32.聡美さんの餃子(2)
餃子の仕込みが済み、またしても帰るの面倒くさくなってお泊まりをキメるあい子さんです。
凪沙ちゃんは「いいなー。私も泊まりたーい」と羨ましがってたんだけど、修くんに「すぐ近所なんだから帰りなよ、おじさんおばさんが拗ねるぞ。また明日、迎えに行くからさ」と送ってもらって帰りました。
泊まりの際、以前はご家族を憚って、寝室は諒と別々に休んでたんだけど、
「みんな大人なんだし、妙な詮索するつもりもないから、諒の部屋にいっしょに泊まっちゃっていいと思うよ」by 圭さん。
「うーん。俺は気にしないけど。どっちでもいいかなあ」by 修くん。
などのご意見を賜り、最近は諒の部屋でいっしょに休んじゃってます。
さらには、
「休むのはどこでもいいけど、それより洗面所の使用時間の割り振り見直さない?」by 聡美さん。
「うん。この際、あい子さんも人数に入れて時間を決めたほうがいいだろうね」by 博至さん。
などと、ご配慮いただく始末。
ここんちでは洗面所の混雑を避けるため、それぞれ朝の洗面時間が決まっております。
すっかりあい子さんもシフトに組み込まれ、いいかげん入り浸りすぎだろう……、と頭抱えてみたりするものの、“今さらでしょ”と、ご家族全員にあっさり流される始末。
ちなみに、食費と雑費を定期的に納入させていただいております。そりゃ頭数にも入れられるっちゅーの。
そんな経緯で、いけ図々しくお風呂をいただいたあと、諒の部屋でおくつろぎタイム。
もうすっかり我が部屋の如く、部屋着でベッドにごろごろ転がって寛ぎまくりまくっております。
諒も同じく寛ぎ態勢で私の隣に寝っ転がり、ていうかナチュラルに腕とか脚とか乗っけてくんなよ私は抱き枕か。まあいつものことだし慣れたけどね。
で、抱き枕にされながら、さっきの話の続きです。
「まだ母さんの病気が発症する前、父さんも含めて俺たちは、家のことなんにもしなかったんだ。母さんも働いてたけどパートだったし、俺たちが学校から帰る頃には必ず家にいて夕飯の支度とかしてたから、そういうもんだと思ってた。母さんと家事がイコールで結びついちゃってて、疑いもしない。
自分では少しは手伝ってたつもりなんだけど、今思うと全然だったな。5人分の餃子包むのも、母さんがひとりでやってた。“俺できないもん”っつって、食うだけ。足りなくなって文句言ってさ、ヒドい態度だったな」
「……中学生?だったっけ。そんなもんじゃないの? 素直に手伝いとかできないんだよね」
「その後、母さんが倒れた。大変だったんだ。なかなか病名が確定されなくて、ずっと熱が下がらないし、胃痛で食事も受け付けない。なんとか食べても吐くし、下す。皮膚炎もヒドかった。
検査のための入退院繰り返して、その間俺たちは、自分のことは自分でできるようにならなきゃ、って、少しずつ家事やるようになってさ」
「で、ある日、俺たち3人で夕飯つくったんだ。ご飯炊いて味噌汁つくって、あと目玉焼きとかそんな程度だったけど、“やった!俺たちでできたじゃん!”って得意になって、母さんの部屋に持っていった。食べたら元気出るだろうし、きっと褒められると思ってた」
「そしたら、“なんなの、あんたたち”って地獄の底から響くような声で言われてさ」
「……地獄の底」
「“私が元気な頃はあれだけ言ってもなんにもしなかったくせに。それくらいのこと、できるんだったらさっさとやればよかったでしょう。なんにも!なんにもしなかったくせに。私がこんなことになったから慌ててやって、それで何? 褒めてもらいたいの? すごいすごい、いいんじゃないの。私がいなくてもいいんでしょう。いないほうが楽しそうじゃない。勝手に食べなさいよ。好きなものつくって好きに食べれば。こっちは内臓がめくれあがるみたいに痛いのよ。口ん中も口内炎だらけよ。固形物なんてとても食べられないんだから”って、すごい剣幕で怒鳴り散らして、父さんと兄貴でなだめて、俺は慌てて修を連れ出した」
「…………」
そりゃー地獄の底だわ。
「母さんも、ずーっとしんどいのが続いて参ってたんだよね。治療も効果が出ないし、全然先行きが見えない。父さんにも、迷惑かけるだけだから離婚してほしい、とか言い出してたらしいし、どうして自分がこんな目に遭わなくちゃなんないんだ、って気持が爆発しちゃったんだ」
「………………でもさ、……子どもとしては、つらいね」
そういうの、子どもに当たっちゃいけないんじゃないかな。……聡美さんの苦痛と苦悩は余人には窺い知れないのだけれど、ただ、私はどうしても、聡美さんより諒の気持を考えてしまう。
実の親に、そんなふうに当たられるのはしんどいんじゃないかな……。
諒は「俺は大丈夫だから」と、逆に心配する私を宥めるようにパタパタと背中を撫でた。
「そのときは、ひどい、と思ったけど。今となっては、バクハツしてくれてよかったと思うよ。一人で抱え込まないでくれて、よかった。
後で俺たちひとりひとり、母さんに謝られたんだ。
“言っちゃいけないことだった。ごめんなさい。自分でもあんなふうに毒を溜め込んでるなんて、思ってもみなかった”って。
きっと、母さんは自分でも自分の気持ちに気づかずにいて、びっくりしたんだと思う。元気なときには、手伝いをしない夫や息子達、とか、大して気にすることでもなかったんだろうな」
「……病気でしんどくて、弱ってきて、許せなくなっちゃったんだね」
「で、それからしばらくして、餃子つくろう、って母さんが言い出して。そのときはこんなに大量じゃなかったけど、みんなで餃子を包んだ。
母さんは“コレひとりで5人ぶん包むのホント大変だったんだから”って、俺は相変わらず“だって俺できないもん”って。圭兄も修も“めんどい”とか“できない”とかぶうぶう言いながら。父さんは黙って包んでた。
母さんの以外、みんなヒドい形だったよ。水餃子にしたら鍋ん中で分解してぼろぼろになんの。
母さんはそのぼろぼろになったやつ1コだけ食べて“おいしい”って。母さんが固形物食べたのって10日ぶりくらいだったんじゃないかな」
「それ以来、母さんはむしゃくしゃしたときに“餃子つくる”って言い出すんだ。俺たちに面倒な思いをさせて憂さ晴らしする、嫌がらせメニューなわけ」
…………ちょっと待て。
すると。あの、肉餡をこねるときの「このやろこのやろ!」って。
すいませんアレ、かなり本気の「このやろこのやろ!」だったわけですか?
「……ちょっと、待ってよ……。そんな話聞かされて、どんな顔で餃子食えばいいのよ……」
頭を抱える私を、諒は朗らか爽やかに笑い飛ばした。
「大丈夫だよ。そんな話ぶっ飛ぶくらい美味いから。楽しみにしてて」
ていうかさ、餃子もアレだけど、抱き枕状態もそろそろ解除してくれませんか。重い。暑い。
「えー。いいじゃん、このまま寝ちゃおうよ」
やめれ。離せ。
私は布団で伸び伸び眠りたいのですー!(Not 惚気!)




