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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第三章:鉄錆の山の王 後編〉
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 各々、ガスに案内されて神殿の幾つかの部屋に分宿することになった。

 僕の割り当ては、少年時代を過ごした懐かしい部屋だ。

 石組みの壁。木製の小さな椅子や、ちょっとした書き物机があり、壁面を窪ませたアルコーブには寝心地の良さそうなベッドもある。

 書き物机や棚には、旅に出るにあたって置いて行った生活用品や本、沢山の覚え書きがそのまま残っていた。

 けれど、少し違和感がある。


「……?」


 こんなに小さかったかな?

 そう思って、そうか、自分が大きくなったのか、と気づいた。


 神殿を出て行ったのは数え15の頃、つまり14歳だ。

 前世のように定期的な身体測定はないから分からないけれど、あれから僕は背も伸びて、大きくなったのだ。


「…………」


 冷たい石壁を指でなぞる。

 アンデッドの三人は寒暖差があまり分からないけれど、僕は生身だから、冷え込む冬の夜はずいぶん寒かった。


 そういう時、ガスは何だかんだと言いながら温石(おんじゃく)をこしらえてくれた。

 炉端で石があたたまるのを待ちながら、ブラッドは大げさな身振り手振りで勇壮な武勇伝を語ってくれて、マリーは縫い物をしながら、ブラッドの語りに微笑んで相槌を打っていた。

 それはもう過ぎ去ってしまった、きらきらと輝く幸せな過去だった。


 ……ブラッドとマリーは、もういない。


 けれど、それはきっと、あの日々の価値を損なうものではない。

 幸せな過去は、きらきらと輝き続ける。


 多分ガスが消えて、そしていつか、僕が死んでしまったって。

 流れる時の河の底に降り積もる、うつくしい砂のように。

 ――ずっと、きらきらと輝き続けるのだ。


「…………」


 そんな風に想像すると、口の端から笑みがこぼれた。

 故郷に帰ってきて、少しだけ感傷的になっているのかもしれない。


 と、部屋の戸を叩く音がした。


「――よ。入るぜ」


 ぎしぎしと軋みながら、古い戸が開けてメネルが入ってきた。

 きょろきょろと、彼は興味深げに視線を巡らせる。


「ここが、お前の部屋か?」

「うん」


 メネルはふぅん、と呟いて辺りを眺めた。


「小さいな」

「子供の頃は、けっこう手頃だったんだけどね」


 神殿に務める僧侶が寝起きをするための部屋だ。

 余計なものを入れるスペースは殆どなく、シンプルな構造になっている。


「……なぁ、ウィル。あのガスって爺さんよ、すげぇな」

「想像より俗っぽいとか、そんな風に言われるかと思ってたよ」

「いや。俗っぽいんだけど。俗っぽいんだけど、なんつーか……」


 メネルは言葉を選ぶように少し沈黙して、


「部屋に案内される時、何もかも見透かされた気がした」


 呟くメネルに、僕は静かに頷いた。

 ……世に名を轟かせる偉大な魔法使いは、寡黙な人物が多い。

 嘘をつくことは、《創造のことば》のちからを弱める。

 切れ味もなく、重くもなく。ただ鈍く軽いだけの《ことば》では、何も為すことができない。

 だから賢者と呼ばれる魔法使いたちは沈黙を選び、俗なことを語らない。


 けれど、ガスは喋る、ものすごく喋る。

 カネじゃ女じゃと、好んで俗なことを語って喜々として笑う。

 けれど彼の《ことば》のちからは弱まらない。


 寡黙なひとから発される、ただ一言が重いように。

 才知を俗塵で和らげたひとの、真実の一語には鋭い切れ味がある。


「うん、凄いでしょ?」


 そんなガスが嘘らしきものを口にしたのは、僕の知るかぎりで、たった一度だけだ。

 あの薄暗い地下街で――僕を殺さないと、決めた時だけ。



「……僕の、自慢のおじいちゃんだよ」



 そう言って、僕は笑った。

 メネルも笑った。




 ◆




 荷を降ろし、装具を緩めて一息ついたところで、メネルに皆のことを頼んで、僕はガスの所に赴いた。

 ガスに情報を求めるためだ。


 今のガスは町に縛られたゴーストだけれど、同時に二百年前の賢者だ。

 何か有益な情報を知っているかもしれない。


「《神々の鎌》にして《災いの鎌》、邪竜ヴァラキアカについては、ワシもお目にかかったことはない」


 ガスは肩をすくめた。


「機会があれば会って、交渉の一つもしたかったのじゃがな。

 やつを悪魔の陣営に付かせなければ、《上王》戦でああも多くの英雄たちの命を擦り減らすことはなかった」


 神代より生きる古き竜が一頭、敵陣につくか自陣につくかというのは、それほどに違うのだとガスは言う。


「仮に戦うとすれば、古傷を狙うことじゃな。

 古来より様々な戦場で、神々の《木霊エコー》や数多の英雄と戦ってきたヴァラキアカには、傷を受け鱗を剥がれた逸話が複数ある。

 ……竜の鱗は強靭じゃ。仮にブラッドとて、竜鱗の上から肉までは断てぬ」


 ドワーフや人間の戦士、ハーフエルフの狩人とともに、竜に支配された山に向かい、鱗の剥がれた部分を狙う。

 なんだか、前世の古いファンタジー小説のような状況だ。現実になるとぞっとしない。


「……《存在抹消のことば》は?」


 考えていた手を、ガスに問うてみる。

 ガスが不死神の《木霊》を仕留めた、あの魔法であれば、あるいは――


「当たればのう、そりゃあ竜とて消し飛ばせるじゃろうが」


 ガスのその物言いはつまり、当たらないということだ。


「いにしえの、まことの竜はなぜ巨体でありながら疾く飛べるか。

 ……上古の竜は神話の住人。今を生きるワシらよりも、《ことば》に親しい存在よ」


 故に竜は飛ぶ。


「《ことば》は宙を駆けるものなれば」


 ありとあらゆる道理を無視して、竜は飛ぶ。

 《ことば》と親しくあるがゆえに。


「上古の竜は極まった《ことば》の使い手でもある。

 しかもヴァラキアカは不死神のような交渉屋ではなく、年季の入ったゴリゴリの戦争屋じゃぞ?

 ウィル、おぬしはなかなかの魔法使いとなったようじゃが、魔法の撃ち合いに持ち込まれたら撃ち負けよう」

「……魔法戦は不利、と」

「体格も頑強さも洒落にならんで、白兵でも不利なんじゃがな。

 ブラッド流に言えば筋肉で負けとる」


 分かっちゃいたけど筋肉による力押しで勝てないってのは痛い。

 ……今までだいたいそれで勝ってきたし。


「じゃから古来より竜殺しの定石といえば、準備を整えきったうえで、相手の不準備を突いての巣穴への奇襲なんじゃが……

 ほれ、悪魔どもが群れとるじゃろう。ヴァラキアカは恐らく、悪魔どもの勢力を、警報代わりに使っておるのよ」

「不死神に止められた理由がわかってきた……」


 いにしえの魔法の力。

 圧倒的な体格と筋肉。

 そして長い年月に蓄積された、己の弱点を補う経験と知恵。

 ――そりゃあスタグネイトも、今の僕では勝ち目がほぼ無いと判断するだろう。


「ふん。スタグネイトか。……《遣い(ヘラルド)》でも?」

「鴉がきたよ」


 ガスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「気に入られたようじゃな」

「不本意なことに」


 僕も顔をしかめて答えた。


「……奴の思想は神の思想じゃ、ワシら神ならぬものの多くはついてゆけぬ」

「うん」

「おまけに神じゃというのに馴れ馴れしい。……というか、こすっからい!

 ワシらが逃れられんタイミングで契約を持ちかけてくるなぞ、小賢しいにもほどがあるわ!

 あんな筋も道理も無視した契約、破り捨ててやってせいせいしたわい!

 神ならもっと堂々とせんか、堂々と! 奴が悪神の一柱に数えられるのも道理というものじゃ!」


 ガスはひとしきり喚いて、ふぅ、と息をついて。


「……ただ、多少の感謝は、しておらんこともない」


 ふてくされたような表情で、そう言った。




 ◆




「不死者となり、おぬしを育てる機会を与えられ。

 ブラッドとマリーは――息子や娘のようにも思っておった、ワシの数少ない友人たちは、幸福に逝けた」


 ガスの視線がつい、と流れる。

 その方向は、彼らのお墓だ。


「……そして、ワシもまたおぬしを育てられた」


 ガスは、視線を逸らしたままそう言った。


「ワシは弟子を取らなんだ。

 ワシの知識も技術も、ワシ一代。パッと咲いて、潔く散る。それで良いと思っておったが――

 どうしてどうして、死して失うとなれば、なかなか未練が湧くものよ」

「ガス……」

「お主のおかげで、次につながった。――これもまた、生きることの妙味じゃな」


 ま、ワシゃとっくに死んでおるが、とガスはからからと笑った。


「のう。分かっておるかの?」

「大丈夫、分かってるよ」


 だから一人でガスに話にきたのだ。

 あの場でガスはああ言って、雰囲気を和らげてくれたけど――



「交渉の余地は、ほぼ無い」



 その通りじゃ、とガスは頷いた。


「この地域一帯に、今のおぬし以上の戦力はないと、神も認めた。

 であればヴァラキアカにとっては、今こそ打って出るが良い時期であろう」

「僕もそう思う」


 だって、


「ヴァラキアカはもう、神々に警戒されている(・・・・・・・・・・)


 不死神は言っていた。

 自ら《木霊エコー》を降ろせれば、討ちにいきたいほどだと。


 ガスは言っていた。

 神代より生きる古き竜が一頭、敵陣につくか自陣につくかというのは、戦の趨勢を大きく左右すると。


 今の時代に生きる竜というのは、それほどの脅威であり――

 逆を言えば竜が生きるには、それ相応の立ち回りが要求されてしまう。


「ヴァラキアカは何の対策もなく眠り続け、孤立すれば、いずれどこかの神に『我が計画の妨げ』と暗殺される立場にある。

 アウルヴァングル王につけられた眼の傷が癒えたら、また打って出て勢力を築くか、どこかの勢力に参入して、乱を起こさないといけない」

「そういうことじゃ。泳ぎ続けねば死ぬ魚のようなものじゃな。

 ヴァラキアカが乱の渦中でしか生きられぬ以上、穏健なおぬしを主と仰ぐことはあるまい。

 今の時代に《上王》ほどの圧倒的存在がおらぬとなれば、己の旗を掲げるか、あるいは他の勢力に混じって大乱を起こすか。

 いずれにせよ、世を荒らし、神々の目を晦ます他はなく――」


 ガスが、僕を見た。


「それを躊躇わせられる力を持つのは、それこそおぬし一人じゃ」


 頷く。


「そして僕には、その実力が足りない。

 多分、竜から見たら乗り越えられる障害だ」


 今まで僕が乗り越えられる障害を、乗り越えてきたように。

 竜も僕をそれとみなして、乗り越えようとするだろう。


「ウィル。……おぬし、死ぬぞ」

「それでも、戦うって決めたんだ」


 神さまが託してくれた暖かい熱は、まだ僕の胸の中に息づいていた。


「それにどうせ放っておいても、竜を解き放ったら乱が起こるんだ」

「逃げれば良いではないか」

「……ガス」


 僕はガスに、笑いかけた。


「《生きてる》のと、《死んでない》のは、違うよ」


 何もかも見捨てて生き延びても、それは死んでないだけだ。

 それじゃあ駄目だと、僕は前世で、そして今生で学んだのだ。


「…………致し方あるまいな」


 ガスはため息をついた。

 何かを諦めようとするような、深いため息だった。

 そんなガスに対して、僕は口調を明るく切り替えて話を変える。


「あ、そうだ、ガス。ずっと聞きたかったんだけど……3人の飛竜殺しの英雄譚を聞いたんだ。

 それでお金と短剣を貸した人間の男の子と、ハーフエルフの女の子、覚えてる?」

「ん? おお、懐かしいのう。覚えておるとも」

「出世して、貴族になって。……ハーフエルフの女の子、お婆さんになった今も、ずっと待ってるって」

「……そうか」


 と、ガスは笑った。

 寂しげな微笑みだった。


「この体じゃ。もう取り立てには、行ってやれんのう」

「代わりに行ってきていいかな?」


 そう告げると、ガスは僕が言いたいことを察したようだ。


「うむ、頼む。……カネの取り立ては大事じゃからな! 死んではいられんな!」

「だよね! ちゃんと貸したものは返してもらわないとね!」


 お金は大事だ! 筋力と同じくらいには!


「ならば、構わん」


 生きて帰るつもりがあるなら、良いということだろう。


「ワシの取り立ての代理人をするというならば、おちおち死なせるわけにもいかんのう」


 ガスはにやりと笑って、こう言った。


「この街には、《上王》に挑んだ戦友どもの装備も残っておる。

 ――仲間のものも含めて、少し新調していかぬか?」

「もちろん!」


 僕も笑って、頷いた。


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