215:虚空の死線
「護衛機を呼び戻せ! 魔法攻撃の威力次第ではASM(空対空ミサイル)が必要になる!
後方パルスカノンは防衛体制に入れ! 異常があり次第、射手判断での発砲を許可する!」
五十嵐の指揮に応えて副長席に跳び戻った新村は、すぐさま横田、岩国コンビを呼び出す。
着弾誘導任務を終えてB―2Bに近付きつつあった彼らの合流は早く、分を待たずして機体の前後に付くと警戒体勢に入った。
「作戦空域を離脱します!」
叫ぶ、機長の石渡。
その判断を『是』として五十嵐はすぐさま一時撤退を指示する。
爆撃隊はハルプロム上空から南方へ向けて速度を上げた。
F―3Dの先導に食いつくように危険予測空域から脱出を図るB-2B。
その内部では急激な加速によって座席側面から一瞬は転げ落ちそうになったものの、それを押して、ようやっと立ち上がるカレシュが居た。
確かめるべき事があるのだ、とばかりに、ふらつきながらも後方へ向かい側面窓へと顔を近づけ様とする。
だが、その望みは叶わない。
怒鳴り声と共に僚席のオペレータに背後から襟首を捕まれ、そのまま座席へと引き戻されたのだ。
「カレシュさん! 幾ら大型機だって言っても、今はどんな機動に入るか分からんのですよ!
無茶は止めて下さい!」
視線をパネルから離さぬ侭、器用にもカレシュの三点ハーネスを締め上げる伍長。
「ご免なさい。でも……」
「でも?」
自席に戻ってまでカレシュの襟首を捕まえたままの彼自身、レーダーレンジから目を離せずにいる為、当然だがカレシュの表情は読めていない。
が、続いてのカレシュの言葉は、確実に記憶に留める必要が在る、とも感じる。
「今の魔力反応。二つの魔法発動がほぼ同時に行われた様な、そんな気がするんです」
「俺にはその言葉の意味は良く分かりませんが、つまり我々地球人が思う以上にヤバイ事態になる可能性がある、って事で良いですかね?」
「確信は持てませんが……」
「いや、『勘』で充分ですよ。唯ね、なら尚更、今は逃げる時だと思いませんか?」
「……はい」
二人の会話が届いた訳でも無かろうが、カレシュの頷きと同時に戦場の空気を読んだ機長石渡の左腕はスロットルバーをもう一段階上げる。
直後、機体は再度の加速を見せた。
昨年二月末から三月上旬に掛けてのビストラント遭難の折、カレシュは数体の高位魔獣達と遭遇している。
だがしかし、その彼女とて、あの場で全てのマテリアル・ナンバーを目にしていた訳では無かった。
マーシアとエミリアを見つめる何者か。
それは彼女が嘗て目にした巨竜、人型、狼、いずれとも違う高位魔獣である。
実体を明確にしない存在。
通常は白い影の様な“人型”を取る事も多いが、其れはあくまで便宜的なものである。
必要に応じて自身を分子レベルにまで分解し、環境に最も適した擬態を創り上げつつ、敵と判断した存在に対して監視、攪乱を行う事が主目的だ。
また、指令を受けて他のマテリアルの援護、或いは戦闘指導をも行う。
早い話が、クリールのAWACS版とでも言えば良いだろうか?
当然だがクリールにも、多くの索敵システムは存在する。
また、直接の攻撃力ならばクリールとウム・ダブルチェでは勝負にならない。
クリールがウムを一方的に蹂躙するだけだ。
だが、隠密性と情報収集、処理、発信の能力に於いてならば、クリールを二歩も三歩引き離した存在。
それがマテリアル5こと、『ウム・ダブルチェ』であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マズイ! と感じ始めていた。
エミリアを相手取った戦闘が始まって既に三十数分を超える。
予定通り堤防は決壊した。
この戦場の決着は付いたのだ。
ならば、兄が自分の助太刀に来るのも時間の問題だ。
だが、それこそが拙い。
既に此処は人の領域では無くなってしまった。
跳び込んできた兄は自分を守ろうとするだろう。
しかし、この戦闘域に入り込んだASではエミリアには決して勝てない。
一瞬の対応すら不可能であり、唯、殲滅されるだけだ。
辛うじて良い条件があると言うなら、戦闘域が開始時点より北に五十キロ以上は流れたという事だが、もし自分が負けたなら、それとて僅かな時間稼ぎにしかならない。
焦りが顔に出てはいないかと不安になるマーシアの側面に、強烈な一撃が入る。
ハルベルトの柄を使って、その斬檄を上に弾き飛ばすが、それすらも重い!
とは云え、当然、唯では転ばぬマーシアである。
防御と同時に流れる動きで柄を回転させ石突きで相手を襲うが、既にその場にエミリアの姿は無い。
ならば! と、追うかのようにマーシアも消える。
同時にマーシアがいたはずの空間を火炎弾が突き抜けた。
転移に加えて攻撃魔法まで解禁してきたエミリアの速度は益々もって速い。
虚空を朱と蒼の光が交差する時間差はいよいよ短くなり、刹那の間に数回を数える攻防が繰り返されるふたりの闘いは、人の目が追える範囲を疾うに跳び越えていた。
単に手強いだけの相手となら、後二時間でも戦える。
だが、エミリアの力は手強いを超えて尋常ではない。
凌ぐにせよ、当たるにせよ、圧力が高過ぎて魔力の消耗が激しくなる。
『纏める量子』、即ち統一場理論の前段階に示される『弱い力』の粒子転換作用から発生する『重力場』を自在に使いこなすエミリアは、一級品の魔術師を超えて魔導師と呼べるレベルにある、と認めざるを得ない。
何より拙いのは、此方の魔力切れは明確に近付いて来たと云うのに、相手にはその気配が一向に感じられない事だ。
(馬鹿な……。ここまでの相手など、いる筈が無い。
ヴェレーネでもあるまいに……)
心の中で悪態を吐くマーシア。
その時、痺れを切らしたマリアンが思い切って彼女に呼びかける。
“ねぇ! ねえ、マーシア!”
(なんだ! 今、取り込み中だ!)
“粒子砲、一発撃って逃げちゃおうよ! 何だか分が悪くなってる!”
(引っ込んでろ! 大体、逃げてどうなる!
私が下手に背中を見せた結果、お兄ちゃんの方にでも廻られたら、それこそ目も当てられん!
それに南に意識を向けて見ろ!
どうやら、あの爆撃機まで、未だハルプロム上空を旋回中の様だ。
万一、あそこまでが此奴の射程域なら、あれまでもが一撃だぞ!)
“大丈夫だって! あんな距離、届く訳が無いよ!
それに作戦通りなら、もうすぐヴェレーネさんも来るんだよ!
そこから建て直せば、”
「黙れぇぇぇ!」
最後は声に出しての絶叫。即ち、断固たる拒絶!
瞬間、ふたりの同調は途切れ、主導権を持つマーシアの意識に弾き飛ばされたマリアンは自我を保てなくなる。
一瞬にして意識の奥に封じ込まれ凍結されてしまうと、マーシアの感情が落ち着くまで、その復帰は絶望的となった。
(済まん……、マリアン。だが、私は……、お兄ちゃんを、あの剣を……)
それ以上は言葉処か意識の上でも表現の術を持たないマーシア。
後は無言の侭に、力を振り絞っては高く高く昇り行く。
見える者が居たなら、天地を逆さにした流星の様にも思えたであろう。
『やっぱり、そう来たわね。
でも、そうでなくっちゃ、アルテルフを一基使い潰す甲斐がないってものだわ。
元から廃棄は予定通りだったとは云ってもねぇ』
マーシアの動きを見失いながらも、上空に昇った事だけは捕らえたエミリアが息を切らして呟く。
しかし、その口調は既に彼女自身のモノでは無い別の“何者か”へと変わっていた。
その侭、自身とマーシアの位置を追う存在に指令を送る。
「ウム・ダブルチェ! 敵の現在位置を送ってちょうだい。
アレの次の攻撃が勝負時よ。砲撃シークエンスは省略。すぐに実行して構わないわ。
ここまで来たなら、後は“一瞬”で決まるから……」
すぐさまマテリアル5からの受諾信号が返って来る。
それは極端に短かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ふたりの魔女の戦闘域から更に北方の小高い丘の頂。ひとつの影が立つ。
『まさか、こんな方法だった、とは……』
上空を見上げるコペルの瞳にはマーシアが明確に捕らえられている。
姿を隠したままのエミリアの位置も、当然に其の手の中だ。
その気になれば、ふたりの間に割り込んで一方を叩きつぶす処か、双方を抑え込んで捕縛する事すら彼にとっては容易い。
だが、今の彼は右の拳を胸元で堅めた侭に振るわせ、歯を食いしばって感情の発露を抑え込むばかりである。
『レジーナは……、生み出されなくてはならない。
そうでなければ、この世界を統治するバーナリオンの資質を問えない。
だが、これでは……。バーナリオンと言えども“残る”事が出来るものなのか?』
後は言を発することを止め、唯そっと目を閉じるだけのコペル。
それは、届かぬ神に祈りを捧げる敬虔な司祭の姿にも思える光景であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マリアンが頼みの綱としていたヴェレーネはリンジー以下、ひとりの少女を従え、ようやく跳躍を終えると、ハルプロムから東、百二十キロほどの上空に姿を現していた。
真下には魔獣の先頭集団が緩やかに西、即ちハルプロム方面を目指しているのが見える。
この集団の動きを確かめることが、最初の跳躍を短めに済ませた理由だ。
彼女の側に立つワン・スーラは地面の存在しない足下を見ずに済ませる様に、と硬く瞼を閉じてヴェレーネの左腕を両手でしっかりと抱き込んでいる。
以前からライン西域で発動していた無意識の跳躍制限を辛うじて解いたヴェレーネだが、それでも、更に跳躍活動が遅れた理由を上げるならば、今、傍らに立つワン・スーラの存在にあった。
救い出された際の彼女の消耗は思いの外に激しく、とてもでは無いが跳躍に耐えられる身体で無かったのだ。
いや、身体だけならばクリールが半融合している以上、問題は無い。
問題となったのは精神的な有り様だろう。
転移時には精神力の保持が重要である。
地球人達はヴェレーネの生み出す光の中で誰もが一瞬のうちに気楽に『時空転移』を成して居るかのように感じているが、カグラの人々はまるで違う。
彼らは跳躍時に大きく精神を消耗する。
魔術師同士の間ですら『跳躍』、或いは魔法陣を使った『転移』が特殊能力と呼ばれる所以である。
反面、他者の力を使って跳ばされる地球人は精神的な疲れを背負わない。
逆のように感じるが、これは違う。
何せ、彼らは元から“魔力”などと云う物を持たないが、カグラの人々は多かれ少なかれ魔力を持つ。
これが無意識下で跳躍時に魔力同調を引き起こし、それが感応精神力を削ってしまう。
感応精神力の摩耗は、そのまま生命力の摩耗にも繋がるのだ。
軍師はそれを無視して長距離の跳躍を繰り返し、スーラの命を削り取ったと言える。
今のスーラには決して同じ無理をさせる訳にはいかない。
ならばシルガラに残すべきか?
いや、そうも行くまい。
国防軍の残留部隊が在るとは云え、怯え切った幼い少女を残した侭に動き出す訳にもいかないのは感情の問題だ。
何より、今回のようなクリールの勝手な行動を許す要素は、今後は出来るだけ少なくしたい。
よってヴェレーネはスーラの体力と感応精神力の回復を待つしか無かったのである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宙空に現れた三人の中で最初に口を開いたのはリンジーである。
「城塞到着後、補給品を受け取る為の魔法陣の設置はどうなさいますか?」
ヴェレーネがハルプロムまで跳ぶ理由のひとつは、魔獣による被害を防ぐ他、現地の生活の安全を保障する事にある。
『軍師』に操られた魔獣が組織化された集団行動を引き起こせば、都市や集落を守る為に人々は、手を結ばざるを得ない。
いや、それだけならば良いが、単独での防衛を諦めた地方都市がスゥエンに所属する事を諦め、独立を撤回してシナンガルに帰順する事は大いに有り得る。
城塞司令官の首を手土産に、旧本国に駆け込む上層部の士官が現れたところで、誰が責められようか。
地方都市と周辺農村を守る為に有効な手段を講じ得なかった首都スゥエンこそ責められるべきなのだ。
よって、シナンガル軍を退けた後、今度は魔獣の撃退に全力を挙げる。
だが、それ以上に重要な事は、都市生活の保持を円滑に進めるため、物資の不足を起こしてはならない、と云う事である。
人々の生活を最低限度にでも保障してこその為政者であり、それを後回しにしての国家防衛では戦線は早々に瓦解してしまうだろう。
バルコヌス半島の蜂起も近い今、スゥエンに滅んでもらっては困る。
よって今回の援助物資輸送は、軍事行動の一環としても最優先課題のひとつなのだ。
「物資集積地は北西のハルプロム検問所に置きますわ。後は城市までの運搬を辻村隊に任せて当座を凌ぎます」
ヴェレーネの言葉にリンジーは首を傾げる。
「ハルプロム城市内に魔法陣を設置する敷地が無いとも思えませんが?」
その言葉にヴェレーネは困った顔を見せる。
やはりリンジーは未だ若く、総合職とは名ばかりの戦闘研究員に過ぎない。
政略や軍制については知らない事が多い、と分かる問い掛けである。
これは少しばかり丁寧に学ばせるしかあるまい。
良い機会だと思いつつ説明を始めた。
「あのですね、リンジー。確かに通常ならば城市内部に魔法陣を設置する事に特に問題はありません。
いえ、その方が効率が良いのは当然ですわ」
そこまで言って、確かめる様にリンジーに再度目を向け、説明を続ける。
「でも、今は拙いんですの。
生き残ったシナンガル将兵の中に優秀な魔術師がひとりでも居たなら、それを逆手に取られかねないんですのよ。
私だって、いつまでも見張りを続けるって訳にはいきませんからね」
一通りの説明を受けたものの、リンジーには最後の言葉の意味が理解できない。
「すいませんヴェレーネ様。どうも私は飲み込みが悪いようです。
もう少しの御言葉を頂けませんでしょうか?」
まあ、そう言うだろうとは思っていたのだが、これも段階だ。
彼女自身が、疑問点を問い掛ける事で自分に不足があることを自覚する事が大事なのだ、とヴェレーネは言葉を続ける。
「まあ慌てず、お聞きなさい。
まず一つは、戦闘が終わったばかりで城市内部も未だ混乱中だ、と言うことです」
「はい……?」
「城市内に今、国防軍兵士はどれ程居ると思いますか?」
「え~っと……、そうですね。
仮に居るとしても、巧さんと小西隊の皆さんくらいでしょうか?」
「そう、全部で十名は超えないでしょうね」
「あっ! なるほど、巧さん達だけで、転移してきた物資の配分作業を指揮するのは無理ですね」
「そうです。まずは分かって下さいましたね」
嬉しげに大きく頷くヴェレーネだが、それでもリンジーは自案に食い下がる。
「でも、ハルプロムの士官や行政官達もいますし、何より山頂の小隊が城市内に移動すれば?」
「敵兵を収容して混乱した中では焼け石に水です!
指揮系統が違う事も考えるなら、余計に混乱が増すばかりですわ!
大体、あの国の人間が、並んで物資を受け取る等と云う高度な事が出来ると思います?
集積所で暴動が起きるのがオチです。
ならば、国防軍の仕事は相手が管理可能な量の物資搬入までに留め、そこから先をハルプロム側に委任すべきなのです」
強めに“ぴしゃり!”と断言されて、遂には首を竦めてしまうリンジー。
その彼女に追い打ちを掛けるかのように、ヴェレーネは自分が持つ最大の懸念を告げた。
「さて、魔法陣を設置しない本来の理由に戻ります。
混乱の中で体力を回復した敵の魔術師が私の設置した魔法陣の解析に成功した場合、事は更に複雑になりかねません。これが最大の問題なんですの。
転移元の座標を読み取られた場合、敵側からシルガラへの長距離跳躍をも可能にしかねません。
ですから、巧達には余裕を持って全体を見渡してもらいます」
要は、万一の際の反撃防衛やスパイ摘発が可能なように、国防軍小隊にはフリーハンドを持ってもらおうと云う訳だ。
だが、リンジーには、その懸念すら信じられない。
思わず声が高まった。
「まさか! ヴェレーネ様の魔法陣を逆転使用する処か、解析だって可能な者など、この世界に居よう筈がありませんわ!」
心底から『あり得ない話だ』と首を横に振るリンジー。
だが、その言葉は静かに、そして強く否定された。
「何事にも絶対はありません。良いこと、闘いに於いては油断こそが最大の敵ですの。
覚えておきなさいな、リンジー」
言葉の裏に具体的な名前が在ることは伏せるヴェレーネだが、『ティアマト』と云う名に不吉さを感じずには居られず、必要以上に言葉がきつくなってしまった事を恥じていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
闘いに於いては油断こそが最大の敵。
ヴェレーネがそう告げたのと同じ時刻にマーシアもそれを噛み締めていた。
いや、油断は無かった筈だ。
唯、彼女は無理をし過ぎてしまったのだ。
無論、『それをこそ“油断”というのだ!』
と誰かに言われたなら、今の彼女には返す言葉も無かったであろうが……。
『無茶は良い。だが、無理は駄目だ』
F-3Dのコックピットで、横田が後席魔術師ロッソ・ファディンカに向けて呟いた一言。
それを彼女が聞いていたなら、この結末は無かったのだろうか。
高度二万メートルの空。
両腕を広げたまま逆さとなって磔にされたのも一瞬であり、その後は意識を刈り取られ地上へと墜ち行く、かつては戦魔王と恐れられた存在……。
彼女の落下予測地点に、白い人影が立つ。
今や、姿を隠す必要を無くした『ウム・ダブルチェ』であった。
サブタイトルは、ディックの「虚空の目」改編です。
今回も間が空きすぎた事をお詫びします。
唯、遅延進行ではありますが、マーシアの今後を考えるとしっかりと考えて書かざるを得ないシーンであった為、その点は容赦下さい。




