几帳の向こうには
頭も体も固まって、為す術もなく襖に身を寄せる私。
「どなたか」
几帳の向こうから問いかけるその声は果たして、ああ――式部卿のものだった。
耳に心地よいその声を聞いて、私は思わずその場にへたりこむ。
「私です。」
あ、これじゃあオレオレ詐欺になっちゃう。
「桜花です。」
言い直すと式部卿が身動ぎする気配。うん、混乱するよね。
「いったいどうなさったのですか。ずいぶんと息を切らしているようですが」
式部卿は即座に起き上がり几帳越しに私に向かい合って座ったようだ。細かいところによく気づく。さすが、これが式部卿の式部卿たる式部卿。
……だめだ、頭が回らない。
そうは言っても最悪の勘違いをされてはたまらないので、私は気力を振り絞り事情を説明しようと口を開く。
「昴が、襲ってきたんです。」
「……昴、というと、中将殿のご嫡男?」
「はい。」
几帳の向こうの式部卿はどんな顔をしているのだろう。薄ぼんやりとした影しか見えないのでその心中は窺えない。
数呼吸置いて、
「それは大変だ」
式部卿は絞り出すようにそう言った。
心配、驚き、気遣い、憤り、焦り、……いろんな感情がないまぜになった声だった。
「何かされましたか」
「いいえ……いえ、少し抱き着かれたくらいで」
問いかけに答えると、
「それは大変だ」
心成しか一度目よりも怒りの色が濃くなった気がする。
私はというと、情けなく背を丸めている。姿勢を正さなくてはと思うのに体が言うことを聞かないのだ。
頭の中でならいくらでも軽口を叩ける気がするのに、体がついてこない。情けなくて腹立たしい。
式部卿はしばらく考えているようだった。
この状況に漬け込んで私を几帳の中に引き込んでしまう。なんて手が一瞬でも頭に浮かばなかった訳があるまい。
式部卿だって桜花を恋慕する男の一人だということを忘れてはいけない。
けれども。
「……しばらくここに隠れているといい。もし私のことを気にするようなら――」
――けれども、式部卿が最高の紳士だということもまた、忘れてはいけない。
「ありがとうございます。」
失礼ながら私は式部卿の言葉を遮った。
その声は意図せず震えてしまう。
「とっても失礼なことをしているということはわかっていますが、どうかこのままここにいさせてください。式部卿様のお邪魔にはならないようにしますから。」
「……失礼なんかじゃありません。危険に晒されたあなたを放っておくことは、私にはとてもできませんよ。」
その声を聞いた途端、ふっと体が軽くなった。重苦しく脈打っていた心臓が解放されたような。
私はようやく襖から離れて几帳に向かって正座した。見えてるかわからないけど、丁寧に床に手をついて頭を下げる。
「ありがとうございます。」
「とんでもありません。」
私の変化を察したのか、そう言う式部卿の声は幾分か和らいでいた。
っと、
「本当は几帳の中に引き込んでこの腕に抱いて守ってさしあげたいくらいですが」
ちょおーい! 爆弾発言!
くすっと笑う式部卿。
「どうやら貴女にはその気はないようです。」
「わかるんですか?」
思わず尋ねてしまう私。
「ええ。残念なことに。」
闇の中でもはっきりわかる。この人面白がって微笑してるよ。ずるいよ。
「今夜は一晩語り合いましょうか。」
「え、でも」
「うっかり寝入ってしまったら、寝ぼけて何をしでかすかわかりませんよ。それでもいいと言うのなら――」
……まったくこのイケメンといったら、諦めが悪いというか冗談の趣味が悪いというか。
「わかりました。」
「よろしい。どうぞ楽になさってください。」
では遠慮なく。
私は苦笑いの「苦」を引っ込めて足を崩した。




