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悲しみの果て


******


「じゃあ行ってくる」

「………。」

「授業が終わったらすぐに帰ってくる。また美味しいものを買ってくるから、一緒に食べような」

「………。」


無言の私の頭をひとつ撫で、エヴァルト先輩はドアから外に出て行った。


荒れ果てた庭園で泣き崩れたあの日から、あっという間に一週間が過ぎた。

現在、私はエヴァルト先輩の家に居候させてもらっている。

焼け落ちた小屋は二度と元に戻らない。またも家無しの状態だ、と絶望的な気分でいたところ、先輩が部屋を提供すると言ってきたのだ。


『家賃?そんなもの、いらない。心が落ち着くまでゆっくりと過ごすといい』


そんな優しい言葉に甘え、今日まで住まわせてもらっている。

もちろん、他の住処がみつかり次第出て行こうと思っているが…今は、何もする気が起きなかった。


あれから学院には行っていない。

もっというと、この家から外には出ていない。

動くのがひどくおっくうで、だるい。元々少なかった口数はさらに減り、ぼうっとしている時間が増えた。


「………。」


心がスカスカして、何も感じない。

ただただ深い悲しみの中にいて、そこから抜け出す術がない。

ぼんやり窓の外を見つめていると、つうっと涙が頬を伝った。


――精霊がいなくなったのは、他の誰でもない、私のせいだ。

庭師の老人から精霊たちの保護の場を守るように言われていたのに、果たせなかった。

フェリシア・ウィンザー。

精霊を使役できる、強大な力をもつ彼女のことを、理解していないわけではなかったのに。

彼女の好きな人に近付いて、誤解させて、怒らせて。

結果、膨れ上がり制御の効かなくなったフェリシアの激情に呼応して、火の精霊は暴走した。

彼女の『嫉妬』と『憎悪』の感情が溢れて止まらず、魔力の炎となってすべてを焼き尽くした。

後悔しても、し足りない。


「……うう」


ベッドの上で、胸をおさえて縮こまる。

胸が痛い。

なんて酷いことをしてしまったんだろうと、悲しい気持ちがあふれ出す。

ひとの感情を理解できなかった私が、すべて悪かったのだ。

今だって、フェリシアのことを思えば先輩の家に厄介になるべきではない。

行けるものなら、学院を出て、王都を飛び出して…誰もいない場所に隠れてしまいたい。

やはり、私はこの世界には向いていない。

誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたりすることない、誰の目にも触れられないところに、消えてしまいたいと思った。


「――かわいそうに、こんなに傷ついて」

「え?」


ふいに、声が聞こえた。

ゆっくりと顔をあげ声の主を探したが、室内には当然誰もいない。

幻聴か、と首を傾げると、『こっちじゃ』とまた声がした。

再び部屋の中を見回すと、


「鏡…?」


声はドレッサーの奥から響いていたことに気付いた。

普通は姿を映すだけの鏡が、青白く光っている。何かの魔法がかかっているのか、と鏡に手を触れ覗き込むと


「わっ!?」


急に内から手を引っ張られ、体ごと飲み込まれてしまった。


「久しぶりじゃな、お嬢さん」

「……え?」


薄闇の鏡の中、ぎゅっと目を瞑って体を硬くしていると、老年の男性の声が近くで聞こえた。

目を開けると、そこにはあの庭師の老人がいた。

最後に小屋を譲ってくれた時と変わらない姿で、こちらを見て微笑んでいた。


「おじい、さん…」

「ああ、そうじゃ。ほら、そんなとこで座ってないで、立ちなさい」


老人はそう言いながら私の手を引いた。周りは真っ暗なのに、不思議と目の前の老人の姿ははっきりと見えた。


「あの、ここ…」

「狭間の空間じゃよ。鏡を媒体にわしの住処と学院をつなげたんじゃ」


連絡パイプのようなものだから、人が行き来したらすぐに閉じる空間だ、と彼は付け足した。


「それにしても…ずいぶんと酷いことをされたようじゃの」


しばらくして、庭師は静かに語りかけてきた。

その一言に、びくりと体を震わせる。


「ごめんなさい…!」


私は老人に向かって腰を折り、謝った。

その口ぶりから、彼は庭園で起こった悲惨な事件を知っていると確信したからだ。


「おや、何を謝ることが?」


だが、老人は怪訝そうな声色でそう答えた。


「だって、精霊が…!私のせいで、緑の精霊が、みんな消えてしまった…!」

「………。」

「あ、貴方から、精霊の場所を守るように言われてたのに…私が、不甲斐ないせいで…!」


せき止めていたものが溢れたように、私は謝罪を続けた。

精霊がいなくなったのは自分のせいだ。ずっと悲しくて、苦しくてたまらない。罰を与えるというのなら、喜んで受け入れるから、どうかなんでも言ってくれ。

そんな内容の言葉を吐き出し続け、最後には嗚咽が漏れていた。


「セルマ」


と、ずっと黙って聞いていた庭師が私を呼んだ。


「お前のせいではないよ。あの火事は――火の精霊の暴走は、フェリシアとかいう女子生徒が原因だ、お前は何も悪くない」


庭師はぽん、と私の頭に手をのせて髪をすくように撫でる。


「辛い思いをさせたね」

「………。」

「わしが悪かった。こんなことになる前に、さっさと学院から連れ出せばよかった」

「え…?」


老人がそう言うと同時に、視界がぱあっと開け、目の前に森が現れた。

鮮やかな緑色の木々、たくましい大地、楽しそうにさえずる小鳥の声。

まるで転移魔法のように一瞬で風景が変わり、私はびっくりした。


「悲しむのはもうお止め。大丈夫、精霊は火を浴びたからといって簡単に消えはしない。ほとんどの者は里に逃げ帰ってきただけだよ」

「!ほ、本当…?」

「そうさ。お前も、醜い人間どもの間で暮らせないというのなら、こちらにおいで」


庭師の老人が手を引き、私を森の中へと誘う。


「我々は歓迎するよ。緑の精霊の同胞――セルマよ」


その言葉を最後に、背後に渦巻いていた狭間の空間は忽然と消えた。



***


「フェリシアのこと、許してやってくれないか?」

「ん?」


エヴァルト・アディントンが顔を上げると、幼馴染のマティアスが眉を下げて立っていた。

エヴァルトは息をつき、また手元の資料に目を落とした。


「許すもなにも…あれは事故だったんだろう。ウィンザーだって精霊の制御が効かずに暴れ出したと言っていた」

「そ、そうだが…あの火事のせいで、セルマとかいう女子生徒は、塞ぎこんだままなんだろう?」

「…まあな」


ペラッとページをめくり、ペンを走らせる。

時刻は17時を回ったところだ。早くしないと人気の学食が売り切れる、とエヴァルトは気が急いていた。


「あいつも責任を感じてるのか、生徒会に姿を見せないし…このままじゃよくないと思って」

「そういうことなら、別にどうでもいい。ウィンザーが生徒会に参加しようがしまいがどちらでも」

「おい、エヴァルト…」

「というか…」


ぴた、とエヴァルトは手を止め、またマティアスを見上げた。

マティアスは珍妙な顔で『な、なんだよ?』と首を傾げていた。筋肉ダルマが肩をすぼめて小さくなっているのはなんだか滑稽で、エヴァルトはふっと鼻で笑った。


「実をいうと、俺自身は特に悲しんでいない」

「なんだと?」


マティアスは意外そうな声を出した。

エヴァルトが好意を抱いている女子生徒、セルマ・レントが学院にも来れないほどショックを受けているというのに、何故当人は平気なのだ、と素直に疑問に思った。


「確かに、元気のないセルマを見ると胸が苦しいが…」

「が?」

「それ以上に喜びを感じてしまうんだ。帰ったら俺の家に彼女がいる、傍にいてくれると思うと、嬉しさの方が勝ってしまう」

「それは…」

「俺は歪んでいるのかもしれないな」


そう呟いて、エヴァルトはまた仕事に戻った。

最近、猛烈なスピードで生徒会の仕事を仕上げて速攻で帰っているのも、セルマとの時間を作るためだと、語っていたのをマティアスは思い出した。


「…そうだな、きっと狂ってる」


――いずれにせよ、フェリシアに勝ち目はないってことかよ。

仲間想いのマティアスは、こちらも最近塞ぎがちな生徒会の紅一点を思い出し、深いため息を吐いた。



「…よっと」


エヴァルトは両手に一杯の紙袋を抱え、『転移魔法』で自身の家に降り立った。

数回使っただけで魔力がすっからかんになる『転移』も、改良を加えてだいぶ省エネで扱えるようになってきた。あとはヘンリックに頼んでいる、人物を特定して転移する魔法ができればな、とぼんやり思った。

さて、生徒会の仕事を速攻でクリアし、最近人気だという美味しい学食のディナーメニューも用意できた。食の細いセルマも、これなら喜んでくれるかもしれない。

エヴァルトはにやにやと口元を緩ませながら、勢いよく扉を開けた。


「セルマ、帰ったぞ!約束通り、今日の夕飯は特別だ!一緒に食べよう!」


玄関をあがり、広いリビングを通り抜け、ダイニングテーブルに紙袋をどさどさと下す。


「セルマ?」


とエヴァルトは不審に思った。

かなり大きな声で呼んだにも関わらず、セルマから返答がないのだ。

まだ早い時間だが、もしや寝ているのだろうか?

エヴァルトは外套を脱いでその辺に放ると、階段を上ってセルマに貸している部屋を目指した。


「セルマ?…寝ているのか?」


コンコンと数回ノックし、再び呼んでみる。しかし、依然として返答はないままだ。

エヴァルトの背にぞくりと悪寒が走った。

――嫌な予感がする。


「セルマ、入るぞ」


扉にカギはかかっていなかった。エヴァルトが無遠慮にドアを開けると――部屋の中に目的の人物はいなかった。


「……っ」


エヴァルトは踵を返し、広い家の部屋のドアを片っ端から開けて行った。

だが、どこもかしこもがらんとしていて、人の気配はない。

広い家全体の気配を探っても、セルマの魔力を辿ろうと意識を集中しても、見つからない。

セルマ・レントの気配そのものがごっそりと消えていた。


「…嘘だろ」



――とあるニュースが世界中を震撼させたのは、その後すぐのことだった。



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