第4話「嫌ナ汗」(2)
「・・・・忘れろ、忘れるんだ・・・」
「・・・・そうだ忘れろ・・・お前は悪くないよ・・・・お前に何が出来たって話しさ・・・・」
「・・・・そうだよ。君は悪くない。あれは不幸な出来事だったんだよ・・・・悪い夢みたいなもんさ。君には責任はない・・・・」
別々の三人の大人の人間の声が早先見千里の耳に入ってきた。頭上からそれらの声は聞こえてきたので、千里は天を見上げた。何故か、現在の千里は小さくなっていた。そのせいなのか、三人の人間は巨人のような大きな姿にも千里には見えた。声の主達を見上げる姿勢になっていた。千里は三人の顔を確かめるためにその人達を見た。
しかし、その人物達の顔はまるでモザイクがかかったような感じになっていた。一体その人たちは何者なのか、正体が分からなかった。だが、三人のうち二人の声には何故か懐かしさのような物を千里は感じた。
(・・・・一体、何を忘れろというんだよ?僕がなにかやったのか?)
千里はその人物たちに囲まれているような形にもなっていた。その巨人たちに訳がわからないことを言われて、彼は困っていた。そして得体の知れない恐怖も感じた。
(やめろよ・・・あんたたちが何者か知らないけど・・・・とにかくやめろよ)
そう千里は心の中で呟いた。とにかくこの場から逃げたかった。このまま、この場所にいるのは不味いと思った。何故か、その巨人達は自分の大切にしている物を奪うのが目的ではないかとも考えた。
その場からなんとか千里は逃げ出そうと走りだした。すると彼の背後から、またも懐かしさを感じる声が聞こえてきた。
「千里、逃げちゃうんだ・・・・」
今度は大人の声ではなく、少女の声だった。千里にはその少女の声にも聞き覚えがあった。だが、その少女が誰かは分からなかった。
(知っている声だ・・・・誰だ・・・・?)
知っているはずなのに、思い出せなかった。彼は必死に思い出そうとした。脳をフル回転させて、記憶を引っ張り出そうとした。しかし、どうしても思い出すことができず、とうとう頭が痛くなってきた。
(振り向けばいいだけの話じゃないか・・・・)
千里はそう考えたが、何故か身体が動かなった。金縛り・・・そんな感じだった。確かに千里には不思議な能力があるせいで幽霊などを見えることもあったが、そんな金縛りなんて経験は生まれてこの方、彼は味わったことはなかったはずだ。
(おい!動けよ!動けよ!)
彼は自分自身に強く呼びかけた。でも、やはり駄目だった。そう念じても体は動かなかった。
「ねぇ・・・・」
背後の声がすぐそばまで近づいてきた。千里は思わず目をつぶった。そして、その少女は耳元でこう呟いた。
「・・・・嫌な事、忘れて生きていて楽しい?」
「うわあああああああごめんなさい!」
千里は絶叫しながら謝罪した。その絶叫を聞いて、回りの生徒たちが怪訝な顔で見ていた。講義室の教壇に立っていた講師の教授も千里を睨んでいた。絶叫のせいで講義が一時中断状態になっていた。
「あれ?ここは?」
千里は大学の講義中に居眠りをして夢を見ていたのだ。現在は月曜日2限目の古典の講義だった。彼の横の席に座っていた皆川涼がそんな彼に対して悪態をついた。
「何やっているんだよ!馬鹿野郎!・・・どうもみなさん、すいませんね。この馬鹿が。さぁ講義再開してくださいよ!先生!」
回りに愛想笑いを振り向きながら、千里の代わりに謝罪もした上で、講師にも授業再開を促した。講師の教授が舌打ちをしながら、古典の講義を再開し始めた。他の生徒たちもノートに黒板の内容を模写する作業に戻っていった。
そして涼は隣の千里を睨みながら、小声で彼を怒った。
「馬鹿馬鹿!講義中に絶叫謝罪とかやめろ!隣にいるこっちが恥ずかしいぜ!このバカチンが!」
「ごめん。いや・・・なんか夢を見ちゃってさ・・・・」
「夢?どんな?」
涼の問いに千里は夢の内容を説明しようと、それを思い出そうと試みた。しかし、夢の内容が思い出せなかった。
「・・・・・・・・忘れた・・・・・」
「はぁ?」
涼は千里の返事を聞いて首を傾げた。千里はこう続けた。
「でもさぁ・・・・嫌な夢だった・・・そして嫌な汗をかいた・・・・」
千里の額や首筋は、何故か汗まみれになっていた。




