1:つらぬきの剣
風が吹き抜け、草が揺れる。
夏の朝の、強い草と土の匂いを含んだ涼感のある風だ。
最近は《灯火の村》と呼ばれるようになった、その村の西。
鍛錬のために、丁寧に石を拾い取り除いた野原。
すぐ向こうには《獣の森》の木々が見え、更に向こうには《鉄錆山脈》の赤茶けた山並みがある。
「…………」
そこで僕は、レイストフさんと対峙していた。
年齢不詳の髭面に、鋭い目つき。鍛え込まれた体躯。
分厚い魔獣革のマントは、洗い落としきれない返り血や草の染みで、まだらに汚れている。
手には細く柔らかい木の枝を一つ、無造作に構えている。……いや、無造作に見えるだけか。
「…………」
「…………」
握った右拳を左胸に添え、それから伸ばし、互いに打ち合わせると距離を取る。
《大連邦時代》から続く、古めかしい試合前の挨拶の動作だ。
動作の象徴する意味は一つ。……この胸の、戦士の魂にかけて、汝と真向かいに力比べせん。
双方無言で距離を測る。
僕もレイストフさんも、手にしているのは木の枝だ。模擬戦となると選択肢はこれしかない。
――お互いその気になれば、たとえ木剣だろうと高い切断力と殺傷力をもった一撃が放ててしまうからだ。
「いきます」
木の枝を下段に構えると、一足一刀の間合いに踏み込む。
瞬間、閃く雷光のような突きが来た。
体を開いて半身になりつつ、枝を握る手を胸元に引き上げ、手首の捻りで突きの一撃を横から擦り上げる。
そのまま返しの一刀を放つ。
弾かれた。
戻しが異様に速い。
「……っ!」
そこから木の枝が風切り音とともに交錯する。
胴薙ぎ。
バックステップ。
目線のフェイント。
肩の動きのフェイント。
虚実織り交ぜ、上段袈裟懸けと見せつつ翻して下段切り上げ。
斜めに躱しざまの踏み込み。
レイストフさんが応じる。
剣先が翻る。
絡み合う。
「……あ」
「む」
――あっという間に、双方の木の枝が折れ飛んだ。
まぁ、こうなるのは当たり前ではあるし、下手に力任せに打ち合わないように気をつけてはいるのだけれど。
それでもいいところで折れてしまうと、残念ではある。
「引き分けだな」
「引き分けですね」
前世の竹刀と防具は、本当に偉大な発明だ。
遠慮無くぼこすか打ち合えるというのは、変な慣れを生む原因でもあるけれど、同時にさまざまな技能を上達させてくれる。
前世の技術の再現には、僕はそんなに興味はないのだけれど、安全な訓練器具の類だけはいつか絶対に再現したい。
そう思いながら、僕はあらかじめ用意してあった木の枝の束のなかから、もう2本を取り出し、1本をレイストフさんに投げ渡す。
「もう一本お願いします」
「ああ、頼む」
そして再び……双方無言で、距離を測る。
◆
「…………特別なコツはない」
約束の鍛錬を申し出て、レイストフさんに突きのコツを聞いてみた時、返ってきたのはそんな言葉だった。
「せいぜい、早く抜くために、剣に多少の工夫を施している程度だ」
「工夫……ですか」
「無論、常に備えが役立つわけではない。むしろ多くは役に立たない。
……だが、備えをしたという事実は、心の余裕に繋がる」
そういえば彼の、頑丈そうな鞘には改造が施されていた。
ベルトに吊るすための金具は独特のものだし、鞘の方にも引きぬきやすくするための握り革のようなものが巻いてあった。
柄もずいぶん調整のあとがあると思ったけれど、どうやらすべて早抜きのためのものらしい。
「普段の鍛錬はどうされてるんですか?」
「暇を見つけては、抜剣の鍛錬。それと太い枝を握りこみ、ひたすら木を突き、叩く」
シンプルだ。
「早く抜く。最短経路で突く。突いて倒しきれなければ、素早く引き抜き叩き斬る。することはそれだけだ」
それを思い切り良くやれればよいのだと、彼は言った。
「実戦ではそう多くの技は必要ない。頼りにする主な技を2つ3つも鍛えれば、それで用足りる」
なるほど、と僕は頷く。
簡素で武骨だけれど、実戦で鍛えられ、無駄を削ぎ落した戦場剣法の凄みがある。
抜剣に重きを置いているのは、おそらく、冒険中に常に抜き身の状態で動くのが現実的ではないからだろう。
「最近は初手に好む、突きの一撃ですべてが決まることが多いが」
レイストフさんはむすっとした、いつもの表情のまま言う。
どうやら《つらぬきの》レイストフの異名を頂戴したのは、このことが由来らしい。
実際、僕が見る彼の仕留めた魔獣の死骸は、いつも大抵が抜剣からの突きの一撃で急所を貫かれて果てている。
例外は怪鳥の頭を貫いたあと、蛇の尾を斬断したコカトリスくらいだろうか。
「突きに、さほど拘りがあるわけではない。必要なら、他のどのような振り方もする」
つまり彼の本領は、突発的な戦闘に素早く反応しての、突きを端緒とした有無を言わせぬ連続攻撃にあるわけだ。
コカトリス戦などは、それが遺憾なく発揮された形なのだろう。
……体験してみたいな、と思った。
ブラッドは筋肉至上主義ではあったのだけれど、それはそれとして器用なところがあった。
僕相手の手加減も上手かったし、試合の時は、いくつかのタイプの剣士を仮想敵として演じ分けてくれたこともある。
レイストフさんは、それとはまた別のタイプだ。
「模擬戦の相手をして頂けませんか?」
「構わん」
そうして始まった最初の模擬戦。
僕は彼の、閃くような突きを見切れずに、いきなり腹を突かれて痛い目を見ることになった。
つまりは一度、刺し殺されたというわけだ。
その後、何度か一緒に模擬戦をしているうちに目も慣れて、ある程度は見切れるようになり、勝率も上がったけれど……
もし、レイストフさん、あるいは同タイプで同程度の練度の剣士と初見で殺し合いに発展した場合、かなりリスクがあるだろう。
なんというか、いわゆる初見殺しっぽいところのある剣筋だ。
模擬戦となると、僕がレイストフさん相手に有利に立ち回っているから、評判を聞いて、僕が彼に大差をつけていると勘違いをする人も時々いるけれど……
基本的に殺し合いなんて、未知の相手と明確な合図もなく開始することの方が多い。
つまりお互い初見の状態がニュートラルであって、僕はそのニュートラルな状態で、一度この人に刺し殺されているのだ。
何度も同じ相手と模擬戦を繰り返せば、剣筋も分かる。癖も分かる。
自然、見切れるようになるから通じなくなる、初見の時だけ効いた、みたいな技も増える。
それらは試合を繰り返すうち、どんどんと無効化されていき省みられなくなる。
けれど、本当の実戦で有効なのは、その初見の時だけ有効な技だ、という場合も往々にしてある。
もし最初の模擬戦が実戦であったなら、僕に命はなかった。彼の剣は、そういう剣だ。
そんなわけで、レイストフさんは僕の方に勝利のレートが傾き始めても、いつもの技をけして捨てない。
愚直にそれを使い続け、小さな工夫を重ねて磨き続けている。「訓練は実戦の如く」を地でいくスタイルだ。
レートは悪くなる。でもそれは、この人の弱さを意味しないのだと、僕は理解している。
……それと、彼の突きがまがりなりにも多少見切れるのは僕だけだ。
他の皆にとっては彼の剣は初見殺しでもなんでもない、何度見てもどうしようもない紛れも無い必殺の技であることを、彼の名誉のために付け加えたい。
◆
「ウィリアム」
朝の鍛錬をひと通り終えたあと。
ふと、レイストフさんに問われた。
「もし、の話だが」
「はい」
レイストフさんがもしもの話、というのは珍しい。
「俺と本気で殺しあう、となれば。どうする」
「間合いの外から投石と魔法で殺します」
即答した。
「絶対にか」
「ええ、絶対に。確実に」
断言した。
普通に聞いていれば、酷い言葉かもしれない。
けれど、
「そうか」
ぼそりとそう言って、頷いた時。
レイストフさんの瞳が、少しばかり嬉しそうにきらめいた。
そうだ。
すべてを賭けた殺し合いとなれば、僕はレイストフさんの間合いを避ける。
たぶん分は悪くない。
仮に剣の間合いで対峙してヨーイドンという条件なら、初撃から続く殺傷力の高いラッシュをいなすか、あるいは機先を制すかして、まず僕が勝つだろう。
おそらく10回やったら7回くらいは、そうなる。
付与を入れれば更に分はよくなる。たぶん10のうち8か9は勝てる。
……だけれど、ひっくり返される危険も、ないわけではない。
少なくとも万全の状態で挑んでも、10回に1回は、開幕ラッシュで即死する僕、という結末が待っている。
10回に1回。10%。……少なくとも、まったく出ない目、というわけではないだろう。
命を賭けるには、心もとない数字だ。
さらに言えば、万全の状態で開始できる、なんて仮定自体がまったく非現実的であるとも言える。
彼の剣の眼目は、突発的な戦闘に対する瞬間的な対応力にある。であれば呑気に付与魔法など、かけている暇はまずないだろう。
だから、やりあいたくない。
どうしてもやるとしたら、間合いの外から。
あくまで剣の腕の外側から、勝負を決する選択肢しかない。
そうするために、どれだけの手間や時間を支払うことになったとしても、僕はきっとそうするだろう。
……殺しあうとなれば、間合いの外から殺す。
この答えは、僕がレイストフさんの剣に捧げる最大の賛辞だ。




