第九話 数字者の矜持【28番】
前話の内容:ヒロトは朝比奈真央と、深夜の野球場で特訓を開始。そこへ、クラス1のオカルトマニア・小宮正吾が現れる。
薄明かりの差す、ロシア・モスクワ郊外の小さな村にあるアパートメント。
古びた暖房パネルを軽く叩きながら、痩せた男が眉をひそめる。室内には紅茶の深い香りと、紙の乾いた匂いが漂っている。床から天井までぎっしり並んだ本棚には、数学、論理学、哲学の書物が整然と並び、埃ひとつない。
机の上には、几帳面に並べられた定規とコンパス、整った筆跡のメモ帳。そして、数学の大学講義資料と薄型のノートパソコン。
男は紅茶を一口すすると、シャツを脱ぎ、室内にあるエアロバイクを静かに漕ぎ始めた。徐々にペダルの回転を速め、心拍が上がっていく。
やがて、あるタイミングが来ると、男は背後のスタンドミラーを振り返った。
「……完璧だ」
鏡に映る彼の背中には、緑色に光る『28』の数字が点滅していた。
男──アレクセイ・ネフロフは、エアロバイクの画面に表示された心拍数を確認し、手元のメモ帳に書き込む。
118、119、118、120、120、119、118……
(心拍数がある閾値を超えると、背中が熱くなり、数字が浮かび上がる。そして──“あの声”が聞こえる)
『チキュウジンヲ、センメツセヨ』
声は不快だが、今では研究対象として興味深い。
(そして、声を受け入れると、体にわずかな変化が起きる。私の場合は、身長が5.6センチ伸び、体重が2.2キロ増える。巨大化はしない。だが、能力は確かに“発動”している)
ネフロフはメモ帳に書かれた「28」と「496」の数字をなぞる。
(私の能力が持続するのは、496秒間──美しい)
「28と496……どちらも完全数。混乱と無秩序がはびこるこの地にこそ、必要な数字だ」
(私の能力の本質は──あらゆる対象の“数”を、再定義することにある)
彼は静かに立ち上がり、窓の外を見つめる。雪に閉ざされた小さな村。だがそこには、誰ひとり存在しない──彼を除いては。
「世界は、数式でできている」
ネフロフの視線が、窓の外の街路樹に向かう。ポプラの木が8本──次の瞬間、自然な揺らぎの中で2本がふっと掻き消える。
「この方が美しい」
「対象:木、8 → 6……実行済み」
それはまるで、風が通り抜けただけのような現象だった。
「不要なものは、消す。合理性と秩序──それが、私の美学だ」
ネフロフはメモ帳を1ページ戻し、記された文字を指でなぞる。
「対象:村の人口、224 → 1……実行済み」
この村に残っているのは、彼──ただ一人。
彼は机に戻り、ノートパソコンを開く。そこには世界各地で観測された“番号持ち”たち──通称”バックナンバーズ”の記録が並んでいる。
その中で、彼の指が止まった。
「日本・S市。背番号38……君は、神から授かった力を反逆に使った。混乱をもたらすノイズ。神聖なる力を穢した存在だ」
彼は背筋を伸ばし、コートを羽織る。準備しておいたブリーフケースを手に取ると、玄関を出た。
外は、凍てついた沈黙が満ちていた。本来の静寂を越えた、絶対の静けさ。ネフロフは、アパートメントの前で目を閉じ、28秒間カウントする。
数え終わったその瞬間、一台のタクシーが音もなく前に止まった。
「空港まで」
運転手に静かにそう告げた。
(不完全な世界に、完全な秩序をもたらす──それが、私の務めだ)
そして彼は、誰もいない村を後にした。
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第十話は、4/11(金) 16時に更新予定ですので、よければまた覗きにきてください!




