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「《森の王》だってよ」
帰り道。歩きながら、僕たちは語り合った。
相変わらず木々は道を開き、獣たちも僕たちを避ける。
どうやら一度宿した王権の影響は、今もメネルのなかに残っているようだ。
現時点でも、妖精使いとして数段上の階梯に進んでいるのかもしれない。
でも、今更ちょっとくらい強くなったのならないのなんて、僕にとってもメネルにとってもあまり重要な事柄ではない。
むしろ話題は、その行き着くところ、《森の王》のことだ。
「……ウィル、お前はどう思う?」
「凄いことだと思うけれど、ちょっとスケールが大きすぎてよく分からない、かな」
「だよなぁ」
歩くメネルの横顔には、特段、変わった様子は見られない。
いつもどおり、時折異常がないか目配りをしながら、一定のペースで歩いている。
「《ヒイラギの王》が言うには百年の更に向こう……
俺の命が尽きるまでだから、二百年、三百年とか、あるいはそれ以上……そういう世界だな」
とても想像がつかない。
「その頃には僕は死んでるね」
「そうだな」
メネルは頷いて――
「お前の墓守でもやりつつ、お前の子どもや孫、ひ孫連中の行く末眺めて……
まぁ、その辺も一段落ついた頃、か」
「……そんなことやるつもりだったんだ」
「やるつもりだったんだよ。お前にゃ色々と、返しきれない恩もあるしな」
サラリとそういうことを言われると、なんと返したものか。
メネルが真剣に言っていることは分かったので、混ぜ返しはせずに、神妙な顔で頷く。
「けど、そうだな。
そういうのも終わった後に、山や森と一つになるってのは、悪くねぇ生き方かもな」
僕はその呟きを、黙って聞いていた。
「ハーフエルフってのは、いつか決定的に選ばないとならない。
森のなか、水と土とともに悠久を生きる、精霊に近きもの、エルフたちの生き方か。
それとも猛る火のようにきらめいて、吹く風のように消える、人間たちの生き方か」
選択。
それが二つの血の間に生まれたものの宿命なのだと、メネルは言った。
「森に消えて、ああいう古樹になって、お前の為すだろうことの行く末を眺めて。
それからゆっくり、枯れて倒れて、輪廻に還る。――悪くないな」
彼は笑った。
「『生は死のうちにこそ』って、お前、前になんかの説法で言ってたよな。
……あの不慣れでぎこちないアレ」
「あ、ひどいっ、あれでも頑張ったのに! ……でも、うん、確かに言ったよ」
「寿命は長ぇし、倒れて死んだらそれまでのつもりだったからな。
あんま実感なかったけど、あの意味、やっと何となく分かってきたわ」
生きることは、どうしたって最終的に死に帰着する。
だから「どう死にたいか」を考えはじめたら、必然、「どう生きたいか」にも帰着する。
「……俺は、お前の成し遂げたことの行く末を見たい」
そのために、生き方を選んでもいい。
メネルはそう言って、僕に不器用に笑いかけた。
その笑顔に、胸が詰まった。
「……そんなに大したこと、できないかもしれないよ」
「冗談」
メネルは苦笑して肩を竦めた。
「お前、俺と出会ってから今までで何やったよ。
素手で飛竜殺して、キマイラ殺して、妖魔の族長の角をへし折って、今度は将軍格の悪魔を一騎打ちで討って……十分伝説だよ。
……んで、どうせそんなポヤっとした顔して、これからも伝説を作るんだ」
乱暴に背中を叩かれた。
「俺はその隣で戦って――そんで最後まで生き残れたら、俺は締めくくりに森の奥に消えるんだよ。
もちろん、それっぽいこと言って、きっちりカッコつけてな」
「……伝説になるね」
「お互いな。悪くねぇだろ?」
「うん」
それは、なんだか楽しそうな未来図かもしれないな、と思った。
戦いの中で果てることはもちろん常にあるし、その場合はどちらが先に逝くかわからないけれど。
生き残ったら、絶対に僕はメネルより先に逝く。
それは仕方のない事だけれど――なんだか寂しくて、申し訳ない感じがしていた。
でも、そういう風に笑って未来を描けるなら、それもきっと、「悪くない」ことなのだ。
「なあ、ウィル。……お前はどう死にたい?」
「それが、メネルほど決まってないんだ」
意外だ、というようにメネルが目を見開いた。
「……お前なら、いろいろ考えてると思ったんだが」
「それがさ……」
ちょっとそれっぽくタメを作ってから、
「考えるんだけど、現実の変化が早過ぎるんだよっ!」
僕はもう憤懣やるかたない、というように叫ぶ。
「あの街を出てさ! 気づいたら騎士だし! 気づいたら領主までしっかり担ぎあげられちゃったし!
ビィの歌はなんか北の大陸にまで届いてるっぽいし……この調子で10年後に自分がどうなってるか、ぜんぜん予想がつかない!」
そう言うと、メネルはけらけら笑い出した。
「人の生は短くて激烈だが、お前のは特にそうだなぁ。英雄の運命だ」
「別に英雄でも何でもいいけど、まっとうに人生設計とかできないもんかなぁ……」
「人生設計する英雄って、なんか異様に不似合いで笑えるな」
「ひどい!」
ひとしきりそんな風に言い合って、それから二人でふと、空を見上げた。
木々の間にぽっかりと隙間が空いていて、青空が見えていた。
「俺たちが出会ってから、もう3年か……」
3年。長いようで、短い時間だった。
――僕は、18歳になっていた。
◆
数日後。町外れまで歩いて戻ると、
「! ウィル、ウィル!」
とてとてと、黒髪の愛くるしい子どもが駆けてきた。
後ろからアンナさんが「待ちなさい」なんて言いながら小走りに追っている。
レイストフさんとアンナさんの長女で、シャノンちゃんだ。
「や、シャノンちゃん」
「てーいっ!」
愛称で呼んだところ、お返しは突き出された木の棒だった。
数え3才児……つまり実質2歳とちょっとの割にえらく鋭いその突きを、指二本でつまんで止める。
「すごーい!」
すると、きゃっきゃ! とシャノンちゃんはものすごく盛り上がった。
「こらっ! すみません、ご領主様……うちの娘が」
「いえいえ、元気でいいじゃないですか」
「いえ、そういうわけにも! もう、本当に……」
などと僕とアンナさんが言い合っているうちに、
「メネルー! メネルもー!」
「仕方ねぇなぁ……」
メネルがシャノンちゃんとのチャンバラに巻き込まれている。
「あー……っと、報告とか引き継ぎとか、あれこれあんだろお前ら」
シャノンちゃんの繰り出す、3才児にしてはやけに腰の入った剣筋を、しゃがんでその辺の小枝で捌きながら、メネルは言う。
メネルは態度もぶっきらぼうなのに、なぜか子供にはやたらと人気がある。
「とりあえず俺がシャノン見とくから、いっといたらどうだ」
「……すみません。お疲れでしょうに」
「別に子供の相手くらい、大したこたねぇよ」
余裕綽々そう答えていたメネルだけれど、
「みんなーっ! メネル、遊んでくれゆってー!!」
シャノンちゃんが舌っ足らずにそう言うと、たくさんの子供たちが歓声を上げて現れて、
「ぬわっ、ひ、卑怯だぞお前らっ!?」
「せんしのひきょーは、ぶりゃく!」
「意味わかってねーだろそれっ!」
「それーっ! かかれー!」
ぎゃあああ、と背後から悲鳴が聞こえてきたけどとりあえず無視して歩くことにした。
メネル、君の犠牲は忘れないよ。
「……留守中、変わったことは?」
「特には。ドワーフ系の移民がまた一団やってきましたので、当座の住居を手配した程度でしょうか」
「了解しました、後で顔合わせも兼ねて、ドワーフ街のほうにも顔を出しますね」
「では近日中に向かう旨、先方にも連絡を入れておきます」
「きっとまた飲まされるだろうなぁ……」
「ふふ、伺いましたよ。聖騎士さまがドワーフを酔い潰したって」
「い、いや、あれは……そ、そもそも僕は飲まないように気をつけててですねっ!?」
そんなやり取りをしつつ道を歩いていると、「こんにちは」とか、「領主様おかえりなさい」とか声をかけられる。
それらに手を振ったり笑顔を向けたりしながら、石造りと木造の混じった町並みを歩く。
ここは以前、僕とメネルが住んでいた村ではない。
その近くにあった、半水没していたあの都市を改修したものだ。
……《獣の森》は、ここ3年で随分な発展を遂げていた。
◆
もともと《白帆の都》近辺では、急速な発展に伴い、建材や燃料をはじめとする木材が不足していた。
それに目をつけたトニオさんが、僕と冒険者さんたちに頼んで半水没のあの都市の大規模な掃討と、いくらかの港の整備を行った。
そして《獣の森》で伐採をしては筏を組んで、丸太やら燃料用の薪やらを川港から川の流れに沿って、《白帆の都》方面に売る商売を始めた。
これがまず、順当に当たった。
次には木材を加工するちょっとした木工所を作って、木工品も流す。
魔獣革なんかもたくさん取れるから、皮革の加工所も。
そうするともう農業だけじゃなく、加工所で働く人向けにお店を開いたりする人も出てきたりして、賑やかになる。
それらの発展について、僕は時折トニオさんから報告を受けたり、相談したりもしたけれど、基本的には眺める立場だった。
発展ぶりを眺めつつ、延々と魔獣討伐や遺跡探索、あるいは東の妖魔たちとの戦いを繰り広げていた。
……キマイラ退治後、周辺地域の合議の流れで領主に担ぎあげられはしたけれど、こんな辺境の領主にそうそう決裁すべき事項が山のようにあるわけもない。
家臣にあたる人たちの数だって、微々たるものだ。
むしろ、「腕尽くで地域を統制して安全確保できる、ずば抜けて強い実力者」としての側面に対する期待のほうが強い。
結果、レイストフさんとアンナさんのご夫妻やトニオさんに色々任せて、メネルと二人で駆け回っていたのだけれど、むしろそれが良かったのかもしれない。
森がずいぶん安全になったと聞いて、みすぼらしい山の民の一団がやってきたのだ。
彼らと最初に森で会ったのは僕なのだけれど、ずいぶん汚れてドロドロになって、ようやく辿り着いたといった風で、とても同情してしまった。
苦労している様子だったから、食べ物と当座の宿を手配して、木工や皮革加工ができる人には加工所を紹介したのだけれど……
話してみると、彼らのうちの何人かに陶芸の心得を持つ人たちがいた。
興味を持った僕は、手持ちの資金を幾らか出資して、しっかりした窯を作ってもらうことにした。
半分くらいは、ドワーフさんたちの苦衷に対する同情や思いやりがあったと思う。
でももう半分は、ちゃんとした窯を作って焼きもの産業でも起こせば、もう少し地域の発展に足しになるかな、という打算もあった。
そんな僕に対して、ドワーフさんたちは、薄汚い流れ者の自分たちに宿や食を恵んでくれたばかりか、窯まで作ってくれるとは、と涙を流して感謝してくれた。
それで、やる気を出した彼らは名品を作ろうと、この辺りの素材であれこれ試しはじめた。
その陶工さんたちの試した素材の中で、皮革の加工所で打ち捨てられていた魔獣の骨が、たまさか大当たりした。
魔獣の骨灰を陶土に混ぜて作った焼き物が、素晴らしく滑らかで白い、乳白色の磁器になったのだ。
……それが、売れた。
魔獣の皮を剥いで肉を取って、あとは殆ど打ち捨てられていた骨が、粘土と混ぜて焼くだけで「ええっ!?」と当時の僕が叫んでしまうくらいの数の銀貨に化けたのだ。
ドワーフさんたちは隠し立ても誤魔化しもせず、僕に対して「窯の借り賃」として、誇らしげにその銀貨を納めてくれた。
金銀ではなく、その彼らの気持ちが嬉しくて、僕はエセル殿下に、彼らが作ってくれた磁器の幾つかを献上した。
王弟殿下御用達ということで、少しは宣伝の足しになればな、と思ったのだ。
すると殿下は半ばはそれを面白がり、半ばは戦略的に、兄であるファータイル王たるオーウェン陛下に磁器を送りつけてしまった。
オーウェン王陛下は、愛する弟からの珍しい磁器の贈り物ということで、喜んで受け取ってそれを愛用した。
……結果付いたのが、ファータイル王室御用達という冗談みたいな付加価値だ。後から聞かされて唖然とした。
それだけの付加価値がついたのに、しかし生産力は始めて1、2年かそこらの窯なので低い。
きっと生産が追いつかない! もったいない! と思っていたら、それが逆にプレミア感を演出したのか、更に値段が高騰してもう商売ってわけがわからない。
……いま、《魔獣の白磁器》と呼ばれるその白磁の価値は、なんというかもう、凄いことになっているらしい。
販売を任せているトニオさんなど、もう目が回るくらい忙しいという。
最近《白帆の都》に構えた店舗のほうからなかなか帰ってこれない様子だけど、ホント大丈夫だろうか。
そんなこんなで流れに任せているうちに、半水没の都市の遺跡だった場所が、どんどん河川貿易の中心になっていった。
今は皮革製品や木工品が、丸太と一緒に船に乗って川下に下って行くし、川下からは商品を積載した船が帆に風をはらんで上ってくる。
家々は日に日に増えるし、建物を作る職人さんたちの槌音や鋸引きの音は、日中ずっと止むことがない。
最初は村の方に住んでいた僕も、結局、仕事上のあれこれでこっちに寝泊まりすることが多くなり……
結局だんだんその場の流れと必要性から、居所を移すことになってしまった。
折角作ってもらった礼拝堂には未練があるので、今でもあの村には足繁く通っているけれど。
でも、今はこの街が僕の活動拠点だ。
――この街のことを、人は《灯火の川港》と呼んでいる。




