36話
それから私たちは、サボタージュの罰として雑用を言い渡された。
いやいや、今からでも授業に向かいますスイマセンでしたと逃げようとしたら、襟首をむんずと掴まれる。
「今から行っても中途半端だろ?おら。悪い子は働け」
ニヤニヤ顔の無精髭からどさりと多量に手渡されるプリントとホッチキス。
「・・・・・・」
この理不尽な思いを椎名君と分かち合おうと視線をやると、彼は何故かほんのりと目元を赤くさせて顔を俯けていた。
どうしたんだ椎名君。
心配になって話しかけようとしたら、中センに肩をそっと掴まれた。
「そっとしといてやれ笹野。男ってのは多感な生きものなんだ・・・」
・・・・・・い、意味分からん。
意味は分からないが、とりあえず(中センは無視して)私たちは雑用に徹することにした。
くやしいが、サボったのは事実なのでしょうがない。
椎名君がプリントを順番通り重ね束にして、私がそれを受け取りホッチキスで止めるという単純な流れ作業を繰り返す。
無言で黙々とやっていたが、ふいに椎名君からプリントを受け取る際、指と指が触れ合った。
「・・・っ」
ばさばさと落ちるプリント。
え。
何その反応。
過剰なまでの反応で手を離したのは椎名君の方だった。
彼の顔は何故か真っ赤だ・・・無表情だけど。
椎名君がおかしい。
明らかにおかしい。
「・・・どうしたの」
「ご、めん。・・・誘ったのは」
「ん?」
「事に、及ぶつもりでは無く。・・・ただ、話し、を、したいと」
事に、およ・・・。
椎名君の言葉の衝撃に暫し思考がフリーズした。
えええ。
椎名君もしかして、中センのあの発言を真に受けてたの?
わ、私普通に何時もの(っていうのもどうかと思うけど)セクハラ発言として気にも止めてなかった。
な、なんて純粋なんだ。
どこかの髭の人とは大違いだ。
「いや・・・椎名君べつに私は、そんな風には・・・」
フォローを言葉にしようとするが、椎名君の赤い顔を見てしまうと何故か私までじわりじわりと顔が熱くなってしまう。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そのまま二人顔を見合わせたまま、顔を赤くして沈黙してしまった。
何これ、こそばい。
死にそう。
「おお。リアル中学生日記」
異様に顔を赤らめさせたまま物凄いスピードで作業を再開した私たちに、中センのそんな台詞は耳に入ってこなかった。
※※※
単純作業とは、人の心を落ち着かせるものだ。
気まずいながらも作業が終わる頃にはどうにか何時も通りに戻る事が出来た。
そして、やっと魔の手から解放された私たちは、現在教室の前にいる。
そのドアに手を掛けながら思う。
また何かいらぬ勘違いされそうだと。
飛び出した私と追いかけた椎名君。
そして5限になっても戻って来ない二人。
どんな誤解を生むかなんて想像に容易すぎる。
それこそ中センが言ったような事におよ・・・いやいやこれ以上考えるのはよそう。
・・・ああ、それにしたって奴等の生温かい笑顔が目に浮かぶようだ。
だからってもう取り乱したりしない。
そう心に誓いつつ、気合いを入れてドアをスライドさせた。
「葵!」
ドアを開けた瞬間、凄い勢いでクラスメイトに囲まれた。
何これ怖い。
リンチフラグ?
「え、あの」
どうしたらいいのか戸惑って後ずさりしそうになっていたら、「ごめん」とあらゆる方向から頭を下げられた。
「えっえっ」
何で?何で?
おろおろしながら椎名君を見る。
無表情でじっと見つめ返された!
だからテレパス無理だってば!
頭の中大パニックでいると、四季子がスッと顔を上げて申し訳なさそうに話す。
「葵って、恋愛とかもそうだけど、あんまり自分のこと話してくれないじゃない?」
――その場凌ぎの当たり障りのないすべらかな人間関係は、トラブルを引き寄せず上手く渡っていくのには丁度いい。
――立ち入っていい所、そうではないところ。そこを踏まえての慎重な会話。
「葵の生身の部分っていうか、そういうのが全然見えなくてさ」
――私も立ち入らないから、あなたたちも立ち入らないでと。
――そういうシグナルを送って、私は守りたかったのだ。
「本当はちょっと寂しかったんだよね」
――夏目さんという聖域を。
私は、呆然となってしまった。
私が考えていた傲慢とも思える人間関係は、こんな風に相手を傷つけていたのだ。
私が、思うよりずっと、相手は私に近づこうと努力してくれていたのに。
喉がひりひりと痛むようで、言葉が出ない。
私は、彼らに対して凄く失礼だったのかもしれない。
ちっとも、真剣じゃなかった。
私の中の均衡感覚が妙になった感じがする。
私は、大切にすべき物を見落として来たのだろうか。
ぐらりぐらりと何かが揺らいでいく。
「だからって勝手に騒がれて、笹野たちにしたら良い迷惑だったよな」
お調子者の岡崎が、今は真剣な顔をして言う。
そんな顔をさせたくは無いのに。
「踏み込んで欲しくない人だっているもんね」
ごめんね。とみんなに謝られて、もう駄目だと思った。
全部が崩れるような気がした。
心が変に冷えていて、表情までも無くなってしまう。
すると緊張に冷たく冷えた私の手に、何かが触れる。
その感触に顔をあげると、椎名君がじっと私を見ていた。
右手に繋がれたのは、彼の左の手。
包み込むようにぎゅって握られて、急速に体温が戻ってくる。
無言の椎名君の無表情な顔を見返す。
あ。
今度はテレパス、伝わった。
私は、知っている。
こうして、分け合ったぬくもりも。
心を少しずつ分け合うことも。
踏み込む領域を少しずつ許し合うこと。
そして、伝えること。
うん。私が、変わらなければならない。
だって言ったじゃないか。
たくさんの人に出会って、たくさん影響されたり影響したりして生きていきたいと。
夏目さん。
それでも貴方の隣を選びたいと。
ぐっと喉に力を込めて声を出す。
今まで話せなかったけど。
聞いて欲しい。
「私は椎名君が好きです。みんなと同じくらい好きです」
ぎゅって、握る手に力を込めた。
椎名君もぎゅって握り返してくれた。
これが、私の告白の応え。
ごめんね。
言わせてくれなかったけど、たくさんごめん。
ずるくて、卑怯な言葉でも、応えたかった。
あなたが好きだと。
「それでも、いっとう大事な人がいる。ずっと大好きな人。叶わないかもしれない好きだから、大事にしたかった。ごめん踏み込んでほしくない理由なんてなかったのに。勝手に守っていたかっただけの独占欲だったんだ。飛び出したのは色んな事が上手くいかなくて、イライラしてカッとなっただけ。ごめんね」
それと。
「私に歩み寄ろうとしてくれて、ありがとう。みんな、好きだよ」
ちょっと自分の台詞に照れながら、はにかみつつみんなに笑いかけたら、何でか分からないけどみんなの時間が止まってた。半ば惚けてる感じ。
あの、何かしらの反応が欲しいのですが・・・。
隣で椎名君が小さく、「その顔、反則」って呟いた。
その顔って・・・カエル顔はもういいから・・・。
「おーい。中学生日記は終わったかー?HRはじめていいかー」
いつの間に入ってき来たのか中センが名簿を肩でトントンしながら言ってくる。
中学生日記って酷い。よく分からないけど青臭さ満点っぽい。
何かしら文句を言ってやろうとしたら、先手を打って名簿で頭をポンって叩かれた。
な、なにするっ。
頭を押さえつつ睨みあげると、ニヤリとした顔とぶつかった。
「宝箱たくさん見つかったな」
どこかで聞いた台詞に苦笑してしまう。
人のこと中学生日記って言うけどさ。一番くさい台詞は中センだと思うな。




