25 【番外編 4】 待ち時間の効能
「レインボーアーチスペクタクル、ただいまお待ち時間80分ほどでご案内しておりまーす!」
お目当ての乗り場は、一際にぎわう園の中央付近だった。
最後尾と大書されたプラカードを掲げ、華やかな制服の上に遊園地のロゴ入りのグランドコートを羽織った係員が、声をからして客を誘導している。
「えっ」
予想していたよりはるかに長い待ち時間に、思わず声をあげてしまった。
「いや、そんなもんだろ」
リョウトはあっさり肩をすくめて、私の手を引いたまま、ポールとテープでジグザグに区切られた迷路のようなウェイティングレーンを進んでいく。
「お前はどうかしらないが、世間の日本人はこういうのに並ぶのが好きなんだ。たくさん並んで乗ったほうがすごい経験をしたと思うんだろうな」
「認知的不調和の解消ってやつだね、大学の授業でやったよ」
「ああ、それは俺も聞いたことがある」
食べられなかったブドウはすっぱいものだと思いたがり、苦労して手に入れたものほど実際には品質が低くても素晴らしいものだと思いたがる人間の傾向については、マーケティングの講義でレポートも書かされたので印象に残っている。
「でも、来てみて思ったんだけど、多分それだけじゃないぞ」
リョウトは辺りを眺めながら言った。
「どういうこと?」
問い返した私に、けれど彼は少し笑って首を横に振っただけで答えなかった。
「ドリンクのスタンドは、結構並んでた?」
「うん。メニューはあの二つだけだったけど、注ぐだけじゃなくて、ひと手間ふた手間かかるからね」
「あのドリンクだと、小さい子連れはあんまり並ばないよなあ」
「確かにこってりしてるから小さい子は持て余しちゃうかもね。それより、もっと他のものが食べたくなりそう。チュロスとかポップコーンとか。あれは写真映えするからか、私くらいの女子同士かカップルが多かったかな」
「なら、他のやつに声かけられたりはしなかった?」
リョウトが、痛むのが分かっているのについ虫歯をつついてしまってやっぱり痛かった人みたいに顔をしかめたので、私は笑ってしまった。
「やだなあ、結局心配してるの? してないよ。大体、ナンパ目的なら、もっと違う子に声かけるでしょ」
「違うって?」
「例えば、私の友だちみたいな子。写真見る? でも、好きになっちゃだめだからね」
「いや、なるわけないし。見なくていい」
「えー、じゃあ安心だから見せる。ほら」
「結局見せたいんだろ」
ため息をつくリョウトをよそに、私は高校・大学時代によくつるんで遊んでいた親友二人の写真をスマホの画面に呼び出した。バービー人形みたいにナイスバディなブロンド美人のローレンと、高身長でスレンダー、中性的でクールな黒髪のナンシー。三人で写真を撮ると、自分があまりに子どもっぽくてちんちくりんなのに戦慄したものである。
「……ふっ」
リョウトは一目見て口元を押さえると、くっくっと肩をふるわせた。
「何よ。人の友達笑わないでくれる? めちゃくちゃ美人じゃん」
むっとして私が言い返すと、リョウトは案外あっさりうなずいた。
「うん、そう思う」
「声かけるならやっぱりこういう子がよくない?」
「その二人が、ユニランのドリンクスタンドに並んでたら、九割九分の男が声かけられないぞ。なんかの撮影かなと思って、辺りを見回すのが関の山だ。サチ、美意識は確かだけど、やっぱ感覚ズレてるよ」
「そうかなあ。二人ともめちゃくちゃモテたよ」
高校は別だったけれど、大学は同じところに通った。彼女たちの華々しい武勇伝に、もっぱら聞き役の私はしょっちゅう笑い転げたものだ。
「そりゃ、そういう環境ならな。根拠のあるなしに関わらず、むちゃくちゃ自分に自信がないと行けないだろそれは」
「あーまあ、うかつにナンパした人はこてんぱんに返り討ちに遭うパターンが多かったかな。でも、それで行ったら、リョウトはちゃんと自分に自信あるし、紳士的に話しかけるでしょ。別にそういう人には二人ともそんな怖くないよ」
「どうかな。あと、自信のあるなしじゃなく、俺の好みとはちょっと違うからなあ」
「リョウトの好みって?」
ちょっと待て。それは今後の参考に是非聞いておきたい。
そう思ったのに、彼はまた、笑っただけで答えなかった。
そうやっておしゃべりしている間にも、どんどん列は進んで、アトラクションのエントランスが近づいてきた。
「え、もう? 八十分待ちなんて嘘だったじゃん。盛り過ぎ」
私が目を丸くすると、リョウトは軽く袖をまくって、自分の腕時計を私のほうに向けた。
「もう、一時間くらい経ってるぞ」
「嘘!」
「すぐそこに見えてるエントランスゲートをくぐって、向こうに見えるプラットホームまで十五分くらい掛かってるっぽいから、そんなもんだな」
「おしゃべりしてると、時間なんてわかんなくなっちゃうね」
「……さっき言ってただろ。並んでても満足とか、いっそ並ぶものに乗りたい気持ちって、それじゃないかなと俺は思ってたんだ」
「どういうこと?」
「俺を含めて普通の日本男子は、言葉が上手く通じるかどうかわからない、モデル並みの西洋美人二人連れには、気後れしてなかなか声は掛けづらいわけだけど」
リョウトは私のスマホを指して苦笑した。
あ、そういう意味だったのか。早とちりで怒ってしまって、悪いことをした。
うなずく私をよそに、彼は先を続ける。
「そもそも、知り合いと来た場合でも、もし親しくなって日が浅い女の子とだったら、大体のやつは一時間もしゃべって間がもつ自信なんか一ミリもないんだよ。でも、アトラクションに並んだら、否応なくその場からは離れられないし、おしゃべりに集中するしかやることなくなるだろ。そのくらいの環境に背中押してもらわないと、たった一日のデートで女の子と仲良くなれるなんて思わないから」
「で、女の子のほうも、ちゃんと気が合うかとか、相手の男の子の人となりを見極める時間が作れるから、一緒に並ぶってわけだね」
私が感心してうなずくと、リョウトはひえっと肩をすくめた。
「そうか、そうなるな。男子は常に試されてるわけだ」
「それは女の子だってそう思ってるよ。リョウトにとって、私は合格?」
「合格も何も。サチじゃなかったらここに並んでない。唯一無二だから基準とかないんだよ。サチにとっては? このおっさん話合わないなあとか思ってないか?」
「そんなわけないじゃん」
私は笑った。
「リョウト、自分を下げ過ぎだよ。一人仕事の自営業だから出会いがないだけで、普通にしてても、人と関わる場所に出たらきっとモテるのに。大体私、ドリンク買いに行ってた時、リョウトこそ声かけられてないかなあって心配だったんだけど」
「何、だから戻ってきたわけ?」
「ひどい! 具合が心配だったからに決まってるでしょ!」
私がふざけてぶつふりをすると、彼は笑いながら身をかわした。
「天地がひっくり返っても、俺がナンパされる想像なんかするのはサチくらいだな」
そんなことないと思う。特に最近のリョウトは、武道をやっていた男性らしいきびきびした動きはそのままに、どこか肩の力が抜けて物腰が柔らかくなって、ときどき、どきっとするくらい仕草に色気がある。
「あ。いや、確かに一回は声掛けられた」
ぎょっとして、私は傍らのリョウトを振り仰いだ。
マジか。














