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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第三章:鉄錆の山の王 前編〉
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6



 槌の音が響く。鋸引きの音がする。

 機織り機が動いて、布を織り上げる音。

 路地で子供がはしゃぐ声。親方が弟子を呼ぶ声。

 そしてそれらと共に、作業の拍子を取るための歌が聞こえてくる。

 色々と仕事を済ませた後に訪れた、午後のドワーフ街の入り口からは、明るく健やかな音が響いていた。


「…………」

 

 見渡せば石造りの家々はあれこれ増築や改装を施され、工房めいた感じになった家が多い。

 あちこちに洗濯紐が張り渡されて、衣服が風にはためいている。

 相変わらず賑やかだな、と思いながら街に入った。


 道を歩いていると、鋸引きの音が一つ止んだ。

 路端でちょっとした木工をしていた数人のドワーフさんが手を止めると、帽子を取って深々と一礼してきたのだ。

 一人、顔見知りがいる。あのちょっと小太りで、陽気そうなモジャモジャ髭は……


「お仕事お疲れ様です、ソーリさん」

「いえ滅相もねぇ! ようこそ、聖騎士さま。お一人で?」

「アハハ、仰々しくお供を連れるような話じゃないですから。アグナルさんはいらっしゃいますか?」

「へぇ! アグナルどんでしたらたしか自宅に! ホッズ、ちょっとひとっ走り行って知らせてこれるな!?」


 うす、と若いドワーフさんが頷いて、工具を置いた。


「あ、いいですよそこまで」

「いえいえ! 領主さまの訪問をふんぞりかえって迎えたとありゃ、アグナルの野郎も座りが悪いってもんで!」

「うす!」


 若いドワーフのホッズさんが、頷いて駆け出してしまった。

 こうなるともう、訪問の先触れを出した形なので、あまり急いで向かっても逆に失礼かつ迷惑になってしまう。


 ……なら折角だし、ちょっとソーリさんと話してから行こうかな。

 ドワーフさんたちは、比較的口数が少ない人が多いけれど、ソーリさんはお喋りだ。

 そういう気質で生まれたんだから仕方ねぇだろう、と笑っている。

 僕にとっても、親しみやすくて話しやすい人だ。


「近頃は、暮らし向きはどうでしょう?」

「ハッハッハ! そりゃもう雲泥ですわな!

 好きに物が作れる、売れる! 明日の飯の心配をしないで良い! なんとありがたいことやら」

「それは良かった。何かご近所でトラブルや、困窮している方などは?」

「ふむ。そうですなぁ……」


 ソーリさんが上げたのは、鍛冶屋の騒音とそれに対する苦情。

 ドワーフと人の生活習慣の違いによるトラブルなど、細かい生活上の問題が幾つか。

 ペンとインク壺を組み合わせた銅製の矢立やたてもどきを取り出すと、覚え書き用に束ねてある書き損じ書類の裏にメモをする。紙は貴重だ。


「ほう、その携帯ペン、よくできとりますな」

「ずいぶん前に、アグナルさんに作ってもらったんです」

「なるほど、アグナルどんの作なら納得だ」


 携帯用の筆記具というのはけっこう難しいではとも思ったのだけれど、駄目元で注文したらすぐに作ってもらえた。

 ドワーフというのは本当に優秀な職人が多い。


「それと……やはり、移民が増えすぎとるのは問題ですな。

 いっさんに押し寄せてくるはいいが、あっしらも常に仕事が用意できるはずもなし……」

「それは……確かに」

「かといって、良い若いモンが仕事もせずに日中プラプラしとるのは不健全だ」

「ことによると、治安にも関わりますしね」


 それは、僕が強く懸念していたことだ。




 ◆




 発展しているという評判が広まって、この地域に来てくれる人が増えるのは良いことだけれど……

 その全てに、簡単に仕事が回せるわけもない。


 川港の荷の積み下ろしや、遺跡を再度町にするための土木建築の仕事。

 あるいは商工業に、林業、料理屋や酒場なんかのサービス業……

 色々と興ってきてはいるけれど、だからといって簡単に何十人もの人間を吸収できるほどの仕事はそんなにない。


「うーん……」


 仕事があるというのは、大切なことだ。

 社会に貢献しているという実感は人間に自負心をもたらすし、逆に仕事がなくなれば人間は自負を失う。

 仕事がなくなるというのは同時に収入がなくなるということで、金銭的に不安で、明日の生活が知れない状態に陥ると、誰しも焦る。


 自負心がすり減って、焦って、不安にまみれた人間というのは、ことによるとちょっとした一突きで犯罪に走ることもある。

 なんというか……犯罪に対して、言い訳が効く状態になってしまうのだ。


 自分はこれだけ酷い状況に追い込まれたから仕方ない。

 生きるためだから仕方ない。

 どうせもう長く生きるなんて無理なんだから、パッとやりたいようにやってしまおう。

 仕方ないんだ。もうどうせ先がないんだ、俺だけが悪いわけじゃない、俺をここまで追い込んだ周囲だって社会だって悪いじゃないか。

 あいつからいくらか盗んでも、別にあいつは死ぬわけじゃないんだし――さあ、勇気を出せ! いけ!


 と、こんな具合だ。

 なんでこんなこと空想できるかって?

 ……伊達に前世で、数十年単位の引きこもりなんてやっていない。

 絶望して追い込まれてる人、そうなりかけてる人の思考はそこそこトレースできる。


 で、こういう人が増えると犯罪が増える。

 もちろん犯罪に走らず立派に耐える人もいるだろうけれど、立ち直れずに走っちゃう人だっている。

 どちらも一定の割合で居る以上、職を得られず不安を抱える人の母数を増やした時点で、犯罪の発生増加は避けられない。

 増加が避けられなければ治安が悪化する、治安が悪化すれば取り締まりに費やすリソースも増え……と悪循環が始まる。


 根から叩かないといけない。

 この場合、移民がくるのは避けられないから、なんとか職を増やして経済を回すこと――が解決策になるだろうか。

 この手の問題を放置すると、発展的に発生しうるであろう事態は本当にまずい。


 移民が増える。特に技能のいらない単純労働の奪い合いが起こる。治安が悪化する。移民と元の住民という形で対立構造が発生し燃え上がる。トラブルが起こる。

 そうして最初は主として経済的な争いから、特定のグループを対象とした差別感情に発展し、経済構造と差別意識が絡まりあったら、それはもう優に数百年単位の禍根だ。

 そういう深刻な禍根の爆弾が、現在進行形でチクタク時を刻んでいる。僕たちで解体しきれないと、後世できっと大爆発だ。


 前世の記憶でも各国、移民や難民の受け入れや制限というのは、物凄く大きな社会問題だったけれど、この立場になってよく分かった。

 実際にかなり厄介な問題だ、きちんとお金と仕事を回して経済を膨らませて、うまく対処しないと雪だるま式に深刻な方向に発展しかねない。

 ……本当にガスの言うとおり、世の中にお金を回すこと、回し続けることは、きわめて大切なことなのだ。頭が痛い。


「騎士様?」


 と、考えこんでしまった僕を気遣うように、ソーリさんが声をかけてきた。


「あっ、大丈夫です、スミマセン。帰ったら何か対策を講じますね」


 とりあえず、公共事業的なもの……

 港湾整備とか灌漑事業とか、そういうのを立ち上げて労働力を吸収するしかないか。

 あとは詳しい人たちの知恵も借りていこう。

 暴動とかは起こしたくないし、そうなる前に先手先手で経済を振興しないと。あと文化摩擦の緩和も大事だ。

 そんな風に考えをまとめたところで、タイミング良く、さっき走っていった若いドワーフのホッズさんが戻ってきた。


「うす。お待ちしています、と」

「はい、ありがとうございます。ご足労おかけしました」


 微笑みかけて軽く頭を下げると、ホッズさんは目を見開いて、慌てて両手を振った。


「うす! 滅相もねぇっす!」

「いえ、助かりました。ソーリさんも、今日はありがとうございました。またお話しましょう」

「聖騎士さまにそう言っていただけるとは光栄ですや。あっしで良けりゃ、いつでも!」


 それから二人に頭を下げて、歩き出す。

 それに対して二人とも深々と腰を折って、頭を下げて見送ってくれるのがどうもやりづらい。

 見れば街路に居た他のドワーフさんたちも、僕に気づいたのか頭を下げて見送ってくれている。


 もちろん社会的な立場としてはそうされるだけの立ち位置だし、拒否しても相手が困るばかりなので、受け入れるしかないのだけれど……

 どうにもちょっと座りが悪い感じがするのは、前世の記憶のせいなのか、単にまだ不慣れなのか。

 こういうことも、慣れていかないといけないのだろうか。

 慣れきってもなんだか自分が自分でなくなるようで、怖い気がするな……




 ◆




「突然お邪魔して申し訳ありません」

「いえ。……ようこそいらして下さいました」


 ドワーフ街のひときわ大きな屋敷の、その応接間。

 重々しく一言目を発したのは、つるりとした禿頭とくとうに、鉄灰色のヒゲを丁寧に編んだ威厳あるドワーフ。

 このドワーフ街の顔役である、アグナルさんだ。


 隣には見覚えのない、癖のない白髪をした、武骨そうな老ドワーフの姿がある。

 ……ずいぶんと、疲れた目をしたひとだな、と思った。


「本日は、顔合わせということで……」

「はい」

「こちらは新しい移民団の代表者で、私の伯父おじにあたるグレンディルと」

「…………よしなに」


 言葉少なに、頭を下げられた。


「サウスマーク公エセルバルド殿下にお仕えし、この近辺の領主を任されておりますウィリアムと申します」


 右手を左胸に当てて、軽く左足を引いて返礼する。

 ひとつのグループの代表者ともなれば、粗略な扱いはできない。

 グレンディルさんも、同様に返礼した。

 その動きは滑らかなもので……つまり、古い礼法を知ってる? ということは、


「おかけください」


 と、考えだしたところでアグナルさんの言葉に思考が中断された。

 上座に当たる席を勧められる。


「はい。ありがとうございます」


 これも立場上拒否するわけにはいかないので、遠慮の気持ちをこらえて座る。


 しばらくすると、アグナルさんの奥さんがお茶を運んできた。

 ……ドワーフの女性というのは妖精じみて綺麗だとか、いや物凄くゴツくて髭が生えてるんだとか色んな話がある。

 けれど、正解は両方だと、彼らと親しく接するようになって知った。


 ドワーフの女性は若いころは、ちょっとぽちゃっとした感じで妖精みたいに美しいけど、あまり外見に気を遣わないからか、結婚すると早々に肝っ玉母さんめいた風になっていく。

 そしてドワーフの男の方は、その変化に対してあまり頓着していない。

 おまけにドワーフの文化的に、ドワーフの男たちは女性を表に出さずに「余所者からは女を隠せ!」みたいな感じらしくて……

 多分、たまたま見かけたドワーフの女性が情報源になって、「妖精だ」「いや髭だ」みたいな両極端な話が生まれたんじゃないかと僕は思っている。

 なお、アグナルさんの奥さんが妖精と髭のどちらにあたるかについては、明言を避けよう。


 ともあれ薬草茶を一口いただきつつ、今後の展開を考える。

 《くろがねの国》の話は彼らの大切な部分だ、いきなり問いかけるよりかは、少し歓談して空気を和らげたほうがいいだろう。


「グレンディルさんたちは、何故こちらに?」


 独特の香気と苦味を感じながら、無難な問いを選んで発する。


「――死ぬために」


 とんでもない答えが返って来て、薬草茶を噴き出しかけた。


「ごほっ……と、失礼」

「グレンディル殿。そう端的では驚かせてしまいますぞ」


 アグナルさんがたしなめるように言葉を発する。

 グレンディルさんは困ったような顔をすると、しばらく無言になった。

 僕はそれを、居住まいを正して待つ。

 グレンディルさんは、ゆっくりと言葉をまとめ、落ち着いた調子で語りだした。


「儂らは、老い先短い。……故郷を眺め、死にたいと思うております」

「――ウィリアム殿。グレンディル殿は、西の山脈の生き残りなのです」


 そう言われたら、少し納得ができた。

 僕だって、老いて、死期が迫ってきたら……あの神殿のある丘を眺めて死にたいと思うかもしれない。


「ふるさとの山は、既に我らが山ではない。

 しかし魔獣蔓延る樹海と化した山の麓を、人の手に取り戻した英雄がいると、噂に聞き」


 でも、だからといって僕は、グレンディルさんの思いを全て理解できたわけではない。

 どれほどの気持ちなのだろう。


「懐かしき山並みを遠望し……いつか再び、故地が取り戻されることを夢見て。

 そうして死ぬることができれば、どれほど幸甚であろうかと。

 皆そのように言い交わし、思いを同じくする仲間たちと、ここに参りました」


 どれだけ望んでも、故郷に帰ることができないというのは、どれほど悲しいのだろう。

 故郷を奪われたままだというのは、どれほど悔しいのだろう。

 ……ただ故郷を遠望して死ぬことが幸せだなんて、どれほどの経験をしてきたら言えるのだろう。


「ご迷惑をおかけするやもしれませんが、いかなる仕事も厭いませぬ。

 どうか、街の片隅に置いて頂ければ」


 ……僕には分からない。

 彼の気持ちは理解しきれない。


「安心して下さい。できるだけのことはします」


 でも、だからこそ。

 きちんと、街を預かる者としての意志と責任を示さねばならないと思った。

 グレンディルさんの手を両手で握り、


「――必ず、皆さんを理不尽からお守りします」


 そう語りかけた。

 目を見て、思いを込めて、伝われと思いながら。


「ぉ、おお……」


 握った手が、ふるふると震えていた。

 つい、そちらに視線を向け……視線を戻すと、グレンディルさんが、はらはらと涙をこぼしていた。


「かたじけない……かたじけない…………」


 震える手で、僕の手を握り返し。

 グレンディルさんは、何度も何度も、そう繰り返した。


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[一言] 筆舌し難いような凄惨な体験をいくつも重ねた精悍なるドワーフが少しでも幸せを感じられる暮らしが出来ることを祈るばかりだ。
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