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星を追う者たち  作者: 矢口
第七章 愛に生まれ、殺戮に育つのは『世界』
92/222

91:禁断の作戦

 気球を使った攻撃で一番問題になるのは風向きである。

 しかし其の点についてはシナンガル側、と言うよりシェオジェは全く問題にしてはいなかった。


 地球人ならば()うに気付いている人間が居てもおかしくはなかったが、カグラの自転方向が地球と同じである以上、シナンガル側からセントレアに向けては年間を通して常に吹き続ける“強い風”が存在しているのは当然なのだ。


『ジェット気流』


 高度八千メートルから一万三千メートルを吹く偏西風の一種である。

 惑星カグラが地球と同じように北極から見て反時計回り、つまり西から東に廻るならば、赤道を挟んで南北三十度、或いは四十度の大気は()れに沿()う形で西から東へと蛇行する様に其の風は流れる。

 これが、ジェット気流であり、その速度は毎秒三十メートル、春秋の最速期ならば毎秒百メートルにも達する。

 因みに重力の弱いカグラならば僅かではあるが、地球に比べてその速度は速まると考えても良いだろう。


挿絵(By みてみん)


 

                【図はwikipediaより抜粋】


 地球では一九二〇年に巧の国の気象学者である大石博士が世界に先駆けてこの気流の存在を確認したものの、人種差別の激しい当時は黄色人種の発見を認める白人など存在せず、世界から完全に無視される事となる。


 つまり先の大戦中にジェット気流の正確なデータは巧の国にしかなかったのである。

 結局、忘れ去られたデータに目が向けられたのは戦争が激しくなるにつれてから、という皮肉な結果になった。

 ()の風に目を付けたのは旧陸軍であり、そうして出来上がったのが暗号名『ふ号』、即ち風船爆弾である。

(当時の軍人は一般には気球爆弾と呼んでいた)

 

 巧がこの兵器に『F』と名付けた意味が分かってもらえると思う。


 この爆弾は、気流に乗って太平洋を越えアメリカ本土に達した。

 二十五キロ相当の爆弾を積むことが出来た兵器が九千発は使われたのである。


 アメリカ合衆国で発見されたのは三六一発であり、実際の被害者は僅か数名であるが、そのうちひとつにでも細菌兵器が使われていたならどうなっていたであろう?


 (もっと)も敵が使用した場合の対抗措置としての兵器の研究こそあったものの、細菌兵器の使用など『ハーグ陸戦条約』を(かたく)なに守っていた巧の国においては考えの内にもなかった。

 これは当時の記録からも明確である。


 しかしながら『核』のみならず焼夷弾をも使って住宅地域を意図的に狙った空襲を行い、僅か三時間で十万人以上の民間人を焼き殺す事を気にもしなかったアメリカにとっては事情が違った。


『自分たちが民間人を狙う様に相手の国も同じ事をするのではないのか?』

 と米国が恐れたのは、文化人類学者ヘレン・ミアーズ女史による米国批判の厳しい言葉。

『鏡に映った自分の姿に怯えていた』

 にこそ、真実があったのであろう。


 そして実際アメリカ軍はこの爆弾に恐慌を(きた)し、相当数の迎撃機を差し向けているのも事実だ。

 撃墜された物を入れるなら米国本土到達総数は一千を越えると推定される。

 また、墜落した不発弾の調査には防毒マスクで完全装備した部隊が向けられるなど、精神的消耗に於いてかなりの効果があった事を二〇〇四年公開のアメリカ公文書は語る。


『しかし、結局は失敗兵器だったではないか』

 と言われてしまえば其れまでの兵器だが、先の大戦と違って今回の気球は海を渡る訳ではない。

 国境さえ越えてしまえば、フェリシアの何処に落ちても良いのだ。


 何より先の大戦で風船爆弾が飛んだ距離は七千キロ以上であるが、 今回は敵国首都セントレアまで射程に入れてもその半分の三千五百キロ程度も飛べば充分である。


 因みに、巧達が手に入れた気球の部品は『アネロイド気圧計』と呼ばれ、円盤内を真空化する事で外気圧に反応して機械を動かし、気球の高度を調節する機械である。

 気圧差で蛇腹が伸び縮みすることによって動く単純な仕掛けだ。 

 だが、単純だからこそ壊れにくい。

 そして其処に『魔法』という未知の技術が合わさった時、何が起きるのだろうか?


 想像するだに恐ろしい事ではないのか?

 巧の話に山崎、岡崎の顔色が変わったのも当然で有る。


挿絵(By みてみん)


                 【アネロイド気圧計】

        ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 風船爆弾は航空兵力を西側に釘付けにすることが狙いであろう。

 更に予備兵力は首都セントレアやポルカ、プライカなどの人口十万前後の街。

 即ち、この世界における『大都市』を守る事になる。

 最早、フェリシア防衛は一杯いっぱいの状態である。

 一時的に使うなら兎も角、他の地域に常駐できる兵など一兵も存在し得無い。


 となれば敵はどこから来るか、これは(おの)ずと判断が付く。

 南の海岸線はあり得ない。

 先にも述べた通りフェリシア海軍の南部防衛線は鉄壁である。

 また、その方面ならば南部戦線の航空部隊も参戦が容易(たやす)い。

 

 いや、それ以前に通商の妨害になると称してラキオシアが参戦しかねない。


 そう、残るは『北』しかない。



 過去、この世界に於いて北からフェリシアを攻めようと考える国が存在しなかったのには二つの理由があると推測される。

 ひとつは地図の読み違いである。


 この世界に、地図は『メルカトル図法』的な平面地図しか存在しなかった。


 百二十年前にワン家の別宅の地下で発見された『不思議な地図』

 おそらくアクスから電力を供給されて、現時点での魔獣の出没情報が示されていたのであろう地図も、地球で言う処のメルカトル図法であった。

 その為、北部に行けば行くほどに面積は拡大し距離は不正確となる。


 そのような地図では『登頂不可能山脈』の向こう側の海を進むにせよ、山脈を越えた地点に船舶の補給や、荒天時の避難場所を見つけることは不可能であることを経験から誰もが知っていたのである。


 もうひとつは、シナンガルの北側は殆どが極北からの風をまともに受けるツンドラ気候であることだ。

 しかも、カグラは太陽に対する公転傾斜角が二十二,一度。

 つまり地球の二十三,四度よりも一,三度も地軸が垂直に立っていることになる。

 これは夏に於いて極が太陽から其れだけ離れることを示す訳であり、当然ながら低緯度は北極、南極の氷点下季候の影響を地球以上に大きく受ける事になるのだ。



 その二つの要因を合わせて考えてみる。


 まず距離を『メルカトル図』で計った場合、赤道と同じ距離と考えてしまうため、シーオムの西に安全な港を設置して出航してもアトシラシカ山脈北部までの距離を一万一千㎞と『誤認』していた事になる。

 そしてその距離の極北において悪天候時に避難港を探す危険性は太平洋を渡るどころの比ではない。

 これらの要因によって沿岸航海の技術しか持たない国は北回り海路の開発が全く出来なかった。



 処が、『ランベルト正積方位図法』を見れば分かるが、極北から見れば到達不能山脈の最西部からアトシラシカ山脈まではメルカトルに比べ六千キロ以上距離が縮まる。 

 当然、此方(こちら)の方が正しい距離である。

 その到達不能山脈もアトシラシカ山脈に近い側では、標高が四千メートルを切る稜線もいくらかは存在する。

 つまり、その辺りでは山肌は幾分か緩やかになり、安全な入り江が存在する事を示している。


挿絵(By みてみん)


 何より竜の出現が『到達不能山脈の意味』を全て変えてしまった。

 ランベルト方式的な測量に彼らが気付いたのもその為であろう。

(実際は『軍師』による情報だが、フェリシア側としてはその事実を知らない)


 スゥエンの北西、山脈の西端から飛び立てば、アトシラシカの北までの距離は僅か四千キロ以下となった。

 夏場を選んで山脈の北側中腹にキャンプ地を作り出せば、数万人の兵を送り込むことが出来ることは間違い無い。

 いや、山脈の向こうは調査が進んでいないだけであって、無数の『島』がある可能性は高い。


 そのような島が見つかれば、当然そこを拠点にすることも可能である。

 そうなれば、『夏場ならば』と云う条件が付くが船舶(せんぱく)を使って十万を超える大軍の輸送も可能だ。


『夏場の季候が安定した時期に北部山脈の北側海岸に補給中継地を作る』

 これがシナンガルによるフェリシア侵攻作戦の第一段階だと見るべきであろう。


 南部戦線における竜との交戦記録では最も高度を取った竜でも3000メートルを越えたことはないという。

 しかし、残り一千メートル程度の高度を歩かれたならどうするのだ。

 低い側面部は常緑樹の森林地帯だ。決して不可能な話では無い。


 そして、北部山脈からフェリシアに抜けることが可能であろう稜線部が調査済みの五百キロの範囲だけでも七十数カ所見つかっている。

 すべてを二十四時間見張り続けるのは不可能である


 北部山岳地帯の測量が殆どなされていないことが現在大きく響いていた。


 皮肉なことに、フェリシア側にはラインを越えたシナンガル側北部山脈の地図は大陸側から北を見てという条件付きで、僅かだが明確な物がある。

 これは、先に『山岳民救出策戦』時に三十式のコンピュータが覚え込んだデータが役に立った。


 そして今現在も、陸では三十式、三十九式。空からはC-2W、F-3D、JTPSレーダー搭載のUH52観測通信ヘリなど様々な電子装備がカグラの測量を行い、特にフェリシア国内には急ピッチで通信網を作り上げている。


 但し、問題は電力だ。

 電力さえあれば人口僅か二百八十万人、九十万世帯、残りの公共及び民間企業施設全てに通信網を引き、何処にシナンガル軍が入り込もうが国防軍かフェリシア軍が急行できる体勢作りは可能である。


 しかし、そのようなエネルギーは何処にも存在しない。


 重要拠点としての数十カ所の村や町程度になら兎も角として、全てをカバーできる通信網を造り上げることなど、どれだけ時間を掛けても不可能だ。


 その結果として何処か一ヶ所の村を占領され『人質』が取られた場合どうなるか。

 考えるだけで恐ろしい。


 だが下瀬は其れを逆手に取ろうとした。

 勿論、充分に大軍を引きつけた後に人質を救出することも方法を含めて見込んではいるが、半分以上は諦めている。


 女王に“死者が出ない可能性が高い”と言ったのは、

『シナンガルが村を侵攻した時点において』の話であって、実際あちらが何らかの要求をして来るなりシナンガルが其の場から軍を動かすなりすれば、一気に戦闘に突入することになる。


 そうなれば数百人単位程度の村なら、彼は人質全員が死亡することになったとしても、それを『見捨てる』ことを決意していた。

 更に言うなら下瀬は女王が誤解する様な話し方をした、と言って良い。

 フェリシア人を餌にシナンガル軍を釣り上げるつもりであったのだから当然だ。

 

 彼が其処(そこ)まで考えたのは何故か。


 理由は幾つかある。

 ひとつは、過去の『武装難民事件』おいてその責任を「上の岸田」と「下の柊」に押しつけたという負い目だ。

 だが、()れは些細なことだ。重要な点は別の問題である。



 それは、この独立混成旅団が何の為に存在しているか、という問題に繋がる事柄でもあった。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 では、巧の方は北部からのシナンガル軍の侵攻に対して住民の疎開をどう考えているか?

 これは女王と同じ考えである。

 

 まず、敵の上陸を認めてはならない。

 そしてなにより、『軍は民間人の唯一人をも盾にしてはいけない』

 これは当然のことである。

 この点、彼に迷いはないが確実な防衛案がある訳でもないのが苦しい。


 しかし、巧のこだわりは現実の戦場がどうである。とか、人質の救出が現実に可能か、などは問題にしていない。

 

 建前としての『其れ』を捨てた時、軍は単なる無法者の集団に成り下がってしまうからである。


 実際の処、巧の罪とは“マリアンの死”ではない。 

『本質は民間人の死者を認めた事にある』 

 マリアンの殺害事件以降、彼は常にそう考え続けていた。

 


 だが、現状は『其の建前』を許さぬほどに深刻である。


 北部山脈の中央から東側へと次第に低くなる尾根の何処を越えるのか全く予想が付かない。

 北部を航行できるフェリシア海軍の船舶は存在するかも知れないが、海流の問題から難破の可能性が高い。


 何より、シナンガル軍の最終的な補給手段はおそらくは大型化した『竜』そのものであろう。

 オスプレイの小型版が六百機以上存在する、と考えれたならば、どれだけ恐ろしい事か分かるだろう。

 多分シナンガルは気付いたのだ。

 竜は『戦闘能力』が恐ろしいのではない。


 その『輸送力』においてこそ恐るべき存在なのだ、と。



 最終輸送手段が『空』ならば、難破の危険性が無くともフェリシア海軍に北の海を遊弋(ゆうよく)させる事にはなんら意味がない。

(遊弋=パトロール)


 また地球軍が二十四時間交代で警戒ヘリを飛ばし続けるにしても、カバーできる範囲には限界があるのだ。

 揃えられるとして二十四時間連続飛行が可能なAWACSならば二機あれば、アトシラシカ北部の全てをカバーできる。

 不可能を承知で言えば、交代を含めて最低六機と言う事になろうか。

 だが、仮にそれが可能としても相手は『生き物』なのだ。

繰り返しになるが、発見された直後にでも山中を歩かれたならば打つ手など無い。


 オベルンから引き渡される『それ』が手に入ったとしても、巧としては女王の言う通り、十万人の山岳線及び山村からの後退、疎開は実施して貰いたい。


 但し、巧は下瀬の考えを聞いていた訳でもないが、老将と同じく疎開が行われた場合は一度の攻撃で撃退できるとも考えて貰いたくはない、とも思っている。

 甘い考えで防衛は出来ない

 アトシラシカ山岳地帯はシエネと違い、全く防衛網が整備されていない土地なのである。


 仮にシナンガル軍が一旦は引き上げたとしよう。

 安心して人々が普通の生活に戻り軍が警戒を解除した瞬間、ほんの一頭の竜と三十人の兵が現れたならば百人程度の村の制圧など一時間程度で完了してしまう。

 そして更にもう一頭の竜が居れば、それは山道を歩き山頂から少し飛ぶだけで山脈の北側に潜むシナンガル本軍を呼び寄せてしまう。

 人質を取られたフェリシア側は彼らの合流を阻止できない。


 女王やヴェレーネは下瀬の説明で理屈では理解した気になっているが、歩兵と云う存在は目的が明確ならば何日でも、いや何年でも山中に潜むことを苦にしない、という現実を受け止め切れていない。


 戦後十年以上ジャングルに潜んだのは別段、先に語られた小野田少尉の一人だけではない。

 公式に知られている人物だけでも十数名を数える。

 人知れず亡くなった人々を含めるならばその数は一千を下るまい。


 そのような歩兵の恐ろしさを歩兵部隊以外の兵は誰も知らないのかも知れない。



 下瀬は歩兵科のトップである。

 しかも士官学校出ではない一兵卒からの叩き上げであり、だからこそ目的を持って山中に潜む歩兵の恐ろしさをこの戦場にいる誰よりも知っていた。

 それこそが、彼に一つの村を犠牲にする可能性が高くとも一撃で敵を叩くという過激な考えに走らせた理由のひとつであったのだ。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 船上で巧は、下瀬と女王の思考の中間点でうろうろとしていた。


 オベルンから知らされた話程度の『物』が手に入ったからと言って『決定打』には欠ける。

 と、なると普通に考えた場合、彼らの侵攻ルートに気付いていない振りをするために、住民を犠牲にする作戦を下瀬が選ばないとも限らない。


 過去の大戦でイギリスはドイツの暗号を解読していたが、それが露見するのを恐れコベントリーという街が爆撃されることを知っていて知らぬ振りをしたと言われる。

 当然、避難警告さえ受けなかったコベントリーは灰燼に帰し、大くの人命が失われたが英国首相チャーチルはこれを持って「作戦成功」と言ったとも伝えられている。


『武装難民事件』で感覚が麻痺している場合、下瀬がそのように作戦を遂行する可能性は高い。 

 そして、純軍事学的に下瀬は間違っては居ない。


「どうする?」


 情報が不足した中で巧が幾ら考えても結論は出まい。


 そして彼の心配通り下瀬はその方向で作戦を進めようとしていた。

 結果としては女王に『まった』を掛けられた状態だが、決定打に欠けた場合いつ其の案を再び実行に移さないとも限らない。


 実行の方法は簡単である。 

『脅威は去った』と住民に通告すればよい。 

 唯、其れだけだ。


 そして王宮にもヴェレーネにも後からは、

「あの時は、本当にそう思っていたのだ」と言い切ればよい。


 現在、巧に対してヴェレーネから報告があったのは、オベルンから受け渡される『それ』についてのみ、であったことが問題をややこしくしている。

 ヴェレーネはもう少し会談について巧に報告をしておくべきであったが、下瀬がその案を諦めてくれたものだと思い込んでしまった事から、現在は侵攻ルート捜索の指揮に追われてしまっていた。


 また巧としては、その階級的立場から自然と「上官からの報告を待つ」という受け身の姿勢になっていた。

 いずれにせよ、このままでは国民を守るはずの軍が国民を犠牲にした上での作戦を遂行しかねない。

 

 あの惨劇がもう一度起きる可能性はあるのだろうか?

 巧が悩む中、中央司令部においても、その問題について火花を散らす二人が居た。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 池間が切れたのは下瀬からの報告を受けた直後であった。

 殴りかからんばかりの勢いで、詰め寄る。


「あなたは何を考えているんだ! 同じ過ちを犯すつもりなのか!」


 下瀬はすぐさまに反論はしなかった。


 池間の言葉は本来ならば、上官侮辱にも当たる程の怒号である。

 下瀬は自分という人間の小ささをこの数ヶ月で嫌と言う程に知り尽くした。

 だからこそ彼は池間の怒りを受け止めるだけの力を身に付けており、その口調には結果を受け止める覚悟が表れていた。


「間違っている。それは分かる」

「では何故!」


 下瀬は質問に答える形で池間に問うた。

「君は、あの作戦は失敗だったと思っているかね?」


 あの作戦、即ち、『市庁舎急襲(きゅうしゅう)及び周辺封鎖・武装難民殲滅(せんめつ)作戦』である。

 発案者・第三十連隊所属、柊巧伍長

 起草(きそう)者・歩兵第十三連隊、第一大隊長(起草=書類の作成)

 承認者・参謀本部 参謀長及び参謀副官


 状況開始後から制圧完了までの所要時間、二時間四十五分。

 死傷者、軍人・軍属共に無し。 民間人、死亡十五名、重軽傷百二十一名。


 それが、巧の発案したASによる強襲制圧作戦の結果であった。

 民間人の重軽傷者は現在では殆どが社会復帰を果たしている。


 池間としては、あの作戦を何度シミュレートしても、あれ以上の案を出すことは出来なかった。

 いや、池間だけではない。

 国防軍参謀本部に於いての再検証においても、あの作戦以上に成果を出せた案など存在しなかったのだ。


 だが、()れは違う、と池間は思う。

 あの時、状況は既に始まってしまっていた。

 今回はまだ間に合うのだ。


 池間としては其処(そこ)()どころとして下瀬に詰め寄るほか無かった。

 が、下瀬も老いたりとは云え軍人である。


「『この世界』における国防とは、軍人だけで行える行為ではない!」

 本質を突いた言葉で、池間の『綺麗事(きれいごと)』をはじき飛ばしに掛かったのだ。


 その通りだ。 

 いざ最後の時となれば地球ですら「徴用」や「臨時徴集」により、現地の人間が軍属に転換させられることなど当然に起こりうる事態である。

 サイパンで、樺太で、占守(しむしゅ)島以南の北方列島で、そして沖縄で、どれだけの民間人が砲弾を運び、医療を受け持ち、最後まで軍と行動を共にしたか。


『国民国家』とはそのようなものだ。

 確かに、戦争は『軍人』のものである。

 だが、敵兵が領土に上陸してきた場合の祖国防衛戦だけは違う。

 どの様な形であれ国民が一丸となって闘わなくてはならない。 

 そうしてこそ国民国家を名乗れるのだ。


 古代ギリシャのポリスの頃から、参政権とは『兵役』とセットの物であった。


 ローマ帝国でも二十五年もの兵役を終えて新領土(属州)に編入された人間はようやくローマ市民を名乗れたのである。

(ギリシャもローマも常に軍に所属していた訳ではなく、必要に応じて招集された)

 また、総力戦の時代が来たことにより工場で働く女性も『参戦』した、と見なされて選挙権が与えられた。


 巧の国で女性参政権が認められたのは一九四五年だが、フランスも同じ年である。

 ドイツ、オランダ、イギリス、アメリカなどは第一次世界大戦に於いて女性の工場に於ける兵器生産の功績が認められた後に参政権が得られた。


 スイスなど一九九四年に“ようやく”であり、州によっては二〇〇一年である。


 下瀬は、

「この世界は未だ、第一次世界大戦前、いやナポレオン戦争以前の世界である。

 ならば、国民が戦争に参加する義務は我々の世界以上に大きい」

 と、更に此の世界の深い本質を突く。


 地球ならば戦闘行為には『陸戦条約』が存在し、民間人が直接戦争に参加する事は出来ない。

 もし民間人が軍の許可を受けずに愛国心からでも軍事行動を行えば、

 それは『便衣兵(べんいへい)』即ち、『スパイ』である。

 捕虜になる権利すら認められない上に、人道上はともかく法的には拷問すら問題とされないのだ。


『陸戦条約』には、制服の着用から標章の掲示、武器の携帯方法に至るまで軍事に関わる事柄の全てが事細(ことこま)かに決められている。

 民間人への攻撃が許されない『建前』もそこから来て居る。


 しかし、この世界にそのような『条約』など存在しない。

 敵兵による民間人の虐殺はあって当たり前だと考えなくてはならないのだ。

 老将は単に過去の自分からの逃避(とうひ)によって自棄(やけ)になった訳ではなかった。


「この国の国民が自国を守る為に命をかけて、何かおかしなことがあるのかね!

 武器も持たさずに丸腰で放り出すと云っている訳ではないぞ!」

 下瀬の止めの一言が池間の声帯の運動を鈍らせる。


 黙り込む番が回ってきたのは池間の方であるが、やっとの事で声を絞り出すことに成功した。


「女王が其れを認めるとお思いですか?」


「敵兵がインタカレニア地峡に迫ってからなら、女王は地峡の村で同じ決定をすることになるだけだ。 

 いや、そうでなくては困るのだよ!」



 下瀬を決断させた最後の理由、それはこの『独立混成旅団』が組織された地球側の理由である。


『食糧ルートを守る』

『これこそ』彼がフェリシア国民を『囮』にしたという汚名を被ってでも、一撃での防衛を完成させるという覚悟に至った最終的な理由であった。


 この国が滅びたならば、地球の母国でもほぼ同じ数の人間が死ぬのだ。

 最後に『この地は本土防衛の最終決戦地なのだよ』と静かに池間に再度言い渡すに止め、退室を促す。

 下瀬も彼なりに、命がけであったのだ。


 敵を完全に上陸させて叩く。或いは上陸する時を狙って叩けるなら其れに越したことはない。

 首都まで進軍させてインタカレニア地峡で敵を分断し、伸びきった補給線を叩きつぶしても良い。

 それが出来るならば何の問題もない。

 だが、西の敵をどうする? 南の魔獣をどうする?


 軍の兵力が圧倒的に違いすぎるのだ。 

 敵の補給ラインは一本ではないだろう。

 十本や二十本でも収まらない。 


 一つ潰している間にもう二つ完成させられる。

 時間を掛ければ掛けるほど敵は強くなっていくのだ。



 この国と下瀬達の母国とは『運命共同体』である。ならば、我々兵士も命を張る。 

 しかし、チップはフェリシアにも出して貰わなくてはならない。

 それが下瀬の出した結論であった。


「この作戦が終了した場合、事の成否に関わらず私はこの地位を去らなくてはならない。

 後を頼むぞ」


 池間が退出際に聴いた下瀬の言葉には既に一欠片(ひとかけら)の感情も残っていなかった。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



 通路に立ちすくんだ池間は、総司令室を退出する前に下瀬に尋ねようとして遂に為しえなかった事に思いを()せ、思い切り壁を殴る。


 壁が砕けると同時に彼の拳も(やぶ)け血が飛び散った。

 一,五六倍の筋力が出せると言う事は反動も大きい。

 流れ出た血はすぐに床に血溜まりを作ったが、それでも彼は其の場を動くことができなかった。


 作戦が成功したとしよう。

 その作戦の主導は決してフェリシア軍、ましてやフェリシア女王であってはならない。

 あくまで地球軍の独断で行った事でなくてはフェリシア国民と王宮の紐帯(ちゅうたい)は途切れる。

(紐帯=心の結びつき)


 それはこの国の国家体制の根幹に関わる事だ。

 

 しかしまた、王宮が作戦に無関係であるという工作が上手くいったならば、今度は地球軍がフェリシア国民からの信頼を大きく損なう事態に陥る事は火を見るより明らかである。

 

「それを回避する方法はあるのか?」


 池間は、そう尋ねようとして結局、声にならなかった。


 下瀬は既に答えを出していたのだ。

 あの目を見れば分かる。

 あの老人は、作戦の成否を見届けた後……。







 自決する。






サブタイトル元ネタはアメリカのTVドラマ「禁断の惑星」からですね。

この場合作者は、脚本のシリル・ヒュームで良いのかな?

また禁断の惑星と言えば、やっぱりロボットの”ロビー”が有名でしょうか?

次回以降、それに引っかけた表現が出来たら面白いな、等と思っています。

上手くいくかどうかは、大いに心配ですが・・・・・・


あっ、宣伝です。

短編を書いています。

「日本ふかし話 弐」って奴ですね。 パロディなど色々詰め込んでます。

宜しければ読んでやって下さいな。


最後に、アネロイド気圧計の図ですが恥ずかしながら出所不明です。

著作権の関係から情報を求めています。

ご存じの方がいましたら、ご一報下さい。


11/7

少し直しを入れましたが、いつもの如く誤字や接続詞の範囲です。

後は「事件以降」→「マリアンの殺害事件以降」ですね。

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