第二十二話
投稿が遅れてしまい、大変申し訳ありません。
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斬り裂かれた傷口から吹き上がった赤いモノが私に降りかかっていた。
小刀を薙いだ後も、私は男を睨み付けていたが、それまで空ろな目を浮かべていた男が、ぎょろりと視線を動かして私を睨み付けてくる。
何を言っているのかも分からなかったが、口は今も動き続けており、やがて光が失われていく目もまた、最後まで私に対する怨嗟の念で満ちている。
そして今もまた、暗がりの中で私を見つめ続ける。振り払っては消え、振り払っては消えるの繰り返し。
その都度、私は男の返り血を浴び、怨嗟を受け続けた。
「っ!?」
それが限界に達して目を見開いたのは、それを数える気もなくなった頃のことだった。
視線の先には、見覚えのない天井。全体に古びてはいるが、作り自体は落ち着いたモノ。だが、見覚えはない。
「ミナギっ」
ぼんやりとそれを見続けていた私の耳に届く女性の声。
ひどく懐かしい様な気がしたその声の主は、切れ長の美しい目に涙をためて私を抱きとめてくれた。
「お、お母様っ!? ど、どうしてここに?」
「カザミさん聞いたのよ。無事で良かった……」
それは、大凡一年余ぶりの再会であった。
それでも、私を抱きしめる身体の温もりに変わりはなく、先ほどまで眼前に浮かび続けていた男の死に様が消え去っていくように思える。
私の激発から、顔を見ることもなかった母。
私がツクシロ家に引き取られる時にも顔を見せなかった以上、別離には相応の覚悟を決めて望んでいたのだろう。
だが、今こうして私の元に戻ってきてくれている。
気丈で気位の高い人ではあったが、別れの時に見せた涙と告白を考えれば、優しさと弱さを同時に持つ人であるのだと今更ながらに思った。
「お母様、ご心配をおかけしました」
「いいのよ。あなたが無事で、殿下もね……。ごめんなさい。本当だったらあなたのことを一番に気にかけるべきなのに」
「それは約束した事じゃない。殿下の御身を必ず守るって……。でも、私は今まで眠ってしまったみたいだから」
最後までお守りできたわけではない。そう言う言いかけた時、扉を叩く音が耳に届いたかと思うと、カザミさん、いや、お父様と一緒に、お兄様と……。
「ヒサヤ様っ。そ、それに、両殿下もっ!?」
後から入ってきた三人に対し、私はお母様とともに、慌てて跪こうとするも、寝台に横になっていたままだってので、布団をひっくり返したり、枕に躓きかけたりと散々であった。
「ああ、ちょっと待ちなさい。そのままでいいわよ。ああ、ミオさんもやめて。久しぶりなのにそれじゃあ」
「そうだな。ここは私達しかいないんだ。昔のような、高飛車お嬢様でいてくれてかまわんぞ?」
「な、何を言っているのですかっ!!」
「殿下、久々の再会でそれはひどいですよ?」
大慌ての私達母娘に対し、サヤ様と皇太子殿下、リヒト様は、苦笑しながらそう告げる。
予想外の二人の登場とお母様に対する柔らかな態度に、私は跪きながらも困惑していた。お母様とサヤ様の間にあった事が、私の知る事実とは異なるとしても、二人の、いやリヒト様はお父様達も含めた関係者の間には、ある種のわだかまりがあると思っていたのだ。
だが、今サヤ様は、お母様に対して“ミオさん”と親しみをこめて呼びかけ、リヒト様に至っては、からかうような口調で笑みすらも浮かべている。
お母様と“お父様”の反応も妙に親しみを感じる。
もっとも、サヤ様の反応はある程度予想がついたが、リヒト様に関しては以外すぎる。
今更だとは思うが、小説の中にあっては、リヒト様とお母様は完全なる対立関係。
皇室権力の弱さを実家の成り上がりの中で叩き込まれてきたお母様、ではなく、ミオ・ヤマシナにとって皇室とは、主君でもなんでもなく、ただの傀儡でしかない存在だったのだ。
とはいえ、そんな傀儡でしかない存在であるうえ、学内でも白の会の権力を振るってやりたい放題のミオが、一般学生として在籍し、児童会、生徒会としてそれを嗜める側にあったリヒト様に、徐々に惹かれていくという描写も面白くはあったのだが。
もっとも、ヒサヤ様と同じようにリヒト様が一般学生として過ごされていたのかどうかは私の知る所ではないのだが。
「はっはっはっは、まあ、積もる話は後にしておいて、ミナギさん。捕らえられた点は、減点かも知れんが、息子のために頑張ってくれてありがとう。皇太子としてではなく、父親として、お礼を言わせてもらうよ」
「はっ、もったいなき御言葉にございます」
「うん。聞いたとおり、大人で礼儀正しい子だな」
そんなことを考えていた私に対し、一人笑い声を上げていたリヒト様が、表情を引き締めて私に向き直り、凛とした笑みを浮かべて手を差し伸べてくる。
そんなお姿に、私は思わず頭を垂れるが、すぐに苦笑したリヒト様は、私が顔を上げるのを待って手を取り、握手を交わしてくる。
どうやら、このような子どもらしい対応を期待していた様子だったが、さすがに恐れ多い。
周囲の雰囲気で緩和されているとはいえ、私の鼓動は高まり続けているのだ。
思わず目があったお兄様も同様のようで、表情がいつも以上に凍結している。そういえば、あの美しい漆黒の翼は姿を消していた。
「ミナギ、今回の事は、ごめんよ。私のせいで」
「ヒサヤ様??」
「私がわがままを言って、皇居の外をうろついていたりしなければ、二人を巻き込むことはなかったんだ。本当にごめんなさいっ」
そんな私に対し、ヒサヤ様が近づいてきて寝台に手を着くようにして頭を下げてくる。
今回の事に対する責任を感じているのはよく分かるし、普段の軽い様子が完全に影を潜めている事を見ても、そううな衝撃であったことは理解できる。
傍らでリヒト様が、何も言わずに背中に手を置き、サヤ様も項垂れていることを考えれば、事の重大さは嫌が応にも察せられる。
たしかに、一般の学生としての生活や街の書店の子どもとして街を行き来すると言う事を望んだのはサヤ様とヒサヤ様なのだろう。
リヒト様やお父様もそれを止めたとは思えず、その結果が今回の事を呼び込んだとも言える。
だが、事の重大さは分かる。しかし、しかしである。
こう何度も、皇室の皆様に頭を下げられていては、別の意味で私の身が持たなくなってしまう。
「ヒサヤ様、お願いですからやめてください。私達がしっかりしていれば、起きなかったことなんですから。責任は私達にあるんですよ」
「こらこら、取れもしない、果たせもしない身で、“責任”などと言う言葉を口にするものじゃないよ。ミナギさんもヒサヤも、まだまだ守られるべき年齢なんだしな。と言うことで、君達の謝りっこはこれで終わり。ミナギさんも大丈夫そうだし、ハヤト君、二人をハルカさんの所に案内してあげてくれ」
「はっ! では、殿下、ミナギ、行きましょう」
そして、互いに頭を下げ合い始めた私達に対し、リヒト様が手をぱんぱんと叩いて、それをとめる。
私としては、ヒサヤ様が責任を感じることの内容にしなければならなかったのであろうが、リヒト様にとっては私の言葉が手打ちとするには最適であった様子。
これ以上、子どもどうして責任を感じあう様子を見ていられなかったのかも知れないが。ともあれ、この状況から脱する事が出来、ハルカの様子を見に行けるのは嬉しい。
大人同士での積もる話しもあるように思えるし、私はなおも渋るヒサヤ様を促し、お兄様の後について病室から出て行った。
「どうやら、大事ないようだな」
病室を出ると、壁にもたれるようにしながら腕を組むシオン師範の姿が目に映る。
他にも、アツミ先生をはじめとする神衛の皆様が等間隔に通路に立っている。どうやらここは白桜内部の病院施設である様子で、神衛達の姿に患者や職員も気を使っている様子は無い。
「はっ。ご心配をおかけいたしました」
「心配などしていない。ただ、脱出にまでこぎ着けたのは見事だった。その一部分と最後に関しては不注意だったがな」
「はっ。…………一部分?」
そんな師範や他の神衛達に対し頭を下げるが、師範の声は相変わらずの冷たさを含んだものだった。とはいえ、一定の評価はしてくれた様子である。
ただ、一部分というものがなんなのかまではわからず、それについて問い掛ける。
「戦いに、それも殿下の御身を案ずる場面にあっては、情けや心情などは無用と言う事だ。勝利が約束された状況を除いてはな……。おい」
そう言った師範の声とともに、ゆっくりと歩み寄ってくる一人の神衛衛士。
厳つい風貌と縦横に大きな身体を持った巨漢であったが、その表情は優しいものでもある。なぜか、私に対して申し訳なさそうな視線を向けているようにも思えたが。
そこまで考えていると、ふと私の脳裏に浮かび上がる一人の男の姿。
「えっ!? あ、あの時の??」
「ああ。悪かったな、手ひどくやり過ぎてしまって。身体は大丈夫か?」
「はっ。ですが、膝やお体の方は?」
「大事ない。と言いたいところだが、油断大敵とは良く言ったものだ。やられる振りをしなければならなかったが、しばらくは駆ける事は出来なそうだ」
そう言って苦笑する巨漢の神衛。
彼の表情を獰猛なモノに変え、口調を荒くし、顔と髪を無精髭と無造作な髪型にすれば、ちょうど私とハルカを暴行し、ペンダントを奪っていた巨漢の賊と姿が重なるのだ。
そして、その衛士は私に突き刺された膝付近を撫でている。受け身はしっかり取ったため、階段から落とされたことはなんでもない様子だが、隙を突かれたそこは本当に重症になった様であった。
もっとも、それは世間一般から見た話での重症のようだが。
「ど、どういう?」
「内偵だ。まあ、ここから先は、神衛本隊に関わることになる。それよりタケ、ツクシロに用があったのではないのか?」
困惑する私に対し、師範は素っ気なくそう告げる。
内偵。となれば、賊達の中に紛れ込んで、人身売買に関する証拠を握ろうとしたのであろうか?
だが、少々解せないことがありすぎるようにも思える。実際、私に行動の自由を奪われ、気を失っている間にヒサヤ様は危機に陥っているのだ。
しかし、周囲の神衛達やお兄様もそれに対して疑問を持つような表情をはしていない。皆すでに事の真相を伝えられているからなのだろうか?
「はっ。ツクシロ、これだ」
「あ、これって……」
そんなことを考えている私に対し、タケと呼ばれた巨漢の神衛が、私に対し何やら光るモノを手渡してくる。
手にしてみてみると、紛れもなく彼から奪い返したペンダントだった。
無理矢理引っ張ったため、鎖が切れて三つに分かれてしまっていたが、今は新しい鎖をつけられてしっかりと治っている。
とはいえ、最初のような三つの形が一つになっているモノでなかったが。
「すまない。他の連中の気を引く為ではあったのだが、必死に取り戻そうとするほど大切なモノだとは思ってもいなかった。直せるだけ直してみたのだが」
「いえ。十分です」
「そうか。すまなかったなあ」
「シオン、この者はともかくとして、他の賊達は?」
「首領、ロイアと死亡した数人を除き、捕縛しております。ヴェナブレスの処遇は、聖アルビオン側との話になりますが、他の者達は情報を引き出し次第、処刑となりますな」
「そうか…………。行こう、ミナギ、ハヤト」
「え? は、はい」
ペンダントを手にした私は、表情顔に出たのか、タケがしきりに頭を下げてくる。そんな私達のやり取りに対し、ヒサヤ様は師範に対してそう問い掛ける。
やはりというべきか、賊と傭兵たちは問答無用の拷問と処断が待っているようだった。だが、ヒサヤ様の表情はどこか沈んでいた。
先に歩き始めたヒサヤ様に後を追うが、その表情とお姿は話しかけることを拒否しているように思えたのだ。
◇◆◇
回転に合わせて、水車とそれは水を被っていた。
「がはっ!! ごほっ、ごほっっ!!」
「うるさい」
水車に磔にされ、今もまた水を大量に飲みこんで盛大にむせはじめる細身の男。
ミナギ等の誘拐に関わり、むしろその主導的立場にあった男だったが、わずかな油断からミナギに敗れ、成果を上げることはできなかった。
そんな男に対し、苛立ちを隠さずに蹴りを見舞うもう一人の男、そのみにつけた赤を基調とした豪奢な衣服は、ベラ・ルーシャ軍の軍服であり、豪奢な勲章と飾りはその男の相応の地位を示すモノでもある。
「まあまあ、閣下。今回の事は、ほんの児戯。大目に見てやるとしてはいかがですかな?」
「ふん。どんな事情があれ、この者が失敗したことには変わらん。あまつさえ、小娘に敗れるとは……」
そう言うと、今度は、再び水を飲んでむせかける男の顔面に蹴りを見舞う。鼻が砕け、歯も二、三本吹き飛ぶほどの威力。
当然、男は水を口から垂れ流しになりながら気を失うも、再び水につかって強引に意識を取り戻させられる。
「まあいい。これで、神衛の力量はある程度把握できた……。して、貴国はどうするのだ?」
「我々にとって、スメラギとは生産のための“てこ”でしかございません。閣下が立つにせよ、労働力の供出をお約束いただければ、介入はいたしませんよ」
「……俺の望みは、ヤツ等の根絶以外にはないと言ったはずだが?」
「それならば、交渉は決裂と言う事になりますな。我々としても、大陸進出の拠点を手放す気はございませぬが故」
そんな細身の男に対する拷問の傍ら、豪奢軍服の男、アークドルフ、ベラ・ルーシャ総督は、傍らに控える長身痩躯の男に対して口を開くと、男もまたそれに応じる。
両者ともにスメラギに対しては、敵対種であり、戦争に勝利した以上は肉なり焼くなり好きにする。と言った認識を崩してはいない。
だが、一方がすぐさま焼き尽くすことを希望しているのに対し、もう一方は骨まで吸い尽くした方が得策と考えている様子。
両者の間には、そう言ったわだかまりがたしかに存在しているのだった。
「ちっ……。まあいい、時間はまだまだあるしな。――鼠が戻って来たか」
そして、長身の男に言に、あからさまな舌打ちとともにそう答えたアークドルフは、もう一人の人物の登場に顔を歪ませる。
“鼠”と呼ぶほどに忌み嫌う相手。だが、その能力自体は買っている。自身の野望を満たすためには、利用しない手はないほどの才覚をその人物は持っているのだ。
そして、その“鼠”と呼ばれた人物は、スメラギ風の衣服に身を包んでいた。
◇◆◇
その後、ハルカとも顔を合わせ、ともに無事を喜んだ私は、お父様とお兄様とともに家へと戻っていた。
お母様は、私をもう一度やさしく抱きしめた後、立ち去ってしまい、それ以上話をする機会を得ることはできなかった。
それでも、少しでもお母様のことを知ろうと、お父様にどのような話があったのかと問い掛けてみたが、返事はあっさりとはぐらかされてしまっていた。
もちろん、私が踏み行ってよい場では無いことは分かる。だが、一抹の寂しさを感じることは否定できなかった。
だが、それ以上に私には引っかかることがあった。
「さて、三日ぶりに全員が揃ったな。ゆっくりといただくことにしよう」
夕食の席にて、私が無事に戻ってきたことに家の者達全員が安堵し、笑みを浮かべてくれている。
そして、お父様の言にて始まった夕食を取り終え、ゆっくりと団らんしている最中に、私は思いきって口を開いた。
「お父様、お聞きしたいことがあるのですが……」
「っ!? 何かな?」
そんな私の問い掛けに、一瞬、口元を綻ばせたお父様であったが、私の鋭く探るような視線に、表情を引き締めた。
何に期待をしたのかまでは分からなかったが、ともかく私は引っ掛かりを覚えていたことを思いかえす。
先頃のシオン師範の言とタケ殿の内偵。
「お父様。今回の事、恐れながら、狂言の類であるのではございませんか?」
「なに?」
そんな私の問い掛けに、お父様は眉を顰め、他の者達は一斉に目を見開く。どうやら、ある程度は当たっていたようだ。
「確信はございませぬが、ヒサヤ様とサヤ様の振る舞いに、神衛をはじめとする皇室関係者は快く思っていないように感じまする。そして、お二人は立場というモノに対して責任をお持ちです。私達を巻き込み、神衛達をも巻き込んだとなれば、今後は件の振る舞いを控えるようになる。……そう踏まれたのではございませぬか?」
「つまり、私が今回誘拐が起こると言うことを知っていたのではないか? そう言いたいのか?」
「はい」
「ミナギっ!!」
思うがままにまくし立てた私に対し、お父様は冷静に問い返してくるが、それに対しても私は逡巡することなく答える。
お兄様が不穏な空気に、私を咎めるように声を上げている。だが、私としては聞いておかねばならないモノでもあった。
「ハヤト、いい。…………ミナギ、そのような事に、私が答えると思うのか?」
「思いませぬ。ですが、皇室神衛カザミ・ツクシロとしてではなく、私の父、カザミ・ツクシロとしてならば、答えてくれるのではないかとも思っております」
「…………ふ。ごまのスリ方はどこで覚えたのだ?」
「では?」
「うむ……。まさか、気取られるとはな。その通りだ。今回の事は、私やシオン等が仕組んだ」
「父上……?」
「ハヤト、お前を利用したのも、そのためだ。ミナギにも知っておいてもらわねばならぬ事であったからな。そして、殿下と妃殿下を止めることもな」
「やはり、快くは」
「そんなことはないさ。実際、皇太子殿下も同じように過ごされている。だが、時代の状況は変わっている。お二人には、皇室のしがらみ以上に、御身の安全を確保してもらわねばならなかった。内偵のことにまでは、気が回っていなかったがな」
「主導はシオン師範でございますか?」
「うむ。あいつは人一倍、妃殿下のなさり様を気にしているからな」
そこまで言うと、お父様はゆっくりと今回の事の次第を語りはじめる。
ヒサヤ様はあくまでも一人の皇都市民の子どもとして過ごされている。だが、近年ベラ・ルーシャやユーベルライヒの間者の動きは活発で、その行動も把握されつつある。
こまめ書房と皇居の地下を通路で繋いだりもしていたが、日中から夕刻に駆けては基本的には路上を歩いてヒサヤ様は行き来をされている。
その間も神衛達は行動を共にしている。とはいえ、人々の往来がある場所でのこと。危険に見舞われた際には、どうしても行動が遅れることが懸念されていた。
今回の事は、内偵をしたタケが他の賊達を扇動し、護衛の神衛達はあえてその行動を見過ごしたのだという。
タケ自身は、私とハルカを傷付けたりすることで賊達を油断させていたが、まさか横穴を発見して脱出するとまでは考えていなかったらしい。
あとは、ヴェナブレス等の到着を迎えたところで、シオン等が突入し、ヒサヤ様の御身はタケが保護をする。
ヴェナブレス等の行動が空振りに終わったとしても、ヒサヤ様に危険が及んだともなれば、リヒト様とサヤ様は行動を考え直すと言うことも予測済みであったという。
「結果として、お前とハルカさんの力に救われた形になったな。最悪、タケヒサに皆殺しにさせるという手段もあったが、ヴェナブレスとロイアの力を計り違えてもいた」
“タケヒサ”とは、タケのことであろう。師範は、本名ではなく愛称で呼んでいた様である。
「師範がそのような失態を?」
「ヤツにしては珍しいな」
感慨深げにそう口を開いたお父様であったが、師範に対する認識はなんとなく違っているようにも思える。
実際、穴だらけの計画でもあるのだ。普段の冷厳さを考えるとよけいに。
「さて、私から話せるのはここまでだ。そしてミナギ、もう一つ、伝えておくべき事がある」
「はい?」
「今回の事を受け、皇太孫ヒサヤ殿下は、ヒサヤ・ミズカミとして白の会に入会し、神衛としての修練に参加することが決まった」
「え?」
「一度、このようなことが起こった以上、神衛としても知らぬ振りをしているわけには行かぬ。そして、ヒサヤ様御自身にも、御身を守るための力はつけていただかねばならないと言う事もな」
「そ、そんな……」
「これは、ヒサヤ様たっての願いであり、神将家、五閤家も歓迎している。お前達もまた、殿下の前で無様な姿を晒すことのないよう精進せよ。よいな?」
そこまで言うと、お父様は席を立ち、今から出て行く。
だが、私とお兄様にとってはまさに青天の霹靂。あまりに突然のことに、私達はただただ顔を見合わせることしかできなかった。
翌日夕刻の白の会用離れが、驚愕に包まれていたのは必然のことでもあった。
特に、トモヤとその取り巻きたちは、これまでの無礼を思いかえして蒼白になっている。だが、多くの候補生達の反応は、歓迎と言うよりも困惑の方が強かったであろう。
本来であれば、自分達が守護するべき相手とともに修練を積むことになり、状況によっては助けられう様な場面が出てくるかも知れない。
それは、神衛の任務の否定と同時に、矜持に関わる話にもなってくるのだ。
だが、私としては、そのような反応事態が、ヒサヤ様とサヤ様に対する、上流階級の評価であるということを、教えられたように思える。
ただ、私にとって懸念すべき事の一つは消え去ってもいた。
「ミナギ、これからもよろしく頼む。……少なくとも、お前の足を引っ張ることだけはないようにしたい」
笑みを浮かべながら、そう語ったヒサヤ様に、それまでのぼんやりとした少年の姿は無く、サヤ様が見せた凛とした強さを纏うようになっていたからである。
一つの事件が、ヒサヤ様の中にあった王者の風格の類を目覚めさせたのであろうか?
私のお母様に対する激発以来続いていた激動に日々は、思いがけない終着点を迎えることになった。
それから三年間、私達は平穏とは言い難い充実した日々を送っていたが、生徒としての生活と神衛としての修練は、私にとってもヒサヤ様にとっても、他の候補生達にとっておかけ替えのない日々であったと断言できる。
そう思えるほどに、私達にとって、その三年間は生涯忘れることにできぬほどに大切な日々であったのだ。
◇◆◇
この年、スメラギにあっては、陸間大戦の終戦から六〇年の月日が過ぎ、いまだ言えることのない戦争の傷跡に対する慰霊と平和を願う儀式。
そして、それと同時に、皇太孫ヒサヤの立太子の儀が執り行われようとしていた。
皆が皆、六〇年の長きに渡る戦後を振り返り、次代の神皇となる少年の姿を思い浮かべる中、運命の歯車は、大きく揺れ動こうとしていた。
明日から、三年後に舞台を移したいと思います。
一応、二〇時の投稿予定ですが、行けるかどうかは分かりません。また、体調が檄悪という状況なので、感想返信を終えたら休ませてもらいます。
誤字脱字の報告をくださった方には申し訳ないのですが、訂正は明日以降にさせていただきたいと思っています。




