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星を追う者たち  作者: 矢口
第十章 神々と女王と
216/222

214:施設管理者

『現時点に於いて、三十六万の内の十四万は確実な死亡数として数量に加算し終えている。

 先の北部戦線を含めたならば“柊が”この世界で殺した数は、()うに二十万を超えた。

 また今後の撤退時に於いて、この戦場だけでも更に五~六万の損失が予想される。

 飢餓と同士討ち、それが主な原因となる事は間違いあるまい。

 だが、これも彼の責任に加えるべき、なのだろうか?』


 コペルとバード、両者の目を通して地上を見る『セム』が発する信号は、やけに微弱である。

 それを不快に感じつつも、〔ガーブ〕は補助機関としての仕事である計算結果を『セム』へ刻々と送り続ける。


 今ガーブは換わりつつ在る。


 自分の情報を受け取る『セム』の声を盗み聞いては、“不快感”と云う“有り得ざる感情”を、その中に育てて行く。

 しかしながら、報告は送らなくてはならない。


〔報告の第一は施設活用『個体』が生活地区で実行力を開放する場合について。

 『予測されたカスタマー被害数は約五十万』

 以上、変動はありません〕


〔第二は、現在の地球人達による“駆除”執行速度について。

 現状で『個体』活動時の計算を早々と超え、一〇八一時間以内に予測数値に到達可能。

 シーアン防衛時点で『セム』が判定した『今までの装備だけならばともかく』との言葉については、〔正しくその通りであった〕との結論を出さざるを得ません〕


『駆除、予測数値……。数値、か……』

 嫌な言葉だと感じて『セム』は一瞬だが基調回路に逃げ込む。

 自分の中に擬似的とは云え“その様な感情”が存在する事に、いつまで経っても慣れそうにない。


 確かに今回の地球人達の活動は東から迫る『固体』の群に()かされて行われた以上、間接的ながら『固体の活動に因る被害』と言えるのかも知れない。

 だが、本当にそうだろうか?


 ガーブの報告にある通り、事実は違う事をセムは知っている。

 しかし、理論の齟齬を生まないためには、その様に判定するしかない。

 人間のみで、あっさりと二十万の被害を出すなど、決して認めてはならないのだ。

 現在のカグラの文明である『クラス5』の有り様から言うならば、僅か数時間の戦闘如きで此の様な被害は決して出る筈もない。


 一方、地球人の文明クラスは『8』に迫る。

 北部戦線の一時間にも充たぬ戦闘で、彼らは既にその力の一部を開放して見せた。

 僅か二百五十名を持って、六万五千の敵兵の内、半数を超える四万を土に還したのである。

 しかも、事前戦闘や事後処理はともかく、包囲後の殲滅に掛かった時間は僅か三十数分だ。


『セム』に蓄えられた記録を振り返るなら、S-E文明最終期の戦争に於いては数分間で億単位の死者が出た闘いも決して珍しいものでは無い。

 だが、あの文明は既に過去のものであり、いずれ辿り着く終着点であるにしても未だ千年のスパンがある。

 それが一足飛びに近付こうとしているのだ。


『早すぎる……。

 いや、またもや間違えてしまう、と言うべきだろうか?』


 暫しの沈黙。


 悩み抜いて復帰した信号は、ようやっと結論に辿り着いた様だ。


『いけないね。“彼に、彼らに任せる”と決めたはずだ。

 この世界に『一神教』が入り込み始めた以上、手段を選ばずに急がなくてはならないが、それでも今は待つ事を選びたい(・・・・)

 何より、我々は神では無いのだから……』


 回路をニュートラルに戻し、地上の実施形態に通信を送る。 

 と、その時。

 彼の中に、別の信号が跳び込んできた。

 またも〔ガーブ〕である。


〔セム。トップトリプルとマテリアル8旧基体の戦闘域から十キロ圏内にマテリアル5が待機して居ると判定されました。

 明確な位置情報については、管轄権の問題から取得不可能となります〕


『マテリアル5? 確かコードは“ウム・ダブルチェ”だね?

 マーシアとエミリアの戦闘に参加もせずに、居るだけって事は無いだろ?』


〔はい。恐らくですが、最も効率よく戦況を決めるタイミングを計っているかと思われます〕


『ティアマトの司令下にある可能性が高い、か』


〔あの戦闘に係わるなら、それが当然と言えます〕


『止めるべきかな?』


〔推察結果の報告許可を願います〕


『許可する』


〔レジーナ出現は施設の運営開始直後から予測されていました。

 但し、その条件は現時点においても明確ではありません。

 しかし、今回のフェアリーⅡの行動記録を追った場合、ひとつの仮説が成り立ちます〕


『うん。続けて』


〔推論アルファ。

 フェアリーⅡの行動こそ、レジーナ出現に必要な最後のファクターである。

 判定を願います〕


『……そうだね。僕も君と同じ結論に達した』


 要因(ファクター)は確かに掴めた。

 だが、最終的には何が起きるかなど、どう分析しても分からない。

 当然、最悪の結果となる可能性も捨てられない。


 しかし、それでもフェアリーⅡを、ティアマトを止める訳にはいかない。


 今の状況を想定していない『規定』であるとは云え、規約(ルール)規約(ルール)なのだ。

 それに従う他無い存在である『セム』達にとって、如何に危険であろうとレジーナは生み出されなくてはならない。

 いや、それよりも何よりも……。


 人間だけが“我々を”止める立場にあるのだ。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



 ハルプロム城市執政官ジャービル・ハイヤーンが城壁南側に門を設けなかった理由は、天井川であるチャー河からの水害を恐れた為である。


 ベセラ軍のシナンガル将兵がその理由に気付いた時は、全てが遅かった。

 暴虐とも言える水圧によって城壁に叩き付けられた攻城兵一万は、その全てが肉塊となって消え去った。

 増援に向かった同数の兵士達の二割程が辛うじて生き残ったのは、本隊が城壁を大きく迂回して合流することを選んだ際、その最後尾に位置していたと云う幸運からに過ぎない。


 攻め寄せた水竜がようやく牙を収め、水が引き始めたハルプロム城壁から二百メートルは離れた丘のふもと。

 その水際に続々とシナンガル兵が流れ着く。

 辛うじて生きて、或いは単なる物体となって……。


 水から上がった兵士達は、絶望の眼で正面城壁を見上げた。

 その上には多数の弓兵と共に大型のカタパルトがずらり並べられており、息も絶え絶えとなった彼らが、ようやっと岸に上がるのに対し、過剰なほどに堂々と待ち構えている。


 だが、それを恐れて、いつまでも膝を水に浸けている訳にはいかない。

 浅さに見合わぬ激しい水の流れ。

 まさに濁流ともいえる水の暴力は、今にも彼らの足をすくっては、ようやっと拾った命を再び水底へ引きずり込もうと荒れ狂っているのだ。


 ひとりの兵士が後方に目を遣ると、荒れ狂う奔流の中に流されて来た巨木が岩に叩き付けられ、木っ端微塵に砕け散ったところであった。

 いや、砕けたのは巨木だけでは無い。

 その木にしがみついていた数名の兵士達の腕、首、千切れた胴体までもが容赦無しに弾け飛んでいく。


 考えている余裕などは、無い。

 背中を押されるように、或いは我先に、と濡れ鼠となった兵士達は丘を登る。

 それぞれに胸元のスカーフを、足に巻き付けた脚絆を解いては薄汚れた白旗をつくり、命乞いをするしか道は無いのだ。


 この光景が見られるのは東壁正面のみではない。

 ハルプロム城壁の東西南北、全ての壁面。

 その全てをシナンガル本国兵が押し合うように取り囲む。

 だが、それらは勇猛果敢な攻城兵などでは無い。

 今や彼らは、単なる数千の避難民の群に過ぎなかった。


 後方にあって高台に辿り着く事に成功し、辛うじて難を逃れたであろう二十万の兵も、糧秣を完全に失った。

 今後は生きながらえる事のみ、首都への道を探る事のみを考え、浮浪者のように彷徨い続けるだけだ。


 最早、戦闘行為どころではない。


 三十六万の軍は一瞬にして消え去ったのである。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



 悪運強く、巧達が中腹に陣を張る北の丘のふもとまで流れ着いた一団の中に、司令官であるベセラがいた。

 副官であるロイドと共に力場を最大限に強化して、水流を乗り切ったのだ。


 一度は飛行能力を発揮して逃げようとしたベセラであったが、戦闘によって消耗した魔法持続力は、ロイドとの強力無しには何も出来ない程に落ち込んでいた。

 結果として副官を救うことになったが、これは狙っての事ではない。

 それでも主人に見捨てられなかった事をロイドは喜び、ベセラへの忠誠を篤くする。


「若様! 大丈夫でございましょうか!?」


 力を使い果たしてぐったりとなったベセラの耳にその声は届いてはいない。

 勝利は目前だと思っていた。

 そこに、いきなり水が、いや激流が押し寄せ、全てを流し去ってしまったのだ。


 今の彼は全ての考えを放棄して、唯々、放心するしか心を支える術を持っていなかったのであった。



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



 上空から見たハルプロム。

 その半径三十キロの全ては、今では完全に水に覆われており、城塞都市はまるで大海に漂う浮島のように水面に“ぽつり”と顔を覗かせているだけだ。


「突出していた前衛部隊十万の内、生き残ったのは多く見積もっても五千が良いところ、だな。

 まあ、後方とてまともに逃げ切れた、とは思えんが……」


 緩やかにバンク角を取りながら、ハルプロム上空を飛ぶB-2Bの側面窓(サイドビュー)から地上を見下ろし、投げ捨てる様に呟く五十嵐。

 声に何らの感情は籠もっていない。


 丘に押し寄せる捕虜達を城内に収容するに当たって、無用の混乱が起きることだけは避けたい。

 よって、此処からは城内の指揮官とハルプロム検問所から水上を渡ってくる辻村曹長の連携が必要となる。

 そして、その連携を取りなすのがB-2B内部に設置された魔法通信室である。

 カレシュにはこれから随分と忙しくなってもらう。


 今の彼の思考にはそれしか無い。

 薄壁の向こうにいる若者に気を遣ってやれる余裕など持ち合わせてはいない。

 いや、そうではなく、この場では彼の感傷など無視しなくてはならないのだ。


 (かつ)て、武装難民との戦闘に対峙した時の五十嵐の上官等と同じに……。



 五十嵐が一瞬だけ意識を向けた若者とは、この年二十才になったばかりの通信員、利根敦幸(あつゆき)伍長である。

 下方カメラによって映し出された地上の光景を捕らえた彼は、暫くの間、食い入るようにそれを見つめていた。


 それは報告も行わぬ侭の不埒(ふらち)な行為であり、上官から叱責されるに充分な時が過ぎる。

 だが、怒鳴り散らす誰の声も彼の耳には届かなかった。

 画面から視線を外した後は一気に立ち上がると、そのまま後方のレストルーム(簡易トイレ)に跳び込む。

 それから十数分経った今も、開け放たれたドアの向こうで利根は便器を抱え込んだまま、嗚咽と嘔吐を繰り返すだけである。


 いや、数分前から幽かに彼の声が機内に広がっていた。

 同じ言葉を繰り返すように、喉の奥から絞り出しているのだ。


「俺……、じゃない。……俺の、せい、じゃ、ない……」


 横田からの通信を受け、攻撃のための最終準備を確認したのは彼だ。

 通信士として当然の責務をこなしたに過ぎない。

 いや、優秀な手際であったと賞賛されてもよかった。

 だが今の彼は、堤防決壊時の興奮と歓声を何処かに置き去って、いや投げ捨て、唯々、泣きじゃくるばかりだ。


「敦幸! この馬鹿野郎! いい加減、配置に戻れ!」

 上官である副操縦士の新村が痺れを切らして怒声を浴びせる。

 その声に、利根が切れた。


「曹長! あ、あんた、あんた! まとも、なのか?!」


「は? そりゃ、どういう意味だ?」


「ミ、ミサイルの発射ボタンを押したのは“あんた”だろ!

 もう一度、っし、下を、見てみろよ!

 百人からの単位で、死体が絡み合って流れ着いてんだぞ!

 それも、まともな姿の奴なんか、ひ、ひとつもありゃ、しない!」


 上擦りながらも必死で怒鳴り返す利根だが、新村はあざける様な目を向けて、遂には吐き捨てる。

「上官侮辱は目をつぶってやる。今のお前こそまともじゃないからな。

 だがな、言わせてもらうが貴様、戦場がどれくらい“お綺麗”な場所だと思ってここまで来たんだ?

 敵が何万死のうが、ゴミと同じだろうが!

 日頃から、『生きるも死ぬも運次第っすよ』なんて吹いてる奴だから安心して連れてきたんだが、どうやら推薦した俺のミスだったな。

 お坊ちゃんの強がりは今後、二度と口にするな! 付き合い切れん!」


「てめぇー!」

 便器を突き放して狭い通路を操縦席に向かって駆け出す利根。

 同時に立ち上がって迎え撃つ体勢を取る新村。

 

 だが、踏み出した利根の足は三歩と進まなかった。

 後方から襟首をつかまれ、一瞬で引きずり倒されたのだ。


 仰向けに倒れた利根の真上には、TACOO(タコ-)ルームから顔を出した五十嵐の姿。

 どうやら、利根を切り捨てるという選択は、似かよった過去を持つ五十嵐には無理な相談だった様である。


「利根、上官侮辱だけならともかく、作戦遂行中(オン・ステージ)での上官反抗は、そのまま利敵行為に当たる。

 拳を固めた新村に感謝しろ。今の貴様の動きは即、射殺が当然の行為だ」


 淡々として感情が籠もっていないだけに、迫力もいや増す。

 利根は自分の迂闊さにようやく気付いて、右腕で顔を覆ってしまう。

 恥ずかしさで、今は何も見たくない。

 何より、涙に濡れたこの顔を誰にも見られたくない。


 だが、詫びは言葉にしなくてはならないのだ。

「……新村曹長、……すい、ま、せん」


 ようやっと絞り出された利根の言葉に、新村もホッと息を吐く。

 もとより弟のように可愛がっている部下である。

 無闇に罰したくなどなかった。

「取り敢えず立てよ。それから、後部(うしろ)で少し落ち着いてこい」


「はい……」


 よろよろと立ち上がり、機体後方に姿を消す利根。

 その姿を見送り、五十嵐は新村に近付く。


「新村! お前も、いい加減にしろ。暴言にも程がある」

 (たしな)められて、真っ赤になる新村。

 五十嵐の言葉は当然である。

 新村が利根に向けた怒声は機内に規律と秩序をもたらすものではなく、若い彼をより興奮させるだけのモノだったのだから。


「なあ、新村」


「はっ!」


「お前が利根に向けた言葉の持つ意味は確かに正しいさ。

 悔いるにしても、馬鹿げて度が過ぎては味方を危機に曝すだけだからな。

 だがなぁ……、」


 上官として部下をコントロール出来なかった事を責められると思った新村。

 しかし、区切られた後の五十嵐の言葉は、彼の予想を超えて厳しかった。


「敵兵の死にも敬意は在るべきだとは思わんか?」



      ◇   ◇   ◇   ◇   ◇  



 正面を向く機長の石渡ですら、後方の気配についつい意識が向いてしまう。

 また、彼を除く機内の全ての瞳は俯いたまま黙り込む新村に注がれている。

 よって、その現象に機内の誰もが気付かない筈であった。


 右サイドウィンドゥの遙か彼方。瞬間的に一度だけ瞬いた小さな光。

 あまりにも幽かであり、通常の肉眼で捕らえられるものでは無かった。


 いや肉眼での発見は無理でも、この『不可思議の世界』に対応する為、高濃度エネルギー波を探る事を目的とした特殊波長レーダーは機体に装備されている。

 正体が確定されない電子波動を、単なる波動として捕らえるだけでも、危機を察知するには充分だからだ。


 だが、それを含め、全ての機器にも特段の反応は無く、変化の捕捉は地球の常識を飛び越える形でもたらされた。

 本来の索敵方法とは違う形でその現象を捉えると、明確に声にした者がいたのである。


「二時方向。今、一瞬ですが高濃度の魔力反応がありました!」


 ペンダントを握り絞めた侭のカレシュ・アミアンの叫び声は、B―2Bの機内に響き渡った。





サブタイトルは小林泰三の「玩具管理者」から頂きました。

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