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こぉん、こぉん、と硬質のものどうしがぶつかる高い音がなる。
森の樹木に、僕の握る両刃斧がぶつかる音だ。
擬音で恐縮なのだけれど、最初は、もっとこう、斧を木に叩きつけたら、がッ! という感じの豪快な音が鳴るかと思っていたので、意外に思ったものだ。
拳でも破れそうな安い合板なんかと違い、太い生木の幹というのは、僕が前世の感覚でイメージする以上に硬く強靭なのだ。
少しずつ少しずつ、斧の打撃で幹を削ってゆく。
既に今叩いている幹の逆側、こちらが叩くより少し下の位置に、深くV字型の切れ込みを入れてある。
あらかじめ、この切れ込みを入れておくことはとても大切なのだと村の人たちに習った。
こぉん、こぉん、と無心になって斧を振り続けると……
ふと、みしみしと繊維の千切れる音が鳴り始める。ついに木が倒れるのだ。
あらかじめ入れておいたV字型の切れ込みを潰すようにして、木が自重で、切れ込み側へと倒れてゆく。
べきべきと枝が折れる音が連続し、ずん、と腹に響く音とともに木が倒れた。
V字型の切れ込みが「受け口」といい、逆から叩く方を「追い口」という。
木の倒れる方向を、きちんと制御するための工夫だ。
これをしっかりやっておかないと、木がどちらに倒れるか分からず、伐採した木に伐採者が潰されるという事故の発生確率が一気に上昇する。
たかが木と侮る無かれ。木一本というのは、樹齢にもよるけれど、ものすごい質量だ。
それが恐ろしい勢いで倒れてくるのだから、人一人が口から内臓ぶちまけて死ぬくらいには危険である。
一応、今生の僕の身体スペックなら受け止められる可能性は高いと思うけれど、あえて試したい事柄ではない。
そういうわけで、きちんと受け口を作って、安全確認をしながら作業をしている。
続いて両刃斧を握り替え、次の木にかかる。
ちなみにこの両刃斧というのにも、実は実務的な意味があるのだと最近知った。
木にも硬い木があり、柔らかい木がある。
それによって適切な刃の鋭さや厚さというものがある。
硬い木に鋭い刃を当てれば欠けやすいし、柔らかい木に鈍い刃を当てても効率が悪い。
となると複数種類の斧を使い分けるというのがまず出る発想なのだけれど、山林に二本も三本も斧を持ち込むのは面倒くさい。
そこで両刃、ダブルヘッドの斧が工夫された、というわけだ。
「……ホント、何事にも知恵があるんだよなぁ」
こぉん、こぉん、と幹を叩く。
今度はまた、V字の切れ込み、受け口を作るところからだ。
林業。木こり。そまびと。
前世では全く縁の無かった仕事だけれど、そこにも様々な工夫があり知恵があり、習熟があるのだ。
そういうことを汗を流しながら少しずつ覚えていくのは、前世でできなかった分だけ、なんだかとても楽しい。
もちろん、僕は灯火の神さまの恩に報いるために生きるつもりだし、今後も色々とやるべきことは持ち上がるだろう。
このままずっと木こりはできない。
でも、もし神さまの声を聞いていなかったら、森の地味な木こりとして日々を過ごすのも悪くなかったかもなと、もしもの人生を空想した。
斧で木を叩きながら、歌を口ずさむ。
ひたすら作業をして、一本、二本、三本と切り倒してゆく。
焼き討ちされてしまったせいで、村では建材も燃料も不足している。
今は焼け跡に天幕を張り、枝を拾い集めてなんとかしているけれど、いつまでもそうはいかない。
備蓄食料の残量は聖餐を降ろせる僕がいた事と、皮肉なことに犠牲者が多かったことが転じて、次の収穫まで保ちそうだということだけれど、木材と燃料は急務だ。
とにかく沢山の木を切り倒さなくてはいけない。
前世ではよく歴史もので敵対勢力の村に対して焼き討ちが行われていたけれど、あれはやはり有効だからやっていたのだな、と思った。
やられると、やられた側にどれだけ負担がのしかかるのかよく分かった。
……村の再建は進んでいた。
メネルたち村人が協議して再建すると決めた場所は、少し驚いたことに元の村の場所ではなかった。
今回のようなことがあった以上、キマイラは流石に無理にしろ、多少は利便性を落としてでも守りを意識したいのだそうだ。
そういうわけで、例の水没都市を見下ろす、見張り塔の遺跡のある丘陵。
あの遺跡の周りで、今、建設作業が急ピッチで進んでいる。
木々を切り倒して家の骨組みをつくり、遺跡の石材なども利用して壁を作りと、なかなか堅牢な感じだ。
村の人たちも再建の展望が見えたためか、問題なく立ち働いている。
家畜がかなりやられてしまったので、どこかから補充の要があるということだけれど……一応、こちらはそろそろ問題ないと見ていいだろう。
……むしろ問題は、キマイラの方にあった。
◆
キマイラは翼を持ち空を飛ぶ。
キマイラは《ことば》を扱う知能がある。
そしてここは《獣の森》と呼ばれる大森林地帯だ。
以上3つの単純な事実から導き出される結論は、簡単だ。
その捜索は常人なら不可能、極めて高度な技術を持つ狩人をしても困難である、ということだ。
「……手がかりが少なすぎて、10日や20日じゃどうにもならねぇ」
一日の木こり仕事を終えた後、夕飯の席。草庵に戻ってきたメネルがそういった。
ここ最近、彼は連日、西の方に足を伸ばし、時には何日も泊まりがけで調査を行っている。
が、それでもなかなか、キマイラの足取りは掴めないらしい。
「西の方角の大型魔獣の巣になりそうな地形や遺跡を、魔法的な隠蔽の可能性も考えつつ、近いとこから虱潰しだぜ……」
以前も確認したけれど、魔獣の食事は頻度が極めて少ない。
巣に潜まれたら、もう、こうして地道に探すしかないのだ。
前世のコンピューターRPGとか小説ならそれなりにあっさりボスとエンカウントできるものだけれど、リアルはと言えばこれだ。
しかも……
「僕もメネルも、キマイラを見てないってのが痛いね」
僕は古代語魔法が使えるし、メネルは妖精使いだ。
それぞれ《ことば》なり妖精なりを使った探知術は存在する。
が、この手の術はえてして相手のイメージが重要になる。
見たことがないものを追尾するのは、見たこともあるものを探りだすのに比べて、ひどく難易度が高いのだ。
「キマイラが次どっかを襲撃するのが早いか、俺が奴の巣を見つけるのが早いかだぜこりゃ……」
まぁ示談に持ち込んで全員が命拾いする道つけてくれた恩があるし、金貨一枚分は負債もあるし、真面目にやるけどよ、とメネルは言った。
それからは話題もなく、微妙な沈黙が落ちる。
二人とも無言で、夕飯の粥をすすった。
村の全員のために大鍋で煮込んで、野草やら豆やらを放り込んだ、塩気の薄い麦粥だ。
素朴で趣はあるけれど、美味しいかといえばあんまり美味しくはない。
……そういえば、
「ずいぶん凄い扱いだったけど、この金貨一枚っていくらくらいなの?」
と、ふと気になって問いかけたら「何言ってんだこいつ馬鹿か?」という目で見られた。
「それ《大崩壊》前の、《大連邦時代》の金貨だろ。
今の諸国が出してる貨幣に比べて金銀の含有量も高いし、いちばん信用あるやつだ」
あー……細かく知らない用語が出てきたけど、つまり僕の手持ちって前世で言う国際決済通貨とか、基軸通貨みたいな位置にあるのか。
なるほど。
「いや、えっと、このあたりでの相場が知りたいんだよ。地域と貨幣の流通量によって買えるものとか違うでしょ?」
理解したところでサクッとごまかしに走る。
「んー、都市部ならともかく辺境だからな。貨幣の価値は高めで……だいたい一枚で、役畜が2、3頭ってとこか」
「……牛や馬2~3頭が、一人の命の賠償額として高いの?」
「は? お前感覚おかしくねぇか?
人間より役畜のが畑耕す効率高いんだから、飢饉の時は人間のほう飢え殺してでも役畜生き残らせるとか基本だろ。
人間の命より牛馬の命のが高いんだよ、フツー」
あっさりと断言された。
フツーなのか。それがフツーなのか。
ぶ、文化が違う…………
前世の歴史でもそういう時代があったことは知っているし、「人の命が安い世界だ」とか一言で言ってしまえば簡単だけど、実際言われてみると結構、衝撃的だ。
そうか。そうだ。
もう何度も叩きつけられている気がするけど、今、この世界はそういう時代なのだ……
◆
それから少し迂遠に、世界の歴史などについてメネルからあれこれ聞き出してみた。
どうやらブラッドやマリーの時代は、今では《大連邦時代》と呼ばれているらしい。
様々な種族が大きな連邦を形成して、最辺境以外では争いも少なく平和な、黄金時代だったのだそうだ。
そこからデーモンたちの大氾濫による、《大崩壊》が起こり、《大連邦》は瓦解。
ここ《南辺境大陸》はデーモンの群れに呑まれた。
《百の英雄》……ブラッドたちのことだ……がデーモンの王を討ち取ったものの、結局、人類は一時、この大陸を放棄せざるをえなかったらしい。
海峡や中つ海という内海を経て、グラスランド大陸に撤退。
しかしグラスランド大陸も《大崩壊》の影響で、中央政府は統治能力を喪失、各地は群雄割拠の様相を呈していた。
結局、軍閥めいた諸勢力による内輪もめが百年以上も続き……
その間、不死者と悪魔と妖魔まみれの南辺境大陸にわざわざ手を出そうという勢力はいなかったのだという。
以来、《南辺境大陸》の蔑称は、《暗黒の最果て》というのだとか。
それが北のグラスランド大陸南西部を、ファータイル王国という国が統一してから少し風向きが変わり……
ここ数十年は、《南辺境大陸》解放を掲げて再開拓が始まっているのだという。
「つっても、本国じゃ開拓賛成派と反対派で未だにバチバチやりあってるそうなんだけどな」
開拓をして領土を広げ国家を富ませ、二百年前の旧領を回復したり役職ポストを増やしたい開拓賛成派。
悪の種族が溢れかえる大陸に手を突っ込んで、手痛い反撃を喰らうことを懸念したり、防衛負担の増加、責任問題を懸念する開拓反対派。
メネルも詳しいことは知らないらしいが、北のファータイル本国の状況も、色々と複雑怪奇であるらしい。
そんなわけで《南辺境大陸》北部の港、開拓の拠点である《白帆の街》は移民船や交易船で随分と賑わっている。
そして移民船や交易船が大量に出入りすれば、怪しげな奴や、すねに傷持つ者、故郷を逐われた流民なんかもやってくるわけで……
この時代、まっとうな入国管理なんて無いに等しいので、当然、そういうのをシャットアウトするすべはない。
ある者は《白帆の街》で犯罪組織に身を投じ。
ある者は領主権力の及ばない、辺境の奥の奥になんとか紛れ込み、棲家や畑を作り。
そんな具合で、この《獣の森》には独立した集落がぽつぽつと点在しているのだという。
村の浄化を行っている時、メネルに火葬や土葬、水葬を提案した時、どれにも拒否反応が出なかった理由も分かった。
つまり人々の出身地域が違いすぎて、まだ葬儀の風習が統一されておらず、割とどういう葬儀もありえる土地柄なのだ。
「あとはそういう連中の他にも、冒険者は多く来る。
つってもそういう連中と冒険者がどんだけ違うんだって話でもあるが……」
冒険者、というのは《大連邦時代》の遺跡を漁ったり、傭兵めいた仕事をしたりで日々の糧を得る職なのだそうだ。
統一された組織に所属しているわけではなく、おおよそ大きな街ならば存在する、冒険者向けの酒場で依頼を受けてはそれをこなす流れ者。
基本的には財産に乏しい食い詰めものが多いが、《大連邦時代》の遺跡には夢がある。
「万が一、金貨の壺でも見つけりゃ一攫千金、人生大逆転だしな。
一発当てるのを夢見た連中が、冒険者名乗ってはこっちに繰り出してくるわけだ。
……他にも、英雄志願とか、お前みたいに神の啓示を受けたやつとか、まぁ色々いっけどな」
なるほど、と言いたいところだが僕も一応冒険者ということにしているので、適当に聞いているふりをした。
「お前もアレだろ、啓示を受けて人助けってことは、信仰集め的な感じか?
グレイスフィール神ってたしか、元は南大陸に根強い信仰だったしな。
……まぁ良かったな、この村はもう皆、お前通して灯火の神を敬ってるよ」
「ちょっと詳しく」
幾つか聞いてみると、どうやら地方に関わらず大きな信仰をもつ《六大神》などと違い、グレイスフィール神は、この《南辺境大陸》に主な信仰の基盤を持っていたらしい。
それが二百年前の《大崩壊》による悪魔たちの氾濫で《南辺境大陸》がグチャグチャになった結果、信徒は散り散りに。
かろうじて一部は北のグラスランド大陸に逃げこんで名を繋いだものの、その信仰は完全に下火になっているらしい。
「…………」
魔獣の襲撃で簡単に強盗の生産と再生産が行われる土地柄。
キマイラは簡単にはつかまらない。
グレイスフィール信仰は下火。
村は復旧途上。
課題が多すぎてめまいがしてくる。
ブラッド、マリー、ガス、外は本当に怖いところです、と心のなかで嘆いた。
それから、ゆっくりと息を吸い、吐く。
――思考を巡らせる。
正直どう考えても荷が重いし、勘弁してほしいけれど、神さまが僕をここに導いたってことは、これを出来る限り解決しろってことだろう。
なら、それに応えないと。
そのための、手段は――
「………………よし。旅に出よう」
そう宣言すると、また「何言ってんだこいつ馬鹿か?」という目で見られた。




