11.なんなんですか、高橋さん
「なるほど、そういう事情だったんだ。タイヘンだったねー」
我ながらまあまあヒトゴト感ただよう棒読みだったと思う。
高橋は一瞬真顔になり、それから、ぷはっ、と笑った。私の反応の薄さに拍子抜けしたらしい。
「まあね、あんまり気の毒がられるのも違う気もするし、ゆるめに受け止めてくれてるみたいで、ありがたいよ」
そりゃな。もとから会社の同僚って程度のつきあいだし。深刻さも薄いわな。
彼は、盛大にぶっちゃけて気が済んだのか、何やら晴れ晴れとした風情で笑った。
「聞いてもらって少しスッキリしたよ。気が楽になった。誰にもわかってもらえないかと思ってたから」
んー……。いや、そりゃ、ねえ。
あれだけ「母が」って連発してマザコン偽装してんだから、わかるわけがなかろうよ。エスパーじゃないんだし。
と、口には出さなかったんだけど、ニュアンスは伝わっちゃったらしい。
「ごめん。そもそもキャラ偽ってんだから、わかってもらえるはずないよな」
申し訳なさそうに苦笑する。
「でも、あい子さんなら、わかってくれるんじゃないかな、って思ったんだ。
あい子さんは、俺を見た目で判断しなかったろ。普通に接してくれた。マザコンてバカにしたりもしなかった
新鮮だったんだ。女の人はみんな俺の顔ばっかりもてはやすから」
「それに俺、あい子さんのこと、勝手に弁当仲間だと思っててさ。
普段から料理してる人って、料理することに過剰な思い入れがないだろ? 毎日ちゃんとゴハンつくってる人なら、話通じるかな、ってさ」
…………ええっと。うん? あー、まあ。
……そうですか。としか言いようがないが、それもなんだかな。
なんだろ。なんかひっかかった。なんか違う。なんか。なんかね。
などと、意味なく“なんか”を脳内連呼しつつ。
「あのさ。そろそろ失礼するよ。結構いい時間になっちゃったし」
辞去を告げてみた。別に、“なんか”の内実を深く掘り下げることもあるまいよ。何しろ私は強く圏外を自認しているのである。
「あ、そうだね。遅くまで引き留めて申し訳ない。車出すよ。家まで送る」
最寄り駅までで結構だ。と断ったけど、わりかし強めに主張する高橋の押しに負けて、送ってもらった。
疲れる一日であった。
その後。
高橋のキャラ偽装と高橋家の事情については、私にとっては、イッツ・オーヴァーなんだけど、彼は何かとプライベートな話題を携えてかまってくるようになった。
いわく、両親が緑豆餡の白玉を気に入ってた、だの、圭兄と修も、また遊びにおいで、って言ってたよ。などなど。
私に事情をうちあけたことにより、あからさまに距離が近しくなりましたのです。おいおい、どうしたことだ。
私が高橋家を訪れたことも含め、周囲に親しさを隠さない。それどころか、アピールしてんじゃないかと思われるほどオープンにかまってくる。
連日繰り広げられる、お誘いの数々。
「あい子さん、豆かん食いに行こうよ。いい赤豌豆使ってる店教えてもらったんだ」
「ターメイヤのおいしい店見つけたんだけど行かない? フムスもうまいらしいよ」
「本格的なダールカレーのレシピ見つけたんだよ。うち来て、つくってみない?」
「山形の秘伝豆いっぱいもらってさ。たまたま、信州の鞍掛豆もあったんで、どっちもひたし豆にしたんだ。食べ比べしながら飲もうよ」
高橋、貴様……(動揺)!
なんてツボをついてくるんだ!!
解説しよう。
赤豌豆は、みつ豆や豆大福なんかに使われる豆のこと。
ターメイヤは空豆を使ったコロッケ的なエジプト料理。
フムスはペースト状のガルバンゾー(ひよこ豆)に練りゴマ、レモン汁などを加えた中近東料理。
ダールカレーはムング豆などの豆カレー。
秘伝豆と鞍掛豆はいずれも青大豆の品種。
ひたし豆は、茹でた豆を醤油や酢で調味したダシに漬け込んだ料理。
なんだよそれ超食いたい……!
さらには、彼の態度の変化として、あれほど強調されていたお母上の話題がかなりめにトーンダウンしたのでござる。
マザコンキャラの脱却をはかっているのであろうか。
そんならそれで勝手にがんばっていただきたいが、同時に私に対してやけにニアリーなのはどうしたわけか。なんか関係あるみたいに思われるじゃないかね。
当然ながら、このような関係の変化を匂わす空気に、周囲の人々も間合いをはかりつつ生ぬるい視線をとばして来るじゃありませんか。
勘弁してくれよ、まったく。
これは早急に高橋の意図をはっきりさせねばならぬ。まあ予想はついてるけれど(げんなり)。
そして豆は食いたいので店の名前やレシピを白状させて、心おきなくかっ食らいたい。ひとりで。
というわけで、いつもの給湯室。
本日の弁当は、枝豆の混ぜごはんおにぎりと具だくさん豚汁です。高橋のほうは、海苔を敷いた飯に塩鮭、卵焼き、きんぴらごぼう、青菜のゴマ和えなどが調えられた正統派・海苔シャケ弁当。うむ、相変わらずお見事。
で。
「最近なんなんですか、高橋さん」
給湯器のお湯でほうじ茶を淹れる高橋に問うと、彼は「?」ときょとんフェイスで応じた。無邪気か。
問われている意味がわからない。と言いたげな様子に、ふーー、とため息を吐いて恨めしく睨んでやった。
それでも彼は相変わらず「?」なままだ。ホンキでわからんらしい。
私はもういっちょ深々とため息をつき、きょろきょろと人目をはばかってから、聞いた。
(1)先日来、何かとお誘いいただき、距離を縮めてこられているように認識している。
(2)お母上の話題が激減しているようだが、マザコン偽装の解除を目論んでおられるようにお見受けする。
(3)高橋氏が料理することもさりげにバラしてるっぽいようだ。
という現状認識を披瀝し、そこから予想される推論を問うてみましたよ。
「お母さんの代わりに、今度は私を女性よけに偽装しよう、と、そういう作戦なんですか?」
あい子さん直球過ぎ(自画自賛)。
高橋は急須からほうじ茶をだばだばこぼし、呆然と固まってしまいましたことよ。




