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星を追う者たち  作者: 矢口
第五章 地球の風、カグラの嵐
47/222

46:自分になることを

杏さんが、やっと帰ってきます。

 マリアンは巧から施設内の個人住宅(フラット)に一時避難する様に言われた時、慌てていた為に気がつかなかったのだが、桜田に言われて気がついた。

 此処(ここ)が新しい『我が家』だとするならば、中には『杏ちゃん』が居るのだと。

 巧も相当に慌てていたに違いない。

 そのことについての注意は全く無かった。


 マーシアに“絶対に表に出て来るなよ”と釘を刺される。


 巧に秘密を打ち明けて以来、マリアンとマーシアの自分としての境目は更に曖昧になってしまった。

 この数時間で、どちらかが圧倒的な優先権や主導権を握ることは難しくなくなってしまった事に互いが気付いている。

 無理に優劣を付けるとするならば、やや、マーシアが優勢と言った程度であろうか。



 一戸建ての住宅は、施設内に点在する他の家屋と同じ無機質な大量生産品ではあったが、『点在』と言った通り、隣家との距離は大きく離れており、庭が大きく取られて居る。


 誰が飾り付けたのであろうか。

 出窓に花がちらほらと飾られており、垣根を形取った腰程までの低い樹木は梅雨時の雨を助けに、ここぞとばかりに枝葉を伸ばしている。

 その庭の一角に紫陽花(あじさい)が咲き誇っているのが見えた。 


 杏の好きな花だ、とマリアンは思い出し、この中に姉が、杏が居るのだと思うと既に泣き始めていた。


“マリアン、勘弁してくれ! 同調が強いのだ。私まで泣きそうになる”

 そう言われて、はっとする。

 ようやく泣き止むことに成功すると、その後はぐっとこらえた。



 桜田が先に柊家を訪れ、巧からのメモを見せながら、暫く彼らをかくまって欲しい旨を告げると、市ノ瀬は最初困った顔をしたものの、ヴェレーネの許可を受けている事を話した時点で何とか了承してもらえた。


 彼女はトラブルが杏の身辺を騒がすことを嫌ったのだが、基地の最高責任者が許可を出したのならば問題は無いと、一応に全員を招き入れる。


 その市ノ瀬も最初にマーシアを見た時、桜田の様に腰を抜かすことさえなかったものの、思わず声を上げようとして自らの口を押さえた。


「こちらの桜田さんから、お聞きしては居ましたが、まさか此処まで似ているとは……」

 後は言葉が続かない。


「お客様?」

 そう言って、杏が現れた時、思わずマーシアいや、マリアンは俯いた。

 今どの様な顔をして杏を見ればよいのか、分からなかったのだ。


 桜田と市ノ瀬は心臓が止まるほどに驚く。

 

 市ノ瀬の話では『杏は客の前には市ノ瀬が呼ばない限りは姿を見せない』と言われ、桜田は安心しきって居た処である。

 また市ノ瀬とて、このような事は初めての事で有り、決して嘘を吐いた訳ではなかったので、やはり同じだ。


 だが、二人の動揺に反して杏は全員の顔を一通り見渡し、ごゆっくり、とだけ会釈を送ると、そのまま部屋へ引き上げた。


 ほっと息を吐く二人と同じく安堵したマリアンであったが、気付いてもらえなかったことが悲しくもあり、遂には涙を流す。

 全員の後ろに立っており、背も一際低いマーシアが一粒だけの(しずく)で頬をぬらしたことを知るものは居なかった。


 その日の夜、”ロークの手術が成功した”との連絡が入り、一同は胸をなで下ろす。

 その後はエルフ陣が桜田や市ノ瀬からこの世界のことや巧の話を聞くことになった。

 雨が降りしきる中、家屋の外には虫の声すら無く、皆、一息を付く。


 桜田は閉門前に、明日にまた出直すと言って研究所敷地を出た。

 その後、市ノ瀬はエルフ達の翻訳機を使って話をする様になったがマーシアを避ける。


 その様子にマーシアは、珍しく不安定な気分になった。

“彼女は私が嫌いなのかな?”

(僕を思い出すんだと思うよ。だから、話しかけたくても話しかけられないんだと思う。

 ほら、(たま)にこっちを見るでしょ?)

“なるほど、どうすればいいのかな?”


(マーシア、変わったね?)

“変わった?”

(うん。優しくなった。 

 前は僕だけに優しかったけど、今はみんなに優しくしたがってる)

“……”


 黙り込んでしまったマーシアに、怒ったのかと尋ねると、

“いや、その感情がお前から貰ったものなのか、私が思いだしたものなのか分からなくなったんだ”

(もともと、持ってたんだよ。いろいろあって『忘れてた』だけじゃないかな?)

“だと、良いんだがな……”


 そのまま二人は、何かを考えるかの様に互いの意識の接続を切った。

 端から見る者には、マーシアは籐椅子に腰掛け居間の半戸から雨に()れそぼつ紫陽花が庭に埋め込まれた照明にライトアップされる(さま)に見とれている様に見えたであろう。


 同じ頃、二つ隣のデスクライトのみが淡く灯る室内には、杏が同じように椅子に身を預け紫陽花を見ていた。



 一週間近く降り続いた雨が止んだある日。

 カレルとマイヤはこの世界で仕入れた医療器具をコンテナに詰め込んで、魔導研究所(フェリシア)に戻ることになった。

 魔獣対策である。

 また、リンジーもヴェレーネの要請でハインミュラーへの届け物を運ぶことになり、柊邸には緊急時の連絡用にマーシアだけが残された。


 その日、マーシアはいつもの様に朝食前に剣を振り、シャワーで汗を流すと市ノ瀬の用意した朝食を取った。

 そうしている内に市ノ瀬に来客がある。 

 出版社の人間であり、メールで事を済ませる市ノ瀬にしては珍しく自宅で打ち合わせをする。


 マーシアはその時、マリアンに主導権を譲り渡してダイニングで本を読んでいた。

 量子力学の本を市ノ瀬に頼んであったのだ。


『こちらの文字が読めますか?』と(いぶか)しんだ市ノ瀬ではあったが、巧に習ったと伝えると、二日もすると一通りの本を用意してくれた。

 金を払おうとしたのだが『金貨』しか持ち合わせがない。

 マーシアが、これで良いかと尋ねると? 

 市ノ瀬は驚いて、それはいくら何でも多分頂き過ぎになるので『全員の食費も一緒に』と言うことなら、という条件で受け取って貰った。


“面白いのか?”

(う~~ん。 面白いと言えば面白いんだけど、これ僕が今まで勉強してきた範囲を飛び越えちゃってる)

“だから? 私など、数字を見てもさっぱり分からん”

(分からなくて良いんだよ。 

 これ、普通の数学とは一寸(ちょっと)違う世界として考えないといけないようなんだ)

“一体何の勉強だ?”

(魔法だよ)

“魔法に算数が必要なのか? それは面白い!”

 マーシアは大笑いしていたが、次のマリアンの一言で笑いが止まった。


(僕が理解したことが正しいとすれば、マーシアはコペルさんより強くなれるよ)

“!! ……冗談を言うな! あれは、モノが違う! 

 大体、あんな化け物になど、なりたくもない!!”


(うん、そうだね。なんだか僕の方が、マーシアの古い記憶に捕らわれてシナンガルにどうやって打撃を与えられるか、って方向に考えが傾いてたね)


“その本は危険なモノの様だ。もう、読むな!”

 マリアンはマーシアの意見に従って本を閉じた。


 マーシアが最も恐れていたことが、起きようとしているのかも知れない。

 自分がそうであった様に、弱い者が力を持った時の残虐性がマリアンの中に目覚めたまま、意識が統一されたなら……。

 その上に『コペル以上の力』など、考えるだに恐ろしかった。


 マリアンもマーシアのその感情を敏感に感じ取った様だ。

(自分のモノでもない力に自分を重ねちゃあいけないよね)


“そうだ! 私が最初に倒したハティウルフも強かった。 

 奴は自分の力に酔っていなかった。だから強かったのだ。

 私が勝てたのは、養父(とう)さんのお陰だ。自分の力で勝った訳ではない“


(わかった)


 マリアンの言葉にマーシアは僅かながらだが安堵を覚えた。


 マリアンが「ふっ」、と息を抜いた時、廊下に誰かが立っている。


 杏である。 


 この一週間において彼女は手洗い、入浴以外は部屋から出ることがなかった。

 多分、誰も居ないものと思って出てきて鉢合わせたのだろうか。


 思わず声が出る『杏ちゃん!』と、

 しかし、翻訳機は受信だけにしておいたことと、体がマーシアのものであり、この国の言葉など発音したことなど無い為、その言葉は、

「アージション!」と聴こえた。


“馬鹿! いきなり何してる。彼女を脅かせる気か!?”

 マーシアに怒鳴られて、マリアンは慌てて人格を彼女に譲った。


 マーシアは立ち上がり軽く一礼をすると、翻訳機のスイッチを入れる。

「お世話になっています。出来るだけ早く引き払う様にしますが、今暫くはご厄介になります」


 杏は、不思議そうな顔をして近付いてきて意外なことを言う。

「この家は嫌い?」

「いえ、そんな事はありません。 

 庭もすばらしいと思いますし、特に紫陽花が見事で……」


 マーシアとて王宮勤めである。

 その気になれば、賛辞を含んだ丁寧な言葉はいくらでも使える。

 この旅では特に今まで必要としなかっただけなのだ。


 杏はマーシアのその言葉に微笑むと、向かいに座っても良いかと尋ねた。

 マーシアは“勿論”と答える。



「この季節になると、雨の中でも傘を差して弟と一緒に紫陽花を見たわ……」

 黙り込む、マーシアに

「ああ、あの(バカ)の事じゃないわよ」

 そういって笑った。


 思わず、マーシアも笑う。

「身内の方に言うのも何ですが、あれは確かに『馬鹿』です」


 二人で笑う。

 一頻(ひとしき)り笑うと、杏は何とも形容し(がた)い寂しげな表情を浮かべた。

「もう一人の弟はマリアンと言ったわ」

 過去形で話すと言うことは、彼の『死を受け入れている』、のだとマーシアは少しだが安心する。


 杏の独白は続く、

「自分でも駄目だと思ってるんだけど、難しいわね。 

 次々に死んでいくものだから、次は『あいつ』じゃないか、と思うと怖くなるの」


 杏が指す『あいつ』とは巧のことに他ならない。


衣乃そのさんから聞いたんだけど、この世界の人じゃないってホント?」

「はい」

「あいつ、どうして『そんな、せか』、あっ失礼。 

 そちらの世界に行くことになっちゃったのかしら?」


 杏の疑問はもっともである。

 マーシアは、巧がヴェレーネと取引をしたことを全て話す。

 当然のことながら多少危険性を薄めることは忘れなかった。

 彼女が単にマリアンを思ってのみ精神の失調を起こしている訳では無く、唯一人残った弟の心配をしていることが分かったからだ。

 

 杏は溜息を吐くと、疲れた様に話し始めた。

「まったく、姉弟(きょうだい)よねぇ。 

 姉と弟では『おかしくなり方』が違うってだけ……」


 彼女の言葉に何も返すことが出来ず、思わず(うつむ)いてしまうマーシアであったが、杏が急に彼女に訊いてきた。

「ねぇ、前髪、伸びすぎてない?」


 そう言われると、一昨日あたりから少々鬱陶しく感じてきた処だ。

 頷くと、

「切らせてもらえないかしら、前髪、揃えるだけだから。あたし、慣れてるのよ」

 そう言って微笑む。


「お願いします」

 その言葉は無理なく自然と口に出来た。



     ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


「良くこうやって、弟、さっき話したマリアンのことだけどね。

 その子の前髪を、こうして切ってたの」


 庭の木陰に椅子を出し、首にカットケープを掛けて前髪を揃えて貰う。

 櫛使いは優しく、軽やかな鋏の音はマリアンには聞き慣れたものであった。


 梅雨の合間とも思えぬ初夏の風が頬をなでる。気持ちが落ち着く。


「前髪だけですか?」

 マーシアの言葉に杏は溜息を吐く。

「ええ、前髪と耳に少し掛かる所だけよ。後は(さわ)れなかったわ」

「何故ですか?」

「多分、今の私と同じね。もう少し、時間が必要だったのよ」

「時間?」

「彼も両親を亡くしているわ。つまり私たちの両親ね。 

 髪は、いつも母さんが整えていたの。最後の思い出って処かな」


 それから杏は、少し間を置いて鋏を止めると、思い切った様に口を開く。

「人はね、二度死ぬの」


「二度、……ですか?」

「うん。一回目は『肉体の死』ね。 

 それでも覚えている人がいる限りはその人は生きているわ。 

 でも、思い出が薄れるごとにその人は二度目の死に近付くの。

 忘れ去られたり、覚える人が消えた時、その人は完全に死んでしまう。

 彼が髪を切らなかったのもそれを無意識にだけど知っていたのかもね。


 私も同じ。


 あの子を殺すのが怖くて、少しぐらい狂ってでも覚えていようとしていたのかも知れない。

 何故かしらね? 初めて話すのに、あなたには自然に話せてしまうわ。

 それに、さっき『あの子』に名前を呼ばれた様な気がしたの。 不思議……」


 鋏は再び軽やかに音を立て始めた。




「はい、出来たわ」


 杏はそう言ってマーシアに鏡を渡す。

 丁寧に整えられており、マーシアの美しさを際立たせるかの様だ。


 何故だか、マーシアの目から自然と涙がこぼれ落ちる。


「ごめん。気に入らなかった?!」

 杏が慌てた。


 マーシアは慌てて首を横に振る。

「すいません。違います。とても上手に仕上げて貰って嬉しいです」

「そう。吃驚したわ。でも、気を遣わなくても良いのよ。

 不満があるならちゃんと言わなくっちゃ。 

 あの子も其れが言えないもんだから、あたしも良い気になって玩具にしてたのよねぇ」


 マリアンが中であきれ果てる。

 自分を玩具にしている自覚はあったのかと……。


 マーシアは涙が乾かぬ顔で笑い出した。

「酷いお姉さんですねぇ」

「そうよ。悪い姉よ……、

 だからって神様もあの子を取り上げなくても良いじゃない……」

 そう言うとマーシアの頭を胸に抱きしめる。

「御免ね。 少し、こうさせてね。あなた、弟に似てるの」

「あなたも母に似ている気がします」

 ラリサではない。名前も忘れてしまった母。

 その母に髪を整えて貰った気がしたのだ。

 少しばかりこぼれた涙は、自分の為のなのか、母の為なのか分からない。


 しかし、人はこうして『自分』を形作っていくのであろう。


 マーシアを抱きしめながら、杏は急に思い出した事を尋ねた。

「そう言えば、あなたの名前、未だ訊いてなかったわね。 

 私は『杏』よ。あなたは?」

「……マーシア」

「!」


 吃驚(びっくり)した様に急に杏の体がマーシアから離れた。

 座ったままのマーシアが杏を見上げると、本当に驚いた顔をしている。


「どうしたんですか?」

「いえ、あのね。 あなたの名前と弟の名前が……」

「?」

 杏は説明を始めたが、

「つまり―――――で―――――なの!」

 それを聞いた、二人の反応は

「えっ(ええ~~!!)!!」

 であった。


「それ、巧さんは知ってるんですか?」

 マーシアの質問は、マリアンに急かされたものであったが、マーシア自身も興味はあった。


「あいつが知らない訳無いわ。こう云う無駄な知識だけは、無駄に持ってるんだから。

 確かあたしもあいつから聞いたのよ。 

 あれ、でも無駄じゃなくなったわね……」

 そう言って困った顔をした。


 泣くと笑う、とを繰り返す忙しい二人であったが、最後はふたりして妙に納得した表情で苦笑して収めた。


    ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 七月六日。


 五十嵐(はじめ)は、研究主任室においてアメリカ南北戦争の可能性と、それに伴う食糧危機についての一通りの話を聞くと、ヴェレーネに質問を返す。


「簡単には信じられない話ですな。 

 失礼ながら、何か証明できる事実が私には必要ですが。可能ですか」


「今すぐは無理ですわね。只の可能性って話ですから。 

 でも、始まってからでは遅くってよ。 

 それに、政府はその方針で動いていますわ」


「それで、私にその話をした理由は?」


「食糧の確保ルートがありますが、脅威に晒されています。 

 一応に希望者を募って防衛に当たることが認められました」


「つまり、護衛の制空戦闘機が必要という訳ですな。 

 我々にどちらかの部隊への転属命令が出たと言うことですか?」

 五十嵐は当然のことながら嬉しそうである。


 だが、ヴェレーネは首を横に振った。

 当然だが、五十嵐は不可思議の感情を表にする。

「どういう事ですか? 

 私たちに転属の命令が出ないなら、何故わざわざ、こんな話を?」


「部隊復帰や転属ではないの。部隊創設の話をしているのよ」

「創設? ああ、希望者を募るとの事でしたからね」

 しかし、やはり五十嵐には合点がいかない。

 このような話は少なくとも中佐以上の佐官に話すことである。


 と、此処まで考えて彼はふと思い当たる。

 ヴェレーネは予備役大佐であり、現役復帰すれば中佐である。


「大佐殿、もしや、」

 五十嵐は、この研究所に来て始めてヴェレーネを階級で呼んだ。


 ヴェレーネは頷く。

「その通りよ。私に対する許可が下りました。

 独立混成団を創設します。規模は未確定。 

 最大なら現役時にも私の階級を固定して、旅団クラスの五千人ね。

 ……でも、」

 ヴェレーネは『命令』とは言わず『許可』と言ったことに五十嵐は違和感を覚えたが、話の流れから今はそれは後回しである。

 別の質問をする。


「でも?」

 五十嵐は規模の拡大があり得るのかと考える。

 シーレーンが分散していることを考えたのだ。

 しかし、ヴェレーネの答えは全くの反対であった。


「はっきり言って、其処までになる前に何としてでも少数で片を付けたいの」

「それに越したことはありませんが」

「で、混成中隊規模までで収めたいのですよ」

「いくら何でも兵が不足です。二百五十人で何が出来ます?」

「二百五十人? 取り敢えずは六十人ですよ」

「二個小隊でシーレーンを守る? 机上演習の話ですか?」

 これだから名目だけの階級保持者は困る、と云う表情が露骨に現れた。


 その顔を見てヴェレーネはクスリと笑う。

 五十嵐は馬鹿にされた気がしたが、佐官に無礼な口を利く訳にも行かない。

 柊でもあるまいに、と思う。

 巧を馬鹿にしている訳ではない。 

 五十嵐にとって彼は様々な意味で特殊であり、枠に嵌めて考えられないのだ。


 そんな五十嵐の考えを知ってか知らずか、ヴェレーネは言葉を続ける。

「あなた、多分二つばかり勘違いしていますわね」


「勘違い?」


「ええ。まず兵員は揃っていますわ。但し、この国の国防軍には所属していませんの」

「外国の軍と連合を組むと言うことですか?」

「ええ。そうなりますわね」

「規模は?」

「最大三十万人」

「一国の総軍ですな。旅団どころか、十個軍団ではないですか。 

 その、海軍なりの指揮下に入れと?」


 五十嵐の言葉にヴェレーネは複雑な顔をする。


「どうなさいました?」


「う~~ん。何と言えば良いんですかしら。 

 下手をすると、あなた方が主導になりますわ」

「は?」

「それと、最初に戦って貰う相手は人間ではないんですの。獣よ」

「海賊の様なものでしょうか?」

「比喩じゃありません。本物の害獣ですよ」


 五十嵐はこめかみを押さえる。

猟友会(ハンティング・クラブ)にでも頼んで下さい。戦闘機なり攻撃機なりの出番はありません」

「体長三十メートルを越える獣を猟友会に相手させますの?」

「?、……何を仰っているのか、小官には理解しかねます?」

 最早、五十嵐は首をかしげすぎて千切れそうである。

 

「ですわよねぇ……」


 そこで、ヴェレーネは唐突に話を切り替える。

「ところで今、飛行時間は?」


 パイロットは、技能維持の為に年間飛行時間の規定がある。

 現在においては、規定として年間最低八十時間飛ぶことが義務づけられており、この研究所に配属されたパイロット達はASの稼働時間を持ってそれに代用させられている。


「今、ですか? 確か四十時間ほどだったと思いますが?」

 ドライバ-として戦闘機に搭乗していた時代は年間三百時間を飛んでいた五十嵐としては情けない限りである。

 だが何故、そのようなことを訊くのだろうかと彼は不思議に思う。


 ヴェレーネは頷くと、思いがけないことを言った。

「十六時間ほど隼で飛びましたでしょ? あれ、飛行記録に加算してありますわよ。 

 但し、連続飛行距離や対Gの問題、模擬戦闘の関係で少し縮めて計算せざるを得なかったのは、お詫びします」

 

 五十嵐は驚く。 

 この女性、只のお飾りで階級を持っている訳では無い。

 各員のフライトレコードまで管理しようとは、と舌を巻く。

 一瞬でも『魔女』を疑った自分の認識の不明を羞じる。

 しかし、それほど『考える』人物が何故、あのような不可解な事を、と余計に違和感は大きくなった。


「あの機体で飛んでみてどう思いました?」

 不意にヴェレーネに問いかけられた五十嵐だが、やはり空の事ともなると言葉も素直になる。

「すばらしいですね。思った以上でした。速度は関係ありません。

 いえ、逆に『速さ』を感じられる程でありました」


「なら、やっぱり体験するのが一番ですわね。 

 騙されたと思って、一度だけ害獣駆除の実戦に参加して頂けませんか。 

 対空攻撃も貧弱な相手に対する歩兵への地上援護ですので、危険は少ないでしょうから」


「獣が対空攻撃!?」

「はい、その対抗の為の機体も既に用意してあります。 

 隼はその機の速度と運動性に慣れて貰う為に用意したのです。 

 参加しないと言う様でしたら、隼での飛行もこれで終了と言うことになりますね」

 ヴェレーネの言葉はあっさりとしたものである。

 せっかく手に入れた翼をもぎ取られてなるものかと、五十嵐は慌てた。

「状況を教えて頂けますか」


 ヴェレーネがニヤリと笑った。




サブタイトルは、グレッグ・イーガンの短編「僕になることを」を使わせて貰いました。

実は、この短編はあまりにも救いが無い話で好きではないのですが、それならばこそ「救い」のタイトルに使わせて貰おうと思いました。


大変申し訳ありません。

一月程前と同じように、一週間程は投稿ペースが落ちそうです。

少々、体に問題が出ました。

できるだけ早めに元に戻せるようにしたいです。

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