激情の炎
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期末試験の最終日、終業の鐘が鳴り、教室から這い出てくる学生たち。
試験終了直後の生徒たちはみな晴れ晴れとした表情をしていた。
これでテストの返却日までは安寧の日々を送れる、と早速今夜から出かける予定を立てる者、徹夜で限界の体力を回復するために、寮の部屋に直行して睡眠を貪ろうとする者、友人たちとそこらで雑談をする者。
傍目にも、長く苦しい試験期間から解放され、どの生徒も相当浮かれて見えた。
――かくいう私も。
「やっと終わったなあ、試験」
鞄に筆記用具等をしまっていると、同じく帰り支度をしているライトが話しかけてきた。
振り返ると、彼は『あー肩こった!』と両腕を回していた。
「セルマ、この後なんか予定あるか?よかったら食堂かカフェ行かねえか?」
「…えっと、予定、ある」
そう答えると、ライトは意外そうな顔をした。
…そんなに暇な人間に見えたのだろうか。
いや確かに今までは、遊ぶお金も友人もいないから、試験後と言っても予定は何もなかったのだが――今回は、違うのだ。
「そ、そっか、急に誘って悪かったな。ま、試験も終わったことだし、週末にでもパーッと遊びに行こうぜ!」
「…うん」
慌てて取り繕うようにそう言ったライトに会釈し、私は教室を後にした。
「はあ、はあ…」
小走りに自分の家を目指す。
別に急ぐ必要はないけど、なんだかはやる気持ちで、ただ足を前に前にと進めていた。
エヴァルト先輩は、試験が終わった直後に会おうと言っていた。
場所は私の家だ。
試験後すぐに魔薬師の勉強に取り掛かるのかは分からないが、とりあえず早く帰ってお茶の用意でもしてから、先輩に『指輪』で連絡をしようと思っていた。
誰かとの約束があるって、ワクワクする。
他人との関わりなど煩わしいとずっと思っていたのに、どういう心境の変化だ、と私自身も驚きだが――確かに、私は柄にもなく浮かれていた。
だから、すっかり忘れていたのだ。
「あれ?」
庭園の傍の小屋の前、その玄関口にひとりの学生が立っていた。
誰だろう、と近づいてみると、
「セルマ」
「え?」
女子学生は私を見つけるや、顔を上げて声をかけてきた。
私は目を見開いた。
「フェリシア…」
――彼女と結んだ約束の方を。
「久しぶりね、セルマ」
「……うん」
「試験は無事終わった?私もさっき終えて、ここに来たところよ」
「………。」
「突然悪いけど、聞きたいことがあるの」
言いながら、フェリシアはざく、と雪を踏みしめて私の方に近付いてきたが、私は無言でその分後ろに下がった。
彼女はにこやかに笑っていたが、纏うオーラがどこか仄暗く、寒気がしたのだ。
綺麗に手入れのされた金髪をなびかせ、フェリシアはふうと白い息を吐いた。
「エヴァルト先輩のことだけど」
「!」
「最近様子がおかしいの、知ってる?」
その台詞を皮切りに、フェリシアはぽつぽつと話し出した。
曰く、急に機嫌が悪くなったと思えば、魔薬師科に転向すると言い出し、またある日を境に突然奇声を発したり、放心するなど奇行が目立ち…他の生徒会のメンバーもエヴァルトの行動に振り回されている。そして…肝心の〝フェリシア・ウィンザー〟のことなど見向きもしてくれないと。
そこまで言って、フェリシアは口をつぐんだ。
「……それは」
私は何と声をかけていいのか分からなかった。
それは確かに真実だったし、彼女の言いたいことは十分に理解していた。
けれど、けして私のせいではない。私だって、フェリシアのために先輩を避ける努力をしていたし、もっと言うと先輩の行動が変なのは元からだ。
そう伝えようと再び口を開こうとした――
「何で私の邪魔をするの?」
が、彼女の冷たい声にひゅっと言葉を飲み込んだ。
周囲の雪よりも冷たい声色と、対照的に燃えるような激情を秘めたまなざし。
「何であんたなの?そう、最初から…エヴァルトはずっとあんたのことばかり。なんで、あんたなんか…」
フェリシアは私を真っすぐに見つめながら、口の中でブツブツと呟いた。
はっきり言って、正常ではないと思った。
私に向ける憎悪が肥大化し、今にも襲いかかってきそうだった。
「…き、聞いて」
邪悪で膨大な魔力に震えながらも、私は声を漏らした。
誤解だと、彼女に叫びたかった。
フェリシアの邪魔をしたつもりはない、先輩と私は、彼女が嫉妬を抱くような関係ではない。
なんとか伝えないと、と思った時。
〝に げ て〟
「え?」
頭の中で、誰かの声が響いた。
ハッと振り返ると、緑の精霊たちが不安そうに私を見返していた。
いつもは隠れているはずの彼らがみんな出てきて…フェリシアを見て怯えていた。
そこで、ようやくこの声の主が、緑の精霊であることに気付いた。
〝きけんだ〟
〝だめだ セルマ にげて〟
〝せいれい の ちからが〟
「あんたなんか、登場人物じゃないのに!!」
〝ほのお が くるよ〟
フェリシアがそう叫んだ瞬間、彼女の使役する火の精霊が現れ、背後の小屋に火が放たれた。
「っや、やめて!!!」
ごうごうと燃え盛る炎。それは燃えやすい木製の小屋全体にすぐに広がった。
突如あらわれた激しい炎に一瞬気が遠くなったが、すぐにフェリシアに向かって声をあげた。
「フェリシア!!やめて、精霊が燃えてしまう!」
そこでフェリシアもようやくハッと我に返ったようだった。
「!?あ、ああ…違う、嘘よ、私…こんな命令してない!」
「はやくやめさせて!」
「無理よ!さっきから私の言う事を聞かない!」
わなわなと唇を震わせ、顔を覆うフェリシアに嘘をついている様子はない。
精霊の暴走だ。
契約しているとはいえ、未知の存在である精霊を人間が抑え切れられなかったのだろうか。
最悪なことに、緑の精霊は火に弱い。小屋から飛び散った火花で、精霊たちの苦しむ声が聞こえてきていた。
「火を、早く火を消さないと…!」
私は初級の水魔法で水球を出現させ、小屋に向かって放ったが、火の精霊の炎には効果は見られず、あざ笑うかのようにさらに燃え上がった。
「そんな、いやだ……誰か…」
涙が頬を伝い、止まらない。
大事にしていた庭が、庭師から譲られた小屋が…緑の精霊が、みな燃えてしまう!
「助けて、エヴァ、先輩…!」
左手の薬指にはまった『指輪』を握りしめ、そう呟くと同時に
私は意識を失った。




