヘーゼル色の瞳が、物陰に隠れる自分を覗いたような気がしたが――すぐに逸らされた。
視線が合ったその時、フェリシアは思わず心臓をおさえた。
ドキドキした。
頬が熱い。頭の中が、いま見た彼の顔でいっぱいになる。
何を隠そう、エヴァルト・アディントンは前世の彼女の最推しだった。
魔法騎士見習いで、王子様のようなルックス、そして生徒たちに慕われるカリスマ性。
まさしく乙女ゲームの王道キャラクターのような設定。
だが、実はエヴァルトのルートはこの作品でも最高難度だった。
何故ならば、このゲームはただ会話の選択肢を選んでいくシミュレーションゲームではなく、主人公のスキルポイントを高め、育成し、時にはミニゲームをしながら経験値を積まないと狙った相手とろくにコミュニケーションも取れないという、難易度の高い乙女ゲームだったのだ。
攻略キャラのスペックに合わせて、自分もそれなりにスペックを上げなければならない。よって最初は乙女ゲームのような甘い展開はなく、ひたすら自分磨きをするフェーズになっている。
RPGのレベリング作業が苦手な人は、まずここで挫折する。そしてもっと楽な、会話するだけで男を落とせるインスタント乙女ゲームの方に流れていく。
しかしフェリシアの前世の女子高生は、目的のためならば徹夜でレベル上げに励むというなかなか根性のあるゲーマーだった。自分のスキルを上げ、何周もエヴァルトに挑み、彼の隣を勝ち取ったのだ。
――ゲームと同じことを、実際にやってみせればいいだけのこと。
絶対にエヴァルトを攻略してやる、とフェリシアはぐっとこぶしを握った。
その後は順調そのものだった。
前世の知識によって、フェリシアは効率よくイベントをこなし、運動・勉強・技能等のスキルを高める。期中のテストは満点近い点数を叩き出し、才色兼備の編入生として噂になるほどだった。
精霊を見ることができるということで特級魔法使いに一気に昇級し、エヴァルトに近づける絶好の場所、生徒会にも入る事ができた。
エヴァルトもフェリシアに一目おき、二人きりで会話するようにもなった。
序盤でこれはかなりいいペースだ。
この調子でスキルと好感度をあげてエヴァルトの出現ポイントに行くと、一緒にお昼を食べたり、街でデートをしたりと楽しみなイベントが待っている――はずだった。
しかし、ある日を境にエヴァルトとの接点は激減した。
「な…なんで!?」
フェリシアは動揺した。
順調にスキルポイントを貯めていたのに、エヴァルトとの好感度アップイベントは一向に起こらないし、彼は原作とはまるで違う動きをする。むしろ、会いに行こうとすると、煙のように消えてしまうのだ。
このままでは、休暇前最後のイベントに間に合わなくなってしまう!と焦ったフェリシアは、エヴァルトの後をつけることにした。
彼は最近授業が終わるとすぐにどこかにいなくなる。
フェリシアは、エヴァルトに会えなくなった原因はそこにあると睨んでいた。
…同時に、不安でもあった。
ロデリア学院内にフェリシアの知らない場所はないし、各登場人物の動きはすべて把握している。
全キャラクターの攻略ルートもパターンもイベントも、すべてを網羅しているはずである。
しかし、もし例外があるとすれば――あるいは。
『自分がプレイしていた時期の後に追加されたDLC』かもしれない、と。
フェリシアの予感は的中した。
エヴァルトは学院の庭園の奥、普通の生徒が立ち寄らないような場所で立ち止まり、中に入って行った。まるで記憶にない場所に、フェリシアは眉をひそめた。
「なにここ…?やっぱり、後で追加された場所ね、きっと。ここでサブストーリーでも発生しているのかしら」
翌日、エヴァルトの授業が終わる時間よりも早くフェリシアは学院を出た。
例の、謎のイベントスポットを調査するためだ。
ここにどんなイベントが隠されているんだろうか、と考えながらフェリシアが慎重に庭の中を進むと、小さな小屋が見えた。
「え…?」
そこにたどり着いた瞬間、フェリシアは思わず声をあげた。
――傍らの花壇や薬草畑に、精霊がふわふわと浮かんでいたのだ。
精霊は、この世界では特別な存在だ。
強大な魔力を秘めている生物だが、人間が彼らと意思疎通ができた例は少なく、生息地や生態など詳細は未知。
そもそもそれを観る事ができる人間が限られているし、力を使役できるのはさらにわずかしかいない。
その希少生物がこんなに無防備に…しかも何人もいるなんて。
ますますこの庭は怪しいと思い、少し迷ったが小屋を尋ねることにした。コンコンとノックをし、少し待つ。
すると、薄く扉が開き、緑色の瞳と髪の女子生徒が出迎えた。
女子生徒はセルマ・レントと名乗った。
見た目通り内気な性格のようで、突然の訪問におどおどとしながらも、お茶を出してくれた。
その様子をじっと見ながら記憶を探るが、どう見てもその姿に覚えはなかった。
セルマなんてキャラクター、周回プレイでも見たことがなかった。
だが、後から訪れたエヴァルトの様子を見るに、彼からの好感度はかなり高そうだった。まさか、自分の知らないうちにこんなにポイントの差をつけられたのか。
フェリシアは悔しさに心の中で舌を打った。
もしや、これが新しく追加されたライバルキャラということだろうか。
確かにこのゲームは、乙女ゲームらしく各キャラのルートにライバルが用意されている。エヴァルトに好意を寄せるキャラクターとして、アップデートの際に追加された可能性は十分ある。
――だったら。
「私、エヴァルト先輩が好きなの」
数回目の訪問時、フェリシアはそう切り出した。
目を丸くするセルマを見下ろし、さらに詰めるように言葉を重ねる。
「協力してほしいの、エヴァルト先輩と両想いになれるように。いいでしょう?セルマ」
フェリシアは牽制に出る事にした。
こっちだってこれまで頑張ってスキルを高めてきたのだ、今更エヴァルトルートを外れたくはない。
幸いにもライバルキャラのセルマは、押しに弱そうなタイプだった。想定通り、セルマはフェリシアに協力することを承諾した。
「………。」
フェリシアはぎゅっと抱えた両ひざを握った。
――そうだ。
それからセルマはちゃんとフェリシアに協力してくれ、再びエヴァルトは出現ポイントに時間通りに現れるようになった。
フェリシアもエヴァルトとの会話やイベントを通して仲良くなっていっていたし、エヴァルトに相応しい女性になるために、勉強も魔法も生徒会の仕事も一生懸命やって、ポイントをためたのだ。
それなのに、どうしても、エヴァルトはセルマ・レントという謎のキャラクターにばかり気をかけていた。
その原因は不明だった。
フェリシアはずっとエヴァルト攻略のパターン通りに行動しているのに、上手くいかなかった。それどころか、生徒会メンバーもセルマというキャラクターを認識し始めた。
思い通りにいかないことに、ひどく苛立った。
セルマが意図的な妨害をしたり、姑息な手を使っていないことは分かっている。
だが、自分の憧れの攻略キャラクターに好意を持たれているセルマに、フェリシアは激しく嫉妬した。
「あんたなんか、登場人物じゃないのに!!」
激情のまま、そう叫んだ瞬間だった。
フェリシアの契約している炎の精霊が咆哮をあげ、セルマの住処すべてを燃やし尽した。
あの時、燃える赤い炎を見上げ、フェリシアはただただ立ち尽くすばかりだった。
あんなことになるなんて、思いもしなかった。
いつも友好的な精霊が人間に牙をむいて小屋を燃やすなんてそんなこと。
そんな展開、このゲームで起こるはずがなかったのに。
結果、炎はセルマの大切にするものすべてを燃やし尽くし――ついには彼女自身も姿を消してしまった。
メインでないとはいえキャラクターがこんな形で退場することも、フェリシアが知る限り初めてのパターンだった。
「…あれはきっとバグ修正だったんだ」
フェリシアはぽつりとつぶやいた。
ヒロインを差し置いて攻略キャラクターに愛されるなんて、そんな展開はありえない。
火の精霊の暴走は、きっとゲームの流れに反するキャラクターを排除するために起こったことだ。
メインストーリーの流れには逆らえない。
敷かれたレールから逸れることはできない。
だから、
「私は、悪くない……」
エヴァルトの想いも、原作に登場し得ない『セルマ・レント』という人物も。
すべて、幻に過ぎないのだ。




