英雄の傷
辿り着いた先は王族専用の医療エリアではなかった。
王宮に行き来する貴族が出入りしているような、一般的な療養エリアだったのである。
途中、酒に酔ったであろう騎士が診療室に行き着くことができなかったのか、廊下の端で寝ているところを目撃してしまう。
大丈夫なのか、とエルツ様に聞いてみたら、よくある光景なので気にしなくていい、と言われてしまった。
とても高貴な人が出入りするような場所とは思えない。
そんなことを考えているうちに、オルコット卿が滞在しているという部屋に到着した。
「失礼する」
エルツ様は扉を二回ほど叩いたあと、返事がある前に中へと入った。
最低限の衛生面は保たれているだけの部屋には、クマのように大きな男性が寝台の上に横たわっていた。
年頃は四十代半ばから後半くらいだろうか。
立派な髭をたくわえ、太い眉にぎょろりとした目が特徴的な男性である。
「ああ、お久しぶりです、ヴィンダールスト大魔法医」
野性的な見た目に反し、物腰は丁寧でやわらかい。品があって王族然とした雰囲気も感じる。
彼こそが英雄オルコット卿なのだ。
「このような姿でお恥ずかしい。忙しいと聞いていたので、しばらく会えないと思っておりました」
「貴殿の従者が、記録簿を私の医獣のもとに持ってきてな」
「そうだったのですね。無理をしてきていただいたようで、感謝します」
「手が空いている時間だったゆえ、気にするな」
なんでもオルコット卿がエルツ様の診断を受けられるのは、早くても一ヶ月後だと言われていたらしい。
先王の子であるオルコット卿の診察が優先されないなんて、不思議な話である。
「この記録簿を受け取るまで、私のもとに、そなたが領地からやってきたという報は、届いていなかった」
「そう、だったのですね」
エルツ様はオルコット卿が王都にやってきたことすら知らされていなかったようだ。
「さっそくだが、ケガの状態を確認する。右足だったか?」
「え、ええ」
「失礼する」
オルコット卿が横たわる寝台にモモが跳び乗り、布団をめくる。
すると、血で真っ赤に染まった包帯が巻かれた足が露わとなった。
回復魔法を傷口にかけても塞がらず、縫っても出血が止まらないらしい。
「これは――」
エルツ様が言葉を失う様子を、目の当たりにしたオルコット卿の表情が曇る。
「半年前に、スノー・ベアと戦ったときに負った傷です」
「未知なる魔物とでも戦ったのかと思っていたが、スノー・ベアだったのか」
「はい」
スノー・ベアは北部にもっとも多く出現する魔物で、年間で千体以上は討伐しているらしい。
「破傷風だとしたら、エリクシールで回復しているだろう」
「ええ」
モモがオルコット卿の足に巻かれた包帯を解き、傷口をエルツ様が確認する。
「血の色が、おかしい」
ぼそりと呟き、呪文が書かれた紙にオルコット卿の血を移す。
あの紙はエルツ様が独自に作った、血の成分を調べる魔法札らしい。
すぐに赤黒い文字が浮かんだ。
「やはり、そうだったか」
「何か、原因がわかったのですか?」
「毒だ」
「え?」
「傷の回復を妨害させる毒が血に含まれている」
「スノー・ベアの爪に、毒があったというわけですか」
「いいや、違う。この毒は自然界にあるものではなく、人工的に作らないと存在しないものだ」
「なっ――!?」
エルツ様が挙げたのは三種類の猛毒だった。
「それって……」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
少し引っかかることがあったが、ここで口にできる内容ではなかった。
「誰かがオルコット卿に毒を盛ったのだろう。もしかしたら毒が原因で、スノー・ベアから痛手を負ったのかもしれない」
オルコット卿は国内最強と呼ばれる無傷の英雄である。
そんな彼が、スノー・ベアから傷を負うなんてありえない。
毒のせいだと考えると納得できる。
「エリクシールを服用していたおかげで死に至っていなかったようだが、命を落とすのも時間の問題だったのだろう」
あと一週間、エルツ様の診察が遅れていたら、危なかったようだ。
ホッとしたのも束の間のこと。
「わ、私は、助かるのでしょうか?」
「問題ない。ハイクラスの解毒薬があれば、快方に向かうだろう」
そう答えたのに、オルコット卿の顔色は晴れない。
「それほどの解毒薬であれば、ザルムホーファー魔法薬師長にしか作ることができないのでしょう」
「おそらく、そうだろうな」
すぐにでも処方箋を書こうとエルツ様が言ったのに、オルコット卿は首を横に振る。
「ザルムホーファー魔法薬師長から魔法薬を作っていただけるのに、一ヶ月半以上かかると言われてしまいました」
エルツ様が多忙なのと同様に、ザルムホーファー魔法薬師長も忙しいという。
けれども彼は王室典薬貴族である。王族の不調を優先させるべきなのに、すぐに作れるような環境にいないようだ。
「ザルムホーファー魔法薬師長は現在、国王陛下の治療に使う魔法薬作りで手がいっぱいのようで」
「あれは単なる腰痛だろうが」
急ぐ必要はない魔法薬だ、とエルツ様が指摘したものの、オルコット卿は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるままだった。
「おそらくそなたが急を要するような状況にあると、私と同じように、ザルムホーファーも知らないのかもしれない」
「ええ、そうかもしれません」
オルコット卿の従者がザルムホーファー魔法薬師長に接触しようとしたようだが、関係者以外工房に近付けないようになっていたらしい。
「ならば、私が直接依頼する」
「大変ありがたい話なのですが、もしかしたら陛下の妨害が入るかもしれません」
「どういうことだ?」
「実を言えば、私は陛下にとって、邪魔な存在なんです」
「なぜ、そんなことを言う」
「それについては少々複雑なものでして……」
「いいから話してみろ」
オルコット卿はしょんぼりとしながら肩を丸め、悲しげな様子で話し始める。
「昔から、私と陛下はなぜか比較されることが多く、それゆえ陛下から嫌われておりまして」
学問に秀で、武術にも優れるだけでなく、教養とすばらしいお人柄であるオルコット卿の、民からの人気が高かったという話は耳にしたことがある。
その一方で、腹違いの兄である現在の国王陛下は、目立った特徴などない。そのため、ひとつ年下の弟であるオルコット卿との違いを、周囲から比べられていたのだろう。
「陛下は私が謀反を起こし、国王の座を狙っていると思い込んでいたときがあったようで――」
国王陛下のもとから遠ざけるために、オルコット卿を戦場に送り込んだという。
「大国との負け戦だと言われていたのですが、その、ご存じであるように勝利してしまい」
そこからオルコット卿は国民の誰もが認める英雄となった。
「戦争を終えて帰還してから、陛下の私に対する冷遇はさらに強くなりました」
戦争を勝利へ導いた報酬として、国王陛下がオルコット卿に与えたのは、スノー・ベアが大量に生息する北の辺境。
二度と王都へ戻るな、という忠告にも等しい報酬だったようだ。
「なるほど。では、そなたに毒を仕込んだ犯人もわかりやすいな」
「いいえ! 陛下が犯人なわけ――もが!」
エルツ様が慌てて口を塞いだが、遅かったようだ。
「誰の耳目があるかもわからない。発言は控えるように」
オルコット卿がこくこく頷くのを確認すると、エルツ様は手を離す。
「まあ、誰かの意を汲んで、毒を盛った可能性も否めない。領地に戻って、詳しい調査をするといい」
エルツ様の話を聞いたオルコット卿は、ポロポロと涙を流し始める。
「うっ、うう……! い、今、傍にいる者達はすべて、優しい人ばかりで、だ、誰ひとりとして、う、疑いたく、ない……!」
「しかしながら、この問題を放置していたら、そなたの家族にも危険が及ぶ可能性がある」
「!?」
オルコット卿の傷が完治できたとしても、よかったの一言で片付けていい問題ではなかった。
「その前に、解毒をする必要がある。ビー」
「はい!」
「どのような解毒薬を作ればいいか、わかるだろうか?」
「そうですね」
万能の解毒薬というのはこの世に存在しない。
毒の種類によって、薬の配合を変える必要があるのだ。
「少し稀少な薬草や素材が必要になると思います」
「申してみよ」
いくつかの薬草を挙げると、保管してある物があるという。
「オルコット卿よ、もしかしたら解毒薬は、私の専属魔法薬師が作れるかもしれない」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。ただ、必ず用意できるかはわからないから、口外しないように」
「は、はい!」
オルコット卿が抱える問題は山積みであるものの、ひとまず解毒させて、傷を回復させるのが先決だろう。
「ビー、材料があれば、どれくらいで作れそうだ?」
「半日あれば十分かと思われます」
「わかった」
オルコット卿はエルツ様の研究室近くにある、病室に移るらしい。
「ここはあまりにも酷すぎるから」
モモの案内で、従者がオルコット卿を運んでくれるようだ。
「私達は解毒薬の材料を取りに行こうか」
「承知しました」
それは国中の薬草を集めた素材庫ではなく、エルツ様が個人的に収集した薬草を保管した部屋らしい。




