それは幾重にも重なる偶然の先に
マナは巡る。死を迎え大地に溶けて、地の底の更に果てから創造神に汲み上げられては大気に還る。そしてまた新たな生命として生まれるのだ。創造神ラーティアはすべての人々を、すべてのマナを心から愛し、世界を育み続けていた——
例外は、どこにでも発生する。ラーティアが世界を創ってすぐの頃から、巡ることが出来ず果ての淵に留まるマナが発生した。怨み、妬み、絶望、恐怖……怨嗟に染まった黒きマナが、澱のように積もり始めたのだ。全体から見れば無きに等しい僅かな量。しかし、遥か悠久の時を経て澱は堆積し、膨大な力となっていった。それに意志は存在しない。ただ渦巻く怨嗟を抱き、果てに留まり続けるだけ。
だが人の内にも例外が存在した。どうしようもなく悪しきものに惹かれる人々が。破滅願望、犯罪賛美、神への冒涜——理由は数あれど、それらに魅入られたものたちはいつしか崇拝の対象を生み出した。創造神の対極となる存在を『ヨミ』と定め、神として崇め始めたのだ。邪神崇拝者たちは闇の中で、密かに蔓延っていく。
あるものは残虐な連続殺人を犯し『ヨミ』を呼ぶ。あるものは凄惨な儀式を行い『ヨミ』を呼んだ。その行為は怨嗟に染まったマナを生み出し、その果てに彼らの祈りが渦巻く黒きマナへと届く。
《 そうか! ヨミはヨミというのだ! 》
名を得て、渦巻く怨嗟の向ける先を知り、黒きマナはヨミとして産まれる。『ヨミは創造神に仇なし世界を滅亡へと導く存在』——歓喜じみた咆哮をあげ、ヨミは空を割りラーティアに襲いかかった。
それは一瞬の内に起こった出来事。
位置が悪かった。『迎撃すると余波で世界を砕いてしまう』とラーティアが躊躇したから。
愛が鈍らせた。『あれは自分が取り零し続けた愛しいマナたちだ』とラーティアが識ってしまったから。
その一瞬の隙を突き、ヨミはラーティアの腹を掻き破った。
全くの偶然が幾重にも重なり合った末の出来事だった。ラーティアの腹から零れ落ちた膨大な力は空の亀裂を通り世界へと降り注ぐ。その瞬間、その真下。小さな村でひとりの赤子が産声をあげた。
赤子は最初の一呼吸でラーティアが零した膨大な力を食らい尽くし、そして適合してしまった。代償は感情の欠落。産声を上げて以後、泣くことも笑うこともしないその赤子は、『フィルディード』と名付けられる。
その日より、世界の命運はフィルディードに委ねられた。フィルディードに愛が芽生えラーティアと繋がれば世界は救われる。フィルディードが絶望に堕ちヨミの駒となれば世界は滅亡する。フィルディードが命を落とせば、神の力を宿した鎮魂花の種が溶けてすべてマナに還るまでの間、ラーティアが力を取り戻しヨミを封じるのが先か、ヨミが世界を壊すのが先か、膨大な時間に渡り、人類の存亡をかけた争いが巻き起こる。
ラーティアは空の亀裂から世界が砕けてしまわないよう食い止めながら、ヨミを抑え込む。しかしヨミは人の怨嗟と絶望から生まれたマナの集合体。人の心に取り憑く術に長けていた。
囁くのだ。疑心や不安、欲望と絶望……心の動きに指向性を与え、増幅させる。労力はさほどかからない。感情の欠落した赤子には通じないが、ヨミはフィルディードの親に囁き続けた。
《 赤子が泣かないなんて、どこかおかしいんじゃないか 》
ヨミは我が子を愛するがゆえの不安に囁きかける。
《 笑いもしない。まるで造り物だ 》
どこからか与えられ膨らむ不安に、フィルディードの母は必死に頭を振る。
「違うわ、フィルはかわいい私の息子」
《 本当にそうかな? まがいものとすり替えられたんじゃない? おとぎ話のように人ではないものとすり替えられて——本物の息子はきっと今頃魔物の腹の中 》
「違う、違うわ……!」
守りたくても守り切れない、とラーティアは歯噛みする。失った力が多すぎて、ヨミを完全に抑え込めない。——それでも、フィルディードの両親は嘆き悲しみながらヨミの囁きに抗った。フィルディードは安らかな愛情を与えられることなく、しかし虐げられることもなく、狭い家の中で隠されるようにただ月日を重ねていく。
これでは埒が明かないとヨミは舌打ちした。あの親の元ではフィルディードを絶望に堕とせない。そこでヨミは、もっと都合の良い環境にフィルディードを連れ出そうと企んだ。丁度良く、そこら一帯を治める領主は唆しやすい。『奉公人を探している』という名目で人を送らせ、誘導しフィルディードを見つけさせた。
金の髪と金の瞳を大げさに称え、領主の使いは『特別な子に違いない!』とフィルディードの両親に訴える。初めてフィルディードを認められたと感じた両親は、フィルディードを奉公に出すことに同意した。『自分たちの身に余る特別な子なら、立派なお方に委ねよう』とフィルディードから手を離して。フィルディードが、八つのときだった。
領主の元に向かって森を歩く使いの者とフィルディードを眺め、ヨミは高らかに笑った。これでフィルディードは思いのままだと。しかし、ラーティアの抵抗が、必死の叫びが世界に波及する。それは世界のマナを震わせて、フィルディードに足を止めさせた。
「そちらには行けない」
フィルディードは踵を返し、来た道を戻ろうとする。動き出したフィルディードを止めることは出来ない。ヨミは怨嗟の咆哮を上げ、世界に満ちるマナを憎んだ。
《 クソがァ!! 》
その咆哮が、魔物を呼んだ。咆哮が波及した周囲一帯から、魔物が押し寄せフィルディードに襲いかかる。使いの者は無惨にも圧し潰され、大地に赤く広がった。
《 こうすれば、こうすればよかった! 》
魔物はヨミの意のままに動いた。簡単に操れる手足を得て、ヨミは歓喜の声を上げる。魔物はラーティアの定めた理から外れた存在、ラーティアがどれだけヨミを抑えようとしても、ヨミが新たな魔物を生み出さないよう抑え込むのが精一杯だった。
襲いかかってくる魔物をフィルディードは咄嗟に振り払った。身のうちに宿る膨大な力が動き出し、魔物はいとも容易く破裂する。しかし、扱い方を知らないまま振るった神の力の反動が、未成熟なフィルディードの腕を内から砕いた。
その傷は、フィルディードの内に宿る力と血肉を強制的に自己貪食し、瞬時に再生される。フィルディードは襲いくる魔物を迎撃し、崩壊と再生を繰り返しながら森を走り続けた。
幾日にも及び延々と繰り返される襲撃。フィルディードは絶望に堕ちるより先に、生命の危機に瀕した。自己貪食により消耗する血肉から、飢餓状態に陥ったのだ。ヨミは焦る。フィルディードに死なれては困るのだから。そこで周囲一帯から集めた魔物、取るに足らない小物まですべてを利用して、フィルディードを人里に誘導した。元いた村でなければどんな場所でもいい。誰かが介抱さえすれば、フィルディードは容易には死なないのだから。
一番近い場所にあった村に隣する森の切れ間。すべての魔物を屠り尽くし、フィルディードはそこで倒れ伏す。
——夜が明け、暖かな光が差したころ、『父様!!』という幼い子どもの声が響いた。








