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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第二章:獣の森の射手〉
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28

 その後、日数をかけて準備を整え、偵察を何度か出し――

 そして僕はメネルと二人、再びあの谷に踏み入った。


 僕は《おぼろ月(ペイルムーン)》に、《喰らい尽くすもの(オーバーイーター)》に、盾にミスリルの鎖帷子。

 メネルも弓にナイフに革鎧にと、完全装備だ。


 木々はまばらだ。谷を形成した川は既に枯れており、かつての川床には岩がごろごろと転がるばかり。

 殺風景なそこを奥へ奥へと踏み入ってゆくと、


 ォォォオオオオオオオオオオ……


 と、キマイラの咆哮が谷へと響き渡った。

 谷の入り口から魔獣の気配。


「……どんだけ魔獣を抱えてんだよ」


 これ全滅させたら相当平和になるんじゃねぇの、とメネルが呟いた。


「そうだね、全滅させよう」

「それをさらっと言ってのけんだもんなー……」


 ったく、追いつくのは大変そうだとメネルは肩をすくめた。

 まぁ、宣言したからには頑張ってもらうよと笑いつつ、身構える。


「――来る」


 あらかじめ僕にもメネルにも、古代語魔法や祝祷術、あるいは妖精の協力により可能な支援は、谷への侵入前に既に全てかけてある。

 それによって強化された鋭敏な聴覚が、僅かな飛行音を捉えた。


「あっちだ!」

「分かってる!」


 姿が見えない。前回、罠にしてやられた時もぎりぎりまで発見が遅れた。

 おそらく空から谷への侵入者をうかがいつつ、山羊の頭が用いる、《姿隠しのことば(インヴィジビリティ)》で身を隠しているのだろう。


「『ノームとシルフよ、手を取り踊らん! 黄土の辻風、砂塵の紗幕!』」


 メネルが風と大地の妖精に声をかけ、《黄土の砂塵(オーカーダスト)》を巻き上げる。

 示した方角に円柱形に巻き上げられた砂塵。

 その中から、砂まみれになり姿隠しの効果を失ったキマイラが飛び出してくる。

 亜竜、獅子、山羊の頭が並び、翼に毒蛇の尾。その目は閉じられ涙がぼろぼろとこぼれている。

 そりゃ飛行の勢いで砂塵の柱に突っ込んだら、そうなるよね!


「《すべては(オムニア)》、《空虚なり(ウァーニタース)》――《消去(エーラースス)》!」


 そこに僕が両手を広げて叩きこむのは、《魔法消去のことば(ディスペルマジック)》だ。

 マナの働きを打ち消すそれを受けた瞬間――飛行していたキマイラが、一気に谷底に向けて転落する。


 当たり前だ。あんな巨体が翼で飛べるわけがない(・・・・・・・・・・)


 どう考えても、翼は単なる空中での姿勢制御や微調整用で……つまり、魔法的な作用で飛んでいる。

 ドラゴンなんかと同じだ。


 働いている《ことば》の力をかき消すくらい、強い《ことば》を放てば落ちる道理だ。

 このキマイラもあの知性を見る限り、それなりの《ことば》の使い手なのだろうけれど……こちらは《彷徨賢者》直伝だ。

 この程度の《ことば》くらいは、ひと叫びにかき消せなければ叱られてしまう。


 川床の岩場に落下。轟音と震動が辺りに響き渡る。

 2トンくらいはありそうだったワイバーンを、優に上回る巨体だ。

 いくら魔獣の身体が桁外れに頑丈だといっても、落下によるダメージはどう考えても洒落にならないだろう。


 今回の、僕の作戦の骨子は一つ。



 ごく普通に(・・・・・)実力を出しきる(・・・・・・・)



 それだけだ。奇策は用いない。

 きちんと準備して、相談して、できる手を打てば――負ける道理はないのだから。




 ◆




 キマイラを落としている間に、谷の入り口から魔獣の群れが現れる。

 種類はやはり雑多。


 魔獣はさほど食を必要としないため、補給の問題は少ないだろうけれど、そもそもどうやって統率しているのか。

 謎は多い。

 けれど、それは今考える事ではない。その究明については、もう手を打ってある。


 突撃のために近づいてくる魔獣たち。

 当たり前だけれど、短距離の全力疾走の速度で、長距離を走り続けられる生物はこの世に存在しない。

 全速力の突撃を行おうとするなら、その前段階はある程度、足並みを揃えての早足の行進にならざるを得ず……


「よっしドンピシャッ!!」

「いけるぜぇッッ!!」


 谷の左右から、現れる冒険者たち。

 各自、様々な神秘の術や、物理的な偽装でキマイラの目をかいくぐってそこまで侵入した面々だ。

 彼らは保持していた、細かな《ことば》が刻まれた、漬物石ほどの石くれを小脇に抱え、僕に手を振る。

 僕はガスを思い出しながら。

 ――両手を広げ、唱えた。



「《起動せよエクスペールギースキー》……」



 放たれた石くれが。

 周囲の岩を取り込み、膨れ上がり、谷の急斜面を転がり落ち――谷底に辿り着いた時、そこに現れるのは石造りの巨人。


 ――《石人形の創造(クリエイトゴーレム)》。


 あらかじめ石くれに複雑なことばを刻んでおいたうえで、起動のことばを唱えた。

 そう、かつてガスが使った魔法だ。

 古代語魔法で創りだされる石人形(ゴーレム)は、単純な命令しか指定できないけれど、今はそれで十分。

 あらかじめ指定された《魔獣を打て》の言葉に従い、石人形たちは魔獣の群れの中に暴れこんだ。

 側面からの石人形(ゴーレム)たちの攻撃に、魔獣たちは突撃を忘れ、牙を剥いて反撃を開始する。


 そうだ。魔獣は、きわめて(・・・・)攻撃性が高い(・・・・・・)


 乱戦が始まる。

 そこに冒険者たちが、栓を抜いた油樽を次々に蹴り込んだ。

 斜面を転がり、油をまき散らしながら、石人形と魔獣の乱戦域に転がってゆく。


「射て……!」


 更に火矢が次々と撃ち込まれ、


「《火炎の矢(サギタ・フラメウム)》っ!」


 冒険者たちのうち、幾人かの古代語魔法の使い手が、火炎の矢の呪文を放つ。

 ガスがあんまり好いていないから重点的には教わらなかったけれど、やはり炎や雷の魔法は見栄えがいい。


 火矢や、火炎の魔法の一部が油に当たると、すぐに燃え広がり始めた。

 石人形(ゴーレム)たちには平気でも、魔獣たちはたまったものではない。

 あちこちから、おぞましい狂乱の叫びがあがる。


 あるものは石人形(ゴーレム)に打ち殺され。

 あるものは好戦性も限度があるということか、乱戦の領域を抜けて逃げ出そうとする。

 その魔獣たちを眼下におさめ。


「野郎ども! いくぞぉぉ――ッッ!!」


 振り上げられる剣。


「ヴォールトのいかずちの剣にかけて!」

「燃え上がれ、ブレイズの勇気のほむらよ!」

「ワールよ、幸運の追い風を!」


 武器で盾を叩き、あるいは振り上げ、口々に守護神の名を叫び加護を願う冒険者たち。 


「善なる神の加護ぞあらん!!」

「討て! 討て討て! 討て! 討て討て!!」


 皆が、口の端をつり上げて。

 戦の緊張と。興奮と。脂汗を滲ませ、手足を震えさせながら、獰猛に笑っていた。

 それから大きく息を吸い――


 オォォォオオオオオオオオオオ……!


 辺りをどよもす鬨の声。

 谷を逆落しに駆け下り、冒険者たちが散り散りとなった魔獣たちに襲いかかる。

 血が沸き立つ。鼓動が勢いを増し、肉が熱くなる。


 戦だ。

 ブラッドがいつか何度も、こんな光景を、懐かしむように語っていた。

 ……戦だ。戦だ。戦だ!


「はは……」


 何が一人で解決できるだ。僕は所詮はこの戦いの一要素だ。

 大きな要素、強い駒かもしれないけれど、盤面の趨勢すべてを決するほどではない。

 突き抜けた強さ一つでどうこうできるほど、現実が甘くないことが、なぜだか今は嬉しかった。


「……来るぞ」


 メネルの声。後方の戦いから意識を前に。

 キマイラが、地響きとともにこちらに向き合う。

 その背の翼は折れていた。獅子の口からは吐血。あばらの2、3本くらいは折れたのかもしれない。

 こちらに獰猛な……殺意と、悪意の篭った視線を向けてくる魔獣に。


 僕はブラッドを思い、笑みを浮かべた。

 きっと、あの冒険者さんたちとも、同じような。



流転の女神(グレイスフィール)灯火(ともしび)にかけて!」



 高らかに叫ぶと、短槍を構える。


「……灯火の加護を」


 メネルも呟くように加護を願うと、ミスリルのナイフを構えた。

 キマイラが低く、威嚇するような唸りを上げ――戦いが始まった。




 ◆




 キマイラの巨体が突撃してくる。

 向かって左が亜竜の首、中央が獅子、右手が山羊だ。

 メネルが《つばさの靴(ウィングブーツ)》で、右手側に向けて駆ける。


 山羊の口が不鮮明で濁った声をあげる。

 《火炎の矢》がメネルを襲うけれど、


「食らうかよッ!」


 シルフたちがその矢を逸らす。妖精たちの《矢よけの加護》だ。

 その様子を視界の隅におさめつつ、僕はキマイラの突撃に対して向き合う。

 流石にこれを正面から筋肉でどうこうはできない。

 ので、加護を祈る。


 《神聖なる盾(セイクリッドシールド)》の祝祷。


 ワイバーンの時の戦訓を活かし、それを斜めに(・・・)展開する。

 眼前に立ち上る光の壁、キマイラはそれに突撃し、斜めの壁に勢いを流され、向かって右に逸れる。

 その一瞬で盾を消し、


「はッ!」


 《おぼろ月(ペイルムーン)》でキマイラの右脇腹を深々と突いた。


「『ノームや、ノーム、足をとれ! 固めて縛って釘付けろ!』」


 光壁と槍でキマイラの突進の勢いが緩んだ瞬間を見計らい、放たれる《拘束(ホールド)》の呪文。

 メネルの呪文に、万全のキマイラをどうこうできるような出力はない。

 けれど、見極めが絶妙だった。

 僕という強力な前衛を相手取る隙をついて、彼は面白いように呪文を決めていく。経験の差だ。


 ……彼を過大評価していたのも確かだけれど、過小評価していたのも確からしい。

 人間というのは複雑で、多面的で、本当に面白い。


「やあああああッ!!」


 絡みつく土と岩を払い解く隙をついて、更に脇に3度、《おぼろ月(ペイルムーン)》の穂先を執拗にえぐり込む。

 ついにキマイラが苦悶の叫びをあげた。

 亜竜の首が僕に向けて噛み付きを敢行しようとし……次の瞬間、びくりと動きを止めた。

 メネルが逆側から、山羊頭の眼球に向けてナイフを放ったのだ。


 多頭の魔獣。複数の頭。

 それぞれから身体に反射動作の命令が出たら、どうなる?

 そうだ、混乱するに決まっている。……生命として不自然なのだ、この魔獣は。


「《来たれ短剣(ヴェニ・クルテル)》!」


 山羊頭に弾かれたナイフを取り寄せながら、《つばさの靴(ウィングブーツ)》でメネルは軽快に岩場を駆ける。

 そうだ、こういう状況だ。

 ちゃんとした前衛を置いた上で、遊撃手の位置につく。

 そこでこそなのだ、彼の真価が発揮できるのは。


 僕もキマイラを挟んで、メネルと逆側に走る。

 キマイラは巨体が災いして、動きを追い切れない。

 巨大な身体は速いし強いけれど、どうしてもそれ自体が視野を阻害する。

 近間でうろちょろされるのは、キマイラにとって一番嫌な立ち回りだろう。


 幾度も槍で突き、捻り、出血を強いる。

 噛み付きを回避し、盾で逸らす。


 一撃で、華麗に勝つ必要はない。

 順当に戦い、そのまま実力差で勝てばいい。


 僕には目立った奥の手とか、奥義みたいなものはない。

 ただ3人からの教えが、僕の能力を多角的に、高い水準にまとめている。

 だからそれらを組み合わせて、順当に押し勝つ。

 それが僕の最適な戦い方なのだと、経験を積んでようやく分かってきた。


 メネルが風の妖精の助けを得て、猛烈に加速された投げナイフの一撃を放つ。

 キマイラの注意が一瞬そちらに向いたのを見逃さず、僕は《おぼろ月(ペイルムーン)》を思い切り振り下ろした。


 山羊の頭が、叩き潰される。

 噛み締めた歯が飛び散り、潰れた頭部から血が噴き出すのが見えた。


「まず、一つ!」


 あと亜竜の首と獅子の首。

 ついでに毒蛇の尾……は、いつの間にかメネルが隙をついて寸断していた。早い。

 メネルが地面に落ちた毒蛇の頭を踏み潰している間に、僕も獅子と亜竜の頭のどちらかを片付けようとするけれど……


 その瞬間、二つの頭が咆哮した。

 ぞっとするような気配。

 とっさに僕もメネルも、跳躍して距離を取った。


 キマイラの血管が黒く染まる。

 筋肉が一回りほど太く、いびつに膨れ上がり、全身から吹き出す瘴気。


「コイツもかよ……!」


 メネルが忌々しそうに吐き捨てる。


「ここから、メネルは接近しないで支援を」


 僕にはどうやら、生半可な毒は効かない。

 聖餐で育てられ、聖痕が腕にあるためだろう。


「あとは……僕が叩くよ」


 この《おぼろ月(ペイルムーン)》も、長く愛用している割に強敵相手の戦果がいまいちだ。

 ……そろそろ誉れが欲しいよね、と心のなかで呟いて。

 僕は短槍を脇にかい込むと、再びキマイラへと駆け出した。


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