いつの間にか
オーバンが持たせてくれた鹿肉は、スネ肉の塊だった。シアはさっそく調理に取り掛かろうと台所で腕まくりをする。
「うちは元々誰も飲まないから、お酒が家にないんですよね。オーバンさんも分かって持たせてくれたから、ワイン煮込みを作りましょう!」
スネ肉は煮込みがいいんだから、これも持っていってくれよ、とオーバンとモニクはかごにワインを入れてくれた。安ワインだから気にしないでと笑うふたりの顔を思い出し、シアは淡く微笑む。
フィルディードはいつものように、興味深そうにシアの近くに寄ってきた。シアはワインの瓶を軽く上げ、フィルディードに見せる。
「せっかくあるし、半分くらい残して、フィルディードさん飲みます?」
「酒類は飲んだことがありますが、あまり飲みません」
「ああ、そうなんですね。じゃあ全部料理に使っちゃいましょうか」
シアは納得して、料理を始めた。スネ肉を食べやすい大きさに切り、水に浸けて臭みを抜く。その間に大蒜やセロリにパセリ、紫玉ねぎと湯剥きしたトマトを刻んだ。一度洗って水気を拭いたスネ肉に強めの塩胡椒を振り、よく熱したフライパンで表面に焦げ目がつくくらいざっと焼く。それを大きな鍋にうつして、ローリエなどのハーブとワインを一本注いで火にかけた。
ことことと肉を煮込んでいる間に刻んだ野菜をフライパンで炒める。鍋の灰汁をとりながら、フライパンに残った肉の旨味をこそぐようにじっくり野菜を炒め、それを鍋にうつして更に煮込んでいく。
後は煮ておくだけだから、とシアは洗い物を始めて、フィルディードはしげしげと鍋をのぞき込んだ。
「これはいつまで煮込むんですか?」
「煮汁が少なくなるまで、弱火でじっくり煮込むんですよ」
くつくつと音を立てる鍋を一緒に眺め、煮詰まるのを待つ間ふたりはのんびりと話し始める。
「せっかくの贅沢な料理だけど、飲み物はどうしましょうねえ」
虹露果の時期は初夏で、もう終わってしまった。赤ワインを合わせるものだと聞くけど、ワインのおいしさがまだ分からないとシアは笑う。
「フィルディードさんも飲まないんですよね」
「はい。ガイアスがよく飲むので酒の席自体はよく同席したのですが」
「ガイアスさん」
「巨人族なんです」
「ああ、巨人族は酒好きが多いと聞きますからねえ」
巨人族は大柄で筋骨たくましく、『火と金鉄』の加護を持つ種族だ。金属加工に優れ、豪快で、大酒飲みが多い。彼らにもまた、シアは会ったことがないのだが。
「彼に勧められて飲みましたが、僕はアルコールが効かないんです。飲ませるだけ無駄だと言われました。後は酔い潰れたガイアスの運搬係を」
並外れた巨躯を楽々担ぎ上げて寝室に運ぶフィルディードを想像し、シアは声を上げて笑った。それはもう、フィルディードは大活躍だっただろう。意識のない人間は子どもでも重いのだから。
「じゃあお酒が分からない同士、私たちは柑橘水を飲みましょうか」
シアは笑いながら庭に向かい、農業用のはさみを手に庭の果樹からまだ青い柑橘を数個収穫した。何となく流してしまったけど、『ガイアスさん』は巨人族の真なる王なんだろうな……と薄っすら察しながら、台所に戻る。それから柑橘をきれいに洗ってくし切りにし、台所で水耕栽培しているミントの葉をむしって一緒にピッチャーに入れ、水を注いだ。あとは冷蔵の魔道具で冷やしておけば、おいしい柑橘ミント水の出来上がりだ。
鍋の煮立つ音に耳を傾けながら、シアとフィルディードはのんびりと話し続けた。
「出来ましたよ!」
塩胡椒で味を整え、とろりと煮詰まった鍋にバターを落とし、シアは明るい声を上げた。シアが鹿肉のワイン煮込みを皿によそい、フィルディードが皿を受け取って食卓に並べる。付け合わせはカリカリに焼いたバゲット、それからハーブのサラダ。冷蔵の魔道具からピッチャーを出して、少ししゃれ込んで脚のついたガラスのゴブレットを並べた。
「乾杯!」
席について、柑橘ミント水でグラスを合わせる。一口含めば、柑橘の爽やかな香りとミントの清涼感が食欲を刺激した。
じっくりと煮込んだ鹿肉はスプーンでほろほろと解れるほど柔らかく、香味野菜と煮詰まったワインの甘味や風味、奥行きのあるコクが出たソースがとろりと肉を包み込む。落としたバターの風味が香しく、バゲットによく合う。
「おいしいですね!」
「はい、とても」
ハーブのサラダや柑橘ミント水で口をさっぱりさせれば、また濃厚なワイン煮込みが進んで、ふたりは頬を緩めて料理に舌鼓を打った。
大満足の食事を終えれば、ふたりで台所に立ち後片付けをする。皿を洗うのがシアで、拭いて片付けるのがフィルディード。フィルディードはもうシアの家の皿や鍋の位置をすっかり覚えていて、まるで一緒に暮らす家族のように息がピッタリで。
そんな日々が、いつの間にか当たり前になりつつあった。








