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その夜のこと

なんとなく眠れない。

遠くから笛の音が聴こえて、夜空に溶けていく。式部卿だろうか。

そうだ、琴を弾こう、と引っ張り出してくる。桜花は琴にも堪能なのだ。

十三弦の(そう)の琴。これも母の形見のひとつである。死んでないけど。


庭に向かって座る。

ひとつ弾くと音がなる。

確かな音は次の瞬間には分解されて、わぉうぁおぅぁぉ……と響いて消える。

その余韻を楽しんだら、あとは(桜花)に任せた。

琴の音が夜気を染めて模様を描いていく。


それを聞いているとなんだか突然に寂しさが募ってきた。この世界に来てから一度も感じていなかった愁いが琴の音とともに耳から入ってくるような気がする。

前世のみんなは元気かなあ……。

重たい黒髪は風にもなびかない。

私はまさに、思索の海に沈んでいた。

だから気づかなかった。闇の中忍び寄る一つの陰に。


物音が聞こえた気がして、私ははたと演奏を止める。そこで初めて、笛の音がとっくに止んでいたことに気づく。

従妹(あね)上」

空耳だと思って振り返ると、そこには確かに黒い影があった。人、あるいは青年――ああそうだ、これは(すばる)の声だ。

「従妹上」

(あやかし)のような真っ黒の影はもう一度囁く。

明かりのない部屋の中、何度か嗅いだことのある香りにうっすらと酒のにおいが混ざって闇を染め上げていた。


「昴なの?」

きんと耳鳴りがするような静けさに知らず知らず配慮して、私は言葉を零す。

まったくこんな時間に迷惑な野郎だ。何の用だか知らないが、こちとら気持ちよく琴を弾いてたんだよ。

影はうんと言う代わりに衣擦れの音を立てた。

「どうしてこんな時間にkえ」


最後の「kえ」は打ち間違いじゃない。この男、いきなり抱きついてきたのだ。私に。変態かよ。

「ずっとずっと、お慕い申し上げていました。」

むぐぐ、振り払おうにも思いの外力が強い。まずいぞ、このままではこの小説が十八禁になってしまう。

――ああでも思い出した。そんな設定あったわ。昴が桜花を密かに慕ってるってやつ。こんな強引にするつもりはなかったんだけど。

やっぱ原作改変も楽じゃないな。


「ちょっと、人を呼ぶわよ。」

酒と香の混じり合った匂いにむせそうになりながらなんとか声を出す。

「このあたりに人がいないというのは従妹上もご存知でしょう。」

あぁー、そういやそうだった。あの北の方の影響で、女房たちもみんな職務を怠慢してどっかいっちゃってるんだよね。


昴は顔を上げ、黙り込んでしまった私の顔を覗き見る。

「私はもう我慢なりません。どうか、私と夫婦の契りを」

いきなり突撃してくるなんて風雅も何もねえなこの野郎。一般常識ないのかよ。

やっぱりこの家はおかしい、と再認識する。一刻も早く出ていこう。

だがその前にまずはこの変態をなんとかしなくちゃいけない。んー……あっ、思いついた。


「ねえ、誰かに見られでもしたら大変よ。(しとみ)戸を閉めてくれないかしら?」

お色気モード発動! もちろん私に()()()気は微塵もないけど、まずこいつを引きはがさないことには何も始まらない。

至近距離でまじまじと私を見つめる昴。ニコリと笑いかける私。表情筋死にそう。

昴は確かにと思ったのか小さく頷くとようやく私から離れて立ち上がった。恋は盲目ってのは本当なんだな。


解放された私はふうっと息を吐く。身体にこびりついた昴の温もりが気持ち悪い。

昴は私に背を向け、持ち上がっている板戸を下ろすのに集中している。

よし、このうちに逃げよう。少々無謀な気もするが。

そろそろと後ずさる私。気をつけても衣擦れの音が立ってしまうが昴はまだ気づかない。

後ろに回した手に襖が触れた。静かに隙間を開ける。いくぞ。


三、二、一。えいっ!


バン、と音を立てて襖を開け、振り向く昴の顔を見ることもなく一心不乱に駆け出した。

私はこの離れ家のことを誰よりも知っている自信がある。最短ルートで本館に続く渡殿(わたどの)に辿り着き、ばたばたと足音を立てて全力疾走で渡った。

姫君がはしたないとかそんなこと言ってる場合じゃない。命の危機にも等しいんだから。


ようやく渡りきる。やっぱ着物はまだ慣れないわ。

息が苦しい。

でもまだ立ち止まる訳にはいかない。目の端に追って来る昴の姿が映る。

私は屋根の下に入り手近な襖を開けて入った。っと、

几帳(きちょう)を挟んで向こうに誰かが寝ている。

まずい、出なくちゃと思うけれど、今出たら昴に見つかるかもしれない。


そうこうしているうちに、几帳の向こうの誰かがむくりと起きる気配がした。


為す術もなく、私は襖に溶け込もうとするかのように体を縮こまらせた。

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