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星を追う者たち  作者: 矢口
第八章 俳優交代
156/222

155:フラッシュ・ビフォーアー(前編)

朝から大急ぎでチェックを済ませたので、やや心配ですが、殆どが歴史学、文化人類学の話ですので”まあ大丈夫かな”、と。


それ以外の部分でやばいようでしたら、後で辻褄を合わせるしかないですね。

(;´Д`A ```


今回もよろしくお願い致します。

 五月二十日

 

 フェリシア軍の事実上の最高指揮官であるヴェレーネ・アルメットが目覚めたことで、ようやく捕虜達の帰還作戦は実施されることとなった。


 両軍調整官としての彼女の手腕も振るわれ、シエネを守る体勢は再度構築し直される。

 同時に二兵研主任として、試験型式の新型砲の調達も行われ砲兵大隊の再稼働も可能となった。

 また特筆すべきは、空軍幕僚本部が心待ちにしていた2兵研航空新兵器、及び新型機がカグラに於いてではあるが、『国防空軍所属研究機』としての配備が決定したのである。


 此等(こちら)についてはいずれの出番となるが、今はヴェレーネの復活により正面の敵に対応できる体制が整ったことが大きい。



 また、それとは別にして驚くべき現象がシエネでは観測されていた。


 あの八岐大蛇(ヒュドラ)とでもいうべき巨大魔獣によって撃破された筈のデフォート城塞の貫通孔が、今はその半分ほどの大きさに(ふさ)がりつつある事が確認されたのである。


 戦闘の最中ヴェレーネが投げ込んだキネティック粒子砲のボールは、デフォート城塞に『喰われた』のだ。

 デフォート城塞は自分を破壊した存在に関わる資材の構造や性質を理解し、自らの内部構造を作り替え、自身の防御力を強化していっている。


 恐るべき事だが、この城塞は“生きて”いた。


 結果として、地下に移転するはずであったレーダー施設の大型機器の多くは最上部に残され、“念のために”ではあるが、モニタを中心とした操作施設及び人員のみが基底部に移動する事となった。


 柳井としては日に日に小さくなっていく貫通孔に目を向け、内部にいる自分たちまで城塞の『エサ』になる日が来るのではないかと気が気ではない。

 とは云え、部下の手前、其の様な事は口どころか表情にすら出す事も出来ず、冷静を(よそお)う日々が続いていた。


 柳井の不安はあながち杞憂(きゆう)とも言い切れない。


 例えば、この世界に()ける(ほとん)どの物質がデフォート城塞にとって知り尽くされており、取り込んだとしても意味のないものならば、“食べる”必要は無いであろう。

 だが、国防軍は『次元を越えて』来た存在で有る。


 構成物質の違いに城塞が食指を伸ばさない(など)と誰が言えるだろうか。


 数日後、柳井の不安にヴェレーネもようやく気付き、『其の様な事は起こり得ない』と声を掛けることで彼の不安を幾分かでも軽減させる事に成功した。



 其の様な少しの混乱の中、ひとつの独立部隊が再編成される。

 マーシア・グラディウスを指揮官としたスゥエン派遣部隊であった。


 今、何故スゥエンなのか?


 理由は生存残数が全て捕虜となった北部奇襲部隊の総司令官がラデク・チェルノフである事にあった。

 これを奇貨として、フェリシアはサミュエル・ルースの名により誓約の正当性から来る圧力を加え、シエネ正面のシナンガル軍にスゥエン軍をぶつける事としたのである。


 シエネ戦線は新たな局面を迎えつつある。

 その中で、シナンガルにおいては新たな『概念』を持つ者が生まれつつあった。



       ◇   ◇   ◇   ◇   ◇



「この世界の始まりについて、どの様にあなた方は教え込まれて居るのかしら?」


 唐突な『軍師』の言葉にルナールが面食らったのは、シエナで柳井がヴェレーネからの説明を受けた二十三日の同じ時間帯のことであった。


 何せ、今の今まで目の前の存在は『スーラ』だったのであり、大量の粉砂糖をまぶしたドーナツを頬張りすぎた彼女の口元は真っ白に光っている。

 ルナールは乾いたハンカチでそれを軽くはたき落とした後、そのハンカチにコップの水を軽く浸して彼女の口元を拭き取ろうとしていた矢先であった。

 そこに(くだん)の『軍師』がいきなり表れ、訳の分からぬ言葉を発し始めたのだ。


「何を(おっしゃ)ってるんですか?」

 言葉と同時にハンカチを彼女に投げつける。

 スーラでない存在の面倒を見る気などルナールには無いのだ。


 軍師は見事なまでの素早い手の動きで投げつけられたハンカチを掴むと、それで自分の口元を(ぬぐ)いつつ言葉を続けた。


「別段、からかっている訳じゃないわ。確認を取っておきたいだけなのよ」

 そう口にする軍師の表情は、いつもの釣り上がった口の片端(かたはし)を持つものと違い、何やら物憂(ものう)げですら有る。

 何やら“罠かも知れぬ”と警戒しつつも、彼女が何かを“知らない”或いは“知っていることに確信が持てない”と云う新鮮な状況に気を引かれ、ルナールは話に乗ることとした。

 何より、今の彼に時間がたっぷりある事も、事をその気にさせる要因の一つとなっていたのだ。


 次に北部戦線の戦場の様子を知らせる連絡が来るのは、明後日の昼過ぎの予定である。

 如何(いか)に大型の翼飛竜とは云え、到達不能山脈の東西縦断には往復でたっぷり十日は掛かかるのだ。

 シエネを(にら)むにしても北部戦線の情報を持たぬ以上、誰もが時間つぶしには苦労していた。


 軍師を除いては、の話だが……、




「それで、軍師殿は何をお聞きしたいのですか?」


 コーヒーをポットごと運ばせると、天幕から人払いをして話を始める。

 午後の外気はかなりの暑さになりつつ在るが、三メートル四方の天幕(テント)の中は、軍師の魔法のためか充分な涼しさを維持しており、他の天幕のように風通しの切れ込みを開く必要もない。


 遮音魔法も掛けて完全に密室化した、と云う事は“どうやら長くなりそうだ”とルナールは見当を付ける。

 だが、見当が付かないのは話の内容であった為、疑問は素直に声に出した。


 処が軍師の言葉は相変わらず要領を得ない。


「さっき言った通りよ」

「?」

「だから。この世界はどう始まったのか、あなたが知っている範囲で話して頂戴」


 軍師が求める話題は理解できたが、改めてそう言われると、“はた”と困ってしまうルナールである。


 地球人から見れば信じられない事だが、カグラの人々は五百年より前の事柄について考える習慣がない。

 いや、興味を持った者が居なかったのだ。

 これは別段、シナンガル人に限ったことではなく、フェリシア人でも同じだ。


 (もっと)も、『(ごく)、一部の例外を除くが』という程度の前置詞は置かれる。

 しかし、聡明と言われるルナールですら、その“極、一部の例外”に含まれることはなかった。


 簡単に語ったが、これは人類学的に見て“おかしな”事実(こと)である。

 いや、『異常』と断じても良い。


 人間は集団生活の生き物である以上、リーダーが必要である。


 では、リーダーの条件とは何か?

 様々な要素が上げられるが、最も原始的な集団から一貫して言い切れる要素は

(むれ)を生き残らせる能力の有る者』であろう。

 よって家族単位の極小の集団ならともかく、ある程度のサイズを持った集団に於いては単に腕力が強いだけの者は決してリーダーには選ばれない。


 勿論、武勇が尊敬の対象となる原始的集団に()いて、腕力はリーダーとなるには不可欠な要素だ。

 だが仮に、単に腕力を振り回すだけの暴君が集団内に存在するならば、その人物は寝込みを襲われて直ぐさま残る全員の“胃袋”に収まることになる。

 少し、時代が進んで文化活動が行われる様になれば埋葬であろうか?


 死後の処置はともかく、いずれにせよ“消される”ことは当然である。

 人間は全ての生き物に対して肉体的に最も弱い。

 雑菌にすら負ける。


 だからこそ集団生活を営み、頭脳を武器として発展して来たのだ。

 その集団を脅かす者がリーダーでは本末転倒ではないか。


 よってリーダーの条件は原始的集団からも“単なる腕力”ではない。


 全員を統括し、集団の行動を決定づける能力の在る者が選ばれる。

 その為には、集団の意志を読み取り、不平不満が表に現れない様にする調整力と、いざとなれば武断も可能とする苛烈な意志、そしてそれを可能とする腕力が必要となる。

 但し、先程言った様な“単なる腕力”ではなく、『所属する集団の納得の下に振るわれる腕力』であり、『武力』なのだ。


 一般的には『集約型意志決定』と呼ばれる。


 この様なリーダーが求められるのは、大凡(おおよそ)に於いて狩猟的移動生活の時代である。


 次いで集団が農耕を(いとな)み、定住が始まると『個人の腕力』の影響力はやや小さくなり、集団を纏め上げ、生産効率を高め、外敵を排除する能力が求められる。

 ここで、リーダー争いは最も過酷なものとなる。


 つまり、単なる腕力馬鹿ならば追い出してしまえばそれで良い。

 何処かで野垂れ死ぬことは目に見えているからだ。


 だが、精神的にも肉体的にも優秀なリーダーに子があった場合どうなるだろうか?

 人は遊牧や農業経験などの体験的記憶から、子は親に似ることを知っており、親の教えを受け継いだ存在は先代以上の強力なリーダーになる可能性が高い、と考える事が自然となる。

 よって、通常は親から子へ権力の移譲(いじょう)が行われる。

 原始的ながら“王政”の始まりである。


 但し、農耕は『貯蓄』を可能とするため、リーダーは冨の配分を行う以上、利益の優先的な獲得が認められている事から、より大きな『冨』を(たくわ)える事が出来る。


 そうなると当然“その座”を狙うものも増えてくる。

 集団内部に於いて“その座”を奪うチャンスが最も大きな瞬間は、やはりそのリーダー=“王”が死に、権力が移動する瞬間であろう。


 ここで新たなリーダー候補者は、前王の子の若さと経験不足を血縁集団(クラン)に訴え、新たにリーダーの地位を得る。

 直系血統主義など確立していない頃は、これが普通だ。


 だが、そうやって地位を得た者は、自分の子や孫が、自分が追い出した相手と同じように“王”の地位から追われることを考え始める。

 そして、ここから“正当な血筋”を示す考え方、即ち『直系血統主義』が生まれてくるのだ。


 その直系血統主義の強化方法として最もよく使われる方法が、自分の血統に

(はく)』を付ける事である。

 つまり、自分の功績を強く押し出して子にそれを譲り渡す。

 同時に王権を受け継いだ側の子孫は親や祖先の功績をさも自分の功績の様に語り始める。

 更には『神話』すら造りあげるのが普通だ。


 そうやって古代の王権は成立してきたのである。



 また、神話のある王家、皇帝家とまではいかなくとも、その家の血統の記録が明確に古ければ古いほど何かしら『立派』に感じるのが人間だ。


 となれば、自分の先祖はどの様な人間であったかを常に考え、それを意識する様になるのが人間の自然な姿であろう。


 地球でよく知られている範囲で言うなら、ノルマン系の民族は古代に於いて「誰々の子、誰々」と名乗りを上げるのが普通であった。

 ウィルソンやサムソン、ジョンソンなどの姓はその名残を示す良い例であろう。

 それぞれに「ウィリアムの」、「サミュエルの」、「ジョージの」息子(Son)である事を示している。

 アイルランド系のオニール(O‘Neer)の『O’』などはやはり「~の子」を示す。


 また、大陸的な儒教の考え方で、最低五代前までの自分の先祖の名前は言えなくてはならない。

 墓にもその名を刻み、名前の多く刻まれた墓を持つ者ほど尊敬される。


 姓の由来はともかく、“先祖の名前を遡れるほど偉い”(など)と云う考え方は、今では前時代的、原始的過ぎるとして大陸以外の他の国々では見向きもされない上に、この様な事を口にすれば単なる世界の笑いものである。


 立憲君主として名の残る国王ならばともかく、貴族の称号を持つ者ですら先祖の名を振りかざし過ぎる事は一般に『見苦しい』とされているからだ。


 しかし、それでも誰しもが“記録”だけはきちんと残すのが普通だ。


 “下品に(おもて)(あらわ)す”か、“慎みをもって受け継ぐか”の違いは有るが、ともかく『ルーツ(血統)』は誰の心の中においても重大な関心事項だからだ。


 やや例外的なのは巧の国の庶民ぐらいで、四代遡れば先祖の名前処か「何を仕事にしていたか」にすら興味がない、という人も珍しくない。

 巧の母国は諸外国からはよく、『集団主義的社会』と言われるが、これ程『個人主義』な国民性を表す実例も有るまいと考える人類学者も世界的には多い。



 話がややずれた様である。

 今の問題はカグラ、特にシナンガルの『歴史』である。


 この中に於いて五百年より前の歴史に人が興味を持たない理由として考えられる事の一つに、『記録そのものがない』という事が上げられる。


 広田がポルカで拠点としているレムルの店『白鹿亭(ホワイト・ディア)』で考えた様に、この世界には“紙”が少なすぎた事が、第一の原因と言えたかも知れない。


 だが、それは根本的な理由にはならない。

 植物を原材料とした“紙”以外にも記録を残すことは出来るからだ。

 例えば、原始的な紙である“パピルス”は流石に長期の記録に向かないが、木片に刻む、羊皮紙を使う、そして究極の方法としては、『石に刻む』という方法すら有る。


 石に刻んだ文字の保存力は千年や二千年では済まない。

 焼き込んだ粘土板でも五千年前のシュメール文字が解読されている。

 石ならば更に不朽とも言える。

 地球の場合は絵画を含めて三万五千年前まで遡って明確な記録が発見されるのだ。


 人は大きな事象に付いては必ず記録を残す。

 これは先に挙げた様に王権や土地保有の正当性を示すために、自分や自分の先祖の偉業を人々の記憶に残しておきたいからなのだ。

 それが事実であるか、神話的な創成の(たぐい)であるかに係わらず、だ。


 処が()の世界には五百年前から先の記録が全く無い。

 いや、“記録”処か『口伝』という方法に因る『民族的記憶』ですら存在しないのだ。


『これは異常に過ぎる事では無いのか?』


 軍師はルナールにそう尋ねてきたのである。


 その時、ルナールの頭の中に思い描かれたのは、(かつ)てロプ湖北岸に位置するマークス・アダマンの別荘で彼と語り合った話の内容である。


 五百年から前の記録がこの世界に無い理由は想定されている。

 だが、あの会話に於いても、どうしても結論が出ない問題点があった。

 今回の軍師との会話は此の世界と『故国』の関係を確かめる良い機会になるのでは無いだろうか、と思う。


 あの時アダマンは言っていた。

『我々は別段、咎人(とがびと)ではあり得ない』と。 


 しかし、それはアダマンの言葉の説得力から来るものであっただけだ。


 “真実を知りたい”

 若いルナールがそう願って何らおかしなことでは無かった。




サブタイトルはロバート・J・ソウヤーの「フラッシュフォワード」からです。

あちらは未来を垣間見るお話でしたが、今回、次回と「過去を垣間見る」お話ですので丁度良いかと思いました。

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