第17話 辺境伯の帰城
王太子の訪問から一ヶ月が過ぎた。
夏も盛り、ギラギラと太陽が照りつけ、日に日に暑さを増している。徐々に広がりつつある畑の作物も、太陽に向かって伸びていき、スクスクと順調に育っていた。
ローザマリアは、辺境伯からの手紙で、王太子の用事は無事終わったと聞かされた。機密事項らしく、詳しいことは教えてはくれなかったが、これでライン砦の防衛が大幅に強化されたとのことであった。
この一ヶ月、辺境伯はライン砦での兵の配置や体制を見直しており、その目処が立ったら、砦は部下に任せ、城に戻ってくることになっていた。もちろん、今後も定期的に砦に赴き、指揮、管理を行う予定だが、防衛強化により、今までのようにずっと砦にいる必要性はなくなったらしい。これまでは国境の防衛を優先してきたが、今後は領地のことにも目を向けられるようになるという。
あと少しで、辺境伯が帰ってくる。そう思うと、ローザマリアはそわそわとして落ち着かず、辺境伯が戻る日を今か今かと心待ちにしていた。
使用人たちも、辺境伯が戻ってくると知り、とても喜んでいた。特に、先代の辺境伯から仕えてきたオーウェンとシドの喜びは、ひとしおのようだった。幼少の頃から閣下を見守ってきた二人は、ようやく辺境伯が城に戻ってこられることに、心の底から安堵しているようだった。
そうして城中が浮き足立つ中、ようやく辺境伯が戻ってきた。
事前に手紙で聞いていた通り、夕方頃に着いた辺境伯は、門の前でローザマリアと使用人全員がずらりと並んで待っているのを見て、とても驚いた。
「お帰りなさいませ」
そうローザマリアが告げながら頭を下げると、使用人たちも揃って頭を下げた。
このような盛大な出迎えは初めてであった辺境伯は、戸惑いながらも、気恥ずかしそうにローザマリアたちに近づいた。
「皆、頭を上げてくれ。出迎え、感謝する。ようやく、戻って来れたのも、皆のおかげだ!」
辺境伯がそう言うと、使用人たちからは自然に拍手が沸き起こった。中には涙ぐんでいる者もおり、皆、辺境伯の帰還を、心から喜んでいた。
それを照れくさく感じながらも、辺境伯は使用人一人一人に声をかけていった。そして最後に、ローザマリアの前に来た。
「無事に戻られて、本当に良かったですわ」
「ああ、感謝するよ、本当に。あんたの考えだろう?こういうのは柄じゃないんだが、まあたまになら、悪くはないな。…元気にしていたか?」
「はい。閣下もお体に変わりはありませんか?」
「まあな。だが、さすがにこの一ヶ月は色々とやることが多かったから、明日はゆっくりさせてもらおうと思う」
「はい、ゆっくりお休みになってください」
「…あんたも、ちゃんと休んでるか?」
辺境伯は背を屈めて、ローザマリアに顔を寄せた。近くで見つめてくる茶色の瞳は、まるで全てを見通すようだった。それから逃れるように、早口でローザマリアは告げる。
「は、はい!大丈夫です」
「そうか?ならいいが…」
「か、閣下のために、シドが腕を振るった料理をご用意しておりますわ。どうぞ、中へお入りくださいませ」
「おっ、それは楽しみだな」
辺境伯は、喜ぶ使用人たちの間を歩き、玄関ホールへと向かって行った。その姿を、ローザマリアはただじっと見つめていたのであった。
夕食には、辺境伯の好物がたくさん用意された。それを嬉しそうに食べながら、辺境伯はローザマリアに話しかけた。
「改めて礼を言う。俺がいない間、色々と領地のことで、尽力してくれたようだな。俺も報告を読んではいるが、正直驚いている。あんたにこんな才能があったとはな」
「とんでもございません。少し領地のことを学んでいただけですので。…むしろ、好きにやらせていただき、本当に感謝しております」
「なんであんたが感謝するんだ…?こんな短期間でこれほどできる奴は早々いない。もっと誇っていいと思うがな」
「…はい、ありがとうございます」
辺境伯は、あまりにも自信がない様子のローザマリアに首を傾げながら、ワインに口をつけた。
「ところで、これからは俺も少し余裕ができると思う。今までほったらかしにしてた領地のことにも、やっと目を向けられそうだ。だが、まだまだ砦や兵のことで、やらなきゃいけないことはたくさん残ってる。だから、悪いがもう少し、あんたの力を貸してもらっても構わないか?」
「も、もちろんです!…むしろ、私がやっていいんでしょうか?」
「ああ、正直助かる。あんたが嫌なら、別にやらなくても…」
「いえ、ぜひやらせてくださいませ!」
「ああ、頼んだぜ」
辺境伯が戻ってくれば、当然領主である辺境伯が領地運営を行うものである。すっかりそのことが抜け落ちていたローザマリアであったが、まさか辺境伯がこれからも同じように任せてくれるとは思わず、驚くとともに歓喜した。他所から嫁いできた人間に、ここまで任せられるのは、辺境伯の度量の大きさなのであろうと、ローザマリアは深く感謝した。
「ああ、それと。ずっと放置しておいた身であれなんだが…。これからは、お互いのことを知っていければと思っている。だから、これからも、こうして夕食は一緒に摂るようにしないか?」
またまた思わぬ提案に固まったローザマリアであったが、少し顔を赤らめながら返事をした。
そうして、ローザマリアが辺境伯との会話を楽しんでいると、ふと鋭い視線を感じた気がした。楽しい雰囲気を壊すようなそれは、しかし一瞬のことで、チラリと周りを見渡してみるものの、特に不自然なことは何もなかった。
ーー気のせいかしら?




