下町での調査
それから私はトリスと一緒に、下町で調査を始めた。
最初に下町の人達は風邪のときに何をするのか、というものを聞いて回る。
トリスの家では風邪を引いたときはバターを舐めるといい、という話が伝わっているようだ。
「バターを舐めても風邪の症状がよくなるわけがないのにな」
ちなみに今回の風邪は家族全員が倒れたため、バターを買うお金すらなかったという。
「あとは、ジャガイモを枕元に置いておくと、鼻通りがよくなるって言って置かれたときもあった」
「効果はありましたか?」
「いいや、部屋が土臭くなっただけで、どうにもならなかったな」
風邪を引いたときは消化機能が低下するため、バターはあまりよくないような。
ジャガイモ云々も聞いたことがない。
「もしかしたらジャガイモのほうは、タマネギと聞き間違えたのかもしれませんね」
「タマネギを置いておくと、風邪が治るのか?」
「いえ、咳に効果があるという話を聞いたことがあります」
なんでも生のタマネギに含まれる成分が咳の調子を落ち着かせたり、安眠効果を発揮したりするようだ。
「へえ、タマネギにそんな効果があるんだな」
「古くから伝わる民間療法ですが」
言いかけてハッとなる。もしかしたらバターも何かと間違って伝わったのではないか。
バターに似ているものと考えた結果、ある食品を思いついた。
「蜂蜜と間違えたのかもしれないですね」
「へえ、蜂蜜って風邪にいいのか?」
「はい。咳を緩和させたり、喉の炎症を和らげたりする効果があるようです」
「知らなかった! でも、下町の家庭に蜂蜜はないだろうなあ」
なんでも蜂蜜は高価で、めったに口にできるものではないらしい。
「なるほど、そうだったのですね」
もしかしたら家庭に蜂蜜がないので、バターが間違って広まってしまったのか。
「まあ、バターも高いから、食卓に上ることはほとんどないが。蜂蜜と違って少量を量り売りしてもらえるからな」
薬代わりに買う人もいるのだろう、とトリスは下町事情を教えてくれた。
「他の人にも聞いてみるか」
「そうですね」
まずトリスが連れていってくれたのは、洗濯用の川だった。そこでは女性陣が集まり、せっせと服を洗っているらしい。
「みんな、少し話を聞かせてくれないか?」
「トリス、あんた、元気になったのかい?」
「ああ、この通りだ」
ここ数日、洗濯場に姿を見せていなかったらしく、下町の女性達から心配されていたようだ。
「一緒にいるのは誰?」
「ああ、この人は魔法薬師のベアトリスだ」
皆、私の登場に警戒していたようだが、トリスが「うちの家族の救世主だ」と紹介してくれたので受け入れてもらえた。
「それで話って?」
「みんなが風邪を引いたときにすることを教えてほしい」
「風邪を引いたときって、そうねえ、多少の風邪は放置しているわね」
その意見に他の女性も頷いている。
「主婦に休んでいる暇なんてないのよ」
「そうそう!」
「旦那はてんで役に立たないからねえ、風邪を引いたときも働くしかないのさ」
「でも、立っていられないくらいきついときがあるだろう?」
「そういうときは、強い酒を飲んで気を紛らわすわね」
「あたしも!」
「風邪のときは酒に限るわよねえ」
生まれて初めて、お酒を薬代わりに飲んでいる話を聞いた。
古代の言葉に〝酒は百薬の長〟なんて言葉があるものの、本当に辛いときに飲むものではないだろう。
これに関してはトリスも呆れているようだ。
「あー、じゃあ、家族が風邪を引いたときは何かしているのか? まさか子どもに酒を飲ませているわけじゃないだろう?」
「やだ、子どもには飲ませないわよ」
「その辺はわきまえているわ」
その話を聞いてひとまず安堵する。
「子どもはそうねえ、一日中窓を広げて空気の入れ換えをしているわ」
「そうなの? うちは逆に窓を開けたら悪いものが入ってくるから、開けないようにしているけれど」
「あたしの子は雪の日に開いていたら風邪が酷くなって、一向に治らなかったの」
窓を開いておくという話一つにも、さまざまな解釈があるようだ。どれも間違っているので、頭を抱えてしまう。
「ベアトリス、窓についての話は間違っているのか?」
「ええ。適度に窓を開くのはいいことです。けれどもまったく開けなかったり、開けすぎたり、天候や気候によっては悪影響になるんです」
「そうだったんだな」
どうやら下町では間違った民間療法が広く知れ渡っているようで、風邪が命取りになりそうな行為をしている家庭もあるようだ。
「正しい窓の開け方は、家の二カ所の窓を広げて、風の通り道を作ってあげるんです。開いている時間も、数分で十分なんですよ」
「へーーーーー!」
「そうなんだ」
「知らなかった」
皆、口々に感心したような声をあげる。こんな簡単な換気すら、皆やり方を知らなかったようだ。
「ベアトリス、他にみんなに質問したいことはあるか?」
「はい。みなさんはどの程度、医者にかかったり、薬を飲んだりしているのですか?」
私の言葉を聞いて、女性陣はワッと笑い始める。
「医者だって! あんな奴に診てもらうくらいだったら、家で休んだほうがマシだよ」
「たしかに。薬だって、効きやしないんだから飲んでも無駄」
「どっちもあたし達には必要ないんだよ」
やはり下町では医者や薬師は不要な存在、という認識のようだ。




