第30話 メーア国との会談
キースが事前に用意してくれた服に着替えたバルドヴィーノとローザマリアは、メーア国の従者の案内で砦の中を進んでいた。周りはシンと静まり返っており、足音だけが響いている。
キースが用意してくれたドレスには、独特の光沢がある布が使われていた。バルドヴィーノも揃いの布を使ったジャケットを羽織っていて、シンプルなデザインながらも、シーラン国の国力を示す装いだった。
シーラン国から同盟を提案したとはいえ、シーラン国とメーア国は対等の立場である。魔物の脅威を取り除くためには、どちらの国もなくてはならないのだ。だからこそ、メーア国に見くびられてはいけないし、逆にメーア国を軽んじてもいけない。その微妙なバランスを保つ必要があった。
発言一つで、両国の命運が左右されるとあって、その重責に緊張しない訳もなく、ローザマリアは小さく震えた。そんなローザマリアに気づいたバルドヴィーノは、エスコートする手をぎゅっと握りしめた。そして、安心させるようにローザマリアを見つめる。
その手の暖かさと、いつもと変わらない力強い瞳に、ローザマリアは自然と落ち着きを取り戻した。自分は一人ではない、頼れる人がいるのだ。そう思うと不思議と緊張はなくなった。
バルドヴィーノにしっかりと目を合わせて頷くと、真っ直ぐ前を向き、堂々と歩みを進めた。
しばらくすると、大きな両開きの扉が見えてきた。従者により扉が開かれ中に入ると、円卓を囲むようにして、メーア国の人間が座っていた。
一番奥に座るのが、この砦を治めるグランツ公爵であろう。メーア国王の弟でもあり、メーア国の国境を長らく守ってきた彼が、この会談の責任者であった。年齢を感じさせるような白髪混じりの髪と、シワのある顔からは想像できないほど、鋭い目つきと恰幅の良い体格で、熟練の老戦士のような圧倒的なオーラを放っていた。その隣には、公爵の妻であろう黒髪の女性が、背筋をピンと伸ばして座っている。
グランツ公爵は立ち上がって、ローザマリアたちの方に進み出ると、溌剌とした声で挨拶した。
「ようこそ、メーア国へ。今回、メーア国の代表を務める、グランツ公爵だ」
ローザマリアとバルドヴィーノは、揃って頭を下げてそれに応えた。
「お初にお目にかかります。バルドヴィーノ・ファーウェルです」
「婚約者のローザマリア・アーヴァインと申します」
「シーラン国を守る、ファーウェル辺境伯と会えて光栄だ」
「恐れ入ります」
「そちらにかけてくれ」
言われた通り、二人はグランツ公爵の向かいの席に座った。後ろからついてきていたジュリアンとキースも、ローザマリアたちの席の後ろに並んで立った。
メーア国の人たちは、興味深そうにこちらをチラチラと見ているものの、警戒している様子が見て取れる。グランツ公爵も、友好的な笑みを浮かべながらも、その目つきは鋭いままであった。
「今日は、我がメーア国とシーラン国の今後を左右する大事な会だ。こうして両国が集まるのは、何年振りのことか…。互いに建設的な議論をしようではないか。では早速ではあるが、本題に入ろうか。まずは、シーラン国側に聞きたい。魔物を通さない結界ができたというのは、本当か?」
前置きも短く、単刀直入にグランツ公爵は問いかけた。やはり国境を守る者として、結界の存在はかなり気になるようだ。
「ええ、本当です。二ヶ月ほど前、我がシーラン国の国境沿いに張り巡らされました。通常の小型の魔物は、一切侵入できません」
「なんだって…!?」
「本当か…!?」
ざわざわと、メーア国側で驚きの声が上がる。グランツ公爵は片手を上げて、その声を鎮めると、バルドヴィーノに質問した。
「魔物が大量に襲って来た場合はどうなる?どのくらい耐えられるものなのかね?」
「ある程度の量であれば、耐えられるかと。…先日、小型の魔物よりも大きな、中型の魔物の襲撃に遭いましたが、結界はびくともしませんでした」
バルドヴィーノは、中型の魔物の説明と、その際の対応、結界の強度などについて説明した。途中、グランツ公爵から、極めて実践的な鋭い指摘が入るものの、それにも難なく答えていく。
「なるほど…。その話を聞く限り、確かに結界は有用のようだ。結界の設置に時間がかかるのが難点ではあるが、それさえあれば、我が国を守ることができる。…素晴らしい技術だ」
実際に魔物と戦い、結界の有用性を、身に染みて実感しているバルドヴィーノの言葉だからこそ、メーア国側にもかなり重く響いたようだった。グランツ公爵も、結界の素晴らしさを理解し、シーラン国の技術力の高さを賞賛した。
「こちらも伺いたいことが。…魔物を消滅させる方法があると伺いましたが、それは本当ですか?」
「ああ…。そちらの話を聞かせてもらって、話さない訳にはいくまい。貴殿らに敬意を表して、我々が知っていることを教えよう」
そうして、グランツ公爵は語り始めた。
「我々はずっと、魔物がどうやって生まれるのかを研究してきた。それで分かったことは、あの魔の森で生み出される、魔物を作り出す物質が集まって、魔物になるということだ。その物質のことを、我々は魔素と呼んでいる」
「魔素…?」
バルドヴィーノも初めて聞く言葉であった。
これまでシーラン国は、王都で研究を進めており、魔石の解析、調査が中心であった。しかしメーア国は、魔の森や魔物自体の研究を進めていたようだ。
「魔素は人の目には見えないが、ある程度の魔素が溜まると、側にいるだけで体が重くなったりして、人体にも何らかの影響を及ぼすものだ。そして、その魔素がある程度溜まると、魔物が生まれるのだ。大型は、その魔素が数十年かけて、極限まで溜まったものから生み出される」
「なるほど…。大型が小型よりも圧倒的に強いのは、その魔素の量が関係しているのでしょうか?」
「その通り。魔素が多ければ多いほど、生まれる魔物は巨大化し、凶暴化するのだ。そして年々、発生する魔物の数は増えている。今回、貴殿の国で発生した中型のことを考えても、おそらく、魔の森から発生する魔素の量が、段々と増えてきているのではないだろうか。このままいけば、小型だけでなく、大型の魔物も増えていくだろう」
「そんな…」
グランツ公爵が話す内容は、王太子が言っていた、過去の文献の通りであった。やはり今後、魔物が増えることは避けられないようだ。
「ただ、その魔素さえなくなれば、魔物は発生しなくなるということでもある」
「…その魔素はどうやってできるのですか?」
「…穴だ」
「穴?」
「ああ。あの森の奥深くに、ひときわ魔素が溜まっている場所がある。そこには暗い穴が空いていて、その穴から魔素が湧き出ているのだ」
「じゃあ、その穴をふさげば良いと?」
「おそらくな。しかし、ただの穴ではない。それを守るようにして、魔物が周りをうろついている。近づくことも困難だ。…あれをどうにかすれば、魔物の発生を防げる。我々が知っているのは、これが全てだ」
魔素、魔物の発生、そして魔素が発生する穴。全て、シーラン国では知られていない話である。それが分かっただけでも、かなりの進歩であった。しかし問題は、肝心の穴を塞ぐ方法である。
「穴を塞ぐ方法は、分かっているのですか?」
「…まだ研究段階だ。具体的な方法は分かっていない」
「そうですか…」
「失礼、少々発言をしてもよろしいでしょうか?」
唐突に、後ろに立っていたキースが声を上げた。グランツ公爵が発言を許可すると、キースは話を始めた。
「発言の許可をいただき、ありがとうございます。キース・フォードです。私はシーラン国で、王太子殿下と共に過去の文献を確認しました。それによると、この近くにある魔の森と同じように、魔物が発生する場所は他にもあったようなのです。そして魔物の襲撃により、数多くの国が消えていきました。…しかし今では、その地に魔物が発生する様子はありません。先ほどのお話から考えるに、おそらく一定量の魔素を放出しきったら、魔素は無くなり、穴も消えるのではないでしょうか?」
これは、メーア国でも考えていなかった、新たな仮説である。
「つまり、穴を塞ぐのではなく、中に溜まった魔素を出し切るということか?」
「はい。その通りです」
「魔素を出し切る…。なるほど、そういうことだったのか!!」
いきなり、グランツ公爵が大声を出した。
「何か分かったのですか?」
「…魔素の研究は、私の息子が調べていた。…調査の途中で、魔物に襲われて亡くなったがな。…だが生前、息子が作っていた魔道具が残っている。今まではその使い道が分からなかったし、穴を塞ぐことばかり考えていたが、もしかしたらあれが使えるかもしれん」
一筋の希望が見えた。その場にいる人間も、まさかの展開に、息を飲んだ。
「方法があるのであれば、試してみましょう!」
「いや、流石に危険すぎる。それに、この砦を守りながら、魔の森に行くには戦力が足りない。…調査の途中で息子は死に、度重なる魔物の襲撃で、砦も兵もかなりの痛手を負っている。若い衆は皆死に絶え、こんな老いぼれだけが残されたのだ。…そのような余裕はない」
苦悩に塗れた顔で話すグランツ公爵の思いが、バルドヴィーノにも、痛いほど分かった。
国境を守るだけで精一杯で、砦の修復や怪我をした兵の療養もしないといけないというのに、魔物の襲撃は止まらない。その上、大事な家族を亡くした悲しみと怒り。
「私も、その悔しさや虚しさは痛いほど分かります。だからこそ、我々が力を合わせれば、なんとかなるのでは?結界を使えば、この砦の心配も減ると思いますが…?」
「…正直、結界はぜひ使わせてもらいたい。だが、森に行くのは危険だ。魔道具が使える確証もないのに、あいまいな情報で動くことはできない。それよりも、まずは国防を優先すべきじゃないか?国の守りを固くし、その後で森に行けば良い」
「しかし、これ以上、魔物が増えたら結界でも太刀打ちができないのです。どれほどの猶予があるか、分からないのですよ!?」
「だからといって、むやみに犠牲を増やすわけにもいかないだろう!?」
すぐにでも魔素の穴の対処を行いたいバルドヴィーノと、自国の防衛を整えたいグランツ公爵とで、意見が割れた。互いに国を思う心に変わりはなく、どちらも言っていることは正しかった。
とはいえ、このままでは平行線である。せっかく魔物を消滅させる方法も分かったのだから、ここで険悪な雰囲気になるのは避けたいところである。メーア国側もオロオロとする中、可憐な女性の声が、部屋に響き渡った。
「あの」
あまり大きな声ではなかったというのに、その声に反応して、バルドヴィーノとグランツ公爵の声がピタリと止まった。
「白熱してまいりましたし、少し休憩してはいかがでしょう?それに、グランツ公爵にお渡ししたいものもございますの」
おっとりと微笑むローザマリアに、会場の視線が釘付けになった。




