4:年月の重み
アンナさんとレイストフさんに関しては……包み隠さず話して、謝って、後日一緒に神殿に行って貰おう。
本当に申し訳ない。
対価の話については……これは日常で気をつけるしかないか。
施療なんて割と日常的にやってることだし、対価を取ったか取らないかも相手の困窮具合によっていたからだろうか。
間近にいた神官さんたちでさえ問題に気づいていなかった。
あるいは、ひょっとして僕につけられた――アンナさんをはじめとした――神官さんたちにも、そもそもそういう視点はなかったのかもしれない。
彼らは自分の一挙手一投足が、大きな流れに影響する立場にはない。
たとえ彼らが気まぐれに無償の施療を何度かしたところで、他の神官の立場が極端に悪くなりはしないだろう。
あのお説教は、単に対価がどうこうというだけじゃなくて……
多分、「人と違った立場に立つことになったからには、人と違った高い視点と思考を持て」と教えたかったのではないだろうか。
……その可能性は高い。神殿長は厳しいから、1を聞いて10を知るくらいじゃないと、あっさり無能と見限られそうだ。
ああいう人がわざわざ嫌われ役を引き受けて、叱ってくれるうちが華。気をつけないと。
「はぁ……」
神殿から宿への帰り道。
白い壁の鮮やかな家々の並ぶ通りを、トニオさんと二人で歩きながら、僕はため息をついた。
「どうされたのですか?」
「まだまだ未熟だなぁ、って……」
僕はトニオさんに今日、神殿長との間であったことを話した。
「……というわけで、いろいろ考えが及んでいないな、って。
二人のことも、うっかり漏らしちゃって……」
「…………」
トニオさんはしばらく無言であるくと、そのままぽんぽん、と僕の頭を撫でた。
僕はびっくりして、トニオさんのほうを向いた。
「……騎士様に無礼でしたかね?」
「いえ、そんなことはないんですが……えっと」
なぜに。
「はは……ちょっと広場に寄りましょうか」
トニオさんは疑問気な僕に答えず、広場に向けて歩き出す。
広場は、すぐそこにあった。
水道橋から供給される水が、さらさらと湧き出す白い石で作られた噴水。
それを中心に屋台などが出店していて、人が行き交い賑やかだ。
大道芸人のパフォーマンスや、吟遊詩人の演奏などもある。
「わぁ……」
賑やかな様子に見とれていると、
「はい、どうぞ」
と、トニオさんが粗末な木皿を差し出してきた。
ほかほかと湯気の立つ、ポテトとベーコンの乗った木皿だ。どこかの屋台の売り物だろう。
「食べましょう。……あ、エールもいいですね」
剣と一緒に腰に下げていた角杯で、樽を置いてエールの量り売りをしている屋台からエールもいくらか買い込む。
噴水の傍に腰掛けて、
「地母神マーテルよ、善なる神々よ、あなたがたの慈しみにより、この食事をいただきます。
ここに用意された食物を祝福し、わたしたちの心と身体を支える糧として下さい」
習慣的にいつもの祈りを始めた。
いつものことなので、トニオさんも僕に合わせて祈っている。
「聖寵に感謝を。……いただきます」
ナイフを刺すと屋台料理を口に運ぶ。
ほくほくのポテト。
脂のしたたるベーコン。
適度に効いた塩。
何かもう、ひたすら口の中が幸せだ。
頬が緩む。
「うわぁ……」
「これは、なかなか美味しいですね」
それからしばらく、無言でポテトを食べてエールを呷った。
「……ウィルさんは、今のままでいいと思いますよ」
そんな中。ふと、トニオさんがそう呟く。
僕は手を止め、トニオさんを見た。
彼はいつもの、どこか冴えない、しかし親しみやすい微笑みを浮かべていた。
「あなたは、まだ、十五歳です。……あそこに居る少年たちと、同じ位置に居てもいいくらいなのです」
見れば、どこかの職人の徒弟だろうか。
日に焼けた二人の少年が、お互いに肩をつつきあい、冗談を投げ合いながら、街路を歩いてゆく。
「それがまぁ、図抜けた武力で飛竜を倒し、今や貴方は最果ての地の聖騎士、希望の灯火です」
「いえ、そんな……」
「いいえ。だからこそ」
トニオさんは言葉を重ねた。
「迂闊になれとは言いませんが、完璧を求め過ぎないほうが良い」
その瞳は真剣だった。
「あなたは、まだ十五歳なのです。
成人したとはいえ……よくある失敗を何度もして、怒られてもいい。視野がまだまだ狭くてもいい。
色々なことで、人に頼ったりしても良い年齢なのですよ」
「…………」
十五歳……そう、十五歳だ。朧に前世の記憶があるとはいえ、記憶があるだけなのだ。
身体は十五年を生きているだけで、経験も十五年を生きているぶんだけ。
年月の重みは、誤魔化せない。
「ウィルさん」
それから、トニオさんはしばらく言葉を選ぶように、沈黙した。
広場の楽しげな喧騒が響く。
母を呼ぶ子供の笑い声、吟遊詩人の演奏、道行く人の笑い交わす声。
「……私は、心の何処かで、貴方を畏怖しています」
◆
トニオさんの声は大きくはなかったけれど、喧騒の中にありながら、なぜだか僕の耳にはっきりと聞こえた。
「私は貴方が怖い。
素手で飛竜の首をへし折り、魔獣の群れを従えた異常なキマイラすら仕留めてのける、貴方が怖い。
あなたが飛竜を仕留めたあの時。明るく声をかける自分が震えていないか、笑みが引きつっていないか、自信がなかった」
訥々と、言葉が続く。
「私は、怖がりです。……もしも貴方が隙を廃し甘さを廃し、己に冷徹であることを課したならば」
一息。
「そう、あの時のようになったら……」
あの時。
それは、多分、僕がメネルを失いかけたあの時だ。
全てを一人でやろうと決意しかけた、あの時。
「私は、友人として、貴方に向き合う自信がない。
…………レイストフさんに助けを求めたのがいい証拠ですね」
あの時、トニオさんはどこか及び腰だった。
考えてみれば、それもそうだ。
こんな異常な戦力を持った相手が錯乱した時、何の武力もなしに向き合うことがどれだけ心に負担のかかる行為か。
「…………」
「…………」
沈黙が落ちた。
僕は、こういう時、なんと言えばいいのだろう。
それもやっぱり、分からない。
たとえブラッドや、マリーや、ガスみたいな凄い人たちの教えを受けていたって。
僕にはやっぱり、まだ、分からないことだらけだ。
「……私のような者は、やっぱり、他にもいると思うのですよ。
貴方を尊敬すると同時に、心のどこかで畏れてしまう者は」
トニオさんは訥々と語り続ける。
「だから、貴方には、今のままで居て欲しい。
誰かに甘えて、時々抜けたこともして、年相応な面を失わないで欲しい」
身勝手な話ですけれどと、トニオさんは笑った。
「……もっとカッコよくなりたいんですけどね」
「もう十分、皆の憧れですよ、貴方は」
「こう、そういう意味じゃなく、弄られ役じゃないっていうか……」
「いいじゃないですか。愛されている証拠ですよ。
それに、二十年もすれば、自然とそういう貫禄はつきます」
「トニオさんみたいに?」
「おや、殿下や神殿長ではなく、私が例ですか」
トニオさんは照れたように笑うと、遠い目をした。
「ですが……ええ。そうなれますよ。
私が十五歳の時など、どこにでもいる小生意気な子供でした」
苦笑する。
「自分は特別で、何かができるのだと信じつつ、その実たいした力なんてない……
仲間とつるむのが楽しくて、親に反発して……まぁ、よくあるアレです」
前世で言う思春期、という奴だろう。
「それでも二十年経てば、このくらいには落ち着きます」
彼は身振りで自分を示して、肩をすくめると、
「……だからどうか、焦らないで下さい。
貴方の及ばぬ部分は、私たちが補いをつけますから」
そう、告げた。
その言葉に、笑みに。
いろいろな感情が渦を巻いて、僕は言葉をうまく選べず……
結局、こくりと頷いた。
トニオさんが穏やかに微笑む。
拍手の音が聞こえた、吟遊詩人の歌が一段落したのだろう。
続けざまに何やら口上があり、新しい歌が始まった。
◆
広間に撥弦楽器の音が響く。
「凶相の魔獣 最果てに跋扈す
車馬と人の 行き交いは絶え
嘆きの声を 北風がかき消す
森に響くは 獣どもの遠吠え」
歌われているのは……どこか聞き覚えのある武勲詩だ。
魔獣の害に苦しむひとびと。
そこにどこからか、神の加護を受けた一人の若き戦士が現れる。
若き戦士は悪に手を染めようとしていた、美しいハーフエルフの狩人を改心させる。
そして友となった彼とともに街に向かうと、街を襲う飛竜の首を素手でへし折って名を挙げ、聖騎士として叙勲される。
そしてその名を慕う戦士たちが集まり、いよいよ魔獣たちの本拠である谷に向かうも、卑劣な罠にかかって一度、彼らは敗退する。
聖騎士は封じられた邪悪な魔剣の力でその場を切り抜けるも、重傷を負う友。魔剣の闇に呑まれかける聖騎士。
しかし、傷を押しても彼を諭そうとする、友たるハーフエルフの呼びかけに自分を取り戻す。
そして彼らは再び結束を取り戻し、魔獣たちとの戦いに挑む。
「かくて谷征く英雄たちに、立ちふさがりしは大魔獣。
獅子の頭に鋭き爪牙、山羊の頭に邪悪な魔法、亜竜の頭に紅蓮の猛火。
蠢く尻尾は猛毒の蛇、猛る叫びは風を震わせ、歩む足下に地が揺らぐ」
魔獣たちを率いるは、三首の大魔獣キマイラ。
戦士たちは盾の壁を構え、剣を振り上げると魔獣の群れに勇壮に挑みかかる。
その中には謎の、早く鋭き剣を使う冒険者が居たとかも語られる。
分かる人だけ分かると楽しい系のネタか。
「《最果ての聖騎士》ウィリアム、
《はやき翼の》メネルドール、
ともに疾駆す」
そして、このへんから詩人さんの語りに熱が入り始めた。
「ああ、生々流転を司りし、灯火の神よ!
歴史のうちに失われし、偉大なる神よ!
今また、この辺境の闇に英雄を現し、再びその輝きを世に現すか!」
キマイラ戦はそりゃもう壮絶だった。
なんかウィリアム卿がその剛力をもって、キマイラと取っ組み合いをして、素手で殴り飛ばしたりしてる。
すげー、と僕は思わず感心してしまった。なんという英雄なんだ。
「あんな十五歳が実際にいたら、ちょっと困るでしょう」
「うん、困りますね」
僕は小さく笑った。
実際、流石に十五歳では不自然なのか、歌の中のウィリアム卿は二十半ばか三十くらいの筋骨隆々の大男だ。
灯火の神への信仰が厚く、誰へも分け隔てなく慈悲深く、知謀は鋭くてカリスマと自信に溢れている。
「あ、そっか。道を歩いてても特に注目されないと思ったら……」
「歌の印象のほうが先行してるんでしょうね」
何度か儀式とかにも顔出してるけど、間近から僕を見た人って都市の人口に比べれば少ないだろうし。
間近で見たことのある人も、いちいち詩人の歌にケチをつけたりはしないだろう。
あとで「違うよ、本当の聖騎士ってのはな……」とか、仲間内で語りぐさにはするかもしれないけれど。
「……私は、今のウィルさんのほうが、あの歌の英雄さんより好きですよ。友人としてね」
「それは……良かった」
うん、良かった。
「僕も、トニオさんは好きですよ。尊敬してます」
「ははは、光栄です」
二人で芋をつつき、エールを呑みながら、笑い合う。
――そろそろ歌の中で、ウィリアム卿がキマイラを倒す頃だった。




