23 【番外編 2】 アップルジンジャーとパンプキンラテ
帰りは、両手がふさがっていたせいで、行きよりも余計に時間が掛かってしまった。
リョウトの座っているベンチが見えるところまで戻ってきて、私は少しほっとした。
先ほどより気分が多少マシになったのか、あのどんよりとうなだれた姿勢を解いて、ゆったりと背もたれに背を預けている。
「お待たせ!」
わずかに残った距離を小走りで縮めて声をかけると、彼は驚いたように振り返った。
「早っ。何乗ってきた?」
「何にも」
私は両手に持っていた大小の紙コップのうち、小ぶりな方を差し出した。
「飲めたら、どうぞ。生姜とハチミツが入ってるホットアップルジュース。身体冷えちゃうと、余計気分悪くなるかもしれないから」
きょとんとしていた彼の目元が和んだ。手を伸ばしてコップを受けとる。
「ありがと。……うまそう」
「そう思えるってことは、ずいぶん良くなったんだね」
私は彼の隣に腰を下ろした。
「お前は全然平気だよなあ」
恨めしそうに、彼はじろっとこちらに視線をよこす。
「鋼の三半規管と呼んで」
飛行機でも自動車でも酔ったことがない、と言うと、リョウトは深々とため息をついた。
「神様も不公平だな」
紙コップを口に運んで、一口ずつゆっくり含んでいる。
顔色も少しずつ、戻ってきているようだ。私は安心して、自分の紙コップの蓋を取った。
「サチのは? 何か違うみたいだけど」
「これ? ホリデイ・パンプキン・ラテ」
「何それ」
「カフェラテに、スパイスの入った甘いパンプキンソースを溶かして、上にホイップクリーム絞ったところに、ナッツにキャラメルを絡めて細かく砕いたトッピングとシナモンパウダーが掛かってる」
彼はぞっとしたような顔で私の手元を恐る恐るのぞきこんだ。
「あんだけ回転した後でよくそんなもん飲めるな……っていうか、そもそも平常時でもうまいの、それ?」
「おいしいよ? 秋冬の定番でしょ」
「断じて日本のカフェの定番ではない」
「そうなの? 道理でなかなか出会えないなーと思ってたんだ」
「ところで、なんで名前がホリデイなわけ?」
「ホリデイシーズンの定番料理、感謝祭のパンプキンパイみたいな味だからかな。うん、日本だったら、おせちの栗きんとんをラテに入れたら、お正月ラテって言いそうでしょ。そんな感じ」
「いや、そもそもきんとんをラテに入れねえよ」
うんうん。ツッコミが冴えてきた。完全復調も近そうだ。
私は、カフェスタンドのおじさんが添えてくれた木製の簡易スプーンで、ホイップをすくって口に放り込んだ。
「うーん、おいしい! いいホイップ使ってるなー」
「ちょっと待て。何それ。そのホイップ異常に多くないか」
ばれたか。
「本当はね」
私は少々お行儀悪いのは承知で、手に持ったスプーンでリョウトのカップを指した。
「リョウトのは、ホーリイナイト・ベイクドアップル・ジンジャー。今飲んでるホットジュースの上に、雪に見立てたホイップクリームをたっぷり絞って、シナモンシュガーをトッピングするレシピなの」
「げ、まじで」
リョウトは信じられないというように眉間にシワを寄せ、自分のカップを見下ろした。彼は果物は好きだけれど、甘党ではない。味を想像して、げっそりしているのだろう。
「でも、今リョウトの胃はクリームなんて受け付けないでしょ。だから、そっちのドリンクはお代そのままでいいからクリーム抜きでってお願いしたら、売り子のおじさんが面白がってくれて。抜いた分のクリームは嬢ちゃんの方に乗せてやるからな! って、カップまで大きいのに替えて作ってくれたんだ」
「なるほど……って相変わらず、訳わからん気に入られ方するんだな、サチは」
くっくっと肩を震わせて笑っている。
「でも、リョウトにはそっちので正解だったでしょ」
「確かに飲んだらあったまるし、そしたら、かなり気分良くなった」
彼はもう一度コップを口に運んだ。
「すりおろしりんごが、みぞれみたいに入ってるのもうまいし」
「素直でよろしい」
私は肩をそびやかしてみせた。
「でも、乗ってこなくて良かったのか。計画遅れただろ」
「もう! リョウトは私のことなんだと思ってるの? 絶叫系マニアじゃないんだし、全制覇なんて別にしなくてもいいんだってば」
「だって、最難関のレインボーアーチスペクタクル、御披露目の時から乗りたいって言ってたじゃん。小六の時はぎりぎりで身長足りなかったんだろ。行ったとしてもどうせ乗れない、ナツキちゃんは乗れるのにってずっと文句言ってたじゃないか」
「よくそんなこと覚えてるね」
つい言ってしまった。同じようなフレーズでもカチューシャの時とは全く違う気分である。歯がゆい。
リョウトには、小学校六年生の私をここに連れて来られなかったのが、そんなに根深い心残りになっているんだろうか。
そんなこと、私は気にしてないのに。
「リョウトが乗らないなら、私だって乗らなくていいもん」
「だって、鋼の三半規管なんだろ」
リョウトはふわっと笑って、カチューシャ越しに私の頭をぽんぽん撫でた。
「こんな情けないとこ見せちゃって、悪かったなって」
「私の三半規管は別に、何か努力した結果強くなったわけじゃないから。リョウトが乗り物に弱いのだってリョウトのせいじゃないでしょ。情けなくも、悪くもないよ」
「うん。でもさ、俺に付き合って、楽しみにしてたことを諦めなくてもいいんだから」
この言い分。これだ。これをやめさせないと。
私は精一杯ふてくされた顔を作った。
「リョウトは、一緒に行動したくないわけ? 私に一人で遊んでこいって言ってるの?」
「……! 違うそうじゃなくて」
「私が、アトラクションにしか興味がないお子様だって思ってるんだ」
言葉につまって目を白黒させているリョウトは最高にかわいい。実のところ、ふてくされて拗ねた表情をキープするのだって一苦労なくらいだ。でも、ここで頑張らないと、リョウトはまた同じようなことを言うにちがいない。
私は自分でもちょっと意地悪だなあと思っていたけど、最後の一押しを重ねた。
「私は、アトラクションにたくさん乗ることよりも、今日一日、リョウトの隣にいられることの方が百倍大事なんだけど。わかってもらえてないなら悲しいかも。やっぱり私の片想いなのかなあ」
ついゆるんでしまいそうな頬を必死で引き締めつつ、うっかりにやついてしまったときの保険として口元を隠した甘い香りのパンプキンラテ越しにじっと見つめた。視線に込めた力も駆け引きのうちよ、というのが親友ローレンの教えだ。
彼はたまりかねたように腕で目元をおおいつつ、天を仰いだ。
「……ごめん。俺が悪かった。だからちょっと火力下げて頼むお願いします」
「わかればよろしい」
私はにっこり笑ってベンチに深く座り直すと、冷めかけていたパンプキンラテをゆっくり飲んだ。














