156:フラッシュ・ビフォーアー(後編)
カップのコーヒーは既にぬるくなっている。
そのカップの中を覗き込むルナールの口調は重い。
彼の中に有る思いは、ふたつ。
ひとつは今の質問により軍師は自分から何を引き出したいのか、と云う疑問であり、今ひとつは数ヶ月前、アダマンの別荘で彼と話した事についての回答を得られるのでは、という期待である。
我々、カグラの民が五百年より前の記録、或いは民族的な記憶を持たない理由。
これは、何者かによって『故意』に行われた工作であろうと思われる。
だが、『何のために、』であろう?
まず、ルナールがアダマンの別荘で一度上げた言葉。
この地に居る人々は誰も彼もが咎人の子孫であり、その為、先祖が『故国』の記憶を消されて送り込まれたのではないのか、という仮説はアダマンによって理論的に否定された。
『この地が流刑地ならば、その後も人が送り込まれてきているはずだが、其れは無い』と。
だが、咎人でないにせよ、記憶が操作されたのは事実ではないのだろうか?
それを示していると思われるのが、過去に聞いた軍師の『あの言葉』だ。
ルナールは思いきってその疑問を声に出すことにした。
「軍師殿、“処理”とは何でしょう?」
ルナールの言葉に天幕内の空気が一瞬固まった。 それから、軍師は驚いた様にルナールに問い返す。
「あらぁ、覚えてたの!?」
演技とも思えぬ声を上げた軍師は事実驚いた様であり、やや困った顔を見せた。
「ん~、それは勿論、きちんと話すわ。
でも、今は先に、あなた方がどの様にこの世界の始まりを認識しているのか知りたいのよ。
それを教えて貰えないかしら?」
「スーラの記憶は読めないのですか?」
「この子、勉強が嫌いだった様ね。まるで話にならないわ」
スーラの顔で軍師は引きつった笑いを見せる。
スーラの意識が少し混ざっているかの様であり、恥ずかしささえ伺える様子にルナールは何やらおかしみすら感じた。
「別館には手近に歴史書は有りませんでしたか?」
ルナールの問いに軍師ことスーラはこれまた首を横に振る。
「あそこにはそう云うものはまるでなかったわね。
図書館に行こうかとも思ったんだけど、最初の頃は“定着”が不安定だったものだから、あの屋敷からあまり動きたく無かったのよ」
「メイドにでも、借りにいかせれば良かったのでは?」
「それは、ちゃんとやったわ。 でも『六ヶ国戦乱の本』までしか図書館では見つけられなかったようね」
「メイドや周りの者に同じ問いをしたことは?」
ルナールのその問いに、軍師は初めて眉を顰めた。
「それよ!」
軍師はいきなりの大声を上げる。
「は?」
「今の”問い”を聞いたメイド達が、“確かに不思議な事だ”と言ったのは良いんだけど……」
「けど?」
ルナールの問いに軍師はすぐさまは答えなかった。
「ちょっとメイドのふたりを入れて良いかしら?」
「はあ?」
いきなり何を? とは思うが、彼女は遮音を切ったらしく、外の音が天幕に入ってくる。
それから卓上に置かれたガラスの鈴を鳴らした。
音を聞きつけて、飛び込む様にメイドのふたりが天幕を潜る。
それぞれが一応に礼儀を保った挨拶をするが、二人のうち未だ十三才と幼いライザは相変わらずルナールに気を許していない様だ。
特にあの“妙な噂”が出てからは親の敵を見る様な目でルナールを睨む事も屡々である。
反面、十六歳を廻ったクレアはルナールがスーラを丁重に扱っている事を知っており、ライザの手綱を引いてくれる。
彼女は議員階級の家庭では年齢と結婚に何ら関連がないことを承知しているのだ。
彼女も其れを『悲しいこと』であるとは思っているが、仕事に於いて顔に出さない程度の弁えはある。
また、その様な社会の中で、ルナールならば充分に“まともな部類”の婚姻相手だと割り切ってくれているのであろう。
一礼した後、クレアが用件を承る言葉を発するが、ライザはスーラに直接に問い掛けてくる
「お嬢様、どの様なご用でしょうか?」
「お嬢様、変なところ触られてはいませんでしょうね?」
妙な台詞を発したと同時にライザはクレアに拳骨を喰らい涙目でうずくまった。
「漫才を披露したかったのでしょうか?」
ライザの毒舌にも慣れたつもりであったが、時々はこうして言葉のひとつも返したくもなる。
ルナールもまだまだ若い。
尤もライザは更に子供だ。
ルナール以外の議員階級者にこの様な揶揄的な言葉を向ければ、鞭で打たれるぐらいで済めば良い方で、殺されても事故で終わってしまうのが普通なのだ。
クレアはこの事を口酸っぱくして諭すのだが、他の士官処か兵士の前ですら借りてきた猫の様に大人しいライザはルナールにだけは強気である。
その様子をスーラこと軍師は笑って見ていたが、ようやく取りなしに入った。
「まあまあ、そういがみ合わないでね」
軍師はごく普通にそう言ったのだが、ルナールとしては心臓が跳び上がりそうになる。
今の一言は、“スーラではあり得ない”口調なのだ。
驚いてふたりのメイドを見るが、特に狼狽した様子も見られない。
もしや、と思い軍師の顔を見る。視線が合うとルナールの意図する処に気付いたのであろう。
軽く首を横に振って“秘密”は保たれている事を示した。
どうやらふたりは“軍師”を知らないままに、大人びた変容をスーラの特異な部分として素直に受け入れてくれている様である。
得難いメイドであろう。
これではルナールとしても少々の口の悪さなど見逃さざるを得ない。
その後、軍師はルナールにふたりのうなじを触る様に促す。
クレアはやや恥ずかしそうに、そしてライザも俯いたまま顔を真っ赤にさせたものの、思いの外素直にルナールの手に身を委ねた。
一礼したふたりが退出すると、再び遮音効果が発揮される。
「分かったかしら?」
「ふたりとも、かなりの力が有りますね。それに質も。
しかし、彼女達は魔法を使えないという話では?」
ルナールが行ったことは、初対面の際に軍師が彼の頸骨に触れる事で魔力量を量った事と同じである。
同様の手段を使ってふたりのメイドの魔力の量や質を感じ取ったのである。
ルナールの言葉に頷きつつ、軍師は疑問に答えていく。
「そうね。本人達が気付いていないのよ。ああして目覚めないままの存在も多いのかもね。アクスのコントロールかな?」
「アクス?」
「おっと、ごめん。これは忘れて!」
謎が謎を呼ぶ軍師の言葉だが、これに翻弄されてはいけないとルナールは思う。
一つひとつ事を片付けていかなくてはなるまい。
「先程の話と、彼女達の魔法力。どの様な関連が?」
つまりメイド達に此の世界の始まりに付いて尋ねた時、何が起きたのか、と云うことである。
その答を聞いて、ルナールはかなりの驚きを得る事となった。
軍師はスーラとして、この世界の始まりについてメイド達に何度か尋ねたことがある。
その度にメイド達は“言われてみれば?”とルナールと同じ反応を示し、話は実に盛り上がったと云う。
尤も答を知る者など誰も居なかった。
結局は六ヶ国戦乱以前の話など、誰も知らないのだ。
残念な事に情報は得られなかったものの、“そこまでは良い”としよう。
だが、問題はその後に起きた。
翌日になると、誰もがスーラと『その事』について話した事を忘れてしまうのだ。
挙げ句、話をしている間の記憶すらない。
一度は別館メイドの殆どの者を集めて、この件について話を聴いたのだが、やはり翌日になると誰もがその時間の事を綺麗さっぱりと忘れている。
例外は、クレアとライザのふたりだけである。
次第にふたり以外のメイドはスーラと二人きりになることを恐れた。
いや、二人きりでなくともスーラの側に近付くことすら怖がる様になってしまったのだ。
当然で有ろう。
記憶が無い間に自分が何をしたのか、或いは何を“されたのか”、全く分からないのだ。
こうしてワン家の中でワン・スーラが忌子扱いとされるのに時間は掛からなかった。
この話を聴いて、ルナールは“はっ”と気付くことがあった。
最初にスーラに出会った日のことである。
メイド達がスーラを送り出すに当たって、ルナールに押しつける様にしたかと思うと、後は逃げる様に屋敷の中に姿を消した事だ。
今までは、『軍師がスーラとして起こした奇行の為、或いは側室の懐妊を受けて派閥を鞍替えしようしている』
彼女らの行動をその程度に考えて居たのだが、側室が懐妊したばかりで男児かどうかも分からぬうちにあれ程旗幟を鮮明にするはずもない。
あの時点で、誰もがスーラを恐れていたのだ。
ルナールはここでも軍師に対して怒りが湧いてくる。
何故、この子をここまで苦しめなくてはならないのだ、と。
同時にライザに対しては、自分を見る様にすら感じて親近感が増す。
だが、ここで軍師に怒りをぶつけても仕方ない。
彼女の望みを叶え、出来るだけ早くスーラから『出て行って』もらう。
方法は其れしかない様だと覚悟するルナールであった。
また気付いたことは、ワン家のスーラに対する扱いだけではない。
『処理』、この言葉の意味である。
「つまり、これが“処理”なのですね」
ルナールの言葉に軍師は頷く。
「そう。でも最初は“逆の効用”のものだったわ。
しかも一世代だけのものだったのよ。
“あの時”以来、狂った形で遺伝的に受け継がれる様になってしまった様だわ。
それがこの世界の根幹を成してしまったのね」
「あの時? 逆の効用?」
「ん~、何って言うのかしらね。過去の記憶を夢の様に見せると言うのかしら。
当時の人々の常識から来る恐怖心や罪悪感を弱める作用があったのよねぇ。
まあ、この事はもう少し進んでからにしましょう。
今は“処理”が”記憶の蓋”をしている、とだけ言っておくわ」
軍師の言葉には相変わらず不確定な部分も在るが、明確なこともある。
明確なこと。
それは、五百年より先の過去について語ることも、語ったことを思い出すことも出来ない。
“魔力”という力が有るものだけが、記憶を受け継ぐ事が出来る。
これは恐るべき力の差を持つ事を示す。
情報は“力”なのだ。
過去にあったであろう、現在にまで受け継がれる力の源に触れる事が出来るかどうか、それが全て“魔力の強弱”によって決まる。
そしてシナンガルで其れを覚えているものは誰もいない。
これが国力の差として表れているなら、軍事力処の騒ぎではない。
フェリシアに於ける完全な記憶保持者とは誰だろうか?
それは問うまでもあるまい。
妖精女王の魔力は他の追随を許さぬと聞く。
つまり女王こそが全ての秘密を握る存在だと気付けば、彼女を捕らえて全てを明らかにさせたい、と思う人間が出る事も自然な事と言える。
長老派議員達が主導している『フェリシア侵攻』に、また一つ新たな意味が付け加えられた瞬間であった。
こうなればルナールも出来るだけ多くの事を知りたいと思う。
となれば、当然ここは持っている情報を軍師にさらけ出すべきであろう。
ありがたい事に彼は、過去に関わる話を亡き母から少しながらではあるが聴いていたのだ。
「とは言っても、私が母から聞いたのは六ヶ国戦乱が始まる前の五十年ほどの話しかないのですが?」
そう言ってルナールが断りを入れたが、軍師は大きく頷いて“其れで良い”と言う。
それならば、とルナールは語り始めた。
ルナールの母親は混合妖精種の二世代目である。
つまり純粋な妖精種ではなく、その母の段階から既にハーフエルフであった。
よってルナールに妖精種の血は八分の一しか入っていないことになる。
その四分の一の妖精種である母が、その母、即ちルナールの祖母から聞いた処によると、戦乱が始まる以前、この世界は魔獣で溢れかえっていたという。
それでは生きるのも大変ではないか、と驚くルナールに対して母は“そうね”と言いつつもこうも語った。
『当時、人は今よりもずっと強い魔法が使えたのだ』
魔獣は確かに強かった。
だが、人は妖精種、人類種、獣人種それぞれが好みの者で手を組んで『小さな軍隊』を作り魔獣を狩っていたのだと云う。
“小さな軍隊”とは百人程か? と問うルナールに母は自分も良くは知らないのだが、と言いつつも、『十人を超えることはなかった』と断言する。
幼いながらも良く本を読んだルナールは、其れを一笑に付したが、母は首を横に振ってこう問い掛けた。
『ならば今、千人で十人の妖精種に人は勝てるのか?』と。
この言葉の意味は当時のエルフが今以上の力を持っていたことを意味した。
なるほど、五人、十人程度の集団でも妖精や獣人が中核ともなれば、魔獣と互角に戦ってもおかしくは無い訳だ。
ルナールはこの国では奴隷の子である。
しかし、母の先祖は『首輪の力』で奴隷に落とされた事を聞いて育っている。
当時から十人の“純粋な妖精種”が居れば一千人程度の軍隊相手なら互角以上に闘う事が出来るだろうと云う事も知っていた。
自分を“奴隷の子と”蔑む者には魔法が育っていなかった子供の頃からでも肉体的な技能だけで複数を相手とした喧嘩にも勝つ事は出来たのだ。
エルフの血筋からか、他の子供と比較しての筋力の弱さは十になるまで続いたが、それでも運動能力の高さは其れを補って有り余った。
そのようなルナールであれば当然だが、その軍隊に於いて人間はたいしたことはなかったのであろう、と優越感を込めて母に問う。
だが、それに対してもルナールにとっては残念な答が返って来る。
『当時の人類種は跳躍や通信が出来ない事を除いては、戦技でも獣人種や妖精種に負けなかった。いや、当時はそれぞれの特性でお互いを補っていた』
その様な時代が戻ってくればいいのに、と疲れた様に母は微笑むだけであった。
と、ここまで話してルナールはおかしなことに気付いた。
彼は母から聴いた過去の話を、これ程鮮明に思い出せたことは今まで一度も無かったのだ。
思い付いて尋ねてみる。
「軍師殿、何やら私の精神に働きかけておられませんか?」
問い掛けると、軍師はスーラの年齢相応の顔で悪戯がばれた子供の様に笑った。
「あら、ご免なさい。でもね、それ無意識の行為なの、同じ時代の記憶について知っているから共鳴しちゃうんでしょうね」
妙なことを言う、とルナールは驚く。
「その時代を知っていらっしゃるので?」
「ええ、それが?」
「ならば、私に訊かずとも宜しいでしょうに?」
これはルナールでなくとも不思議に思って当然だ。
知っていることを何故、訊こうと言うのだ?
だが軍師はそのまま続ける様に言ってきた。そしてこうも言ったのだ。
「私が知りたいのは戦乱が起きる直前の、いいえ、戦乱の原因そのものなのよ」
「そこはご存じない、と?」
「確信としては、ね」
その時ルナールはようやく思い出した。
軍師は何処かに『閉じ込められていた』と語っていた事を。
なるほど、戦乱開始直前からの事であったのか、と合点がいった。
そこから先を話そうとすると確かに彼の記憶も朧気になる。
彼も矢張り『処理』の影響を受けた一人であった。
だが、妖精種の末裔としての意地と軍師の能力による補助から来るものか、自分でも思い出せなかった事柄まで、次第にその口の端に上がってくる。
そして全てを話し終えた時、ルナールは自分の中に眠っていた記憶が、“過去のごく一部の事”にしても如何に重要な事柄なのか、に気付いて身震いすることを押さえきれなくなったのであった。




