第25話 過去との決別
「閣下と一緒に休憩を…?」
太陽がちょうど真上に昇る頃に、ジュリアンがローザマリアを訪ねてきた。なんでも、バルドヴィーノと一緒に休憩してはどうかと言うのだ。
「邪魔をしてしまうんじゃないかしら…?」
当てつけるつもりはなかったが、以前、お茶を持って行った際にジュリアンが言ったのと同じ台詞に、ジュリアンはばつが悪そうな顔をして、頭を下げた。
「あの時は、本当に申し訳ありませんでした」
「あ、ごめんなさい、そんなつもりはなかったの。気にしてないから、顔を上げて、ジュリアン」
ジュリアンによると、どうやら、バルドヴィーノは昼食も摂らずに集中しており、声をかけても気づかないのだという。
「たまに、そういう状態になられるのですが、いつもはただ見守るしかできず…。ですが、ローザマリア様と一緒なら、閣下も休憩してくださると思うんです!どうか、お願いできないでしょうか…?」
ジュリアンは、本当にバルドヴィーノのことが大切なのだろう。バルドヴィーノの体調を一番に心配し、こうしてローザマリアにお願いをするジュリアンに、嫌などと言えるはずがなかった。それに、ローザマリア自身も、バルドヴィーノと一緒に過ごせることは、喜ばしいことだった。
「ラーラ、この後の予定は大丈夫かしら?」
「はい!特に誰か来る予定もありませんし、大丈夫です!せっかくなんで、庭のガゼボでお茶をされたらどうです?今日は日差しも気持ちいいですし!」
「いいわね!じゃあ、ジュリアン、閣下をお呼びするのはお願いしていいかしら?」
「はい、もちろんです!ありがとうございます!」
嬉しそうな顔を浮かべて、ジュリアンは深く頭を下げた。
ジュリアンに部屋を追い出されたバルドヴィーノは、庭に向かっていた。
いつもであれば、集中している時に何を言われても反応しないのだが、今日は、「ローザマリア」という名に敏感に反応し、ピタリと動きを止めたのであった。
朝夕は冷えるものの、昼の間は太陽の暖かい光が降り注ぎ、心地よい風が吹いていた。ついこの間まで、庭の草木は荒れ放題になっていたというのに、今では綺麗に整えられ、あちらこちらで花も咲いている。
美しく変貌を遂げた庭をじっくりと鑑賞しながら足を進めると、奥のガゼボにローザマリアの姿が見えた。
「待たせたな!」
「閣下!いいえ。来てくださってありがとうございます」
「こっちこそ悪いな。ジュリアンが言ったらしいな…。あいつ、余計なことを…」
「ジュリアンも心配しておりましたわ。あまりご無理なさらないでくださいね?」
「ああ…。昔からそうなんだよ。集中すると、どうしてもな…」
「昼食もまだだと伺ったので、少しだけ軽食もご用意しましたの。どうぞ、召し上がってください」
「おう、助かる。腹が減ってたんだ」
机の上には、小さく切られたサンドイッチと、珍しい形の焼き菓子が並べられていた。
「これは?初めて見る形だな…」
「王都の友人からいただきましたの。バラの形をしたお菓子だそうですわ。…閣下は、甘いものは大丈夫でしょうか?」
「ああ。王都の甘すぎるゴテゴテとしたやつは、あんまり好きじゃないが…。これくらいなら大丈夫だ」
バルドヴィーノは焼き菓子を一つ摘むと、パクリと口に入れた。中には、バラのジャムが固まって入っており、噛むと同時に口の中いっぱいにバラの香りが広がった。
「これは、すごいな…。バラを食ってるみてーだ」
「ふふふ。これにはメーア国のお茶が良く合うんですの」
そう言われて黄色のお茶を口に含むと、確かにバラの香りと甘味が、お茶の爽やかさと絶妙にマッチしていた。
「確かに美味いな!これは、前にくれたお茶か?」
「はい。先日、また飲みたいとおっしゃっていたので、ご用意しましたの」
ローザマリアもお茶を飲み、その爽やかな味わいを堪能した。バルドヴィーノとローザマリアを気遣い、使用人は皆席を外し、二人っきりの穏やかな時間が流れていた。
「友人ってのは、前に殿下がきた時も世話になったっていう?」
「はい、フォード伯爵家のヘレン嬢です」
「ああ、フォード伯爵家か…。そこの長男とは、殿下を通じて会ったことがある。あいつもいい奴だったし、俺からも礼を兼ねて連絡してみるか…」
「まあ、そうなのですね?ありがとうございます」
「昔から仲がいいのか?」
「…正直、王都にいたときは、そこまでお話しする機会はありませんでした。…きっかけは、彼女の目の色が珍しいことから、言いがかりを付けられていたので、それを少し窘めた時に知り合いましたの。そこからは、たまに夜会でお見かけする程度でしたわ」
ヘレン嬢の祖母も隣国の出身で、この国では珍しい赤みがかった目をしており、周りの貴族から揶揄われていたのだ。それを、爵位が高い侯爵令嬢であるローザマリアが苦言を呈したことで、周りも大きな声では言えなくなった。
彼女がローザマリアと違うことは、家族の中でただ一人だけ目の色が違うというのに、家族から愛されている点であろうか。
「あんたも苦労したのか?気にしてるんだろ、黒髪のこと。…俺もこんな目立つ色してるから、色々言われることもあったが…。これはファーウェル家である証で、誇りだと思ってる。あんたはどうなんだ?」
「誇り、ですか…。私の髪と目は、母親譲りだそうです。母は、私を産んですぐ亡くなりました。…母は優しい人だったそうです。嫁ぎ先のアーヴァイン家とは馴染めず、色々と苦労をしたようですが…」
バルドヴィーノは、何も言わず、静かにローザマリアの言葉に耳を傾けていた。その瞳は、まるで全てを曝け出せと言わんばかりに優しげに、どこか心配そうにローザマリアを見つめていた。
「父は、家のことにあまり関心がなく、数えるほどしか会ったことがありません。義母は、前妻である母を嫌っていたので…。不吉な髪、家族で一人だけ違う色を持つ、いらない子だと、そう言われ続けてきましたの」
「何だと…!?」
バルドヴィーノは、先日、家族の話題を出した時にも感じた違和感の正体が分かった気がした。髪や瞳の色など、生まれつき決まっているものをどうすることもできはしない。それを幼い頃から責められ続けるなど、どれほど苦労したのだろうか。軽々しく話題に出してしまった自分を、バルドヴィーノは恥じた。
「すまない、そうとは知らず、デリカシーがなかったな…」
「いいえ、そんなことありませんわ!閣下は、この黒髪を綺麗だとおっしゃってくださいました…」
「ああ、綺麗だ。本当に、そう思ってる」
「それを聞いて、本当に嬉しかったんです。これまで嫌われることはあっても、好かれることはなかったので…。家族に認められなかった私は、ずっと領地で暮らしていました。…領地をきちんと運営して、努力していれば、いつか後継として、家族として認められると信じていました。ですが、結局それも叶いませんでした…」
そこからローザマリアは、政略結婚を告げられた日のことを話した。後継の座も、信頼していたエミリオにも、全てを否定されたあの日のことを。
「そうして、このファーウェル領にやってきました。皆、突然やってきた私に、丁寧に接してくれました。閣下も、私のやることを全て受け入れて…。皆さんと過ごす中で、段々とあの日のことは薄れていきましたわ」
「…今はどう思ってるんだ?」
「…今では何も感じませんわ。あんなに、認めてもらいたかったというのに…。この地に来て、皆さんの優しさに触れて、これ以上に大事なものはないと思いましたの」
「…エミリオってやつは?」
「彼もそうです…。多分、ただの執着だったのです。初めて声をかけてくれたので、それを拠り所にしていました。それしかないと、思い込んでいたんです。領地には、ローランドもリタもいましたし、冷たい人ばかりではありませんでしたわ。でもそんな彼らの優しさに気づかず、ただ家族にばかり目を向けていました。…一番だと思っていた家族に裏切られて途方にくれる私に、ここの人たちは優しくしてくださいました。私を認めて、そして閣下は、私を求めてくださいました。…小さい頃から求めていた何かが、満たされた気がしたんです。気づくのが遅かったですけど、この喜びを知った今ではもう、彼らに何の思い入れもありませんわ」
過去の裏切りも、全てを受け入れ、乗り越えたローザマリアは、穏やかな顔をしてそう話した。あれだけの仕打ちを受けながらも、この辺境の地で色んな人の優しさに触れ、またバルドヴィーノと想いが通じ合ったことで、彼女の中で上手く消化することができたようだ。しかしそんなローザマリアに、バルドヴィーノは不満げだった。
「くそっ!!家族のくせに、そこまで追い詰めやがって…。あんたも、何穏やかな顔してんだ!もっと怒れよ!俺だったら、全員一発殴る!いや、一発じゃすまねーな!!」
「お、落ち着いてくださいませ、閣下」
怒り心頭といった様子のバルドヴィーノに、ローザマリアは焦って声をかけた。怒りを鎮めようと必死な様子のローザマリアを見て、少し落ち着いたバルドヴィーノは、立ち上がるとローザマリアの隣に移動し、片膝を突いて目を合わせた。
「もっと早くあんたに会いたかったぜ…。そしたら、あんたが嫌がっても、構わずここまで攫ってきてた…」
「…今は、閣下の隣にいますわ。あの辛かった日々も、こうして領地のために活かすことができて、無駄じゃなかったと思えたんです。そう思えたのも、全て閣下のおかげですわ」
「嘘つけ。何でもかんでも自分で解決しやがって…。もっと俺のこと、頼ってもいいんだぜ?」
「充分頼ってるつもりですのに…。こうしてお茶をしたり、一緒にいてくださるだけで、本当に嬉しいんですのよ?」
「…それだけでか?」
拗ねたような口ぶりで、じっと見つめてくるバルドヴィーノに、ローザマリアは甘えるように身を寄せて、黙って目を閉じた。そんなローザマリアに、バルドヴィーノは優しく口づけを送った。これからは、必ず自分が守ると誓いながら…。




