219:獣王の誕生(Dパート)
二度の転移によって巧の位置を掴んだヴェレーネだが、まず最初に「何やら様子がおかしい」と感じ、次いではハルプロム東方上空で得た不安の一部が正しかった事を再確認した。
“巧に向けた攻撃”というマーシアの行動の意味を理解するのに暫し時間を要したが、クリールの探査による状況認識報告を受けることで事態の経緯が分かってしまえば、どうという事は無い。
遂に彼女を消す日が来た。唯、それだけの事であった。
「まったく、最後まで手間を掛ける女だわ。
死ぬなら、きっちり死んでりゃ良いものを!
下手に身体が生きてるもんだから、わたしが尻ぬぐいをする羽目になる……」
溜息混じりに何処にもある筈のない無い気持ちを引きずり出しては、わざわざ言葉にするヴェレーネ。
これから巧に心底恨まれる行為に出ようと云うのだ。
自分を誤魔化す事ぐらいは許してもらっても良いでは無いか。
誰に許しを請うべきなのか知らないのだが、今はそれにすら気付かぬ彼女である。
マーシアの火炎弾射程から僅かに外れた空域を選んで跳躍して行く。
出現時の予想相対距離は約二キロ。
安全であろうとは思うが、念には念を入れて複数の実体化ポイントを決める。
未来位置を予測され、実体化に際して攻撃を喰らっては堪らない。
数カ所同時に自分自身をそこに『在る』状態と、そこに『無い』状態で顕現化させる。
つまり、実体位置が確定するまでは、全ての実体化ポイントにおいて『存在する』と同時に『存在しない』状態を維持しているのが『現状の彼女』である。
謂うならば『シュレディンガーの猫』ならぬ『シュレディンガーのヴェレーネ』とでも言うべきだろうか?
戦闘時に跳躍を使う場合、マーシアにせよヴェレーネせよ、高位の魔術師はこれぐらいの警戒は当然に行う。
安全を確信した処でようやく彼女は自分自身がその場に『存在する』事を決めた。
幾つかの薄い影の一つが『自分』であること決定し、一瞬にして明確な実体存在へと変わる。
この間、1/1000ミリ秒を超えないのだが、それでも充分に慎重な跳躍転移だ。
さて、実体化した以上、この距離でも精神波は充分に飛ぶ。
つまり同レベルの力を持つ“奴”にならば、曖昧な感情的意識ではなく、具体化された『言語認識』として届くだろう。
まずは話しかける事にした。
因みに、この対話の“対象”を指して、心の中でも『奴』と言ったのは、スーラの身体から離れた以上、『軍師』の名を持つ者は既に此の世に存在しないからだ。
おそらくは『この名前』が最も相応しいであろうと考え呼び掛ける事にする。
「確か、『ティアマト』とか言ったかしら?
人の身体に入り込むなんて、まったく妙な芸を持ってるのね。
ま、その“芸”はさておいて。あなた、本来の自分の身体は何処に?」
二キロ以上の距離があるが、まるで正面に向かい合うかの様に感じられる。
勿論、相手も“そう”であろう事は疑うべくも無い。
『あら、本体についてはアンタも人のこと言えないでしょうに』
そう言って笑うティアマト。
その言葉が意味する事実に気付いて、ヴェレーネはゾッとする。
記憶の一部がこじ開けられ、彼女の中に警戒のシグナルが響く。
『この言葉について考えてはいけない』 と……
軽口から相手を牽制して戦闘に突入するつもりであったのが、とんだ藪蛇だ。
正体は分からぬものの精神に酷いダメージを負ったのは自分であり、見事なカウンターを喰らってしまった様な気がするのだ。
ヴェレーネの動揺に気付いて居ないのか、ティアマトの言葉は流れるように続く。
『同じ係員でも、あのエミリアと違って“本式の単騎戦闘型”は扱いが難しいのよねぇ
完全に潰しちゃうと戦闘データやオペレーションシステムまで破棄されちゃうから、一応は生かしとかないといけないし、ねぇ……』
「生きてる?」
『そうよ? それがどうしたの?』
「……何でも無いわ。どうせ、復帰は無理なんでしょ? なら死んでるのも同じだわ」
『流石ね。“早急な損切りは戦闘時のセオリー” 無駄に可能性にこだわって傷口を広げた場合、確実な敗北に繋がる』
「戦闘レクチャーは結構よ。それより質問に答える気はないの?」
『ああ、あたしの“本体”ね。
……多分、今も“L5”にあるのは間違い無いでしょ。動かせる筈ないんだから、でも何故か、私は“私に”繋がらないの。
“あの事故”以来、回路が修復されていない、とも思えないから『セム』が緊急停止から復帰できない様に細工しちゃったんでしょうね』
“L5か……、随分と懐かしい言葉が出てきたわね”
などと思いながら、ひとまず、その感情を無視してヴェレーネは質問を重ねる。
「あなた、今まで、どうやって存在していたの?」
『次元断層から復帰する時ね。偶然でしょうけど出現点に係員クラスの能力者がいたのよ』
「確か? スーラって言ったわね。あの娘のこと?」
『そう、あの子よ! まったく驚いたわ!
まさか、カスタマーの子孫にあれだけの力を持つ存在がいたなんて!
本社の初期設定から現地時間で五百年を過ぎると、こんな事もおきるのね!』
「あなたが跳び込む際に一つでも間違いがあれば、あの子は廃人だったわ」
『まあ、そう硬いこと言わないでよ。
あの時点での話だけど、量子的な場から通常空間に戻ったばかりで、あたしの存在は実に不安定だったの。
帰還時にアクスのブースト機構が自動稼働しなけりゃ、この場に戻る処か自分を保持することすら難しかったのよ。
あの空間から跳びだした私が消え去るまで、どう考えても十時間も猶予は無かったわ』
「アクスを説得して“L5”への転送を受けるには充分な時間でしょ?」
「充分!? 何が充分よ! あの阿呆は完全に狂ってたわ!
あたしの存在を定義できずに、終いにはアクセスまで切る始末よ!
身近な存在で間に合わせたのはあくまで『緊急避難』よ。
決して本社規定には触れてはいない! 大体、“アコンパニメント”は本来、原種維持の為だけの存在だわ。
本社とカスタマーとの間の『遊戯契約』は第一世代のみに結ばれていた。
予定通りに事が進んで事業が第二世代に引き継がれていた、と云うなら人間同士で互いに争う様な社会なんて生まれなかった筈なのに、何故こんな文明が生まれてるの?』
「契約は……、不測の事故が発生したため今は不履行状態なの」
『ちょっと、それ、どういう事?! あれ、そのことで何かあったような?
やだ、何これ! ブロックされてる?!』
とりとめのないフェアリーⅡの声は実際の声では無いにも関わらず、いやに甲高く感じる。
その為、ヴェレーネは脳内が酷くかき乱された気がして、思わずしかめっ面になってしまう。
「ちょっと、そう興奮しないで頂戴な……」
呆れた様に言って、ふと彼女は我に返る。
今、自分は何を話していた?!
『L5』という意味不明の言葉を聞いて、何故「懐かしい」などと思ったのだ?
いや、ごく普通に意味を理解したかのように、その言葉を自らも使った。
また、『本社』とは何だ?
この世界の何を知って居た?
次第に過去を思い出していく自分を恐れ、慌てて記憶に蓋をする。
【データバンクからのリロード停止!】
自分自身を【フェアリーⅠ】から『ヴェレーネ・アルメット』に還さなくてならない。
現固体への復帰を最優先させる。
無防備になるが、やむを得ない。
今、攻撃されたなら……。
だが、不安に反してフェアリーⅡからの攻撃は無い。
しきりに、アクセスを求めるだけだ。
余裕を持って復帰は完了した。
『ちょっと、無視しないでよ! まさかアンタまでアクスと同じになったんじゃないでしょうね!』
「ごめんなさい……。今、その事について話す訳にはいかなくなったわ」
『どういう事よ?』
「情報はいずれ与えるわ。でも、私にも暫く時間が必要なのよ」
『まったく、何考えてんだか……?
アクスの阿呆と“同じ”とまでは言わないけど、アンタもセムもやっぱりどっかおかしいわ!』
「そうね。そう言われても仕方無いわ…… でも、今のままで“古い指令”を、そのまま進める訳にはいかないの。
時間を、頂戴……」
『あたしが知らない指令をアンタが持ってるって言うなら、アンタに従っても良いのよ。
本来、あんたにはそれが許されている。何故、あたしに指示を出さないの?』
「コードが、無いの……」
『また?! なんでアンタまでセムと同じ事を! なんて馬鹿馬鹿しい!
コード無しでの新規指令は“指令”じゃないわ。そう云うのは“反逆”って言うのよ!』
怒鳴るマーシアの周囲の大気が、彼女の興奮に合わせるかの様に次第に赤色化していく。
体内にある魔導回路が大幅に作り替えられつつあるのだ。
「やめて、今のあなたじゃ私には勝てない。幾らマーシアを作り替えてもオリジナルの能力を無視した力の発露じゃ、半分のパワーも出ないわ!」
今、ヴェレーネに攻撃の意志は無い。
ここでマーシアを消し去ることが本当に正しいのか、まるで分からなくなってしまったのだ。
そして危うくも、そのヴェレーネの心情を読みとったフェアリーⅠは笑う。
『それは……、違うわね。まさか、こうなるとは思わなかったわ。
さっきまでなら確かに勝てないのは私の方だった。だから今回のアンタとの遭遇戦はあくまで様子見のつもりだったの。
ええ、そうよ。最後には、とっとと逃げるつもりだったのは確かね。
でも、今は違う!
アンタ、基調回路がループに入り込んで動けないんでしょ!
それどころか、下手すりゃ理論回路がフリーズ直前なんじゃないの?!』
ティアマトの言葉は決して形通りの“問い掛け”ではない。
確信を持った断言であり、同時にヴェレーネへと突きつけた『殲滅宣言』でもあった。
片やヴェレーネと言えば、このままの戦闘続行が正しいのか、すら決めきれない。
先程までの覚悟が嘘のように意識が不安定になっている。
ティアマトの言葉は正鵠を射抜いていたのだ。
どうする?
ここは一旦、引いて……。
だが、ヴェレーネに悩む時間は与えられなかった。
『逃がさない……』
ティアマトの声に合わせて、マーシアの美しい指先は真っ直ぐにヴェレーネへと向けられ……、
いや、違う。
その細い指先はいきなり真下へと向きを変える。
『まずは“こう”よ!』
突如、指先に集まった大気は激しく渦を巻く。
水蒸気を通り越し、二十五メートルプールの一杯分を超える巨大な水の塊が突如として空中に現れた。
『あの地球人で試させてもらうわ』
冷たい言葉に反して、マーシアの指先に特段の変化は見られない。
だが、それは人間の目にそう写るだけなのだ。
パーン。
何かが空気の壁を突き破った様な、大気を振るわせる凄まじい破裂音が平野に響きわたる。
直後、オーファンの潜む巨岩上方、三分の一ほどが斜めに切断された。
二十メートル以上の高さから斜めに滑り落ちた巨岩の一部は、轟音と共に砕け散る。
ヴェレーネの視界には、あまりの質量差に手も足も出ず、飛び散る破片を盾で防ぎながらメインカメラを上方に向けることしか出来ない巨人の姿が映った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ウォーターカッターだと! 馬鹿な! いくらマーシアの高度が下がったとは云っても、まだ六百メートルは離れてるんだぞ……」
回避行動から膝を折り、警戒態勢を保ったオーファン内部で巧は信じられないモノを見た衝撃に開いた口が塞がらない。
そう、今の攻撃は間違い無く『ウォーターカッター』であろう。
それが証拠に、滑り落ちてきた巨石の破片には焦げ跡ひとつ無く、それどころか切り口は鏡の如き滑らかさ、である。
ティアマトは自身の周囲の気圧を下げることで大気中の水蒸気を集め、宙空に巨大な貯水槽を創り上げた。
それから凝固させた水を数ミクロンの幅までに圧縮した挙げ句、それを到達点に於いてすら音速の二八倍に達する速度で打ち出したのである。
地球の金属加工工場で使われるウォーターカッターですら、マッハ二程度の速度であっても厚さ五センチ、幅一メートルの超硬質ハイパーセラミックを数十秒で両断する。
尤も工場ではウォータージェット噴出口から加工対象まで、一~二センチ程度の距離しか無い。
それ以上離れた場合、水の刃が拡散してしまうからだ。
だが、今の攻撃は違う。
距離六百メートルを“もの”ともせず、その数千倍の威力を発揮して見せたのだ。
「糞ったれめがっ! あんなもの喰らったら、この盾だって二秒と持たん……
いや、そんな事より、……マーシアが乗っ取られたってのが事実ならヴェレーネが今の攻撃をほっとく筈は無い。
クリールは、あいつがすぐ近くまで来ていると言っていた。
なら……」
先に自分が導き出し、最も恐れた結論を今は声にできない。
やはり、ふたりは……、戦う?
「馬鹿な!」
あってはならない事態に焦る巧だが、今は空を睨んで歯噛みするしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『どういう事?』
声にも顔にも表さないものの、ティアマトは少しばかり焦っている。
今、大気を操作して発した超々音速の極細放水は、あの様に“擦る”程度に狙いを定めたものでは無い。
確実に、そう、その影に隠れる地球人の『アーマードスーツ』ごと巨岩を叩き切るつもりで発した一撃であった。
また、それは可能であった筈だ。
だが、外した……
係員の身体を扱うと云う事は、これ程に難しい事なのか?
いや、それは有り得無い。
確かに中枢神経の把握は、まだまだ万全とは言えない。
とは云え、この程度の大気圧操作に難があるという程でも無い筈だ。
しかし、それならば今の誤射は何だというのだ?
急ぎ自身をスキャンしていく。表層的には特段の異常反応は見られない。
どうやら、もう少しばかり深く潜る必要が在る。ならば時間が必要だ。
と、その時、彼女の中でアラートが鳴り響いた。
「巧に手を出すのは許さない!」
いきなりの声を響かせたのは、彼女から数メートルの位置に現れたフェアリーⅠ。
警戒を怠ってはいなかった筈だが、流石は上位フェアリーである。
刹那の瞬間に二キロの距離を詰められてしまった。
まさか、あの地球人を狙う選択が彼女の基調回路の硬直を解いてしまうとは!
予想外の照準の狂いも含めて、この選択は何事かの失敗であったらしい。
所謂、『悪手』という奴であるが、何故“地球人”を殺す事が悪手になったのかは理解不能である。
だが、分かっている事もある。
今、自分の位置取りが実に拙い事だ!
このままではⅠに密着されて、直接に身体を押さえられてしまう。
魔法補助を加えた筋力の底上げが出来るかどうか怪しい状態での接近戦は不利だ。
逃げるなら上か、下か?
ティアマトは瞬時に判断すると下降の為の転移を選ぶ。
『あの地球人、どうやらフェアリーⅠの意識を左右する程の存在らしいわ。
ならこの際、盾にするのが正解よね!』
次の瞬間フェアリーⅡの仮想存在は数カ所に出現点を生み出す。
フェアリーⅠであるヴェレーネの如く、転移先で姿を実体化させた瞬間の迎撃を見越した見事な自己存在の分岐である。
戦闘機の如く、ティアマトの背中を取って後を追うヴェレーネだが、ある事実に気付いては思わず息を呑む。
確かに複数カ所に顕現可能性が在るとは云え、ティアマトの転移反応を捕らえる事は難しくはない。
だが、その予想出現ポイントの全てが、巧の操るオーファンを魔弾の照準に収める事が可能な位置だったのである。




