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古代語魔法と祝祷術を駆使して、毒霧を払い、泉を浄化し、土に撒かれた毒を分解する。
その頃には、メネルもある程度落ち着いていた。
「……遺体なんだけど、どうする?」
「どうするもなにも、俺ら二人じゃ手に余るだろ。
鍬や鋤を探してきても、人間一人が埋まる穴を掘るにも結構な時間がかかるんだぞ」
……そうか。
確か軍隊とかで1人用の塹壕、蛸壺壕を掘るのにも、土の柔らかさ次第だけれど1時間以上かかると聞いたことがある。
犠牲者は20人近くいるんだから、獣に掘り起こされないような墓穴を掘ろうとすると、二人でもけっこうな仕事になってしまう。
となると土葬は無理……
「じゃあ、火葬は?」
「人体ってのは水気が多いんだぞ。ろくに燃料もないのに焼けねぇだろ」
……ごもっとも。
もちろん、《ことば》を使えば話は別なのだけれど、人一人を灰にするような強力な《火炎のことば》……
万が一、唱え間違えた際のリスクが恐ろしい。
ガスの教え通り、《ことば》の力は、使わず済ませられるならそれに越したことはないのだ。
「水葬するにも川は……遠いよね」
「担いで十往復以上するには遠いな」
とすると、結論としては、
「とりあえず獣に食われないようにひとまとめにして見張りを立てて……
難民状態の村の人達を呼び戻してから土葬?」
「それが妥当だろ」
と、言われても思わず躊躇してしまう。
炎にまかれて黒焦げだったり、食いちぎられるなどして部位が欠損していたりする死体も多い。
「……大丈夫?」
「アンデッドになってねぇってことは、魂は安らかに還ったってことだ。
体が多少酷いことになってても問題ねぇよ。
そりゃ多少泣く奴は……いるだろうけど」
先ほどのことを思い出したのか、メネルはわずかに赤く腫れた目を僕から逸らす。
「辺境の自由村に住んでるんだ、死体の状態が酷いくらいは問題ねぇよ」
そういえば。
最初の村でも戦いに死者が出たこと自体に対して、ショックを受けた様子の人はいなかった。
死が常態化しているのだろう。
しかも寿命とかではなく、もっと酷いかたちでの死が。
「分かった」
「それじゃあひとっ走り、俺が行ってくる。見張りを頼めるか」
「了解、よろしく」
メネルは頷くと、再び森に入っていった。
僕は辺りを見回し、とりあえず土葬用の穴が掘れそうな村外れの平地を見繕った。
村に点在する亡骸に対して手を組んで祈り、担ぎ、そこまで運ぶ。
祈り、担ぎ、運ぶ。
祈り、担ぎ、運ぶ。
祈り、担ぎ、運ぶ……
ひたすらに、それを繰り返す。
繰り返しながら、考えた。
この状況は……
僕も含めて弱肉強食というか、力が強い側の論理がまかり通って、統一された秩序も司法も何もない状況というのは、多分この辺りだけではない。
少なくとも《獣の森》と呼ばれる地域一帯、あるいはもっと広い地域が、同様の状況にあると思われる。
また、魔獣のような危険な存在がいまだ生活領域から駆逐されずに横行している。
そしてそれらによる被害が出た時、緩衝の仕組みがないか、あるいは極端に乏しいため、食い詰め強盗の生産と再生産が繰り返される。
ここまで伺えただけでも、かなり酷い状況だ。
もちろん「まぁそれも彼らの文化であり彼らの選択さ。よそ者が干渉することじゃない」とでも嘯いて……冷静な第三者、中立の傍観者を気取って素通りすることも、できない話ではない。
地域単位での社会問題が一個人の一朝一夕の働きでどうこうなるわけがないのだから、諦めて最初から取り組まない、というのは選択肢だ。
実際、僕はどうやら腕力的にかなり強い部類のようだし、魔法の力やまとまった財産もある。
一人で目立たず平穏に暮らしたい、などと考えるなら、そりゃあもう呆れるほど簡単に実行できるだろう。
どこか、あまり出自にうるさくない都市部に紛れ込めば、なんとかなる。なるのだ。
だから問題は……
「僕がどうするか、だよね」
また、不死神の時と同じく、初手からいきなり裏ボスの類との接近遭遇だ。
表ボスのキマイラなら正面から出会って手順をしくじらなければ順当に勝てると思うのだけれど、裏ボスの社会問題は魔剣で切り刻んで勝つわけにもいかない。
……どうしたものかな、と考えたけれど、結論は出そうになかった。
◆
しばらくするとメネルに先導され、滅びた村に村人たちが戻ってきた。
彼らも村の様子を改めて見ると、ショックを受けた様子だ。
キマイラの置き土産は排除できたとはいえ、それでも酷い惨状なのだ。
もうだいぶ午後も遅くなっていたので、それから暫く残った農具をかき集め、皆で亡骸を弔った。
毒霧も晴れた以上、埋葬しなければキマイラ以外の魔獣を寄せてしまう可能性もある。
そういうわけで、ひとわたり簡単な葬儀を行った。
墓穴に横たえられた亡骸に向けて、皆が順番に少しずつ土をかけてゆく。
僕もそれを見ながら、ガスやマリーから教わった真似で聖句を唱えたりして、前の村と同じくそれらしい葬儀にした。
この辺の形は本当に、皆の話を参考にそれらしくしているだけなので、一回どこかでちゃんとした組織に属する神官と接触して学ぶ必要がありそうだ。
「それで、その……どうするんですか? これから」
家はほとんど焼け落ちている。
作物もダメだろう。
土の毒はどうにかできても、枯れた植物まで再生はさせられない。
つまり家もない、食物もない。
どうしても強盗ルートしかないというなら、最悪、お金を持たせて近隣の村々に分散してもらうとかしかないんじゃ……
などと思っていたのだけれど。
「ハハハ! まぁ、見てろって」
村人たちは、僕の深刻な表情を笑い飛ばした。
僕を手招きして、納屋の土などを掘り返し始める。
「…………あ」
下から次々と、穀物の詰まった俵やら、お酒の入った壺やらが出てくる。
「この辺じゃ、焼き討ちや強盗なんぞ普通にある話だからなぁ」
「そうそう、戻れりゃなんとかなるんだよ。戻れりゃ」
「神官さまの世話ばっかりになる気はねぇで、安心してくだせぇ」
村の周囲の森に入っていった人たちも、どこに隠していたのやら、食料や資材を持って帰ってくる。
前の村が僕を利用してうまく利益をあげたように、この人たちも簡単には潰れるつもりはないようだ。
食い詰め強盗の生産と再生産が繰り返される土地柄ゆえのたくましさ、したたかさ。
「……とっても安心しました」
少なくとも、僕が一部始終面倒を見ようだなんてのは、余計なお節介もいいところだ。
今回はキマイラがちょっとどうにもならない相手すぎたというだけで。
彼らは彼らなりに、僕がいなくても上手くやっていくのだ。
とすれば、僕が考えることは、一部始終の面倒を見ることじゃない。
僕のちからを加えることで、何ができるか……か。
あっという間に並んでいく即席のテント。
焚かれ始める火、女衆が料理を始める賑やかな声。
どうやら死者の弔いと帰還の祝いを兼ねて、お酒の壺を幾らかあけようという話になっているようだ。
そんなやりとりを聞いているさなか、ふと気づいた。
「…………あれ?」
メネルが、いつの前にか姿を消していた。
◆
村の人々に断って、メネルを探しに出かけた。
木々や土の示す《ことば》を読み取って、なんとなく当たりをつけて森を歩く。
「…………」
冬の乾いた森の香り。
野ざらしの骨のような葉が落ちた樹に、深い緑の常緑樹。
日はだいぶ傾き、西からは夕暮れの茜色。
ひゅぅひゅぅと、冷たい風が木々の間を吹き抜けていく。
辺りはずいぶんと薄暗くなってきていた。
「……《光》」
そっと《おぼろ月》の穂先に光を灯す。
油断はできない。
魔獣の襲撃があったばかりだ、どこから何が飛び出してくるか分からない。
警戒を怠る気はなかった。
辺りに目を配り、一歩一歩歩きながら、考える。
どうやらマープルおばあさんとの別れは、だいぶ堪えたようだ。
メネルは大丈夫だろうか。
あれは僕に置き換えるなら、多分、ブラッドやマリーを突発的な事件で喪うようなものだろう。
……言ってて改めて気づかされるけど相当きついなこれ。
そんな折に、昨日今日に会ったばかりの僕が居たところで、何ができるとも思わない。
ひょっとしたら彼に必要なのは孤独に考え直す時間であって、僕は余計なお節介なのかもしれない。
ただ、それでも。
――ちょっとこの馬鹿を、頼めないかね。
たしかに頼まれたのだから、様子くらいは見る義務があるだろう。
その上で彼が僕など不要だというなら、すごすご引き返せばいいのだ。
なにせこちとら前世は引きこもり、今生はついこの間まで生きた人間を見たことすらなかった箱入りだ。
対人関係の経験値なんてないんだから、もう最初から爆死上等の覚悟である。
恥をかいても後で悶えればいいだけだ。
「……ん」
そう決意して歩いていると、ちょっとした登りの斜面に辿り着いた。
石垣かなにかの残骸が、斜面沿いに伸びているのが見える。
ふわり、と燐光を放つ妖精が、踊り戯れるように目の前を過ぎた。
「!」
その妖精の一瞬のきらめきを追えば、見上げた先には木々に埋もれた小さな遺跡があった。
いにしえの見張り塔、だろうか。
ちょっとした高台に築かれ、すでに基部を残して崩れ去ったそこは、蛍のように妖精たちが瞬いていた。
まるで誰かの様子を気遣うかのように。
お互いにささやき交わしながら、こっそりと遺跡の中を覗きこんでいる。
……間違いない、あそこだ。
転がる苔むした石材に注意しながら、慎重に足を進める。
斜面を登りきり、崩れかけの石壁を回り込むと、視界が開けた。
「あ……」
高台から見下ろす先。
そこには広大な石造りの街の、その遺跡があった。
放射状の街路に沿った無数の家々に、両岸の橋脚、川港や倉庫。
その全ては無惨に破壊され、廃墟と化し、半ばほど水没したその街を、刻一刻と変化する夕日の色が、全て、優しく照らしていた。
「……よう、ウィル」
壊れた見張り塔。
石材の合間に根を張り、斜めに伸びる一本の常緑樹の根本に、彼は片膝を抱えて座っていた。
夕日に照らされる白皙の肌。さらさらと流れる銀の髪から溢れる、少し尖った耳。憂いを帯びた翡翠の瞳。
妖精たちの燐光が、時折、周囲を踊る。
「メネル」
――彼は、そこに居た。
落ち込んでいても、やけに絵になるやつだ。美形は得だなと、僕は出し抜けにそんなことを考えた。




