8:誰にでもできること
森というのは木漏れ日が差して、適度にスペースがあったりして、明るく綺麗で爽やかな空間――
なんていうのは、前世の広告戦略によって培われた幻想、あるいはきちんと管理された森林のイメージだ。
人の手が入っていない森のなかというのは、暗い。
木々が好き勝手に枝を広げ、藪は人間の歩みを拒絶し、暗がりには苔が生え、虫が這い回り飛び回る。
それが、森だ。
《獣の森》はその中間点にある。
集落がある付近の森は、燃料や材木の確保、あるいは家畜の放牧のためにそれなりに手が入っている。
道となる場所は、荷車を通せる程度の踏み分け道程度で、時折、行き交う人々たちが野営に使うポイントがちらほら。
そこから外れると、もう、ほとんど原生林だ。
「さて、やるか」
「うん」
僕は今、メネルとともにその原生林にいた。
理由は単純……子鬼退治だ。
《白帆の都》でのエセル殿下やバグリー神殿長との会談、賢者の学院への面通しや、その他もろもろの雑事を終えて。
そのままトニオさんやビィ、それに最近、《獣の森》との往来を増やし始めた行商人の人たちと、隊商っぽい感じのグループを組んで帰ろうとしたのだけれど。
森に入る手前の村で、困り事の相談を受けた。
最近、夜にゴブリンの小さな群れが森から現れては、家畜などをさらっていくのだという。
ゴブリン。暴虐と専制の神イルトリートの眷属。
ちょうど子供くらいの体格なのは小人族と同じだけれど、朗らかで明け透けなハーフリングと違って、ゴブリンは悪知恵と残虐性の徒だ。
多くが原始的な生活を営んでおり、繁殖力は高いけれど、戦闘能力はそれほど高くはない。
基本的に家畜をさらう害獣――狼程度の悪さをするばかりだけれど、上位の妖魔に率いられていれば話は別だ。
トロールやオウガといった上位の妖魔に統率されていた場合、夜襲から一村を壊滅させるくらいの働きをすることもある。
……無視はできない案件だったので、相談の上で隊商の護衛は雇われの冒険者さんたちに任せ、僕とメネルが依頼を受ける形で居残った。
「こっちだな」
「ん」
ゴブリンは悪知恵に優れるので、偽装の可能性も考慮に入れつつ慎重に足跡をたどる。
足跡を調べに地面に注意が向いているところで奇襲を受けないよう、もう一方の僕がカバーに立つ形だ。
「……くっだらねぇ依頼だ」
メネルの目は、随分ぎらついている。
最近は彼は、村で呑気に狩人をしていた間の錆を落とすと言って、森の奥に行ったり、冒険者さんたちと鍛錬をしたりでずいぶんと鍛え込んでいる。
実際、その体から漲る気配は以前とは一回りも二回りも強く、鋭い。
今回だって、「ゴブリン退治程度、一人で余裕だ」と主張するメネルに無理を言って同行したくらいなのだ。
「確かに、メネル一人で余裕かもね。でも、念には念だよ」
「ああ。けど、そう言うからにはお前は手を出すなよ」
「もちろん」
当たり前だし月並みな言葉だけれど、一朝一夕で強さは手に入らない。
彼は僕と約束してしまったから、強くなることを焦っているのかもしれない。
でもメネルの性格上、強くなろうと決意した原因である僕が、焦るなとか正面から言っても、聞きはしないだろうと思う。
なので、一応、焦りから無茶をしないように傍に居ようと思ったのだ。
今回、二人で依頼を受けることにしたのは、そういうことだ。
「……くそ」
メネルが悪態をつく。
「お前が何考えてるかなんて、だいたい分かってんだよ」
「な、何が?」
「なんでもねぇよ」
ぷい、とメネルは顔を背け……
そのまま抜き打ちざまにナイフを投げ放った。
茂みに潜んでいた、薄緑色の肌の子鬼……ゴブリンが、喉から延髄を貫いたナイフに悲鳴をあげることもかなわず、倒れる。
「……まぁ、気配りはありがてぇと思ってるよ。くそ」
メネルのつぶやきに、僕は少し肩をすくめて、笑った。
◆◆◆
推移は圧倒的だった。
弓とナイフ、そして呪文で、見張りに声すら立てさせずに次々に制圧。
あっという間に巣穴となっていた洞窟を見つけると、そこに踏み込みメネルは殺戮を開始した。
ほとんど作業的に、錆びた鉄剣や槍などを手に襲い来るゴブリンを殺してゆく。
恐らく女子供であろうゴブリンも、家畜でも潰すようにあっさりと。
「下手に慈悲を見せて、一匹二匹残すと、またあちこちで被害が出るからな。
特にウィル、お前は根の性格がお人好しだから気をつけろよ」
そういうものなのだろう。
実際、オウガくらいのある程度は賢い妖魔であれば、敵対しあいながらもお互いの勢力で牽制しあって膠着を保つとか、共通の敵相手に一時的に不戦を結ぶとかも、できないことはないらしい。
けれどトロールやゴブリンといった愚鈍な妖魔だと、そもそもそういう交渉が成立しない。
彼らは約束事は交わすものではなく裏切るものだと考えているし、その邪悪な性質を矯正する試みは尽く破綻したと、かつてガスは言っていた。
基本的に、暴虐を旨とする混沌の悪神の眷属。
秩序だった概念は通じないし、暴力と殺戮で対処するしかない。
魔獣と同じなのだ、と。
薄暗く狭く、臭い洞窟を。
ぎゃあぎゃあと、敵襲を告げるゴブリンたちの叫びが木霊する。
メネルは意に介した風もなく、襲い来るゴブリンたちを倒しながら進む。もう何度も、この手の仕事は経験しているのだろう。
彼の手はずに危なげはない。僕は周囲に気を配りながら、それについてゆく。
……と、広い空間に出た。
《大連邦時代》の何かの遺跡とつながっていたのだろうか、そこは石造りの広間だった。
あちこちに、錆びた武器や槍が束ねて置かれている。
その中央には――既に戦斧と盾を手にして革鎧を着こみ、戦支度を整えた、ゴブリンとは別種の妖魔がいた。
体格的には僕と同じくらいだろうか。
赤みの強い、文字通りに赤銅色の肌に、筋骨隆々たる体格。
「妖鬼……?」
「の、小型種だな。予想通りだ」
メネルが言った。
「ゴブリンどもが金属で武装してる時点でおかしいと思ったんだよ。
おまけに基本、獣の森は魔獣の天下だ。
ゴブリンの小グループなんぞが入り込んでも、しばらくほっときゃ魔獣どもが巣に乱入して食い殺されるのがオチだ」
「…………」
レッサーオウガは、僕たちを警戒し、隙をうかがうように武器を構えている。
「遙か東、森の向こうの荒野や峡谷には、妖魔どもの国があるとか言うが……大方そこの所属だろ、お前。
ウィル、お前が魔獣を随分片付けたんで、森に進出できないか妖魔共の親玉が突き出した尖兵だよ、コイツ」
メネルがそう語ると、レッサーオウガの表情が目に見えて変わった。
ぎょろりと目を剥き、僕を見る。
「キマイラ殺シノ、ぱらでぃん……」
「図星か。ま、そういうこった。……だがそいつの仕事はねぇぜ」
メネルが身構える。
「相手をしてもらいたけりゃ、俺をやってみな」
「…………」
その構えは、隙がない。
一歩を踏み出すと、レッサーオウガが一歩を下がった。
「臆したな?」
メネルが挑発する。
「臆病者は、イルトリートのトコにゃ行けねぇんじゃなかったか?」
たぶん本気で言っているわけではない。
攻撃を誘うための誘導としての挑発だろう。
そしてそれに、レッサーオウガは見事に乗った。
彼は聞き取れないほどの早口でいくつかの言葉を唱えると、メネルに向けて斬りかかる。
「火炎」という言葉が聞こえたので、おそらく妖魔語の決まり文句、破壊と火炎とイルトリートを称える文言だ。
そしてそこまで考える間に、既に戦いは終わっていた。
大きく戦斧を振り上げ、叩きつけようとしたレッサーオウガの喉首に、メネルは反応も許さないほどの最速最短でナイフを叩き込んだ。
レイストフさんの突きを彷彿とさせるような、有無を言わせぬ早撃ちめいたナイフ投げ。
「《来たれ短剣》」
メネルのつぶやきとともに彼の手元にナイフが戻り、よろめくレッサーオウガの喉から血が吹き出した。
「……せめて通常種のオウガでも来てりゃな。勝負にゃなったんだが」
恨むなよ、とメネルは言った。
メネルが全てを圧倒したまま、戦いは終わった。
◆◆◆
一渡り遺跡を探索し、危険なものや貴重なものがないかを確認した後、僕たちは洞窟の出入口をよく封鎖して村に戻った。
あったことを報告すると、村ではずいぶんと感謝された。
メネルはずっと仏頂面のままで、代わりに僕が愛想よく笑みを浮かべて、村の人たちへの報告をすることになった。
彼らはレッサーオウガの首を見せると驚き、持ち帰った錆びた剣や槍は研ぎ直して今後の村の守りに転用するという。
幾許かのお礼を貰って帰途につく。
その道のさなかで、メネルは言った。
「……駆け出し冒険者でもできる仕事だったな」
「駆け出しじゃ無理だよ」
「5、6人のパーティなら、半壊くらいでなんとかなる範囲だぜ」
実際、大昔の駆け出し時代、半壊でなんとかしたとメネルは言った。
「……それじゃあ、その頃から、ずいぶん成長したんだね」
「ああ。一人で、レッサーオウガ付きのゴブリンの巣を潰せるくらいにはな」
枝が生い茂り、陽光が遮られた薄暗い森の道を二人で歩く。
「けど、逆にもうレッサーごときじゃ勝負にならねぇ。
……勝負にならねぇんじゃ、意味がねぇ」
「メネル、それは違うよ」
つぶやいた彼の言葉を、僕は否定した。
「それは、違う」
真剣にそう言うと、メネルは少し目を見開いて、口をつぐんだ。
「……じゃあ、何だってんだよ。あんな、誰にでもできる仕事」
「確かに、誰にでもできるかもしれない」
頷いた。
「でも、誰かがしないといけない仕事じゃないか」
暗くて、汚く臭い巣穴へ潜り。
全ての子鬼を殺して回る、陰鬱で陰惨な仕事。
……だけど、誰かがそれをしないといけない。
「今日メネルがあの巣穴を制圧しなかったら、あのレッサーオウガがゴブリンを率いて村を襲ったかもしれない。
そしたらたくさんの人が殺されていた。
あるいはレッサーオウガが、本国のほうに「森へ進出できる」なんて報告を出したとしたら、もっと酷い戦乱の原因になったかも」
「…………」
誰でもできることかもしれない。
だけど、あの場にいた僕たちだから、できたことだ。
「メネル、君は」
立ち止まり、向かい合う。
普段、僕は友人であるメネルに甘えたり、頼ってばかりだ。
でも、ここだけは、はっきりさせておかないといけない、と思ったからだ。
「……君の誓いは、命を救うことだろ」
メネルが、目を見開いた。
――この生が終わるまでに、俺は6人の命を救う。かなうなら、もっと。
彼は、確かにそう言ったのだ。
「僕に追いつこうとしてくれてるのは、嬉しいけど。とても嬉しいけど。
……でも、そのことを蔑ろにしないで欲しい」
君がそれをどうでもよいと思ってしまったら、悲しいよ、と僕は言った。
メネルは無言で、それを聞いていた。
それからゆっくりと息をつくと……
「焦って視野が狭くなってたな。誓いを忘れて、悪かった」
そう言って、頭を下げた。
「それと、思い出させてくれて、ありがとうな」
「ううん」
いいよ、と首を左右にふる。
あの時の思いが、どうでもよくなっていないなら、それでいい。
関心がなくなったものは、どうにもならないけれど、少し忘れていただけなら、いつだって思い出せるのだ。
「お前はほんと、普段はポヤっとしてるのに……時々神官サマだよな」
それからしばらく歩いて。
空気をふと切り替えるように、メネルが言った。
「時々って何さ。僕はいつでも神官サマだよ」
「そうだな、いつでも神官サマだな」
「そうそう」
「で、人の色恋ぽろっとこぼした神官サマさまは、あいつらへの言い訳考えたのか?」
…………あ。
「ど、どどどうしよう!?」
「……正直に謝るしかねーんじゃねぇの?」
そんな風に語り合いながら。
時折木漏れ日のさす、薄暗い道を、僕らは歩いてゆく。




