15
薄暗く埃っぽい小さな社のなか。
ぱちぱちと弾ける焚き火の音とともに、三弦楽器の旋律が響く。
……最初の口上が終わると、ビィは登場する英傑について朗々と言葉を紡ぐ。
夢心地、というのだろうか。
どこか、ふわふわと浮き立つような気分だ。
誇らしくて、嬉しくて、懐かしくて……
「南に生まれしその赤子。
辺土の蛮族その集落に、産声あがるその時に、《雄獅子の星座》より星は降りにけり。
赤子は長じて丈夫となりて、流星鍛えしその魔剣、背負いて向かうは何処ぞや。
《雄獅子》《星剣》《傭兵剣士》《戦の申し子》……《戦鬼》ブラッド。
征くところ血風は吹きすさび、響くかちどき獅子吼のごとし」
心が踊る。
ブラッドめ、自分のことは全然話さなかった。
そうか。そんな経歴で、あの剣はそういう剣だったのか。
「中つ海の島々に、《ことば》と親しむ幼子ありけり。
故郷を襲う野盗の群れを、霧に惑わし退けり。その神童を、時の賢者は学舎に招く。
賢者の学院その位階、一段飛ばしに駆け上がりしも、『学林に、真理あらず』と足下に擲つ。
《荒野の旅人》《無冠の賢人》《流水》《風狂風雅》……《彷徨賢者》ガス。
そのまことの名、世の人は知らず。いわんやその深き心、だれぞ知るらむ」
オーガスタスの名を、みな知らない?
そういえばガスは《ことば》を使う魔法使いには、名もまた力ある《ことば》だと考え、愛称やイニシャルを名乗る者もいると言っていた。
とすると僕と居た時、あっさり本名を名乗っていたのは、死んでしまってその辺りに気を使わなくなったからなのだろう。
「その生国はいずこぞや。こなたの国の巫女姫なるや、かなたの国の公女なるや。
もしは新緑の精、集いてきらめく翠玉の瞳となり、天上の光輝、凝りてながるる髪となるか。
いずれ尊きそのみすがたに、女神の神魂やどりしを、いかにして疑うべき。
《南の聖女》《致命廉施の乙女》《恵みの運び手》《小さき花》……《地母神の愛娘》マリー。
猛る獣もこうべを垂るる、その慈しみの白き御手、かえりて闇裂く閃きとならん」
……マリーはどうも来歴不明で、たぶん高貴の出だろう、ということになっているらしい。
確かにあの気品は高貴の出を連想するけど、でもマリーなら「いえ、寒村の出でしたよ?」と言われても納得してしまう。
だってマリーは庭いじりが好きで、草花の種を撒くのが好きだった。
あの神殿の傍にも、春になると花が咲いて……
「――今ははや、過ぎにし日々はかくも遠き」
三人の声が。表情が。言葉が。
脳裏に浮かんで、涙がにじみかけた。
「嗚呼。帰るすべなき数多の思いよ。
ただ、吹き行ける風とともに、声高く奏であげん――」
武勲詩が、始まった。
◆
ブラッドは、もともと一人、放浪の傭兵剣士であったらしい。
《大連邦時代》はおおむね平和な時代だったけれど、それでも各地の辺境にはたくさんの戦いがあった。
妖魔、魔獣、あるいは人間同士、様々な争いに首を突っ込んでは日銭を稼ぎ、刹那の戦いに命を燃やす荒くれ者の1人がブラッドだった。
……そういえばいつだったか、やけに実感のこもった、後腐れのない売剣腕貸しのコツとかを講釈されたことがあった気がする。これか。
そしてある日、ある事件でブラッドはガスと出会い、一緒にそれを解決する。
その時、蛮人剣士は賢者の道を知り、その獣性に手綱をかけることを覚え、その剣に冴えを増す。
……ということに歌ではなっているけれど、その時の二人が僕の知る二人のままなら、賢いけど割と無茶苦茶やるガスと、呆れ返りつつ後をついていく意外と常識人なブラッドが見える。
そんな男二人の気ままな旅暮らしが続き、そしてある日、マリーが参入する。
それがどこのことで、どんな事件があって、どうしてそうなったのかは謎に包まれているらしい。
ただマリーは意外な行動力とたくましさでパーティの中に立ち位置を確立し――うん、それはイメージできる――能力と性格の釣り合いのとれた三人は、辺境の英雄として名をあげてゆく。
そんな前説を終えて。
彼ら三人の、数多の武勲の一つなのだと、ビィは本編を吟じはじめた。
――それは、ある辺境の村々。
その近傍の山には、一頭の飛竜がいたのだという。
飛竜。翼腕をもつ、空飛ぶ亜竜。
たしかガスの講義だと、分類は竜種にあたるのか魔獣種にあたるのか学問上の議論があった。
竜のような前脚はなく、竜のような吐息こそ吐けるものの、竜より小さく、竜より弱く、竜より愚か。
しかし人にとっては十分な脅威だ。討伐には、訓練されたある程度の規模の部隊を要する。
それも巣を攻めての話だ。平地で、空を制する飛竜を相手にして勝利を得ることは、極めて困難。
稀に竜語を話し、竜に仕えたり、蜥蜴びとに崇められる個体がいるともいう。
……そしてその山にいたのは、知能の低く言葉も話さない獣のような飛竜だった。
飛竜は時折、腹が空くと村々を襲い、畜舎を壊して牛馬を攫った。
そこで村々は相談し合い……年に一度、生贄を立てることにしたのだそうだ。
知っている。辺境で、役畜は、人よりも高い。
そしてその年、とある村から生贄に選ばれたのは美しいハーフエルフの少女だった。
先祖返りで、人間の両親から生まれたのだそうだ。
当然のように母親の不貞が疑われて相当に揉めた上に、長じた少女はその美しさから不和を生んだ。
羨望と嫉妬混じりの蔑視、所有欲めいた思慕、巻き起こる不和からくる敬遠……
少女が生贄に選ばれたのは必然だった。
ハーフエルフが人か、エルフと混ざって上手く対等に暮らすのは難しいと、かつて3人から聞いたことがある。
美しく能力が高く、長寿。しかしエルフほどでもない。
自然と上に立つか、あるいは、下に置かれることになるか、あるいは社会と距離を置き、隠者めいて暮らすか。
人のうちでは秀ですぎるがゆえに、エルフのうちでは早熟すぎるがゆえに、その中で対等にはなりづらいのだ、と。
……メネルの過去も、言ってしまえばその類だ。
村に立ち寄った3人はその話を聞き、そこで意見が割れたそうだ。
話の中では、マリーが助けようと主張し、ブラッドが助けたとしてどこまで面倒を見るのだ、カネはどうするのだと言い、ガスは黙念としていたそうだ。
実際は、多分なにか似たようで違うやりとりがあったんじゃないかな、と思う。
歌の中だと微妙に性格付けが、特にガスとブラッドのあたりがズレている感がある。
主に守銭奴属性。
結局、ブラッドが村人を集めて問うた。
俺たちはワイバーンを殺せる、カネを払う奴はいるか。
カネを払って飛竜を殺したいか、どうだ。
そう問うと、小さなざわめきがあり……そして沈黙が返った。
村々は現状、回っている。
失敗して、ワイバーンが手負いとなり興奮したらどうするのか。
あるいは成功しても、ワイバーンを殺せる冒険者に支払う報酬となれば莫大だ。
そこまでして……生贄を、助けたいものか?
ブラッドはその様子に舌打ちをして、宿に去った。
やはりこれが現実だぜマリー、と。
その晩、3人を訪う者がいた。
貧しい農奴の少年だった。
礼儀も作法も知らない彼は、ぶっきらぼうに何枚かの硬貨を3人に差し出したのだという。
――緑青の浮いた銅貨に、ふちの削れた黒ずんだ銀貨。
言葉はないが明らかに、貧しい少年の全財産だった。
これっぽっちでワイバーンと戦らせるつもりかよ、と言うブラッド。
と、横からガスが硬貨をひったくり、しげしげ眺めて一言。
「おう、良いカネじゃ。……ひかり輝いておるわ」
きらめきなんて欠片もない硬貨を眺めて、ガスはニヤリと笑い、そう言ったそうだ。
……きっと、実際の台詞だ。
だってその光景が、僕にはありありと想像できる。
「のう、マリー。そう思わんか」
「ええ、まったくです。大変よいものをもらいましたね、ガス」
「うむ。これだけのものを貰ってはな」
「仕事をせざるをえませんね」
マリーが笑った。
暖かに、柔らかに。
ブラッドはがりがりと頭を掻いた。
くそ。甘ちゃんどもめ、損な仕事だ、と。
そこで少年がブラッドに、挑むように言う。
足りないなら俺で支払う。たとえ俺がアンタらにさらわれても、追う度胸のある奴がいねぇのは見たろ。奴隷商にでも何でも売っぱらえ。
それでも足りるかよと、ブラッドが険しい視線を返す。少年は目を逸らさない。
……ブラッドが、破顔した。
「なんだ、根性あるじゃねぇか。ナリは小さいが戦士だな」
俺も戦士だ。戦士なら、恥を忍んで助けを求める戦士にゃ、助太刀をするのが筋だ。
だから仕方がねぇ、とブラッドも少年の頭をかき回し、口角を釣り上げる。
「やるか」
「ええ」
「うむ」
そして、3人は飛竜に挑む。
◆
飛竜が飛ぶ。
風を切り、我がもの顔で空をゆく。
そろそろ麓の平原に、食べ物が置かれる日だと、そう考えていた。
飛竜は愚かだったが、おおよその日時の経過を覚えるくらいの知能はあった。
平原に、粗末な祭壇がある。
ヴェールをかぶり顔を伏せた生贄に、降下しながらむしゃぶりつこうとした、その瞬間。
展開した光壁に、飛竜は弾き飛ばされた。
生贄のヴェールから、豊かな金の髪が流れ落ちる。
マリーだ。
その瞬間、祭壇に隠れていたガスが間髪をおかずに《くくりのことば》を放つ。
異常事態に即座に離脱しようとするワイバーンが、一瞬で、抵抗も許されずに翼脚を魔法でくくられ、大地に落下する。
轟音とともに落下するワイバーンだが、その身体は強靭。
突如現れた敵対者にブレスを溜めつつ身構えたところで、両手剣を構えたブラッドが雄叫びをあげて突っ込んだ。
放たれる火炎の吐息。
後方で祈るマリーの祝祷がブラッドを守り、全てを散らす。
ガスの指が続けざまに《くくりのことば》を描き飛翔を許さず、空を封じられたワイバーンが牙を剥き敵対者たちに挑みかかり……
そしてブラッドの両手剣が、たった一度の交差でワイバーンの首を刎ね飛ばした。
さなか、ワイバーンの首は信じられなかっただろう。
たった3人。3人の小さな『たべもの』が、自分を殺したのだ。
その意識も、すぐに暗転したことだろうけれど。
血が噴き出し、大地を濡らす。
……翌日、生贄の祭壇を確認にきた村の人々が、首を断たれ要部を剥がれたワイバーンの死骸を発見することになる。
かくして貧しき少年と、ハーフエルフの少女を連れて、3人は街へゆく。
もはや二人は村で暮らすことはできない。
どうする? とブラッドは尋ねた。
なんとかする、と少年が答える。
じゃあこれを持っとけ、とブラッドは短剣を渡した。
《ことば》が刻まれた、魔法の短剣だった。
「ガス爺さんの《ことば》が刻まれてる。半端なお守りよりかは役に立つ。
戦士なら、短剣の一本は持ってねぇと格好がつかねぇからな」
「それと、これもどうぞ。
……身体に気をつけて。お互いを思いやって。辛いことも多いでしょうが、忍耐を大切にしてくださいね」
マリーが少女に袋を渡した。
きらきら輝く、銀貨と銅貨の入った袋だった。
ふたりとも、慌てて口々に拒絶する。
報酬より多いじゃないか。
こんなもの、受け取れません。
そんな二人に、ガスが肩をすくめた。
「ふん、誰がやるといった。これは投資じゃ、貸すだけじゃ」
貸す? と首をかしげる二人。
「よいか、お主らは懸命に生きて、財産を蓄え、名をあげよ。
人々の間に、己が名を称賛とともに轟かせるのじゃ。
上がった名がワシらの耳に届いたら、その時、ワシらかワシらの使いが、貸したぶんと利子を取り立てにゆくでな」
そのために、ワシの真の名を預けておこう、とガスは言った。
これが合言葉じゃ、よく覚えておれ、と。
そして、少年と少女は――世の人の誰も知らぬ、《彷徨賢者》のまことの名を知った。
少年と少女は、手に手をとりあい街に向かい。
3人の英傑は、新たな冒険を求めて街道を歩いてゆく。
かくして青空のもと、三英傑の飛竜殺しの武勲詩は、終わりを告げる――
「――そして、この話には余録があってね?」
と、ビィは悪戯っぽく笑った。
「ファータイル王国の、ダガー伯。
……正しくはその家名を《魔法使いの短剣》っていってね?」
ぽろろん、と余韻のうちに弦が鳴る。
「伯のお屋敷には、今も老いたハーフエルフのお婆さんが、賢者さまの使いを待っているの」
それは。
「……賢者さまは亡くなってしまったけれど、いつか賢者さまの真の名前を知る使いが来るかもしれない、って」
3人の名は。
「そして自分は短剣と、貸してもらったお金とその利子を返して。それから、夫に託されたぶんも一緒に」
3人の名は、響いているのだ。
「――あの時はありがとうございましたって、お礼を言うんだ、って」
今この時まで、ずっと。響き続けているのだ。
「これは、そういう話。
今も響き続ける、偉大な英雄たちの物語……って、あれ? ウィル、泣いてる?」
首をかしげて顔を覗きこまれて、慌てた。
顔は真っ赤で、すごく目が潤んでる。決壊寸前だ。
「な、泣いてないっ! 泣いてないよ!」
「えー、いや、またまたー! 目が赤い目が赤い!
ふふん、さてはこのビィさまの語りに感動しちまったな!」
「や、違う、違うよ! でも、えっと、その……三英傑のことは尊敬してて……」
「そういえばウィルさんのお名前……」
「ああ、そういやそうじゃねぇかなって思ってたんだよな」
「あっ、そっか。その『偽名』、三英傑から?」
「え゛っ」
ぎ、偽名!?
「本来の姓とか名乗れない身だから、英雄に名を借りたのね! ヒュゥ大胆!」
「冒険者として身を立てるからには彼らのようになりたい、と。いやはや、大志ですねぇ」
「エルフの流儀からもってくるあたりがやっぱ貴族的なんだよなコイツ……」
なんか好き勝手言われてる。
「よ、余韻が台無しだよ!」
「こんなん割と定番の演目だろ、そこまで感動するお前がおかしいんだ」
「ええっ!?」
その晩はそんな風に、わいわい言い合って騒いだ。
言い合いながら、胸に暖かいものが灯った気がした。
……ブラッド、マリー、ガス。
この世界には、僕以外にも、まだあなた達を覚えている人が、たくさん居ます。
たくさん、居ました。
――僕はそのことが、涙が出るほど嬉しいのです。




