第20話 和解と誤解
辺境伯との夕食前に、ローザマリアは一人でジュリアンに会いに向かった。ちょうど今の時間は、オーウェンの元にいるはずだと思い、歩いていると、向こうも予想していたのか、廊下に佇むジュリアンの姿が見えた。ジュリアンは、気まずそうな顔をしながらこちらを向いた。
「ごめんなさいね、さっきは途中になってしまって。体調は大丈夫?寒くないかしら?」
「…なんで怒らないんですか?」
「…」
「分かってます。言いがかりをつけてるだけだって。結局、俺が折り合いつけられてないだけなんです…。たかが従者に、こんなこと言う資格もないのに…」
「…ジュリアンは、閣下のことが、大好きなのね?」
「…はい」
「じゃあ、何も問題ないわ。あなたの感情は、理解できるもの。突然私が来て、困惑させてしまって、申し訳ないと思ってるわ。ただ、王命だから、私にはどうすることもできない。それに、ここを追い出されたら、行くあてもないの…。だから、これからはジュリアンに認めてもらえるよう、もっと頑張るわ」
ジュリアンから向けられる感情は、悪意と言うよりは、ただの八つ当たりである。ジュリアンは、辺境伯を大切に思っており、これまで辺境伯の地位だけで擦り寄ってきた女たちを蹴散らしてきた。その方法に賛否はあるものの、彼なりに、辺境伯のために行動してきたのだ。なのに、辺境伯のことを何も知らない女がいきなり婚約者となったのだから、困惑する気持ちも分かる。
そうやって感情のままに思いをさらけ出せることを、ローザマリアはむしろ羨ましいとさえ思っていた。これまでずっと、家族からの仕打ちに我慢してきた。言いたいことを言う勇気もなく、ただ耐えて、いつか見直してもらえると信じていた。
それは全て無駄になってしまったし、今回も、このままジュリアンに認めてもらえないかもしれない。しかし、今自分ができることを精一杯行うこと。その方法しか、ローザマリアは知らなかった。今までも、そしてこれからも。
怒りもせず、全てを許すかのように穏やかに話すローザマリアに、ジュリアンはただ黙り込んだ。
ーーなんで、怒らないんだよ…。
自分でも分かっていた。これはただの八つ当たりだと。こんな子供じみた感情、尊敬する辺境伯にも失礼だと。しかし、どうしても感情は収まらず、挙げ句の果てには、全く悪くないローザマリアにぶつけてしまった。そんな自分に怒りもせず、むしろ理解を示したローザマリアに、敵わないと思った。己の器の小ささを思い知らされたと同時に、これまで感じていた漠然とした不満や怒りが、すっと落ち着いたように感じた。
まるで母親のように、全てを包み込み、許してくれる彼女に、もはや嫌悪感を抱くことなどできなかった。もう、彼女のことを認めるしかないだろう。
「いいえ、この度は大変失礼をいたしました。あなたであれば、閣下のことをお任せできます。本当に、私にとっては大事な方なんです。どうか、閣下をお願いします」
ジュリアンは、深く頭を下げた。従者の分際でこのような発言は、本来なら不敬ではあるが、この人なら受け入れてくれる、そう思ったのだ。
「顔を上げて、ジュリアン」
優しい声に従って頭を上げたジュリアンは、声の主を見つめる。こちらを見つめるローザマリアは、先ほどと同じように、穏やかな笑みを浮かべていた。
「私も、この辺境にきて、閣下に、皆に救われたわ。閣下の寛大さには、本当に感謝しているの。その恩に報いたいと、そう思っているわ。だからこれからも、閣下のために一緒に頑張りましょう?」
「…はい!」
再び深く頭を下げ、涙を浮かべるジュリアンを、ローザマリアは優しく見守るのであった。
ファーウェル城に戻ったバルドヴィーノは、最高に気分が良かった。
これまで苦心してきた砦の防衛が強化され、それまでピンと張り詰めていた心にゆとりが出来た。帰ってきた城は、以前よりも明るい雰囲気に包まれているし、領地の問題点もローザマリアによって、次々と対応されている。
全てが順調だった。ローザマリアという素晴らしい女性と巡り合わせてくれたことに、普段は気に入らない国王にも、今回だけは感謝していた。毎日夕食を一緒に摂り、一日の終わりにローザマリアの笑顔を見ると、疲れが癒え、また明日も頑張ろうと元気をもらえた。
そんな浮かれた気持ちで、今日もローザマリアの話を聞きながら、一緒に食事をしていた。ローザマリアからクズ石のドレスの完成を聞き、また新しい革新に心を踊らせる。詳しい話を聞いていなかったので、どのように進んでいるのか、ローザマリアに質問をしつつ、実物を楽しみにしていた。
そんな時ふと、違和感に気づいた。
いつもは、目を見て話しているローザマリアが、今日はチラチラと自分の後ろに目をやっていた。バルドヴィーノの後ろには、ジュリアンが控えている。クズ石のことを熱心に話しながらも、その視線はジュリアンに向けられていた。
ーーローザマリアはジュリアンが気になるのか…?
バルドヴィーノは愕然とした。
確かに、ジュリアンは常に笑顔を浮かべて物腰も柔らかい。粗野な自分と違って言葉遣いも丁寧で、女性の扱いも心得ている。しかも、バルドヴィーノの世話を一手に引き受けるほど優秀だ。ローザマリアが惹かれる理由も分かる気がした。
一方でバルドヴィーノというと、婚約してからというもの、ローザマリアを城に放置し、辺境のことは任せっきり。城に帰ってきてからも、相変わらず仕事を任せ、一緒に夕食を摂るだけで、仕事の話しかしていない。
しかも、最近オーウェンから聞かされたが、どうやらローザマリアは、自身の持参金を切り崩して、辺境の改革を行っていたという。新しいことを始めるならば、当然それを行うために金が必要だ。ただでさえカツカツの辺境に、それに割く余裕などない。だからこそ、ローザマリアは、辺境の財産には手をつけず、自身の財産を使ったのだ。
そこまで献身的に尽くしてくれるローザマリアに、自分は何か返しているだろうか。呑気に夕食を食べ、自分と領地のことしか考えていなかったのではないか。きちんとローザマリア本人のために、何か考えられただろうか。もしかしたら、もう愛想を尽かされたのかもしれない。
バルドヴィーノはさあっと血の気が引いたのが分かった。王命による婚約のため、取り消すことは出来ないとはいえ、ここまで尽くしてくれたローザマリアに、不快な想いをさせ続けるなど以ての外である。
しかし彼女は、バルドヴィーノの言葉にも丁寧に答えてくれており、心からの笑みを見せてくれているように感じる。ただの上部だけのものには見えなかった。しかし、ジュリアンを見る目は気になる。
それから数日間、バルドヴィーノはローザマリアを観察しながら、様子を窺っていた。また、どうにかして自分の好感度をあげるべく、いつも以上に精力的に仕事に取り組み、少しでも彼女の負担を減らそうと努力した。
いくらジュリアンがいい男であろうとも、ローザマリアを渡すつもりはない。なんとか挽回し、彼女からの好感を得ようとしていた。
そんな折、オーウェンに用があったバルドヴィーノは、廊下を歩いていた。ちょうどジュリアンが外していたので、バルドヴィーノ直々に訪れようと歩いていると、廊下にジュリアンとローザマリアの姿が見えた。
咄嗟に物陰に隠れたバルドヴィーノは、いけないことだと分かりつつも、二人の話声に聞き耳を立てた。
「こちら…ありが…ございまし…」
「い…え…ったわ」
かろうじて聞こえる声から、ジュリアンがローザマリアにお礼を言っていることが分かった。チラリと覗き込んで見ると、ジュリアンが小さく畳まれたハンカチを、ローザマリアに渡しているのが見えた。
ーーどういうことだ…?
ジュリアンからローザマリアにハンカチを渡す理由。つまり、ジュリアンはローザマリアに気があるということか。思いがけない展開にバルドヴィーノは固まるも、二人はにこやかに会話を続けている。
少ししてローザマリアが立ち去ると、ジュリアンがバルドヴィーノの方に向かって歩いてきた。物陰に佇むバルドヴィーノに気づき、ジュリアンは驚いて声をかけた。
「閣下!?どうしたんですか?こんなところで…?」
バルドヴィーノは俯いたまま、何も答えない。
「閣下…?」
心配そうに窺うジュリアンが近づいてきたところで、その腕をがっと掴んだ。
「…!!?」
「ジュリアン」
「は、はい!どうしたんですか!?」
「…と…だ」
「え?今なんと…?」
「決闘だ!!」
「は!?」
「お前もローザマリアに気があるのだろう。そうだろうな、あんな素晴らしい女性、他にはいない。お前が惹かれるのも分かる。だが、俺も黙って見ているつもりはない。どちらがローザマリアに相応しいか、決闘だ!!」
「え!?ちょっと、どういうことですか??決闘?気がある…??あ、今のを見られていたんですか?ご、誤解ですよ!あれはただ…」
「つべこべ言うな!表へ出ろ!!」
グダグダと言い繕うジュリアンの腕を掴み、体を引きずりながら、ずんずんと訓練場に向かって足を進めた。
バルドヴィーノの褐色の瞳は、メラメラと燃えていた。




