204:要衝の地へ
闇を縫って高度八百メートルの空を二機のオスプレイが飛ぶ。
その六百メートル以下の空域にはAS20-Fオーファン改が高度百四十メートルを保って後に続く。
小隊総員三十名は出来る限り早くハルプロムへ到着しなくてはならないが、オーファンの足に速度を合わせるため、巡航速度を上げる訳にも行かない。
更に小西小隊などは整備完了を待って飛び立つ事となり、彼らに丸一日は遅れる。
敵は既に七万の人口を持つ城塞都市への包囲を終えている可能性は高い。
すぐさま陥落ることもあるまいが、水陸の交通の要所となる都市の人口は多く、暴動にでもなれば厄介だ。人心を保つ為にも救援を急がなくてはならない。
ASの足の遅さを呪いながらも各機は必死に東を目指していた。
巧は今、オーファンの輸送を辻村曹長に任せ、指揮専用機に搭乗中である。
空輸は思いの外に神経を使う任務だ。
パイロットである巧が現場で使い物にならなくなることを避ける必要があった。
また、陸空の連携戦闘となる山岳型歩兵小隊は、上空からの指揮が行われる事も多い。
今回は移動しつつ城塞防衛の作戦を練る事になる。
だが、それ以上に巧が機内に残らなければならない理由。それは目の前の人物だ。
捕虜となったシナンガル竜部隊指揮官、ルナール・バフェット。
尋問が進む内、“彼の処遇を巧に任せるべきだ”とコペルからの助言が入ったのだ。
コペルがいきなり赤井の前に現れた理由のひとつに、ルナールと巧を話し合わせる事があったのだと分かる。
理由は語らないものの、敢えてここはコペルの言葉に乗った。
巧自身、直接に情報を引き出したかったのだ。
「貴殿が、あの時の指揮官でしたか」
機内でルナールが口にした“あの時”とは、『山岳民救出作戦』において決戦となったルーファンショイ駐留部隊七万との追撃戦である。
ルナールは今の今まで、その時の男をコージ・イワクニだと思い込んでいたのだが、マーシア・グラディウスの表情を見て考えを改めると、直ぐさま正解に辿り着いた。
その言葉に軽く頷いて巧は早速本題に入る。
挨拶など疾うに終えている。これ以上の儀礼に時間を使いたくはなかった。
「相田少尉の言葉では何やら、“わざと捕虜になった”と聞いていますが。
あなたの狙いは一体?」
睨むような巧の視線を受け流してルナールも正面から応える。
「単刀直入に言いましょう。影からですが、私はスゥエンの独立に手を貸したい」
国を裏切る、という言葉には驚かされるが、ルースの前例もある。
巧は平静を保ちながらも、驚きを示すように演技じみた声を出した。
「ほう! 理由を伺っても?」
巧の問い掛けを聞くルナールの瞳に希望の光が灯る。
勿論、ここまでの同道を許可された以上、話を聞いてもらえることに疑いはなかったが、何より巧の積極性が嬉しく、ルナールの口元から出る言葉は滑らかに紡がれて行く。
「まず、奴隷制度は非効率的だ、という事です。
最終的に支配階級は追い詰められ、遂には滅びるだけでしょう。
また反乱が起きないにせよ、奴隷制度の下で多くの人々は自分から動く事を忘れ、努力や向上の概念すら忘れる様になる。
これも、やはり社会停滞の原因となり、最後は支配者、被支配者のいずれもが共倒れです」
ルナールの言葉は正しいが、間違った部分も少しばかり有る。
例えば白人に限らず封建制度を生んだ社会が成立させた奴隷制度とは、大航海時代から先の大戦までの植民地支配システムばかりではない。
金融と技術、そして貿易ルールの独占という別の支配方法もあり、現実問題として此の方法によって地球でも奴隷制度は続いている、と言われている。
つまり都市が農村の、先進国が発展途上国の資源を安く買いたたく『アンフェア・トレード』と言われる取引方法だ。
宗教的側面を排除しても、『アンフェア・トレード』なルールを作る側が支配を続ける事は可能であろうし、実際行われている。
結果として目に見える奴隷制度は消えても、“システムとして生き残らせる”事は可能なのだ。
但し、それが回り回って各国に於ける移民の増加を促し、アメリカ第二次南北戦争や欧州内部に於ける内戦に等しい混乱の原因だとの主張まであるからには、やはりルナールの言う「共倒れ」は正しい。
特殊条件を付け加えるなら、中東教が自らは科学よりも神の教えを上位に置いて現代教育を否定し、科学発展を拒み、先進工業諸国による技術研究を神の名の下に否定しながらも、その努力の“成果だけはよこせ”、“よこさないのは不公平だ”という寝言を堂々と主張している事にも大きな問題はある。
大きな意味では、これもルナールの言う『奴隷の労働意欲の停滞』のひとつに数えて良いだろう。
だが、巧は思わず溜息を吐く。
ルナールがそこまで気付いて話を進めている様には思えなかったからだ。
その点、ルースの方がシステムの危険性を知っているだけ先見性がある。
目の前の男は、果たして其処までたどり着けるのだろうか?
「気の長い話ですね」
巧の持つ不安は自然と声色に重なるが、ルナールに伝わる筈もなく、彼の声は力強い。
「そうでも有りません。スゥエンの独立が成功してスゥエンの国力が増強されるにつれ、シナンガルに於いても奴隷制度の見直しが行われる可能性は高いのです」
呆れた様に巧は首を横に振る。
「それは楽観的すぎますね。隣の国同士で社会体制が違うなど……」
珍しいことでは無い、と続けようとして危うく言葉を止める。
ここはカグラである。地球ではないのだ。
気を取り直して言い直す。
「フェリシアとシナンガルは長年に渡って、違う制度で国を持たせてきました。
スゥエンが独立したからシナンガルの政治体制に変化が訪れる、と考えるのは楽観的すぎます」
「そうでしょうか?」
「違うと?」
「私は変化を期待しているのではない。変化を起こさせたいのです」
「クーデター……、ですか?」
巧の言葉に、ルナールは一呼吸の間を置いて頷く。
ルナールは「スゥエンの独立に手を貸す」と言いつつ、実際は「自分の行為に手を貸せ」と言っている。
これはルースに続く軍事援助の要求だ。
こうなると巧ひとりで決められる事では無い。
ルースに関わる件ですら、まずは王宮からの許可が下り、その後は後方攪乱の意味合いを持って軍からの活動許可は下りた。
最初は防衛線に於ける連携を見越して、次いでは和平後にシナンガルを後方から脅かす不安定材料として、だ。
それも『二兵研』を主体とする必要最低限度の援助であって、全面的な運命共同体としての軍事同盟では無い。
ルースもそれを知っているからこそ、派手な動きを慎んでシエネの中央作戦本部の指示に従っている。
本来なら今すぐにでも動きたいであろうに、実に我慢強い態度と言えた。
クーデターともなればシナンガルそのものの乗っ取りだ。
ルース以上の慎重さが求められる。
彼の計画を見極めるだけでも、まだまだ時間が必要だろう。
少なくとも、今月、来月で決められる話では無い。
「まあ、その件はさて措き、今はハルプロムが重要です。
現地で起きる事態が『あなたの仰る通りのもの』になるかどうか。全ては“それ”を見極めてからの話となるでしょう」
巧の言葉が締めくくりとなって、最初の会談は短く終わった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ハルプロム。
人口七万。シルガラ砦から西北西へ約180キロ地点。
スゥエン共和国全体から見ると南部中央に位置し、交通の要衝として整備されつつある都市である。
シーアンと同じく独立宣言後に建設が始まったが、河川交通の便の良さから物資の搬入はスムーズに進み、城郭は早々と完成していた。
この街はシーアンとシルガラのほぼ中間点に当たり、低い山脈間を走る間道を抜けた北部は、肥沃な土地に恵まれた大規模な穀倉地帯である。
いずれは双方の都市、砦の補給基地として機能するだろう。
また、現時点でもシナンガル新首都、ロンシャンや竜育成要塞からの北上を押さえる点に位置している。
西を守るのがシーアンなら、ここはシルガラ砦と並んで南部に於ける『首都スゥエンの盾』とも言える都市だ。
この街と、そのすぐ北にある小さな砦が落ちれば、敵は南部を一気に押さえる事になる。
シーアンとシルガラの連携も崩れ、首都スゥエンまで一直線の道を切り開かれないとも言えない。
シーアン同様に、決して落とされてはならない要石であった。
巧達が航空機動小隊が現地に到着したのは24日昼過ぎ。
監視の為に先行していたAH-2Sは、敵地に於ける『単騎』での行動である事もあって、攻撃許可を受けていなかった。
だが、流石に城門にまで鉄巨人が迫ったとなると、そうもいかず、独断での攻撃は始まっている。
無線の状況に難があった為、シーアンの赤井に要請が繋がる事もなく、事後承諾的にヴェレーネから直接許可を得る形となっての攻撃であった。
そして、これらの攻撃は一応に成功し、僅か一機のAHは孤軍奮闘の結果としてシナンガル軍の前進を、辛うじてだが押しとどめている。
しかし、流石の敵物量の前にPBXミサイルは使い切られ、チェーンガンも弾薬切れ寸前。
挙げ句、乗員の疲労と燃料の問題から飛ぶこと自体が難しくなる直前ともなればスゥエンへの帰投を行わざるを得ない。
彼らのタイムリミットと巧達の到着はほぼ同時であった。
補給を済ませた彼らは整備のためスゥエンへと一旦帰投する。
情報を引き継いだ巧達は、ハルプロム北側に位置するなだらかな山の頂上近くをベースに選んだ。
「うぉ! こりゃ、凄い!」
雲を抜けて地上に降りた航空機動小隊兵達は、眼下の西平原に広がる無数の敵兵を見て感嘆と呆れを交えた声を発する。
ハルプロム遠征軍の総数はざっと見積もって二十万を超えるであろうか?
竜部隊の姿は見えないが、先に引き上げたAHからの報告では二十四~二十五騎。
威力偵察用が殆どであったと云う。
ルナールの言葉を信じるなら、やはり司令官であるエーベルト・ベセラという人物は未だ竜部隊の価値を知らず、陸戦に主眼を置く人物のようだ。
陸戦主体である事からか鉄巨人の数は流石に多い。
起立しているものだけで残数三十は下らず、輜重隊の後方には組み立てが終わっていないものもあるだろう。
しかし先に痛い目に会わされた事からヘリを警戒した様で、完成品の大方も後方に据え置かれている。
鉄兵士の数は不明。普通ならこれは不安材料になるが、今回の巧の策が成功するなら、数を気にする必要は無かった。
さて、人間は観測対象の数が三千を超えると正確な数の把握が難しくなる。
第一次世界大戦までの歴史に於いて、世界中の戦場で寡兵が大軍を打ち破る現象がまま見られたのは、その様な“錯誤”を利用した布陣を構築し、或いは進軍速度を極め、その後は敵の中央を一気に分断した戦術を成功させる優秀な指揮官が希にでも存在したからだ。
だが、索敵に有利な航空機の出現は、地球でならば開けた戦場に於いて寡兵が大軍を破る伝説を本物の夢物語にしてしまった。
処がこの航空機による戦力差の正確な把握こそが、今度は地球では夢物語となった寡兵による大軍殲滅をカグラで生き残らせている。
この世界に於いては常識外れとなる国防軍の高度な偵察能力と圧倒的火力。
それこそが、不可能を可能としていた。
今、上空を飛ぶオスプレイの画像認識装置は、敵兵数を一桁に至るまで正確にカウントしている。
彼我の戦力差を見失うことはなく、同時に地形の把握も正確であり、国防軍は一方的に地の利を得ていた。
確かに二十万は大軍だ。
とは云え、ここはシーアンの様に森林と云う掩蔽環境との闘いは無い。
北部戦線で行ったように、各種の近代兵器を使った包囲殲滅が可能である。
半数以上は輜重兵とは云え、兵に変わりはない。
やるなら殲滅以外の選択は無い、と考えても別段卑怯とは言えないだろう。
だが、巧は敢えてその方法を取らない。
理由は大きく分けて三つ、いや四つだろうか。
まず、本格的な戦闘行動を取れるのは中隊からであって、巧が率いてきた小隊程度にその能力は無い、という事が第一だ。
次いで、シナンガルの遠征は今回の一度限りで終わるものでは無いと云う事。
フェリシア侵攻と違い、これは内乱である。
ならばシナンガル政府としては絶対に鎮圧しなくてはならない。
ヴェレーネの方針により今回の防衛戦闘は短期決戦と決まったが、スゥエン独立戦争そのものは確実に長丁場となる。
補給線に不安のある現在、無駄に弾薬を消費して兵站に負担を掛けたくない。
シーアンにせよハルプロムにせよ、首都スゥエンからの後方支援と補給線を考えた時、いずれも国防軍に取っては『行動限界点』ギリギリの土地なのだ。
更に、次回の防衛時に各都市に国防軍の援軍が間に合うとは限らない事も理由として大きい。
シーアンも今暫くは赤井中隊によって守られるが、独自の防衛ラインを構築してもらわなくてはならない。
いずれは地球に撤退する国防軍の常駐など問題外の提案だ。
よって巧は今回、地形を利用した戦術に出ることにした。
これが成功すれば、次回以降の闘いに於いてハルプロムの兵士達が独自の能力で敵を押し返すことも可能となるからだ。
そして、最後の問題は魔獣である。
ルナール・バフェットの言葉を信用するなら、現在大陸中央道を中心に跋扈している魔獣達は、『軍師』と呼ばれる何者かの誘導に因って現れた存在だという。
『軍師』にはマーシアも直接会っており、その際に“逆侵攻”を提案されている。
裏取りのある信憑性の高い情報である。
だが、ここで問題は更にふたつに分かれる。
まず、シナンガルやスゥエンに魔獣が跋扈するのは良い。
巧に取っても都合の良い話だ。
この魔獣退治に追い回されてフェリシアに目が向かなくなってくれれば、それこそ結構な話だ。
だが行き着くところ、その跋扈は何の為に引き起こされているのか、という事が問題だ。
ルナールの話では、『軍師』なる存在は、この状態を常態化させたいと語ったという。
人間同士の争いを避けさせるために、共通の敵を作る。
まるで独裁国家が国内問題から国民の不満を逸らすかの様な方法だが、実際、現在の地球ですら、世界情勢の混迷を顧みては、
『宇宙人でも攻めて来ない限り、纏まらない』
という半分冗談、半分希望の様な言葉が人々の口の端に上がることは珍しくない。
では実際問題、本当に共通の敵が現れたなら人は団結するのだろうか?
確かに、ある程度の団結は可能だ。
よって、巧も今回だけは『軍師』の思惑に乗せてもらう事にする。
だが、もう一方の問題は後々まで考えなくてはならない。
つまり、如何に強力な共通の敵が現れても“それが常態化した場合どうなるか”だ。
そうなれば、その状況すらも日常として受け入れ、“それはそれ”として同じ帰属体内部で派閥を生み出し、結局は相互に争ってしまうのが人間だ。
歴史がそれを証明している。
キリスト教とイスラム教が争った過去の歴史においても、各陣営内部ではそれとは別に各個に国家間の戦争は続いた。
また先の大戦中も連合国内、枢軸国内、いずれも変わらずに派閥抗争が繰り広げられた。
共産主義など、西側陣営との睨み合いの中ですら多数の粛正犠牲者を出している。
結局、人はどうあっても争い続けるのだ。
実は魔獣など、“人に対しての人”に比べれば如何ほどの脅威でも無いのかも知れない。
逆にこの戦場の混乱が激しさを増すだけ、と云う可能性すら高い。
「いくら何でも理想論が過ぎるな。
その『軍師』って奴が、この世界の秩序や摂理に関わる存在にせよ、こんな方法で人類社会が安定する筈は無いことぐらい分かりそうなものなんだが……」
様々に考えを重ね、その結論を口にした巧をマーシアは不思議そうに見つめて溜息を吐く。
マーシアも、巧の言葉が自分に向けて発したものではなく、彼が自身の考えを纏める為のものだったと云う事は分かる。
だが同時に巧の言葉を理解できない事が、この事に関して巧の役に立てない事を意味する事も分かってしまう。
そんな自分を思うと、つい悔しくなって溜息も出るのだ。
だが次の瞬間、その溜息に被せるように巧が発した一言は、俄にマーシアを元気づけた。
「人間を知らない『間抜けな神』かも知れんが、力は確かな様だ。
決して侮れん。
必要な時間の問題もあって苦戦になるのは確かだ。
それに、嫌な話だが今回に限ってそいつの策に乗らせてもらう事にもなる。
マーシア! 万が一の際は『軍師』を頼むが、くれぐれも無理は無しだぞ!」
「まかせて!」
明るく応えるマーシアであったが、巧の次の言葉はまたも彼女を憂鬱へと引きずり込む。
「マリアン。マーシアを頼むぞ!」
「信用されてな~い!」
マーシアの叫びが山頂に響き渡った。
サブタイトルはロバート・E・ヤングの「荒寥の地より」改変です。
週末に小説を書くのは実に楽しいです。
また仕事も楽しいのですが、そうなると平日には体力が殆ど残りません。
体力回復は何時の日でしょうか……。
読者様にもご迷惑をかけており申し訳ありませんが、慣れるまでの間は宜しくお願い致します。




