5 隣家の住人――――佐知子
見覚えがある、どころか、いまだに身体に染み付いている道順を駆け抜けて、私は目的の家へと走った。
背後から、雨の降り始めに感じる独特の匂いとも気配ともつかないような空気が追いかけてくる。
抱えた袋からは、走るごとにふわり、ふわりと桃の甘い香りが立ち上る。
坂道だらけのこの町では、走っても思うようにペースが上がらず、一向に距離ははかどらなかった。額に汗がにじんでくるのを感じる。
ああ、夏だ。
そんな、どうしようもない感慨が浮かんだ。
私の心はいつしか、あの夏に戻ってゆく。
いつも桃を剥いてくれる優しい手には、深い皺が刻まれていた。
低く穏やかな声。忘れようがない、おばあちゃんの声。
『好きなだけ食べなさい。若い子はたんと食べないと』
その同じ言葉に背中を押されて、はち切れそうなほど、そうめんを食べた後でさえ、数切れの冷たい桃がするりと胃の腑に収まっていくのが、不思議だった。
あのそうめん。もう、何年も食べていない。つけ汁に茄子と油揚げが入っていて、刻んだミョウガとネギを浮かべて麺をつけると、いくらでも食べられそうなくらいおいしかった。
おばあちゃんの冷蔵庫に入っていためんつゆは、どこのスーパーにでも売っている大手メーカーの商品で、実際、母がいつも買っているものと同じ銘柄だった。それなのに、自分で作ろうと思い立って何度やってみても、あの味は作れなかった。
『俺、桃よりスイカが好きなんだけど』
ふてくされたような言葉と裏腹に、私の倍以上の桃をひょいひょいと口に運ぶ長い指。その、指についた果汁をぺろりとなめとる行儀の悪い仕草も、昨日のことのように思い出せる。
『ずるい。リョウトばっかり、五切れも食べて』
半泣きの私に、からかうような余裕綽々の笑みを向けてくる五歳上の彼は、途方もなく大人に見えた。当時、私は小学校五年生。彼は高校一年生だったはずだ。今から思えば、彼だって十分にお子様な年齢だったのだが。
『悔しかったら、サチもさっさと食べたら良かったじゃん』
そう言われて、悔しくて悔しくて、地団駄を踏んだのを覚えている。
『違うもん。あたしが食べたいんじゃないもん。リョウトが、おばあちゃんとカズ兄の分まで食べちゃったから怒ってるの!』
皿にはもう、たった一切れしか残っていない。
『何だよそれ。兄貴は『カズ兄』で、未だに俺は呼び捨てとかなめてんだろ、サチ』
彼は険悪な色を瞳にうかべて言った。
返事もせずにぷいっとそっぽを向いた私に彼は苛立った口調で重ねた。
『だいたい、リョウトじゃねえだろ。先生って呼べよ』
『うるさいっ。家庭教師はカズ兄が良かった。だって、リョウトはすぐ怒るんだもん! 桃だって本当は好きなくせに、おばあちゃんに文句ばっかり言って』
売り言葉に買い言葉で言い返した私の背中を、優しく撫でてくれたのは、ほんのり桃の香りがする、あの皺だらけの手だった。
『いいんだよ、さっちゃん。桃はちゃあんと、二つ買ってあるんだから。おばあちゃんは、カズトが帰ってきたらもう一つの方を一緒に食べるから、さっちゃんが欲しかったらこの桃は食べちゃいな』
そう言われて、さすがにお腹がいっぱいで無理だったのでそう言ったら、おばあちゃんもリョウトも大笑いした。また子ども扱いだ。悔しくて涙ぐんだら、おばあちゃんは、今度は私の頬をそっと撫でてくれた。
『さっちゃんは優しいね。かわいいほっぺたは、綺麗な桃色。本当に桃みたい。こんな素直じゃない憎まれ口を叩く男ばっかりじゃ、おばあちゃん、つまんないよ。女の孫も欲しかったねえ。さっちゃん、おばあちゃんの孫にならないかい』
おばあちゃんの口癖だった。何度も聞いているけれど、それでもまた、そう言ってくれたのが嬉しくて、二つ返事でうなずいたのを覚えている。
『なるなる! 約束ね。おばあちゃんは、サチのおばあちゃん!』
そう言うと、おばあちゃんは私をぎゅっと抱きしめて、ぐりぐりと頭をなでてくれた。
『よし、さっちゃんはいい子だねえ。じゃあ、さっちゃんの先生は、リョウトでもいいかい。おばあちゃんに免じて許してあげてよ』
『もう。しょうがないなあ。よろしくね、リョウトセンセ!』
私の生意気な軽口に、リョウトがいーっとしかめっ面をしたのも、もう十年以上も前なのに、昨日のことのようだ。
おばあちゃんと、リョウトと、カズ兄は、私の隣の家に住んでいた。
どういう事情だったのかはよく知らない。だが、兄弟の両親に当たる人たちは、そこには住んでいないようだった。
私の家もちょっとした事情持ちで、家にいるのが気づまりだった私は、おばあちゃんが優しいのをいいことに、学校が終わって家に帰ってくると何かと口実をつけては隣の家に上がりこんでいた。
事情と言っても、大したことではない。ごくありふれた話だ。両親の関係が完全に冷え切っていて、その頃、母は離婚に向けてこっそり準備を進めていたのだ。万が一にも父に悟られてはいけないと思っていた母は、私にもその事実をひた隠しにしていた。
五年生の私は、訳もわからないまま、ただただ冷たくぎくしゃくした家の中で、ぽつんと一人で取り残されることが多かった。それが嫌で、隙あらばおばあちゃんの家に通っていたのだ。
おばあちゃんはいつでもにこにこして、迎え入れてくれた。私があまりに入り浸っているので、恐縮して止めようとする母にも、孫が一人増えたみたいで嬉しいんだから、いくらでも来させて、としつこいまでに念を押してくれた。
兄弟のうち、カズ兄は大学生だったけれど忙しいらしくて、私のいる間に帰ってくることはめったになかった。その分、顔を合わせたときにはずいぶんと甘やかしてくれた。お姫様扱いが嬉しくて、私は普段から「カズ兄、大好き!」と公言していた。
だが実際に、本当にこまめに私の面倒を見ていたのは、リョウトの方である。
ぶっきらぼうではあったけれど、小学校に上がってからずっと、勉強はよく見てくれた。事情を聞いた母が、正式に彼に私の家庭教師を依頼するほど、丁寧で的確な教えぶりだったのだ。間違っているところは遠慮会釈なく指摘するが、分かるまで根気よく付き合ってくれる。ひたすら私に甘いおばあちゃんやカズ兄だったら見逃しそうな小さなミスまで細かくフォローして、直してくれた。
勉強が終われば、テレビゲームもやった。やはり遠慮会釈なく、パズルゲームでもレーシングゲームでもシューティングゲームでも、ぼこぼこに負かされたが、悔しがった私が何度「もう一回!」と叫んでも、彼はおばあちゃんが呆れて止めるまでただ付き合ってくれた。
実際のところ、腕前の差は歴然としていて、私は彼の遊び相手としては物足りなかったはずだ。けれど、彼はそんなことはお構いなく淡々と自分のプレイをしていて、勝ち誇ったりテクニックを見せつけたりするようなこともしない代わりに、手加減も一切なしだった。もっとも、下手にリョウトに手加減されていたら、勝ちを譲られたことを察した私はかんしゃくを起こしてへそを曲げただろう。
当時の私は、とにかく背伸びがしたくて、おばあちゃんにかわいがられるのは辛うじて許せたけれど、リョウトに子ども扱いされるのは絶対に嫌だった。何かにつけて、敵うわけがないことで張り合っては、一人前の口を叩いていた。
あの頃の私にとって、お隣のおばあちゃんとリョウトとカズ兄は、実際の家族よりも家族のような存在だった。
母が諸々の手続きや準備に忙殺されて、私に向ける注意が完全に枯渇していた時、私がふわふわと情緒不安定にもならず、成績も落さなかったのは、今にして思えば、もっぱら隣家の人々のおかげだった。父に関して言えば、私が成長するにつれ、興味がどんどん薄れていったようで、五年生の頃にはほとんど構われることもなかったから、そもそも無関心が常態だったといえるのだが。
あの頃のことを思い返すと、今でも、呼吸が少し苦しくなる。
家に帰れば、見えないけれど重い霧のような何かが冷たく絡みついてくる。いつも喉に何かがつまったようで、浅くそっと息をするしかなかった。
いつもお隣にリョウトとおばあちゃんがいてくれなければ、とっくに私は壊れていただろう。
……先生か。
どうにも息が切れて、走るのを諦め、早足で歩きながら、心の中で呟いた。
リョウトを先生と呼ぶなんて、絶対に悔しいとあの頃は思っていた。
今は、リョウト、なんて絶対に声に出しては呼べない。上司や同僚と同じように、「リョウト先生」と呼ぶしかない。
売れっ子の作家先生と、駆け出しの担当編集者なのだから。














