再度下町へ
隠者の隠れ家に戻り、アライグマ妖精の姉妹の出迎えを受ける。
『お帰りなさい!』
『待ってた!』
『夕食、できているよ!』
無邪気な様子の彼女達を見たら、膝の力が抜けてしまう。
その場に崩れ落ちてしまった。
『わあ!』
『どうしたの?』
『大変なことあった?』
駆け寄っていたムクとモコ、モフをぎゅっと抱きしめると、恐怖心が少しだけ薄くなっていったような気がした。
その後、アライグマ妖精特製の野兎のシチューとパンを食べ、あつあつの薬湯に浸かる。すると冷静な心を取り戻すことができた。
まさか下町で風邪ポーションが一本も売れないとは想像もしていなかった。
あっという間に売り切れるとは思っていなかったものの、最低でも半分は売り切ってしまうだろうと想定していたから。
最後に言葉を交わした中年男性の言葉を思い出す。彼は銅貨七枚あれば酒を七本買えると言っていたのだ。
下町の物価はかなり低いらしい。そういえば神父様も風邪は薬で治さず、ひたすら療養するばかりだと言っていた。
おそらく下町の人達は薬をめったに購入しないのだろう。
以前行った下町のリーフ薬店も、店自体が寂れていて流行っている感じはしなかった。
なんてことなのか、と頭を抱えてしまう。
普通に販売するだけでは、魔法薬に興味すら持ってもらえないのだろう。
ひとまず、もっと下町について学ぶ必要がありそうだ。
◇◇◇
翌日も下町に向かった。今日は昼前に行ってみる。昨日みたいにお酒に酔っている男性に絡まれたら大変だ。この時間帯であれば、いないだろう。
私は下町の物価も知らずに風邪ポーションを販売しようとしていた。今日はどんな品物がいくらで販売されているのか調査するのだ。
今の時間帯は野菜や魚、肉、パンなど、食材や食べ物を販売する店が多く並んでいた。
タマネギは五つで銅貨一枚、肉は塊で銅貨二枚、パンは一個半銅貨で販売されている。
それらの価格は中央街に開かれる市場の三分の一以下だ。
銅貨三枚もあれば、三食分は賄えるほどの物価である。
このような価格帯の中で暮らしていたら、銅貨七枚の風邪ポーションなんて売れるわけがないのだ。
がっくりと項垂れてしまう。
風邪ポーションは銅貨七枚以下では販売できない。
下町で魔法薬を販売することは不可能に近いのだろうか。
考え事をしながら歩いていたら、背後から声がかかる。
「あんた! 昨日、この辺りで薬を売っていた女じゃないのか!?」
「え。はい、そうですが」
振り返った先にいたのは、二十代後半くらいの女性である。
「なんてことをしてくれたんだ!」
女性は私をキッと睨み付けながら言ってくる。
その顔に覚えはない。今日が初対面だろう。
「あの、申し訳ありません。私が何かしたのでしょうか?」
「ああ、やってくれたんだよ!! あんたのせいで、昨日は客取りができなかったんだ!!」
「客取り、ですか?」
意味がわからず小首を傾げてしまう。
「あ――もしかしたら、お薬を販売していたのですか?」
風邪ポーションは一本も売れていないが、あとから買いたいと望んでいた者がいたのかもしれない。そんな推測を口にしたところ、違うと否定された。
「あたしは薬屋じゃないよ。花を売っているんだ」
「お花、ですか」
そういえば、花をかごに入れて売る女性も数人いた。あんな時間帯に売れるのか疑問だったのだが……。
「客取りができなかった、というのはどういう意味なのですか?」
「そのままの意味だ! あたしが売っているのは花だけではなかったんだよ。春を売っているんだ!」
春を売る、と聞いてピンとくる。
どうやら夜にあの辺りをうろついていた女性は、かごの中身を売るお店ではなかったようだ。
そういえば、私も昨晩、中年男性からいいことがどうこうと話を持ちかけられた。
どうやら私も春を売っているのだと勘違いされたのだろう。
「常連のおっさんが酒場で、どえらい美人がいたって話をしていたんだ。それで、男達が血眼であんたを探していたんだよ」
その話を聞いてゾッとしてしまう。
あのあとグリちゃんに乗って帰っていなければ、春を売ってくれという男性達が殺到するところだったのだ。
「その……ごめんなさい」
「謝って済む問題じゃ――げっほ、げっほ!!」
女性は突然、激しく咳き込み始める。
「くそ、忌々しい!」
「あの、よろしかったらこのお薬を飲んでみてください」
商売の邪魔をしてしまったお詫びとして、風邪ポーションを差しだす。
「なんだ、これは?」
「風邪を治すお薬です」
「薬を飲むのは軟弱者だけだ!」
まさかそんなイメージが薬にあるなんて驚きである。
「げっほ、げっほ!! 謝肉祭前の仕事がなければ、あたしも風邪なんて引いてないのに!」
謝肉祭というのは、年に一度行われる家畜に感謝する日だ。
街では出店が出たり、家畜に扮したパレードが行われたり、家畜の仮面を被ってダンスをしたりと、さまざまな催しがある。
私はこれまで一度も参加していなかったのだが、毎年盛況だと聞いていた。
「なんのお仕事をされているのですか?」
「牧草を刈り取っているんだよ」
家畜に感謝する祭りというのは名ばかりで、当日は串焼き肉や肉のサンドイッチなどが大人気で、名物にもなっているようだ。
その家畜のために、王都の郊外に広大な牧草園があるのだとか。
今のシーズンは人を雇い、牧草刈りを行っているのだという。
「毎日早朝からやるんだ。春とはいえ、朝は冷え込むんだよ」
「大変だったのですね」
ついつい話し込んでしまった。女性も同じことを思ったのか、ハッとなる。
「げっほ!! げっほ!!」
だんだん涙目にもなってきたので気の毒になる。
「症状がよくなりますので、どうぞ」
「そこまで言うんだったら、貰ってやるよ!!」
女性は私から奪うように風邪ポーションを受け取ると、そのままいなくなってしまった。




