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後宮行きの牛車でございます

「見て! あっちに市場があるわ! 賑やかねえ。あたし市場というものに行ったことがないわ。いつか行ってみたいのだけど当分は無理そうね。ねえ、桜花ちゃんは行ったことある?」


牛車の中。

滝のように黄色い声を浴びせてくるのは式部卿の妹、青葉(あおば)である。

「え、そりゃまあ……ちょっとくらいは。」

私はぎこちなく頷く。顔近い近い。

「えー! いいないいな! 市場ってどんな感じなの? 楽しかった?」

どんな感じ……うーん、足を踏まれて後ろから激突されていつの間にかスリに遭ってる感じ?

なんて言える訳がないよね。


「いやでもちょっと近くを通っただけだから、わからない、かなあ、うん。」

夢をぶち壊してはいけない。かといって夢を与えるのもよくない。

それにほんとに一回きり白蓮さまにパシリさせられて行っただけだし。そこでせっかく買った物を引ったくられてそれから二度と頼まれなくなったんだし。


「ふ~んなんだ、残念。」

青葉は唇に人差し指をあてて私から顔を離す。

詰めていた息を吐く。はあ。

青葉は私と同じ十八歳。

高校のクラスだったら細かいこと気にせず近くの席の人にばんばん話しかけるタイプの交友関係バカ広い人だきっと。


「後宮ってどんな所かなあ。やっぱりキラキラ華やかなのかしら。それともドロドロの泥沼? ま、どっちにしても姫宮様にお仕えするんだから、女の闘いなんて関係ないわよねえ。」

揃えた両手をほっぺたに沿わせて夢見る乙女を演出する青葉。今どきの少女マンガでもやらないポーズだよ。


……そう。今私たちが乗っているのは後宮行きの牛車である。

後宮行きの牛車というか、後宮まで送ってくれる、式部卿のお家所有の牛車である。


え? なんで桜花ごときがやんごとなき式部卿家の牛車にその妹と一緒に乗ってるのかって?

これからワケを話すから焦らずに聞いてほしい。


まず私が叔父様の家を出てから。

すぐに後宮に向かう訳じゃなく一度式部卿のお家に滞在させてもらう。

いろいろ準備があるし、何より一刻も早く中将邸を出たかったからだ。

それに式部卿のお家の推薦を受けて宮仕えをさせてもらうのだから礼儀としても顔を出さない訳にはいかない。


それから、不苦と喜与だけは一緒に式部卿邸に連れていってそのままそこで働かせてもらえることになった。私がいなくなった中将邸ではどんな目に遭わされるのか心配だものね。

……出発する時は喜与に今生の別れみたいに泣かれて面倒だったけど。かといって不苦は不苦でもうちょっと名残惜しそうにしなさいよって話。


式部卿は親元から独立して自分の邸を持っている。

そこに住むのは式部卿とその北の方――正妻の(いずみ)さん、二人の間の娘氷子(きよこ)ちゃん三歳。それに妹の青葉。そしてその他大勢の使用人たち。

青葉は堅っ苦しい実家が嫌なのとお兄ちゃん大好きなのとで勝手に移り住んできたらしい。ブラコンかよ。


突然私が入ってきて奥さんからしたらこの女誰だって感じになると思うんだけど、泉さんはすっごく優しかった。もう後光が差して見えるほど。

氷子ちゃんも天使みたいにかわいいし。

式部卿は……何を考えてるかわからない。

まだ私のことを諦めてないのか、それともきっぱり諦めて妹と同格に見ることにしたのか……。

ま、そのうちわかるよね。わからなかったらわからないで困ることないし。


さて。

「あ! 見て桜花ちゃん、いよいよ内裏に入ってくよ! きゃ~、青葉、内裏に入るの初めて!」

青葉は初めて顔を合わせたときからずっとこんな感じだ。

それにしてもその興奮すると一人称が名前呼びになるのがなんとも……。


「楽しみだね!」

ふいに私を振り向いてそう言う青葉。

一点の曇りもない笑顔にどきりとする。

正直、不安だ。

私が考えていた原作でも、桜花は後宮に出仕するけれども。

そこには厳しい試練が待っていたりもする予定だった。


「……桜花ちゃん?」

返事をしない私の顔を青葉は心配そうに覗き込む。

その真っすぐな眼。

「……。」

――きっと大丈夫。

「うん! 楽しみだね!」

私は心からの笑顔を満面ににじませて大きく頷いた。


大丈夫、きっとなんとかなる。

そうやって私は生きてきたし、これからもそうやって生きていくのだ。


「よしっ、張りきっていくぞー!」

「おー!」


牛車はゆっくりゆっくりと物語の舞台にのぼっていく。

後宮編のはじまりはじまり!

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