22 【番外編 1】 乗り物酔いとカチューシャ
「リョウト」
呼び掛けてみたけれど、ベンチに腰かけて膝に両ひじをつき、がっくりと頭を垂れた彼には聞こえていないようだった。
義父が読んでいた格闘技マンガのラストシーンで見たような姿勢である。矢尽き刀折れ、全エネルギーを使い果たして椅子の上でうなだれるあの姿勢。あの主人公にはやりきった充実感みたいなものも感じたけれど、もう少し深く体を前傾させてうつむいている彼からは、絶望感と悲壮感しか感じられない。
日曜日の午前中にふさわしく、この遊園地、朝霧ユニコーンランドは家族連れやカップルでごった返していた。小春日和の柔らかい陽射しが降り注ぎ、にぎやかな音楽や笑い声、歓声が、あたりをさざ波のように満たしている。
彼は、まるでそんな周囲とは別世界にいる人のようだった。
少し長めの髪がさらりと落ちかかって、その表情はうかがえない。けれど、その髪の間からちらりとのぞく耳はいつもより心なしか白っぽく見えた。
私は彼の正面に回り込むと、しゃがんでその顔をのぞきこんだ。
「リョウト、大丈夫?」
彼はもともとインドア派なこともあって、どちらかといえば色白だ。だが、その顔は、色白を通り越してむしろ青白く見えた。
「無理しなくてよかったのに」
「無理はしてない」
語尾に被せるように、噛みつきそうな口調で言われた。
「知らなかっただけだ」
「うん、そうだよねえ。まさか、スイングするだけのバイキング船だと思って乗ったアトラクションが、右回転左回転を交互に繰り返してスピンしながらU字型のレーンを振り子みたいに高速で移動する乗り物だなんて、思わないよねえ」
「……お前、絶対わざと言ってるだろ」
思い出してしまったのだろう、彼の頬からわずかに残っていた血色までもが引いていく。
うーん。悪いことをした。
「もう帰ろうか? 具合悪いなら、それこそ無理しない方が」
私は手を伸ばして、青ざめた額に触れた。かなり冷や汗をかいたのか、ちょっと湿っぽくてひんやりする。
八月に、色々あってこの遊園地に二人で来ようと約束した。でも、そこからお互いに仕事が急激に忙しくなってしまって、どうにか日程が合わせられたのは、あれからもう三ヶ月近くたってしまった今日になってようやくだった。
一緒に食事に行ったり、彼のおばあちゃんを訪ねたりと、少しずつでも会う時間は作り出していたけれど、さすがに遊園地に来るとなると、しっかり丸一日を確保していないと慌ただしい。
そんなわけで、とっても楽しみにしていた予定ではあった。
けれど、ただでさえ忙しい仕事のスケジュールをやりくりしてくれたリョウトを、こんなに気分が悪い状態であちこち引っ張り回すわけにはいかない。近場の遊園地なんだから、またいつでも来られるし。
そう思った私の提案を、彼はふんと鼻を鳴らして一蹴した。
「バカ言え。こんなのちょっと休んだら大丈夫だから。乗りたいのあるって言ってたろ。一つ二つ、回ってこいよ」
彼は私の手のひらをさりげなく外すと、早く行けと言わんばかりにひらひらと手を振った。
◇
遊園地の中は、十一月になったばかりだというのに、気の早いクリスマス風の飾り付けでいっぱいだった。
木々には華やかな金のモールや、小さな電球がちりばめられたコードがふんわり巻き付けられ、雪の結晶がプリントされた大きさも色も様々なボールがいくつもぶら下がっている。雪だるまやキャンディケーン、そりの置物が芝生の上に点々とあしらわれて、小さな子どもがはしゃいでその間を走り回っていた。
街灯の柱に付き出した横木から垂れ下がっているバナーフラッグも、通りを挟んで並ぶ土産物や軽食を扱う店の庇をつなぐように通行人の頭の上を差し渡されている三角旗をつないだガーランドも、クリスマス気分いっぱいの赤、白、緑だ。
頭上を見回した拍子に、かすかな鈴の音が聞こえる。ずり下がって来ていたカチューシャをそっと押さえて直した。
イメージキャラクターのユニコーン、ユニーちゃんの虹色の耳と角を模したカチューシャにも、いつものリボンではなく、小さな赤い三角帽とひいらぎの葉、金色の鈴が取り付けられているのだ。
思わず、思い出し笑いで頬が緩んでしまった。
まさか、このカチューシャをつけることになるなんて。
ワンデイパスポートのビニール製の腕輪をつけて入園ゲートをくぐった直後のことだった。ゲートのすぐそばにある、ユニーちゃんとユニッキーくんが来場者と握手したり記念撮影したりする噴水広場に、園内で身につけるグッズを販売するワゴンが出ていたのだ。
『サチ、着けるか?』
だしぬけに聞かれて本当にびっくりした。リョウトはそういう浮かれた感じが好きではないだろうと思っていたからだ。
実は、私も、ワゴンを見かけて反射的に『かわいい!』と声をあげたものの、その時点でそんなに本気で身につけたいと思っていたわけではない。でも、次の瞬間に彼はぼそっと付け足した。
『ナツキちゃんが買ってもらったの、うらやましいって何回か言ってたろ』
『……うん』
もう十数年前の話なのに。嬉しくて、思わずうるっと視界がくもりそうになった。
覚えててくれたんだ、とは言わなかった。言えばどうせ、彼は照れくさそうにそっぽを向くだろうし、私は湿っぽい鼻声になってしまうから。その代わり、私は笑顔全開でおねだりしたのだった。
『着けたい! それで、リョウトの分は私が買うから一緒に着けてね』
とんだ藪をつついて蛇を出してしまった、という彼の顔がおかしくて、私はさんざん笑いながらワゴンに彼を引っ張っていった。
そうして彼が私に選んでくれたのがこれ。ユニーちゃんの期間限定クリスマスカチューシャなのだ。
「そういうところだよねえ」
独り言がこぼれる。
今だって、つっけんどんに私を追い払ったのは、私が来る途中の電車の中からずっと、どのアトラクションをどう回ろうか、うるさく検討していたからだ。気兼ねしないで行ってこいよ、と言いたいのだ。私がどれだけ楽しみにしていたかちゃんと知っているから、そういう言い方をしたのだろう。
「色々気が回るくせに、本当に大事なことはわかってないんだから」
あえて冷たくあしらったからって、私がほいほい遊びに行くと思ってるなら大間違いだ。
じゃあ行ってくるね、なんてあっさり離れたのは、彼にも一呼吸入れて、体勢を立て直す時間を与えるため。
噴水広場に戻ってきた私は、あたりをぐるっと見回した。お昼時が近づいたせいか、食べ物の屋台がさっきより増えている。ポップコーンに絡めるキャラメルの甘い香りや、ドネルケバブの肉をあぶる香ばしくてスパイシーな匂いが鼻をくすぐった。今のリョウトは、頼まれたって近づきたくない空間だろう。
「たしかあの辺に……あった!」
目当てのものを見つけて、私は人混みを縫うように、カラフルな天幕が庇のように差しかけられた華やかなワゴンに近づいた。














