第50話
不幸中の幸いと言うべきか、大阪市民はすでに心構えを終えていた。
災害発生と同時に、秩序を保ったまま避難と転職に動き出している。
「二度目の降臨エリアが、まさか大阪とはな……ははっ! このジジイにも勇者になるチャンスが回ってきたってわけだ!」
老人は興奮気味に木刀を振り上げた。
――バキッ。
漆黒の巨大な鋏が、ほんの軽く挟んだだけで。
老人の木刀は、その場で真っ二つに折れた。
公園の中央に――巨大な蟹型の魔物が出現していた。
老人は呆然と立ち尽くす。
人々は、このときようやく理解する。
冒険譚の主人公になるなどと夢見るのは簡単だ。
だが――
魔物を前にして、足を震わせずに立っていられるだけでも、とてつもない試練なのだと。
ヒュッ。
ドスッ。
矢が風を裂き、巨大な蟹の片眼を撃ち抜いた。
「そちらへ避難してください。」
ガウが老人を支え、大蟹の攻撃圏から遠ざける。
先ほどまで意気揚々としていた老人たちは、ガウが近づくと反射的に半歩後ずさった。
「そ、その大鳥……わ、私たちの味方……だよな?」
「もちろんだ! 私は異世界から来た勇者だからな!」
ガウは誇らしげに胸を張る。
その次の瞬間。
彼の目の前を、一本の毒針がかすめた。
ガウはびくっと震え、慌てて嘴を閉じると、まるで亀のように首を胸元へ引っ込めた。
『非戦闘員は王都救援隊の誘導に従い、避難所へ向かってください! 避難誘導部隊は黄色の信号弾で位置を示します! 各住民は速やかに救援隊と合流してください!』
都市全域に放送が響き渡る。
直後、空に鮮烈な黄色の信号弾が打ち上がった。
煙の尾が示す方向――そこが王都救援隊の位置だ。
「ここから遠くない。まずは公園の老人たちを送り届けよう。ガウ、動けない人たちを背に乗せられる?」
「任せろ!」
大鳥が首を伸ばす。
周囲の協力を得て、恐怖で動けなくなっていた老人たちをガウの背へ乗せていった。
「私が先行する。」
燈里が先頭――一番手に出る。
ほどなくして、前方から次々と魔物の断末魔が聞こえてきた。
同時に、私たちの経験値バーもじわじわと伸びていく。
「高レベル個体もいる。無理はするな! 遭遇したらすぐ支援要請!」
私はパーティーボイスを起動し、燈里と千夏を接続する。
これなら戦場の騒音に邪魔されず会話できる。
今回の攻城魔物はレベル1から25。
中には、すでに私たちを上回る個体も存在する。
孤立して包囲されれば――危険だ。
「……一点方向。凍結矢を一本。」
前方から燈里の声が届く。
冷たい蒼光が閃いた。
――パキィン!
少し先で、氷が砕け散る音が響く。
進んでいくと、路肩に砕けたスライムの破片が氷片に混じって散乱していた。
「すごいわ〜!」
老人たちはスライムの残骸を囲み、目を輝かせる。
「これが伝説のスライムかい?」
「ゼリーみたいだなぁ……どんな味がするんだろう。ちょっと食べてみてもいいか?」
「あら、杖が溶けちゃった。どうやら食べ物じゃないみたいね。」
……この人たちの妙な余裕は何なんだ……
「ほら、前に進んで! 救援隊に置いていかれるよ!」
千夏が半ば強引に老人たちを押し出す。
「いいのよいいのよ。まさかこの歳で、こんな面白いものを見られるなんてねぇ。」
「さっきの蟹、鋏がでかかったな。抱えてかぶりついたら最高だろうな!」
ガウの背で怯えていた老人たちも、次第に落ち着きを取り戻していく。
「よく考えたら、そこまで怖がることもないか……」
「ワシももう墓が近い歳だ。こんな冒険を味わえるならむしろ幸運よ! 死んだところで何が怖い!」
「そうだそうだ! なあ、いっそギルドを作らないか?」
「ギルド? いいねぇ! 名前は『黄昏トラベルギルド』なんてどうだ?」
「いいじゃないか! 昔の同級生も誘ってみるか……」
千夏は絶望した顔で群衆を押し続ける。
「……だから進んでってば! 異世界旅行するにしても、まず今日を生き延びなきゃ意味ないでしょ! 本当に死ぬよ?!」
押されながら、一人の老人が満足そうに千夏を見る。
「優しい子だねぇ。名前は何て言うんだい? 恋人はいるのか?」
「うちの孫はアイドルなんだ! 今年は紅白にも出たらしいぞ……どうだ、付き合ってみないか?」
「いりません! 早く進んでえええ!!」
千夏は今にも限界を迎えそうだ。
もっとも、筋力ステータスにかなり振っているおかげで、大人数でも安定して押し出せている。
だが――私は彼女を手伝えなかった。
前方、数十メートル先。
再び信号弾が打ち上がる。
今度は――赤。
『全市緊急通達!』
『城西地区にエリート級の海洋魔物が出現! 推定レベル20以上! 赤色信号弾でマーキング済み!』
『すべての避難者は直ちにルートを変更し、当該区域を迂回せよ!』




