嘆き
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目を開けたら、そこは見知らぬ部屋だった。
数回瞬きして、ぼやけた視界を徐々にクリアにする。
ここはどこだろう。
そう思いながらむくりと起き上がると、自身が高級そうなベッドに横たわっていたのに気づく。
羽のようにふわふわの布団に、体重をかけると沈むマットレス。このまま再び寝入ってしまいたいくらい上等なものだ。さらに、部屋の奥には大きな白いクローゼット、その隣に使いやすそうな勉強机と椅子。傍のドレッサーの鏡をのぞくと寝ぼけ顔の自分が見返してきた。
どう考えても、いつもの自分の家ではない――
「――!」
そこで、私はようやく思い出した。
フェリシアの怒りの感情とともに、あっという間に炎に包まれた庭園の管理小屋。
赤々と燃える火は大きくなるばかりで、少しもおさまってくれず…
「……あ」
覚醒と同時に、じわじわと恐怖が蘇ってきた。
心臓がドクドクと鳴り、耐えきれなくなった私はぎゅっと両手で胸を掴み、握りしめる。
あの後、一体どうなったのか。
私の家は。
大切に世話をしていた畑や庭は。
――緑の精霊たちは。
「セルマ!!」
と、急に部屋の扉が開き、誰かが飛び込んできた。
「よかった、起きたのか!」
そのまま私のいるベッドに駆け寄り、ベッドサイドに跪いたその人は、安堵のため息をついた。
「エヴァ、先輩…」
急に現れた人物――エヴァルト・アディントンをそう呼ぶと、彼はほっとしたように顔をゆるませた。
「ああ、無理に話すな。水をもってきたからまずは飲むといい」
先輩は、かすれ声の私に気付いたのか、コップに入った水を渡してきた。
ありがたくそれを受け取り、一気に飲み干した。相当喉が渇いていたらしい。
「あの、それで…ここ、どこですか」
コト、と傍のテーブルにコップを置いた後、私が切り出すと、
「俺の家だ」
なにが楽しいのか、にこにこ笑顔の先輩は、すぐにそう答えてくれた。
「え?」
「だから、俺の家。そのうちの一部屋だ」
「一部屋…?」
「一階に三室、二回に五室。ゲストルームも含めると十部屋はあるな」
「………。」
「言っただろう、俺の家は広いって」
いや広すぎるにも程があるだろう――という言葉は何とか飲み込んだ。
学院は魔法使いの級で住む寮のランクも変わるとはもちろん知っていたが、まさか学院トップの特級ともなるとこんな豪邸にひとりで住めるなんて。
つい数ヶ月前は全く縁のない話と思っていたのに、と私は驚きを隠せなかった。
「気絶していたセルマを連れて、ここに寝かせていたんだ。お前、三日も寝ていたんだぞ。心配した…」
「す、すみません…」
「いや、いい。こうやって無事だったんだから」
先輩はそう言って頭を撫でてきた。
「………。」
頭を触られながら、無言で俯く。
気絶した私を連れていった、ということはこの人は何が起こったのかを知っているということだ。
…聞くのは怖かった。しかし確かめない訳にはいかない。
「私の、家……どうなったんですか」
一拍おいて、私は先輩に問いかけた。
途端、先輩はピタリと手を止めた。
「それは…」
彼にしては珍しく口ごもり、うろたえるようなそぶりを見せた。そして、ついには私から目を逸らしてしまう。
それを見て、悪い方の予感が当たってしまったのを悟った。
「お願い、します……知り、たい」
「…セルマ。起きたばかりだろう、もう少し休んでからの方がいい」
「今、確かめなきゃ」
「だが…」
先輩は私の言いたいことを十分に理解していた。そのうえで、首を横に振りやめた方がいいと諭してくる。
「私を…小屋まで連れて行って」
でも、どうしても見たかった。
どれだけ酷い光景だろうと、この目で確かめなければ、心臓が張り裂けそうだった。
私が必死にそう訴えると、先輩は大きく息をつき…最終的に、わかった、と首を縦に振った。
エヴァルト先輩の家(やはり外から見てもとんでもない豪邸だった)を出て、彼の転移魔法で学院の奥、庭園の手前に降り立った。
今日はいっとう気温が低く、吐く息が白い。
うっすらと積もった雪の上を、私はさくさくと音をならして歩いた。
「…あれ?」
と、そこで私はふと違和感に気付いた。
風がやんでいる。冬でもそよそよと吹く優しい風がまったく感じられない。
いや、それどころか――
「結界が…消えている?」
緑の精霊が、庭全体に張っている魔力のシールド。その気配を感じることができなかった。
それが証拠に、先輩も『緑の鈴』なしに私の隣を平然と歩いている。
嫌な予感に頭痛がしてきた。
ドキドキと高鳴る胸をおさえ、私は歩を進めた。
「―――っ」
それを見たとき、言葉を失った。
きれいに整備されていた美しい庭園、季節の野菜を収穫してた畑、私が住まいにしていた庭師の管理小屋。
そのすべてが黒く焼け焦げ、見るも無残な風景となっていた。
魔力の炎を浴びた小屋だったものや畑の上には雪も積もらず、ただただ黒くくすんだ焦土と化した。
「…ウィンザーと契約している火の精霊が暴走したんだと聞いた」
立ち尽くす私の隣で、先輩が声をかけてきた。
「精霊の炎はなかなか消えなかった。キースの大型水魔法を使って鎮火はしたものの、セルマの『指輪』の連絡で俺がここに来たときには、もうほとんど焼け落ちていて…手遅れだった」
先輩はそう言って俯いたが、私は言葉を返せなかった。
ただ呆然と、更地とがれきの山を見つめていた。
住まいを失ったとか、ずっと手入れをしていた畑が焼けてしまったとか。
そんなことよりも、ずっとずっとショックなことがあった。
――精霊が、ひとりもいないのだ。
火の精霊の炎を浴び、死んでしまったのか。もしくは学院から逃げ出したのか。
いずれにしろ、私を慰めてくれた緑の風も、守られるように張られていた優しい結界も。
ここにはもう、何もない。
私のせいで。
精霊たちは、いなくなってしまった。
「うわああああああっ!!!」
体が力を失い、がくんと地面に足をつく。
両手で顔を覆った私は声をあげて泣いた。
なにも、見たくなかった。
この残酷な現実を認めたくなかったのだ。




